最終話「運命を壊す者」
「世界……って、そんなの、どうすりゃいいんだよ!」
誰かがエミリアを狙っているというのなら話は早い。
ぶっ飛ばせばいいだけだ。
俺は『エミリアを守る』という目標のために、ワシリーという明確な目的を定めていた。
でも、目的が世界や運命と言われると――打つ術が思いつかない。
空気と戦えと言われているようなものだ。
そもそも、戦えるような相手ですらない。
「落ち着け」
「方法があるってのか? 運命を倒すような」
「運命は概念だ。それを倒すことはできない。しかし、エミリアを助ける方法に心当たりはある」
◆ ◆ ◆
「先に言っておく。これが正しいやり方なのかは分からん」
未来の俺はワシリーとして、何年、何十年も同じ時を繰り返した。
その中で集められるだけの情報を集めたものの――もしかしたら、もっといい方法があるのかもしれない。
ただ、限られた中でベストだと言える方法は用意した、とのことだ。
「方法は二つ。一つは転生者が持つ『歪み』を消すこと」
『転生術』で本来行うべきだった『歪み』の中和。
それを行えばいい。
「確かに……それなら方法も分かりやすい」
「ただし、『転生術』の完全な解析はエミリアですらできなかった。それにあいつの『歪み』は他とは比べ物にならんほど巨大だ」
言うは簡単だが、行うのは難しい……ってことか。
少し考えただけでも超えるべきハードルはかなり多い。
『転生術』の解析、中和すべき『歪み』の測定、必要な魔力量の確保……とてもではないが、俺一人では無理だ。
エミリアと同格か、それ以上の魔法使いが何人も必要になるだろう。
「もう一つは、苦肉の策だが――エミリアを封印することだ」
「……なんだって?」
「『歪み』は時間の経過で徐々に薄れ、やがて消えていく。だからエミリアが持つ『歪み』が全てなくなるまで封印すれば、いつかは運命に殺される呪縛から解放される」
「いつかって……どれくらいかかるんだよ?」
「さあな。百年や二百年はかかるかもしれん」
そんなに待ってられるか!
それに、助けるために封印するって……本末転倒じゃねえか。
「ていうかその方法、大丈夫なのか? 同じ場所にエミリアを留めていてもダメだったんだろ?」
「確信はないが、可能性はある。『封緘術』という術を調べてみろ」
「ふう、かん……?」
「『封緘術』については、おそらくヴァルコラキが知っている」
どこかの少数種族が持っていた術らしいが、その力を危険視したヴァルコラキが彼らを絶滅させてしまったらしい。
だから、まだ資料があるとすれば――ヴァルコラキの、頭の中だ。
「しばらくはヴァルコラキの組織に入って強くなることに集中しろ。そこは、お前にとって打ってつけの修業場所だ」
「でも、モタモタしてたらエミリアが何かのはずみで死ぬかもしれないんだろ?」
「いいや。まだ猶予はある」
いまの世界は、未来の俺が数限りない選択肢を選びに選び抜いたものだ。
多少の不幸はあれど、最もエミリアが長生きできるらしい。
「少なくとも六年――ヴァルコラキが本格的に動き出すまでは大丈夫だ」
六年。
一見すると長いように思えるが、やることは山積みだ。
下手をすれば間に合わないかもしれない。
「エミリアを生かすに当たって、お前には制約を守ってもらう」
「制約?」
「ヴァルコラキの『駒』を演じること。そして、さっき言った二つの方法のどちらかを使えるようになるまで絶対にエミリアと会わないこと」
俺が魅了術にかかっていないと知ると、エミリアはこっちについて来てしまう。
そのルートだと、早い段階で死んでしまうらしい。
それを回避するためには――これからエミリアと戦うことになるらしいが――、徹底的に敵を演じること。
「俺が、エミリアに勝てるのか?」
「お前が顔を見せればあいつは戦意を失う」
エミリアは俺が『駒』になったと知るや否や精神を壊してしまうらしい。
「俺なんかが敵になったくらいで、あいつがそこまで動揺するか?」
「する。お前の存在は、お前が思っている以上にエミリアの大部分を占めている」
「……本当かよ」
俺から見れば完全無欠と言ってもいいくらいのエミリアが?
未来の俺に断言されても、さすがにこれだけは信じ切ることはできなかった。
「大変なのはその後だ。生かさず殺さずのギリギリを狙って、エミリアを斬れ」
ヴァルコラキ達から見ても不自然じゃないように、致命傷を与えているかのように見せる必要がある。
かと言って深く斬りすぎれば死んでしまう。
派手に血は出るが、致命傷にならない斬り方が望ましい。
相反する二つの目的を、同時に達成しなければならない。
失敗は、エミリアの死を意味する。
「……もう、時間が無いな」
未来の俺が振り返ると、ヴァルコラキ達はヒト科動物研究所の中に入ろうとしていた。
どうやら、ここが目的地らしい。
「研究所の地下施設に入ったと同時にお前は自由になる。後はお前次第だ」
――いまになって、重圧が胸を圧迫してくる。
敵に感付かれてはならないという重圧。
ねーさま達の前で敵を演じなければならないという重圧。
そして何より――大事なエミリアを斬らなければならないという重圧。
一歩間違えれば、殺してしまう。
俺が……エミリア、を。
「――っ!」
脳裏に浮かぶのは、見せられた未来の記憶。
虚ろな死体となったエミリア。
俺の剣先が少し狂っただけで――ああなってしまう。
いままで、どんな強敵が相手だろうと震えたことはなかった。
クドラクだろうと、ワシリーだろうと、魔物だろうと魔獣だろうと。
でも――今は、震えている。
心臓の鼓動が、まるで耳元で鳴っているように大きく響く。
視界にもやがかかり、上手くものが見れない。
頭がカッカと熱くなって、何も考えられなくなる。
もし、失敗したら……。
不安だけが増大し、悪い未来の出来事しか考えられなくなる。
「仮に失敗しても、お前はまた『輪廻術』で戻るんだよな?」
助けを求めるように、未来の俺に縋った。
例えこの世界で失敗しても、未来の俺は成功した俺を見届けてくれる。
そう思うだけで、幾分か心が軽くなる。
「――――いいや。俺の『輪廻術』は……もう、これで最後だ」
「……え?」
「肉体は朽ちず、歴史を好きなように改変できる『輪廻術』は一見すると無敵のように思えるが――致命的な欠陥がある」
未来の俺は、自分のこめかみを、トントン、と指で差した。
「精神だ。俺はもう……精神が限界なんだ。頭の中が、老いすぎた」
――そういえば、エミリアが「ワシリーは急激に弱った」と言っていた。
限界を超えて酷使された精神が、肉体に悪影響を及ぼした、ということなんだろうか。
「数回前の『輪廻術』から、予兆はあった。それで毎回、キシローバ村でお前に俺の一部を埋め込むようにした。本体の俺が死んでも、お前に情報を渡せるように」
――そういえば、俺がキシローバ村でワシリーに倒された後、不自然なほど長く意識を失っていた。
もしかして、その影響だったのかもしれない。
現実逃避するようにあれこれ考えを巡らせていたが――未来の俺は、それを見透かしたように言い放った。
「だから、失敗しても次などない。正真正銘、チャンスは一回きりだ」
「……あ」
背けようとしていた現実を目の前に突き付けられ、俺は言葉を詰まらせた。
チャンスは一度だけ。
失敗すれば次はない。
その言葉が、さらなる重圧となって俺を圧し潰そうとする。
「で、でも。お前はいてくれるんだろ? これからも一緒にエミリアを助ける手伝いをしてくれるんだよな?」
「……俺は、もう死んだ身だ。必要な情報を渡せば……消える」
「――!」
ハンマーで頭を殴られたような衝撃が、胸に穴が開いたような虚無感が、心を支配する。
大事なエミリアを、斬る。
これから、たった一人で。
失敗はできない。
逃げる道もない。
「そうだ! お前の力を俺に分けてくれよ! そしたら俺もすぐ強くなって、エミリアを助けられる! 『剣聖』と呼ばれて、『輪廻術』も使えるくらいのお前なら、そういうことだってできるんだろ!?」
追い詰められた俺は、冴えていると自画自賛したくなるようなアイデアを出した。
未来の俺の力と、いまの俺の力を合わせれば――どんな無謀なことだってできるはずだ。
しかし……未来の俺は。
「……やはりまだ、ガキだな」
「な……」
「あの時は力だけの弱さだったが……覚悟まで弱くなったのか? その程度でエミリアを守る? くだらなさすぎて――」
震えるほどに拳を握りしめ、未来の俺は、俺を睨みつけた。
そこには怒り以上に、悲しみが含まれていた。
「――これが自分なのかと思うと、泣きたくなる」
俺は震えた。
久しぶりに震えた。
こんなにも――俺に対して本気で怒ってくれたヒトは、エミリア以来だ。
「よく聞け……。俺が、お前に授けてやれるのは不確定で不安定な二つの方法だけだ。それ以上は無い」
俺を突き放すように、未来の俺は冷たく告げた。
「俺は自分で失敗を繰り返して、ここまでの力を手に入れた。それを誰にも渡すつもりはない。強くなるための方法は、お前自身で見つけろ。転生チートなど無いんだ」
「チー、ト……?」
「エミリアが言っていた。異世界の知識を持つ者は、そういう名前の術を神から与えられた状態で生まれてくる、と」
炎、雷、氷、光、時間……何でも操れる術。
自分の能力や才能を具体的な数値で見ることのできる術。
見ただけであらゆるモノを解析できる術。
もちろんリスクも何もない。
そういった力の総称を、『チート』とエミリアは呼んでいたらしい。
「断言しよう。俺の力を与えれば必ずお前は失敗する。何故だか分かるか? 痛み伴わず、誰かに与えられただけの力はどれだけ強くても、何の価値もないからだ」
――例えば。
キシローバ村を出た頃に、チート能力を与えられたとする。
俺は間違いなくエミリアを追いかけるだろう。
でも、エミリアは助けられない。
いくら最強の力があっても、子供のままでは超えられない壁がいくつもあるからだ。
旅の必需品も分からない、地図の見方も分からなかった当時の俺が……どうやってあの二人に追いつけるんだ?
「この先、お前は何度も失敗する。何度も痛い目を見る。それを繰り返して、一つずつ覚えていって、強くなるんだ。例えチートに遠く及ばなくても、お前がこれから積み上げていくものには途方もない価値がある」
俺は、とんでもなく馬鹿なことを口走っていた。
借り物の力でなんとかしようだなんて――ただの卑怯者じゃねえか。
エミリアを助けるなんて、どの口が言ったんだ?
一分前の自分を思い切りぶん殴ってやりたい気分だ。
「未来を掴み取れるのは、自分自身の努力しかない。それを絶対に忘れるな」
「…………ごめん。俺が間違ってた」
「分かればいい……そろそろか」
ヴァルコラキ達は暗い地下に入ろうとしていた。
ずっと視界の中心にいた未来の俺が、少しずつ、端に移動していく。
……どうやら、ここでお別れみたいだ。
「最後に聞いておきたいことはあるか?」
「……」
いろいろある、というのが本音だ。
俺は強くなれるのかとか、エミリアを助けられるのかとか。
でも、それはコイツが知っていることじゃない。
俺が強くなれるのも、エミリアを助けられるのも――全て、俺の努力次第だ。
だから、別のことを聞いてみた。
「後悔はしてないか?」
見方を変えれば、未来の俺はエミリアと出会ったせいで、何十年もの苦痛を受けることになった。
それならいっそ、出会わなければ良かった。
――そう思ったことはないんだろうか?
「はっ……何を言うかと思えば。これだからガキは」
やれやれ、と、未来の俺は肩をすくめた。
「惚れた女にここまで尽くせたんだ。俺の手で助けられなかったことは悔しいが……ここまでやって来たことに一切の悔いはない」
そう言って、未来の俺は笑った。
それは俺の短い人生で出会って来たヒトの中で、一番、晴れやかな笑顔だった。
「……ヒトを好きになるって、すごいんだな」
「お前もいずれ分かるようになる」
未来の俺は意地悪そうな笑みを浮かべてから――俺の肩に、ぽん、と、手を置いた。
「エミリアのことを、頼んだ」
「ああ。頼まれた」
◆ ◆ ◆
「――ふぅ」
素振りを終えて、俺はタオルで汗をぬぐい取る。
あの日を境に、俺は生まれ変わった。
あの日から、三年。
もう、三年だ。
俺はヴァルコラキの任務をこなしながら自分を鍛え続け、そして同時にエミリアを助ける方法を探していた。
『転生術』に関する資料は至るところで発見できたが――紛争の影響で断片的なものしか見つけられていない。
もう一つの『封緘術』だが、こっちもなかなか情報を引き出せていない。
唯一分かったことは、術を使う前に『相手に敗北を認めさせなければならない』ということだけだ。
敗北を認めさせるということは、俺はエミリアともう一度戦い、勝たなければならない。
あの強さに、俺は追いつけるだろうか……なんて弱音を吐いている暇はない。
追いつくんだ!
追いついて、追い抜いて――今度こそ俺は、エミリアをどんなことからでも守れる存在になる!
エミリアの存在を運命が許さないと言うなら、俺がそれを壊してやる!
たとえ何年、何十年――何百年かかっても。
「……なぁ、ワシリー。今なら分かるぜ」
誰もいない虚空に向かって、俺は語りかける。
俺がずっと、エミリアに抱いていた感情。
今なら分かる――というより、知っていたのに、当たり前すぎて気付いていなかっただけ、と言った方が正しいかもしれない。
笑顔を見るだけで心が温かくなって、どんな疲れも吹き飛んで……そして、力が湧いてくる。
これが、ヒトを好きになるってこと……なんだろうな。
NG集
『チート』
「エミリアが言っていた。異世界の知識を持つ者は、チートという能力を神から与えられた状態で生まれてくる、と」
鉄の板を操作するだけで、敵だけに雷を落とすことのできる術。
キンキンと剣劇を鳴らすだけで、「ど、どういうことだ!?」と相手が驚いてくれる術。
「俺、また何かやっちゃいました?」と言うだけで周囲の人間がageてくれる術。
「微妙に誰のことを言ってるのか特定できる言い方をするな!」
◆ ◆ ◆
『馬鹿なこと』
俺は、とんでもなく馬鹿なことを口走っていた。
借り物の力でなんとかしようだなんて――ただの卑怯者じゃねえか。
神の手違いだか何だかでナーロッパ的なありふれた世界観の場所に転移した挙句チート能力を貰って現地の女どもを手籠めにするその辺のナローシュと何ら変わりねえ。
「やめ、やめやめ! そろそろ本当に怒られるぞ!」
◆ ◆ ◆
『アドバイス』
未来の俺は意地悪そうな笑みを浮かべてから――俺の肩に、ぽん、と、手を置いた。
「これだけは言っておく」
「?」
「浮気だけは絶対にするな。この世の地獄を見るぞ」
「したのか!?」
◆ ◆ ◆
『質問』
「最後に聞いておきたいことはあるか?」
「この物語の続き、書いてくれるんだよな? こんだけ『続きます』って伏線張っといてこれで終わりなんてないよな?」
「……………………。エミリアのことを、頼んだ」
「待て、急に会話を閉めようとするな!」




