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お転婆姫の突撃

作者: 藍月 綾音

 ウルリア王国は、神に愛されたナディール大陸の最北端に位置する国である。高い山脈に囲まれたこの国では、雪に閉ざされる冬に国境を越えることは不可能に近い。小国であるが、山脈で採れる鉱石、主に金、銀、それにダイヤモンドを加工した繊細な装飾品が高価で取引されており、また、海で採れる魚や海藻などのおかげで、そこそこ豊かな生活を国民はおくることが出来ていた。

 現在季節は冬。海は凍り、雪におおわれてしまうために、皆あまり外へは出てこない。

 しかし、城の中では今日も末姫マリーベルと将軍トラリキュア侯爵との攻防戦が繰り広げられていた。


「今日こそは、うんと頷かせるわよ」


 仁王立ちをして、幼さの残る顔立ちにもかかわらず尊大に顎を上げ、桜色の唇をとがらせながら、お転婆姫と異名をもつウルリア王国 三の姫マリーベルがつぶやいた。人を従わせる威圧感を生まれながらにしてその身に纏うマリーベルは、十五歳という年齢よりも少々大人びて見えた。

 彼女は、城の塔をつなぐ回廊で、この国の将軍であるアルベルト・フォンティーナ・トラリキュアを待っていた。


 そう、仁王立ちで。



 軍の会議を終えたばかりのトラリキュア将軍は、マリーベルの姿を視界に収めた瞬間、やれやれと溜息をついた。冬の間の会議は、特に話すこともなく、屋敷にこもりがちな貴族達の社交の場のような雰囲気になる。何しろ、雪で閉ざされている間は、よっぽどの馬鹿でない限り、この国に攻め込もうなどと考えないだろうし、考えたとしても、物理的に無理だ。そして、屋敷の中での生活は安穏としすぎて刺激が足らないのだ。自然と噂話や、のんびりとした世間話に花が咲く。例え、男であっても、いや、普段は激しい訓練をこなす軍人だからこそ、鬱憤がたまってしまい、話すことで、ほんの少しの気分転換を求めるのかもしれない。

 そんなわけで、実にのんびりと、どこそこの娘が出産間近だの、あそこの貴族は侍女と火遊び中だのという話をそれぞれが勝手に話しながら進む、軍会議という名のお茶会にでていたトラリキュア将軍は、非常に不機嫌だった。もともと社交的な性質ではない上に、世間話をするくらいなら室内だとしても鍛錬をしていた方が何倍も実があると考えるからだ。(本当は外で思い切り剣の稽古をすることが一番好きなのだが)


 現在、外では吹雪が城を飲み込もうとしている。石で造られた城の中は、暖炉を燃やし続けていないと凍死するのではないかというぐらい寒い。一歩部屋の外に出れば気温は外と変わらないのだ。。当然、回廊など、ただ、雪が吹き込んでこないというだけで、濡らした布を数秒振るだけで凍らすことができるほどの寒さだ。

 マリーベルは、毛皮の外套に襟巻、長靴、耳当てと、まさに重装備にも関わらず、寒さで鼻の頭が赤くなってしまっている。

 だがしかし、トラリキュア将軍は、鍛え抜かれた逞しい胸板が服の上のから一目で分かるほどの薄着である。あまりに薄着すぎて、周囲の人間に、『見ているだけでこちらが寒くなる』などと言われているが、本人は気にした様子もなかった。


「これは、これは殿下、ご機嫌……………………」


「アルベルト・フォンティーヌ・トラリキュア侯爵。私と生涯添い遂げると誓いなさい」


 マリーベルに近づき、臣下の礼をとっての、トラリキュア将軍の挨拶は、マリーベルの尊大とも言える言葉で遮られた。毎度のことながら、挨拶すらまともにさせてもらえない。マリーベルは物心ついた頃から、なぜかアルベルトを夫と定め、会えば、一言目には結婚の承諾を迫ってくるのだ。年頃になれば落ち着くだろうと、放っておいた結果、毎日、トラリキュア将軍を探しだし、時には突撃を、時には待ち伏せをし、求婚の言葉を可愛らしい唇に乗せるようになってしまった。

 見かけだけは、まるで天の御使いかのように、愛らしくも美しい年頃の娘だというのに、実に残念な中身に育ってしまった。その責任の一端は、きっとアルベルトにもある。けれど、アルベルトもただ放っておいた訳ではない。


「殿下、何度も申し上げておりますが、私と殿下とでは、全く釣り合いがとれておりません。畏れ多くも殿下は今年成人なさる年、なにもこんな年寄に伴侶を求めなくとも、将来有望な若者が沢山おりましょう。どうぞ、他に目をお向けになって下さい」


 こうして、毎日断りの文句を言い続けているのだから。

 アルベルトは三十三歳と、親子ほど年が離れている上に、若い時に死に別れてしまった妻もいた。王族の姫を妻に娶るなど出来るはずもなかった。

 しかし、幼い頃からアルベルト一筋のマリーベルの心に、今更そんな言葉は響かない。


「相変わらず、往生際の悪い」


 ぼそりと呟く言葉は、アルベルトには届かない。

 アルベルトに気付かれないように、一瞬、ギリリと奥歯を噛みしめてから、仕方ないとばかりに右手を横に突き出すと、後ろに控えた侍女がその小さな手にそっと白い布を握らせた。


「今日の所のお答えは承知いたしました。こちらをどうぞお納めになってください」


 臣下の礼をとるアルベルトに合わせて、マリーベルも床に跪きその左手に受け取った白い布を握らせる。


「どうか、アルベルト・フォンティーヌ・トラリキュア侯爵にご加護を」


 弱々しくアルベルトの左手を両手で包み込むように握ると、祈りを捧げた。

 しかし、大人しくしていたのも、そこまでで、勢いよく立ちあがったマリーベルは、アルベルトに人差し指を突き出して大きな声で叫ぶ。


「見ていなさい、その内、君がいなければ僕は死んでしまうって言わせてみせますからっ! 」


 即ち、諦める気は毛頭ないということだ。マリーベルはブフッと失礼にも吹き出して、慌てて両手で口を押える副官を睨みつけるのも忘れなかった。

 まだ、礼をとり、頭を垂れるアルベルトをそのままに、身を翻し足早に去っていく。ここまでがいつもの流れだった。


 マリーベルの姿が回廊の向こうに、消えて見えなくなった頃、やっと立ち上がり、アルベルトは溜息をつく、左手の中には見事なトラリキュア侯爵家の紋章が金糸で刺繍してあるハンカチ。時折渡されるそれが、マリーベルが施したものだと知っていた。あの小さな手で、トラリキュア侯爵家の紋章を一針、一針縫ってくれたかと思うと、少し胸が熱くなる。好かれて悪い気はしない。だが、伴侶にと言われて頷くことは、出来なかった。


「将軍、もうそろそろ、嫁に貰ってあげればいいじゃないですか。あんなに健気な純粋な子、そうそういませんよ?その上、もの好きですからねぇ。泣く子も黙る鬼神将軍を怖がるどころか嫁にしてくれなんて、あり得ない奇跡ですよ? しかも姫君。どこが嫌だっていうんですか……………………って、痛いですよ、暴力はんたーい」


 副官ケビンの言葉に、勝手にアルベルトの右手が動いて、頭を殴りつけていた。


 よみがえるのは、青白い細い手。真珠のような涙。震える唇。


 頭を一振りして、それらを振り払い、フンッと鼻を鳴らした。


「自分の娘のような年の王女に迫られてみてから、その台詞を吐きやがれ。殿下は、恋に恋しているだけさ。成人の儀の後には、王の定めた婚約者殿に引き合わせされ、そちらに目がいくだろう。 そうなれば、やっとお役御免になるさ」


「そうはならないんじゃぁ。姫様を嫁に出来るのなんて、大陸広しといえど、将軍ぐらいだと思いますからねぇ?」 


 幸か不幸か、その副官のつぶやきがアルベルトの耳に届くことはなかった。



◇◇◇◆◆◆◇◇◇◆◆◆◇◇◇


「あぁぁぁっ!もう、手がないわ!! か弱くしなだれてもダメ、涙目で上目使いもダメ、明るく元気よくもダメ、露出度高めのドレスもダメっ!! 一体どうしろとっ!! 」


 自室に戻ったマリーベルは、一際大きな声でそう言い放ち、ソファに倒れ伏した。

 大きな口を叩いたが、あれは悔しまぎれの捨て台詞なのだ。

 振り向かせる自信など雪の一片もない。時折、意味もなくわき上がる自信など、それこそ雪のようにすぐに解けて淡く消えてしまうのだ。

 アルベルトの好みの女性は分かっていた。亡くなった奥さんは病弱で、とても大人しい儚げな人だったと聞いのだ。

 なによりも静寂を好み、屋敷からほとんど出てこない生活だったようだ。社交界にも病弱を理由に殆ど顔を出すことはなかったので、人となりはあまり知ることはできなかった。


 それでも、侯爵夫人が亡くなった後も再婚をせずに、浮いた噂もないということは、現在に至っても、奥さんを深く愛しているのだろうと推察できた。

 実際、貴族達の間では仲の良い夫婦だと知られていた。アルベルトが仕事が終わると、飛ぶように屋敷へと帰っていっていたからだ。とても愛していたのだろうと、トラリキュア侯爵の周囲の人間が口を揃えて言う。そして皆が痛ましい表情をするのが印象的だった。マリーベルはその表情を見る度に、亡くなった夫人が過去の人ではないのだと知ったのだった。


 仰向けに寝転がり、腕を突き上げて、自分の両手を見た。

 水仕事などしたことはなく、侍女たちに毎日丁寧に手入れをされている、綺麗な手だと思える。すっと細く長い指も、形良く整えられうっすらと色づいた爪も、労働を知らない手だ。

 だが、この手は穢れた手だとマリーベルは知っている。どんなに高貴な身分の女性らしく手入れをしても、その穢れがなくなる日などこないのだ。

 病弱でか弱い女性になんて、どう転んでもなれないのだ。この手がある限り、マリーベルはどんなに嫌だと思ってもやらなければならない事があるのだから。マリーベルにとって、王族の務めであり、民を守るために存在するその手は、かすかに灰色がかって見えるのだった。


 マリーベルにとって、アルベルトは唯一の人だった。きっとアルベルトなら、マリーベルを突き放さないと信じていた。小さいマリーベルを救ってくれたように。


「熱を出して寝込むくらいじゃ、病弱だなんて言えないわよね」


 ポツリと溜息とともに言葉を吐き出すと、そばに控えている侍女のアネットが呆れたように頷く。


「マリーベル様には、熱を出すことも難しいと思いますよ?湯あみのあと裸で走り回ってもくしゃみ一つしないんですから。健康優良児の鏡じゃないですか」


「小さい頃の話を持ち出さないでくれる?もうレディなんだから、裸で走り回ったりなんかしないわよ」


 頬を赤らめてそう抗議すれば、歯に衣着せぬアネットはさらにたたみかけた。


「成人の儀を控えているのに、そんな恰好で寝ている人がレディとか言わないでください。下着見えてますからね。キャスリーン女史がいらしたら、当分外出どころか、寝る時間もなくなるんじゃないですかねぇ」


 キャスリーン女史とは、マリーベルの淑女教育の教師だ。とても厳格で仕事熱心なので、自由奔放なマリーベルとそりが合わない。マリーベルの主張は、自室でくらい礼儀やお行儀など気にせずに行動したいだが、キャスリーン女史は王族とは、すべての民の手本とならなければいけないのだから、常に一挙手一投足に気を配らなければならないと言う。そして、それが出来ていないと分かれば、長時間のお説教と膨大な課題が用意されるのだ。マリーベルはビクリと体を震わせると、ソファの背もたれにかけていた片足を下し、体を起こしてきちんと座りなおした。出来ることなら、成人の儀までにアルベルトから婚約の了承をとりつけたいのだ。外出禁止になどなったら、とても困る。

 自分がとてつもなく、はしたない恰好をしていたという自覚がなさそうなことに、アネットは苦笑した。


「姫様、トラリキュア侯爵様は、礼節を重んじる方ですよ?もう少し努力なさならいと、例え奇跡が起きて侯爵家へ嫁いでも、返品されるのが落ちです」


 マリーベルの恋の成就の可能性が欠片もないと思っていることが、だだ漏れの言葉に、マリーベルは頬を膨らませる。乳兄弟でもあるアネットにそう言われてしまうと、なけなしの自信が、もっとしぼんでしまうではないか。だいたい、返品ってなんだ、私は商品かと胸中で突っ込む。


「儚げな美人になりたい…………」


 おもわずつぶやいた言葉に、アネットがこらえきれずに吹き出し、ないのもねだりはしていはいけません、姫様は今のままが一番ですよとマリーベルの頭をなでるのだった。その優しい手の感触に、目を細め、いつか来ると決まっている日が来なければいいのにと願うマリーベルだっだ。


◇◇◇◆◆◆◇◇◇◆◆◆◇◇◇


 ウルリア国の雪は深い。一般的な民は冬の間は家に篭もり、内職をして過ごすことがこの国の習慣だ。窓も吹雪になると割れてしまう可能性があるために、雨戸をしっかりとしめて、暖炉の明かりで生活をしていた。外に出るのは、朝、扉の前に積もった雪を掻き出し、道を整えるときぐらいだ。

 だから、誰も気付かなかったのかもしれない。

 マーロウが壊れた家具を直している時だった。暖炉の燃える臭いとは違う臭いが隙間風に乗って、鼻を掠めた。なにしろ、隙間風というのはなかなか厄介で、隙間を見つけ塞ぐことが難しい。その事に、眉をしかめながら、ふと、外の様子が気になった。

 胸がざわざわしたのだ。悪い予感とでもいうのか、よくないなにかを感じた。

 マーロウは、行商人だ。裕福とは言えないけれど、家族でほそぼそと生活するに足る収入はある。国内の村や町を訪ね回って、商品を売りさばいているのだが、峠を越えて隣国へと行くこともある。

 いつだったか、隣国へ行った時に、町ごと賊に襲われた事があった。その時、その国の騎士たちが駆けつけてくれたおかげで、マーロウは助かった。だが、町はひどい有様だった。真っ先に野盗が仕掛けたのが火矢だったのだ。あちこちで火の手が上がり、消し止められた時には、町の半分ほどが炭と化していた。

 先ほど鼻を掠めた、臭いは、その時嗅いだものとよく似ている。あの時、何人の人間が焼け死んだのだったかと、急速に冷える頭で思った。

 マーロウの緊張に気付いたのか、妻のトーリーが談笑をやめ、じっとマーロウを無言で見つめ夫がなにか言うのを待っている。子供達も気配を察知したのか、母親にすり寄った。

 沈黙が部屋を支配した。と、遠くから小さく誰かの声がする。それは、誰かが助けを呼ぶような、切羽詰まったものに聞こえた。

 マーロウは素早く立ち上がると、水瓶から水をくみだし、暖炉を消した。なにか、よくない事が起きていると確信したからだ。この国の冬に賊と呼ばれるものは存在しない。そんな事をすれば、自分たちが雪に飲まれるからだ。そして、仕事が豊富に用意されているこの国で、生活が困窮することもない。とても治安が良く、賊とは無縁でいられる国なのだ。

 それでも、なにかがおかしかった。

 無言で、家族に黙っていろとジェスチャーで伝え、音をたてないように気を付けながら二階へと登る。

 そっと雨戸を開け、マーロウが見たものは、遠くで燃え上がる炎と、多数の旗印だった。かすかに鎧のがこすれるような音や、誰かの悲鳴も聞こえてくる。そして、遠くからでも分かる、大勢の人の気配。

 遠目に見える旗印は、海を挟んだ向こう側の国、エガトウリス国のものに見えた。息をのんだ。足から震えがのぼってくる。

 震える手でそっと雨戸を閉め、隣国が攻めて来たのだと考えた。

 それは、あり得ないことだった。この北方では、海が凍る。海を挟んだ向こうの国から、この国へとたどり着けるだなんて、この国のものなら誰でもあり得ないというだろう。

 氷の島がひしめく海で、木造の船はあっというまに穴が開いて沈んでしまうからだ。

 だが、実際に今、エガトウリスの旗が、ひらめていた。

 大急ぎで、一階に下りると、床に引いてある絨毯をのけて、露出した床石を外す。すると木の床扉が現れた。家族に地下へ潜るようにと指示を出し。何事かを察し、涙目になっているトーリーを抱き寄せた。


「エガトウリスがどうやってか分からないが、軍隊を率いて攻めて来ているようだ。町が燃えている。走って城に伝えるんだ。いいか、必ず王に伝えるんだぞ?」


 嫌がるように、首をふるトーリーを苦渋の表情で引きはがすと、唇を押し付けた。


「俺は大丈夫だ。これまでも色々な危険な目にあったが、いつも助かってきた。俺は、幸運に好かれているんだ。お前たちは、とにかく走れ、そして、軍を呼んで俺を助けてくれよ」


 子供達もそっと抱きしめ、常備してある緊急用の鞄を渡してから、振り切るように、床扉を閉める。最後にトーリーの縋るような目と口だけを動かして「あなた」とつぶやく唇が見えた。あれは、脅えて声が出せないのに違いない。愛する妻が最後に見た自分の顔は一体どんな表情だったろうか、笑った顔ならいいけれどとマーロウは思った。

 床石を戻し、絨毯を元通りに敷いた。

 これで、この地下通路は見つからないはずだった。

 雪深いこの国では、冬になると地下通路が重宝されていた。この地下通路から城へも、隣家へも行ける。 ただし、敵に攻められた場合も考えて迷宮のようになっていった。初めて地下通路へ行けば必ず迷うが、この国の人間は迷わず使用できるように訓練されている。きっと妻や子供達は逃げ切れるはずだと、マーロウは大きく息を吐いた。

 地下通路をみすみす敵に知られる訳にはいかない。誰かが残って、床石を元通りに置いて隠さなければいけなかった。

 ――――町から少し離れているこの家も、きっとすぐに見つかるだろう。町の友人たちは無事だろうか?無事でいて欲しい。

 そう願いながら、ソファの下に隠してあった長剣を取り出した。そして、扉の前で剣を構えた。

 無駄死にをするつもりはないのだ。せめて一人でも多く、敵を減らすことが、今出来るマーロウの最善だった。マーロウは商人だ。けれど、何度も死線をかいくぐってきた商人だ。

 震える手を押さえつけながら、徐々に近づく雪を踏みしめる多くの足音を聞いた。


 ドンッ。


 木の扉が震える。

 何度かの震えと、大きな音の後に蝶番が壊れ、扉が蹴倒された。


 同時に鎧が見え、マーロウは勢い良く兵に突進した。

 この国を守りたいなどと大きな望みではなく、家族を守る。その想いだけがマーロウを動かしていた。

 

 ――――サリエル様、どうか、どうか家族をお守りください。


 姿の見えぬ女神に祈る。


 血しぶきが飛び散り、金属がはじかれる音がキィンッと響いた。


◇◇◇◆◆◆◇◇◇◆◆◆◇◇◇


 ――――町で火の手が上がっている。あちらこちらから煙が上がっており、様子がおかしい。


 その報告を皮切りに、次々と町人が地下通路から姿を現し、敵が攻めてきたのだと報告される。


 ウルリア国王はとうとうその時が来たのかと、勢いよく立ち上がった。同時に、幾人かの侍従が傍に立ち、鎧を装備させていく。細やかな細工が施された鎧は、まるで王を祝福するかのように光を受け輝いていた。

 鎧を着用する間も、矢継ぎ早に指示をだし、燃えるような赤いマントを留めたパチンという音と共に歩き出す。いつか、攻めてくると分かっていたが、まさか雪深いこの季節に、大軍でたどり着けるとは考えもみなかった。しかし、攻めてきた以上、相手をするしかない。相手は宣戦布告もせずに、町に火を放つような外道だ。このような奇襲は、国同士の戦いのルールからは外れていた。決して逃がすわけにはいかないと、怒気を纏う王に、皆が安堵の目を向けていた。王がいてくれる、それだけでこの国は大丈夫なのだど信じている者が大半だったのである。

 国王の指示に従い、伝令があちこちへと走り出した。


 アルベルトに召集命令が届いたとき、ちょうど室内演習を何班かに分けて行っていたところだった。

 皆、完全武装での訓練だったために、その場でしばらく待機させ、アルベルトに作戦命令が出されると同時に出撃することが出来た。彼らは図らずとも最前線で戦う事となったのである。

 彼等に負けるという未来は許されなかった。敗退は国の崩壊へとつながる。例え実戦経験を持つものが半数以下だろうと、彼等は国を守るための兵士なのである。


 しかし、現実は残酷であった。

 相手は雪馴れしていない兵士達だ。雪国生まれのウルリア国民の兵のほうが遥かに有利な戦いになるはずだった。

 しかし、わざわざこの季節に攻めて来たのだ。エガトリウスが対策を考えていない訳がなかった。

 エガトリウスは、魔術師を引き連れてきていたのである。隊列を組み、雪を炎で溶かしながら行軍して来ていたのだ。魔術師の魔力が尽きる前に、控えていた魔術師が交代で前線に出て雪を溶かす。最後尾に着いた魔術師は次に自分のターンが来るまでに、魔力を回復させるのだ。

 魔術師の数はとても少ないはずだった。だが、エガトリウスは数百人の魔術師をそろえ、そして、魔力の申し子とも言われる、規格外の魔力を持った魔術師を五人も味方に引き入れていた。この五人だけでも国を1つ落とすことなど簡単に出来るだろう。それだけの魔力と実力を兼ね備えた、世界でも指折りの魔術師達だった。


 そうして、兵を導きながら進み、ウルリア国の兵を目視で捉えると同時に、布陣を敷いていた城と街との間の平野一帯を一瞬で焼き払って見せたのだった。エガトリウスにとって、それはデモンストレーションだ。わざわざ流氷を溶かしながら船を進め、雪を溶かしながら行軍する。不可能と言われた冬のウルリア国を攻め落とすことは、世界に向けて自国の強さを知らしめるには最高のアピールになるのだ。


 エガトリウスにとって、ここを皮切りにこの大陸に進軍し、世界の頂点に立つ為の第一歩だった。


 魔術師を使い、兵達を焼き払わないのは、せめてもの情けのつもりだった。エガトリウスは、魔術師を使わなくても十分強い。ウルリア国の兵達の心を折るには、一瞬で灰にすることも出来るのだという、脅しで良いのだ。

 雪を溶かされた足場の悪い泥の地面で、後にウルリア国兵士達は、悪い夢のようだったと口を揃えて言うことになる、リグノリアの闘いの火蓋が切って落とされたのだった。


 ウルリア国の優位性は、雪とともに消えてしまった。

城の軍備はまだしばらくは整わないだろう。アルベルトに課せられた命令は、敵の殲滅、あるいは撤退をさせる事。それが出来ないのであれば、籠城の準備が整うまでのおとりだ。この狭い場所では、大軍の衝突は叶わないのだ。

 

 次々と味方の兵が倒れてゆく、その中でアルベルトの闘いぶりはまさに鬼神のようだった。双剣を構えながら走り、すれ違い様に剣を一閃させて、エガトリウスの兵を葬っていく。速度を上げ、返り血を避けもせずに戦場を走る。

 その勇姿に、押されぎみだったウルリア国の兵士も励まされ、士気を高めた。

 自分達の家族を思い、隣人を思う。

 

 だが、エガトリウスの歩兵が三万、魔術師が数百。対して、完全武装をしていてたアルベルトの隊は千。正面衝突し、勝利を勝ち取れる戦力差ではなかった。戦力も陣形も揃わない中、緊張が破れる時が来た。


 一瞬の出来事だった。アルベルトが泥に足をとられ、バランスを崩したのだ。その好機をエガトリウス兵は逃さなかった。アルベルトが体勢を整える前にと剣を繰り出す。

 アルベルトは初めて迫り来る己の死の影を見た。同盟国の為に幾度も戦場へと出たが、これが最後かと覚悟したことはなかった。もちろん、戦に向かう時は、己の命を差し出す覚悟で向かっているが、運が良かったのか、この頑強な体のおかげか、死につながるような傷を負うことはなかったのだ。


 まるで、時が止まったかのように、相手の剣が光を反射させながら、アルベルトの腹をめがけてゆっくりと近づいてくる。その剣筋がきちんと見えているのに、アルベルトの体は思うように動かない。


 あぁ、終わりか、そう思った時、今にも泣き出しそうな王女の顔が頭を過った。

 

 最期くらいは、笑顔を思い出したいものだが、毎日のように求婚してくる変わり者の王女は、アルベルトが求婚を断るたびに、強く前向きな言葉を繰り出すのに、泣き出しそうな顔をするのだ。だから、笑顔よりもそちらの顔の方が印象深い。

 こんなに早く命を散らせるのなら、婚約ぐらいしておいても、良かったかもしれない。そうすれば、満面の笑顔の王女を見られたのかもしれない。

 小さい頃から、アルベルトを怖がらずに、慕ってくれた王女にどんなにか救われていたのか、彼女は知らない。伝えようとしたこともなかった。

 小さなその体躯に、自分のようなものが触れれば壊してしまうかもしれない。

 そう、かつて妻だった人のように。

 そう思うとどうしても、近寄ることすら出来なかったのだ。


 アルベルトが迫りくる剣から、目を逸らさずに、その一瞬で考えたのはマリーベルの事ばかりであった。


 国が落とされても、第三王女である彼女は、きっと命を取られることはないだろう。どうか、どうか、幸せにと願ったその時、目の前から剣が消えうせた。次に視界に入ったのは大きな岩(・・・・)だった。


 どさりと、肩から落ちるように地面に落ちる。

 けれど、剣先が消えた瞬間に、左手をついて、反動で飛び起きる。

 飛び起きたついでに、横にいた敵兵を二人屠った。


 直径が成人男性の身長くらいある大きな岩がドォンと大きな音を立てて、着地する。

 

 魔法があると言っても、いくらなんでもこんな大岩が突然現れるような魔法はない。

 しかも、戦場に不釣り合いな大きな岩は、とんでもないスピードで飛んで来たのだ。


 誰もが、自分の目を疑い、大きく口を開けて呆然と岩を凝視する。 

 

 続いてさらに先の魔術師達が下がっている場所を狙うように、猛スピードの大岩が頭上を飛んでいった。


 皆がみな、ここが戦場であることを、忘れたかのように、大岩を目で追かけてしまっていた。

 その大岩を追いかけるように、人ではありえないスピードで走りこんでくる、なにか。


 それは、目にも止まらぬ速さで、戦場を駆け抜け、アルベルトの目の前の大岩の前で急停止すると、軽々と大岩を持ち上げ、あろうことか、片手で支え大きく腕を振りかぶる。


「アル様になんてことするのよぉぉぉぉぉぉ!!その上、これで結婚絶望ぉぉぉぉぉぉ!!!エガトリウス許すまじ!!!ほろびろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!! 」


 片手で投げられたはずの大岩は、またもや猛スピードで後列のエガトリウスの兵へと落ちていくのだった。


「あーあ、姫様気の毒に。自棄になって怪我しなけりゃいいですけどねぇ」


 マリーベルの勇姿に、目を見張り固まるアルベルト。

 そんなアルベルトを慰めるように、副官のケビンがポンッと肩を叩く。


「ね?あの姫様を嫁に貰えるのは将軍くらいでしょう?」


 放物線を描きながら、敵兵が空を飛んでいくのを目を細めて見上げる。


「あーあ、骨折れるなアレは、手加減しなさいって言ったのに」


まるで冗談のように、マリーベルに放り投げられていく敵兵を見上げながら、アルベルトは声を無理やり声を絞り出した。


「……………………なぜ、お前が」


 言葉にならない、部分を察してケビンが答える。


「もちろん、戦いの基礎を教えたのが僕だからですよぅ。まぁ?姫様天才すぎてすぐに俺は負けちゃいましたけどねぇ。あっ、国家機密でしたから将軍にだってお教えできなかったんですからね」


 ググッと柄を握る手に力を込める将軍から、一歩、また一歩と距離をとりながら敵を倒していく。

 アルベルトの機嫌が急降下しているからだ。一歩間違えるとケビンに剣をむけるのではないかと疑うほどだった。 

 副官として推察できるのは、もしかしてというレベルだが、マリーベルの指導をしたかったのじゃないかという事ぐらいだ。


 実力も地位も将軍の方が上だ。普通に考えれば将軍がマリーベルの指導を行なうはずだ。けれど、本人が絶対に嫌だと主張したのだ。アルベルトに、その力を知られるくらいなら、修道院にはいるとまで言い切った。

 ケビンはマリーベルの微笑ましい無駄な努力を知っていた。知っていたから、アルベルトに知られたくない気持ちも分かる。だから、アルベルトにも話さず、マリーベルの指導を引き受けたのだ。


 誰が、恋する人に、己が鉄製の太い棒ですら蝶結びが出来てしまう怪力だと、知られたいものか。


 まるで八つ当たりのように、敵を攻撃し始めたアルベルトの姿に、冷や汗が流れ出るのをケビンは感じた。後程、なにか機嫌をとらないと自分の命が危ない気がしたのだ。あの、将軍がまさかねぇと自分自身の考えを打消しながら、また一人敵兵を倒すのだった。 


 そこからの戦いは酷かった。マリーベルはその力を余すことなく発揮し、常人ではない戦いぶりを見せつけた。一騎当千なんて言葉ではまだ足りない。一騎当万の武力でもってエガトリウスに相対したのである。

 剣一振りで、幾十もの敵兵を戦闘不能にし、まるで舞を見ているかのように錯覚するほど、小さい体を翻し、蹴りをいれ、拳をいれ、敵の体を武器に見立てたり、放り投げたりしながら、バタバタと敵をのしてゆくのだ。

 マリーベルが戦場に現れた途端に、エガトリウスの魔術師達に異変が訪れた。魔法を放とうとしても、手のひらでろうそくが消えていくように、魔法が消失していくのだ。それを認識した魔術師達の顔に浮かぶのは恐怖と絶望だ。彼らは魔法を操れなければただの人なのだ。敵国の兵士と相対できるほどの戦闘能力を持たなかった。

 さらに小柄なマリーベルが、時折勢いよく大きな岩を投げる様は、敵兵の恐怖心をとことん煽った。化け物だと罵り、背を向けて逃げだす兵が出始めた途端に戦列も戦闘もあったものではなかった。

 真っ先に蒼白になり逃げだしたのは、勇猛果敢と自負していた隊を率いる将軍や隊長達であったため、指揮系統は混乱してしまい、おかげで総崩れした陣はあっという間に意味をなさないものになった。烏合の衆と化したものを追い払うのは、アルベルトの隊だけでも充分だった。

 あとは蜘蛛の子をちらすように逃げ惑う兵たちを、港まで追い詰め、国から追い出すだけの簡単なお仕事である。



 マリーベルは、逃げ出す敵兵を認めると、ある人物を抱え、今度は逃げる敵を追い越し、町へと駆け出した。城へ逃げてきた民は老人や子供、女が多かった。夫を、父を、兄を、弟を、家族を助けてくれと皆が王家に助けを求めたのだ。


 地下通路を使い、治癒の力を持つ姉姫達が町へと向かっているはずだが、町にはまだ敵兵がいるはずだ。敵を滅し、退けることがマリーベルの仕事なのだ。 まだ、泣くような暇はない。 一人でも多くの民を救うためにマリーベルは走るのだ。走りながらも、位の高そうな敵兵を見つければ、とりあえず蹴り倒して行動不能にしておく。下の兵より先に逃げ出すなんて、言語道断だ。潔く捕虜になってもらう心づもりである。あとから追いついてくるはずのケビンがちゃんと捕縛してくれるだろうとの目算もあった。


 いつの間にかに、馬に乗ったアルベルトが並んで走っていた。マリーベルは驚いたように目を見張ったが、すぐに気を取り直し、アルベルトに走りながら話しかけた。今はアルベルトを恐れている場合でも、恥ずかしがっている状況でもないのだから。


「海の見張り台から報告が上がってきていませんでした。海の部隊は全滅に近い形かと思われます。町では、男性方が地下通路を隠すために戦って下さっています。姉上達は治癒の手と声を授かっていますので、そちらに向かっています」


「なら、町にいる敵兵の殲滅、町人の救出が優先だな。殿下はどんなことがお出来になるのですか?」


「身体能力に恵まれています。武器ならなんでも使いこなせますし、体術も得意です」


「では、そちらは?先程は戦っておられるようには見えませんでしたが?」


 面白がるようなアルベルトの声音に、マリーベルにお姫様抱っこされている第二王子の肩が揺れるが、馬と同じ速さで走るマリーベルに、落とされぬよう、しがみつくことに必死で言葉はでない。


「リアン兄様はそこにいるだけで魔法を無効にしてくださるのです。生きて戦場に居てくださるのが務めですので、戦えなどと、無茶は仰らないで下さいね。貴方や私は規格外なんですよ」


 勿論、第二王子は弱くなどない、だが、圧倒的な強さを持つわけでもない。敵と剣を交えて怪我を負ったり、命を散らされ、敵に魔法を使われる方が痛手になるのだ。 その上第二王子は、戦えないことを悔しく思っていることを、マリーベルは知っていた。だから、アルベルトが相手なのに随分と冷たい言い方になってしまったし、責めるような声音になってしまった。


 拗ねるようなマリーベルの言葉に、ふっとアルベルトが表情を和らげた。


「これは申し訳ありませんでした。リアン殿下が歴戦の勇士にも負けないほどの、実力をお持ちなのを存じております。ですから、不思議に思ったのですよ。リアン殿下は勇猛な方ですからな」


 アルベルトは第二王子が、短気なことを知っていた。よく、戦わずに後ろに控えていたものだと感心していたのである。普段の第二王子ならば、いい機会だとばかりに前線に飛び出してきても不思議はないのだ。


 それにしてもと、マリーベルは不思議に思う。今も常人ではありえぬ速さで駆けているというのに、アルベルトにそれを気にしている様子がない。変わらぬ様子でマリーベルに話しかけてくるのだ。

 アルベルトへの恋心を自覚した時から、この日を恐れていた。化け物と罵られる覚悟も、目を背けられる覚悟もしてきたつもりだ。心の奥に明かりが灯ったような、温かさがじんわりと広がっていく。

 知らずゆっくりと持ち上がった口角を、アルベルトが息を詰めて見ていた事に、マリーベルは気づかなかった。


 町でも、敵兵がすでに逃げまどい、港へと向かう者が大半だったために、マリーベルは負傷者を運ぶことに専念することになった。一人で成人男性二人を担ぐ姿に、皆が驚いていたが、気にすることもなく、仕事を全うできた。

 第一王女は、手の平で怪我を治すことができ、第二王女は、その歌声で治癒速度を速めることが出来た。

 まるで、女神のようだと、治療を施す王女たちを囲み、涙を流して喜ぶ民衆の姿に、戦いが終わったのだと、マリーベルはほっと息をついた。

 救えなかった命もあったが、救えた命もあった。

 エガトリウスは逃げ帰ったのだ。それで良しとしなければならない。もちろん、王が賠償金やら、捕虜の身代金やら、搾る取れるだけ、搾り取るだろうけれど、後は王の仕事だ。

 

「よく頑張りました。姫様、お疲れ様です」


 いつも飄々としている男の、労わりに満ちた声に後ろを振り返り、ケビンの姿を認めた途端に、目の前が暗くなり、足の力が抜けてしまった。


「あぁーあ、ほら、そうなる前に城に帰れって言っておいたでしょう」


 ケビンは素早くそれを察知し、さっと距離を詰めて、マリーベルを抱き止めるが、その直後に、背中に悪寒が走った。よく知る人が放つ殺気に、冷や汗が滴り落ちるが、気力でそちらに顔を向ける。できれば、そういうものは敵に放って欲しいと思う。決して信頼のおける部下に放っていいものではないからだ。


 目があった途端に、殺気を鎮め、何食わぬ顔をしている上官の考えが読めないと思いつつ、愛想笑いを浮かべた。


「あー、その、姫様、気を失っちまったみたいで…………。俺、ちょぉぉぉぉっとっ、第二王子に報告あるんでっ、ぜひっ、将軍に…………姫様、城へと運んでほしいなぁ?なんて?」


 ここは、原因と思われる姫様を差し出すしかないと、なによりも、自分の上官はこんな殺気振りまく人だったっけ?と疑問に思いながら無言で近づいてきたアルベルトにマリーベルを託した。


 そのまま一目散に後ろを振り返りもせずに、第二王子を探しに走り去るのだった。


◇◇◇◆◆◆◇◇◇◆◆◆◇◇◇ 


 アルベルトは非常に不機嫌だった。

 それはもう、部下が裸足で逃げ出すほどに、不機嫌だった。

 エガトリウスが立ち去って、もう二週間、国内は落ち着きと取り戻しつつある。

 昨日までは、戦後の処理で走り回り、寝る間もないほどだったが、アルベルトもやっと一息つけたところだった。 

 だが、いまだかつてない上官の不機嫌さに、ケビンは大きくため息をついて、もう、耐えられないからと意を決して執務室の机の前に立った。


「いい加減にしてくださいよ。まったく、いい年してなにしてんですか。いいですか?よぉぉぉぉぉく、考えて下さいよ?今までがおかしかったんですっ! 求婚といえば、男からっ!!」


 戦のあった日から、パタリと第三王女が姿を見せなくなったのだ。

 どうやら、上官の不機嫌の原因はそれだと思い当たりはしたが、馬に蹴られたくはないので放っておいたケビンだったが、いい加減に鬱陶しくなってきたのだ。

 不機嫌と吐き出されるため息と、八つ当たりと思しき地獄の訓練に、もうそろそろ部下達が壊れてしまいそうだというのも、放っておけなくなった原因の一つだ。


「ばっっ!なにを馬鹿なっ!! どうして、俺がマリーベル様に求婚しなきゃならないんだっ!」


 泡を食ったように、立ち上がりバンッと机を叩いて、動揺をごまかそうとするアルベルトに、ケビンは目を細めてニタリと意地の悪い笑みを浮かべた。語るに落ちるというのは正にこのことだ。


「誰が、マリーベル様の話をしたんですか。そうですか、やっぱりマリーベル様を待ってたんですねぇ。心を決めたなら、さっさと王様に許可もらって、マリーベル様に求婚してきてくださいよぅ。姫様喜びますから」


「ぐっ……………………むぅ……………………ぬぅぅぅぅ」


 顔を真っ赤にして、ぐぅの音も出ないアルベルトは、意味不明な唸り声をあげた。


「だがっ…………しかしっ……………………年が……………………」


 まだ、性懲りもなく、往生際の悪いことを言い出したアルベルトに、ケビンが眉を吊り上げた。


「俺も迷惑してるんですっ! いいですか? 俺には、そりゃぁもう、可愛くて、可愛くて天使のような、妻と子がいるんですっ!! ありがたくも姫様の指導なんてぇものもやらせて頂いてますがね? 将軍に嫉妬されて、殺気向けられるの、すんごい迷惑なんですよっ! 俺は妻一筋なの知ってるでしょう! 俺に嫉妬している暇があれば、王への許可取り付けなんてさっさとできるでしょうがっ!! 将軍は殺気だけで相手を気絶させられるの忘れないで下さいっ!! ほらっ!さっさと立つ! そして王様の所に行くっ!」


 ケビンに気圧されて、アルベルトは顔を真っ赤にしながら執務室を出る。色々と自覚があるだけに、いたたまれなかった。

 あの日から、第三王女マリーベルが頭を離れてくれないのだ。なのに、避けられている。毎日求婚に訪れてくれていたのに、来なくなってしまった。会えなくなってしまった。

 後悔しないように、次にマリーベルが求婚してくれたら、返事をしようと待っていたのに。

 そう、考えて苦笑する。ケビンに言われた通りだったからだ。そもそも求婚とは、伝統的に男からするものだ。

 今度は、アルベルトの番なのだ。


◇◇◇◆◆◆◇◇◇◆◆◆◇◇◇


 マリーベルは部屋に引き籠っていった。

 まるで、じわじわと気力を削るように、悪意ある言葉が心を傷つけていくのだ。

 夢中だったから、その時は大丈夫だったのだ。けれど、落ち着いてしまうと気が塞ぐ。


 化け物と呼ばれた。

 

 悪魔と呼ばれた。

 

 恐怖で涙し、ぐちゃぐちゃになった顔で、命乞いをされた。


 マリーベルは好きで力を授かったわけではなかったが、大切な民を守る為の力には、感謝していた。

 けれど、自国の兵でさえ、その瞳に恐怖を浮かべる者がいた。

 その恐怖を感じとってしまったから、部屋に引き籠った。


 大好きなアルベルトから、あんな目を向けられたら、この力を厭うてしまうかもしれない。女神様から賜ったこの能力をそんな風に考えるなんて、不敬もいいところだとマリーベルは思う。

 もともと、アルベルトがもし、求婚に答えてくれたとしても、敵が攻めてくるまでの間だけの婚約期間になるはずだった。化け物じみた、身体能力がアルベルトに知られてしまったら、結婚などできる訳がないからと、ひと時の夢が見たかった。

 好きな人に、普通の令嬢のように、女の子として扱って欲しかったのだ。 

 マリーベルは短いであろうその期間を欲して、求婚をしていたのだ。

 王家には、不思議な力を持って子供が生まれる事がある。

 現在は第一王子が伝達能力。第二王子が一定範囲魔法無効化。第一王女が癒しの手。第二王女が癒しの声。第三王女が身体能力が良いという能力がある。この、身体能力が良い子供を授かると、他国が攻めてくるという先触れだ。

 他の王子や王女の能力は、平穏な時でもたまに現れることがあるが、身体能力は戦うためだけの能力だ。この力を持つ子供が生まれてから三十年の間に他国が攻めてくると言われている。

 それは、女神との契約だ。ウルリア国は、女神に愛されている国なのである。

 領土を広げるような戦を仕掛けない、領土を広げないという条件で、女神がこの国に加護を与えて下さるのだ。この箱庭のような国を、愛でるのが女神の楽しみなのだという。雪深いこの国では、女神の加護がなければたやすく食糧難で滅んでしまうだろう。だから、王家の人間は、この力に感謝しこそすれ、厭うなどとあってはならないことだった。


 小さな頃から、マリーベルの意思とは関係なく、教師がつき、鍛練を行ってきた。他国へと赴き戦闘を経験した。とっくの昔に人を殺めることも覚えた。それは、いざとなった時に、国を守れないと困るからだ。


 先々で、能力を見た人間が、化け物だ、悪魔だとマリーベルを罵った。


 他国の、しかも盗賊や、山賊等の犯罪者に、そんなことを言われても傷つかなかったが、さすがに、自国の民に脅えられるのは、マリーベルには耐え難かった。


 父と兄弟はマリーベルに優しかった。特に第一、第二王子の憤りは凄まじいものがあった。自分の能力とマリーベルの能力が入れ替われないものかと、いろいろと尽力してくれていた。姉姫達も、マリーベルを慈しみ愛してくれた。 

 ただ、まだ幼児の頃に、母の指を握って骨を折ってしまったことがあり、それから母と親子らしい触れ合いはなく育っていた。母の脅えるような瞳が、マリーベルをも脅えさせた。


 そうして、戦が終わった今、マリーベルは、部屋の外に出れなくなっていた。


 部屋にこもって、二週間ほどたったころ、侍女のアネットが、アルベルトの来訪を告げた。


「無理っ!!」


 ベッドの中から、そう一言叫んだ。アルベルトの目の中に脅えを見つけたら、自分は今度こそ死んでしまうと信じて疑わなかった。

 部屋の外でその叫びを聞いてしまったアルベルトが、肩を落として落ち込んでしまったなんて、マリーベルは想像も出来なかったのだ。


 そうして、今度は、アルベルトの日参が始まった。


 毎日、見舞いの花と一緒に、マリーベルの部屋を訪れる、アルベルトに、マリーベルは徐々に態度を軟化させていった。会うことはしないけれど、部屋の中で、心待ちにするようになった。そんなマリーベルに、アネットが真剣な顔で、雷を落としたのは、アルベルトが通い始めて一週間がたった頃だった。

 

「姫様、いい加減になさいまし。アルベルト様はお仕事もあるのですよ。こんな連日いらっしゃるなんて、よっぽど大切な御用事があるに決まっています。言付けもできなような、大事なお話ですよ?我儘を言わないで、きちんとお会いになってくださいまし」


 アネットは、大事な主人がどんなことに脅えているかをよく知っていた。

 そして、アルベルトの瞳に浮かぶ熱にも気づいていた。


 それでも、大事な姫の願いを毎日のように、踏みにじっていたこのアルベルトに助力するつもりはなかった。マリーベルが嫌がるうちは、部屋の中に招き入れるつもりは全くなかった。

 が、夫であるケビンに、とうとう泣きつかれたのだ。曰く『部下が死んじゃうからっ!人助けだと思って!橋渡ししてっ!』ほとんど悲鳴のような懇願であった。


 いつの間にか、真冬の季節が遠ざかり、太陽が顔を出す日が多くなり始めた頃に、アルベルトはやっとマリーベルの部屋に招き入れられたのであった。


 アルベルトが久しぶりに見るマリーベルは、憔悴しているという言葉がしっくりくるような状態だった。

 隈ができ、あまり眠れていなのではないかと心配になるような、生気のない表情だった。

 アルベルトを見ても、ほんのり作られたような微笑みを浮かべるだけだ。

 そのことに、ショックを受けながらも、マリーベルに挨拶をし、招き入れられたことに、感謝の言葉をそして、遅ればせながらと、命を助けられたお礼を述べた。


「殿下、私には妻がいました」


 唐突にそう言うアルベルトに、何を言い出すのだと、アネットが目を丸くする。

 マリーベルもきょとんと、首をかしげたが、すぐに青褪めた。


「存じております。とても仲の良いご夫婦だったとか。それなのに、私が無理を申して申し訳ありませんでした。もう、決してアルベルト様にご迷惑はおかけ致しません」


 今度はアルベルトが青褪める番だった。諦められては困るのだ。


「いえ、そういうことではないのです。殿下。少々私の話を聞いて下さいませんか?」


 うなずくマリーベルを確認してから、大きく息を吸い込んで、ゆっくりとアルベルトが話しだした。


「妻とは、家同士の繋がりで縁を結んだのです。その頃、ちょうど隣国で戦がありまして、私が妻と初めて顔を合わせた日が結婚式の日でした。私はこの通りの面相なので、脅えられてしまいまして、妻は私が近づくと恐ろしいと失神してしまう有り様でした」


「はぁ?」


 姫君らしかぬ、柄のわるい言葉がつい、口をついて出てしまった。マリーベルにとっとアルベルトは世界一格好いい人なのに、恐いとは何事だと拳を握った。

 ちょっぴり元気の出たマリーベルにアルベルトは苦笑を返して、話を続けた。


「そんな様子でも、結婚式はしなくてはなりません。なんとか耐えてもらい、式を済ませました。一緒に住めばそのうちこの顔にも慣れるだろうと、周囲も私も軽く考えていたのですが、彼女はいつまでたっても、私に脅え、同じ部屋にも居る事が出来ないほどでした。最後まで指に触れる事すら叶いませんでした。それどころか、気鬱で寝込むようになり、どんどん衰弱していき、儚く散ってしまったのです。妻は最期まで、自分の家を呪い、私を呪っていました。ですから、殿下、私にとって結婚とは怖いものだったのです」


「なんてことっ!!酷いわ!! そんな酷い話ないわっ! 政略結婚で、顔が好みじゃないなんていくらでもある話でしょうっ! なによりも、アルベルト様は世界一格好良いですっ!全然まったっくこれっぽちも怖くありませんっ!奥方様は、見る目がなかったのね。 アルベルト様はとってもお優しいのに、それに気づかないなんて」


 さらに元気の出たマリーベルに、アルベルトは真剣な顔をして腰を折った。


「妻が亡くなった後、殿下が私を怖がらず慕って下さったことでとても救われました。感謝をしておりました。ですが、こんな感情は初めてなのです。殿下、貴女のことばかりを考えてしまうのです。貴女が会いに来て下さらないと淋しく感じ、胸が締め付けられます。情けないことに、食事がのどを通りません。これまでの非礼はお詫びいたします。自分勝手だと解っていますが、どうか、私と結婚をしていただけないでしょうか。どうやら、私は殿下がいないと死んでしまうようです」


 ひゅっと息を飲む音がしたかと思うと、すぐに震える声がアルベルトに落ちてくる。


「でも、私……………………。ばっばっ化け物って」


「誰がそんなことを?今すぐ叩き切ってまいりましょう」


「か弱くないし」


「か弱いだけの令嬢はもうこりごりです」


「怪力だし」


「私に無理な力仕事をお願いします」


「人殺しだし」


「戦士は皆そうです。国を守る為です。お間違えのないように」


「可愛くないし」


「とっても可愛らしいですよ。殿下の言葉を借りるなら、私にとって世界一可愛らしい方です。殿下、ずいぶん年が上ですが、私と結婚してくださいますか?」


 しっかりとマリーベルの顔を見据えると、涙でぐちゃぐちゃだったが、アルベルトがずっと望んでいた満面の笑顔を見る事ができた。アルベルトも自然と優しい微笑を浮かべた。


「喜んでぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」


 勢い余って、手を広げるアルベルトに抱きつき、ろっ骨を折ってしまったのはここだけの秘密だ。

 


 お転婆姫の突撃 END


 


長くなってしまいました。ここまでお付き合いくださり、ありがとうございます。

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― 新着の感想 ―
[良い点] お転婆姫の突撃というタイトルが素晴らしいですね。 冒頭のアルベルトへのプロポーズ、 敵兵への攻撃、最後のアルベルトへのそれ(笑 色々なところへかかっていて見事です。
[一言] シリアスだと思ってたら、戦闘シーンで笑ってしまった。メリハリのある面白い作品。 最強カップルですね(笑) タイトルセンスがイイネ(^^)
[気になる点] 王妃との関係はそのままですか?自分の子供なのに。。。 この作品で唯一腹が立ちました!(怒) [一言] うお~ん!ハッピーエンドでよかったよかった~! 肋骨折れたけど。。。 でも他の王子…
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