第七十八話「自覚」
私が記憶を取り戻してから、さらに一年の時が過ぎた。
幼いころは一日一日がとても長く感じたが、今はもうあっと言う間だ。
例に洩れず、この一年もいろいろあった。
とはいえはじめの半年ほどは、さして大きな出来事は何もなかった。
弱った体を鍛え直し、四六時中魔力収集をし続けるだけの毎日。
体力が落ちたせいで何をするにもすぐ息切れしてしまい、はじめの数か月は本当に辛かったが……今はもう以前と同じように過ごせる程度になった。
以前と違う点といえば、何故か魅了術以外の魔法が使えなくなってしまったことだろうか。
家事魔法以外が使えなくなりました、ならまだ分かるが……一番魔力を消費する魅了術だけが使えるというのはなんとも不思議だ。
イワンの一件で心的トラウマがどうにかこうにか作用して、無意識に体が使うことを拒否している――なんて医者には言われたが……はっきりとした原因は分かっていない。
まあ、何も使えなくなるよりはマシだ。
私は困惑したものの、落胆することはなかった。
そうそう、一度だけ国外から戻ってきたウトに敵のスパイじゃないかと疑われたことがあった。
「イワンが敵になったのはお前のせいだ」なんて難癖を付けられたが……話し合いでなんとか解決でき、前のように普通に話をする仲に戻っている。
彼を責める気持ちは、その時も今も全くない。
私が逆の立場だったら問答無用でウトに襲い掛かっただろうし、それを思えば随分と紳士的だと思ったくらいだ。
ぼちぼちと療養期間を終えようとした頃、私はカーミラさんと相談して仕事に就くことにした。
やはり体を動かしたいという気持ちもあったが、何よりこのままだらだらと国のスネをかじり続けることに耐えられなかった。
しっかりと働いて、カーミラさんをはじめとしたみんなに恩を返したい。
とはいえ幻視術も使えない状態で、表立った場所で働けるはずがない。
私が生きていることが敵に知られるのはマズい。
ヴァルコラキはイワンを気に入っていたような節があったが、所詮は『駒』だ。
自分の命令に逆らったと知れば――あっさりと切り捨てるだろう。
必然的に、私は裏の仕事に就くことになった。
カーミラさんが国王になり、親和派と純血派の軋轢も徐々に消えつつはあるものの、やはり彼女を良しとしない派閥も一定は存在している。
政治改革によりほとんどの既得権益を失ったヤツらはなんとかカーミラさんを排除しようと、間接・直接を問わず攻撃を仕掛けてきている。
それらを根本から排除するのが、私の仕事だ。
◆ ◆ ◆
ある日の夜。
私はとある屋敷に忍び込――もとい、正面からドアを蹴破って侵入した。
「ういーっす」
「! 誰――ぐぁひ?!」
声を上げようとした見張りの男の腹に一発かました後、降りてきた首根っこを捕まえて締め上げる。
はじめから首を掴んでやりたかったけど、身長差があって届かなかったとかではないのであしからず。
いつもならこっそりと忍び込んで行くのだが……カーミラさんから、今回に関しては注文を付けられている。
――できるだけ派手にやってきて。
「おい」
「は――はが」
「助けを呼べ。寝てるやつも全員起きるくらいの大声でな」
「た――助けてくれぇ!!」
「声が小さいな。手伝ってやるよ」
「ぎゃあああああああああああ!?」
指で関節を曲げてやると、男はさっきの倍ほどの声量で鳴き声を上げた。
「やればできるじゃないか」
脂汗を流す男に対して、私は嗤いかけた。
「じゃ、もう『死んで』いいぞ」
「――は;@!%3」
言葉にもならない断末魔を上げて、男は白目を剥いた。
しばらく待っていると、ぞろぞろと護衛や家人たちが姿を現した。
「なんだ貴様――! ここを名門バートリ一族の屋敷と知っての――」
当主らしきヴァンパイアが般若の形相で私を睨みつけてくるが――風になびく私の髪を見て、言葉を止めた。
「白髪白目だと!? まさか、ヴェターラ卿を殺した『魔女』!?」
当主は信じられない者を見るような目で後ずさった。
彼の狼狽え方を見て、周囲の護衛達もざわざわと騒ぎ始める。
「こんばんわ。今宵は月が綺麗ですね」
私はメイドらしく、ちょこんとスカートを持ち上げて挨拶をした。
にこりと微笑むと――数人の男からの目線が、明らかに変化する(見ている側は気付かなくても、見られる側はけっこう分かるものだ)
齢十七にして、ようやく女の魅力が備わってきたのだろうか。
成長期は一瞬で終わったし――五センチも伸びやがらなかった――、胸はあれから全く成長していない。
しかしそれ以外の部分はいろいろ努力しているので、その辺がいい感じになっているのかもしれない。
私は輝く月を背景に、笑顔のまま、全員に告げた。
「我が主カーミラの命により、死んで頂きます」
「あの女狐か! やはりヴェターラ卿の死には奴が関わっていたのか!」
当主は怒りに震え、感情任せに振り下ろした拳で壁の一部を破壊した。
その音で、私の雰囲気に呑まれていた護衛たちも我に返り、武器を向けてくる。
「これは神が与えた好機だ。お前を捕らえれば、あの事件を親和派が――カーミラが仕組んだものであると証明できる!」
「……」
私は何も訂正せず、ただ静かに微笑んだ。
無駄なのだ。
何をどう言おうとこいつは信じないだろうし、仮に弁明できたとしても意味がない。
「『剛力』『堅硬』『韋駄天』『心眼』『飛天』」
だって、こいつらは今から死ぬんだから。
◆ ◆ ◆
「失礼します」
「どうぞー」
ヴァンパイア種族の権威の象徴である王城。
その最奥に位置する執務室に、決められたパターンのノックをしてから入室する。
中には、一人の女性の姿があった。
私の主であるカーミラさんだ。
「おかえり。どうだった?」
「ありました」
前置きなしでカーミラさんが尋ねてくるので、私も挨拶なしで数枚の書類を手渡す。
私の立場からすれば雲上人なのだが、格式めいた挨拶や言葉遣いをすると逆に怒られるので、フランクな話し方のままで接している。
「バートリ一族が手掛けていた人身売買の記録です。当主のサインもあります」
「やっぱり、あいつら……」
カーミラさんは苦い顔をしながら、書類に目を通す。
彼女が王となる前から禁止されていた人身売買だったが……どうやら秘密裏にそれを主導していた一味がいた。
それが今は亡き四代目王だった。
世界的に見れば奴隷制度はまだまだ現役で、最も需要の高い商売と言える。
奴隷商人からすれば人口の多いヴァンパイア王国は商品の宝庫だ。
それに目を付けた四代目は、多額の謝礼金を条件に奴隷商人を国内に招き入れ、商売を許していた。
次代の王をなんとしても純血派から――と言っていたのは親和派を嫌っていたからではなく、親和派に不正がバレて純血派の地位が失墜することを恐れていたからだそうだ。
三代目と交代した当初は親和派に対して差別的だったものの、金に目が眩むような愚かな王ではなかった、とのことだが……。
ヒトは、何がきっかけで変わるか分からないものだ。
四代目は病没したものの、奴隷商人との繋がりは途切れていない。
いくつかの純血派がその基盤を引き継ぎ、今も非合法な売買がまかり通っている。
今回、私が襲撃した屋敷もその一味だ。
「敵側の情報筋では、もうキミの活躍は噂になっていたよ」
「それは良かったです」
今回の一件はいわゆる『見せしめ』だ。
国王に忠義を見せず不正を働く輩は、人知れず消されてしまう――そういう話が独り歩きしてくれれば、自ずと心当たりのある者は手を引いてくれるという効果を見込んで、カーミラさんは私に『派手にやれ』と注文を付けた。
派手というのがどういうモノか分からなかったので、屋敷に居た全員を混ぜて、あちこちにぶちまけてやったけど、効果は上々みたいだ。
「お疲れ様だったね。しばらく休んでていいよ」
◆ ◆ ◆
王城は正面から入るとほとんど一本道で迷うことは無いが、それとは対照的に裏側は複雑怪奇に入り組んだ構造をしている。
私のような日陰者が、誰とも会うことなくカーミラさんの元に行き来できるのはこの構造のおかげだ。
……道順を覚えるまで、相当な苦労をしたが。
三代目の裏の側近だった領主様も、この道を通って国に仇を成す輩を成敗して回っていたらしい。
まさか、領主様の後釜に私がなるなんて、誰が予想できただろうか。
事実は小説よりも奇なり……なんて、本当にその通りだ。
王城の裏手にある寂れた自分の家に戻ってきた私は、
「ふぃー」
と息を吐いた。
ぱっと見た感じ気味の悪い幽霊屋敷のように見えるが、造りはしっかりしているし、外観からは想像できないほど中は綺麗だ。
風呂もあるし――湯を沸かす魔法が使えないので、用意するだけで一苦労だが――、何より広い。まるで貴族にでもなった気分だ。
カーミラさんは「国にこれだけ貢献してもらってるのに、こんな場所に住ませて申し訳ない」と言っていたが……極貧生活を経験した私からすれば、これで十二分に贅沢はさせてもらっている。
ベッドに体を投げ出したい衝動を抑えて、風呂で汚れをぬぐい取る。
柔らかいタオルで顔を撫でるように拭いてから、果物の汁を顔に付ける。
イリーナ曰く、こうすると肌がいい状態で保てるらしい。
明日はちゃんと湯を沸かして、髪も洗おう。
カーミラさんの仕事と自分の修業に加え、最近はこうした女性の作法も積極的に学ぶようになった。
私もいい年頃だし、化粧くらいは不作法なくやれる程度にはなっておかないと。
◆ ◆ ◆
眠る前に、睡眠薬を取り出す。
誰かと一緒でないと寝れないので、一人で寝るときは必需品だ。
不便ではあるが、飲まない限りは眠くならないので仕事をする時は便利だったりする。
「イワンと会えるまで、あと二年か……」
一人で寝るには大きなベッドにごろんと横になりながら、居なくなってしまった幼馴染を思い浮かべる。
長い間、私だけが一方的に彼を必要としていた。
でもいまは、イワンも私を必要としてくれている。
皮肉なことだが……『駒』になったことで、イワンは私にある種の執着を持った。
そう思っただけで、全身が多幸感に包まれる。
「私を殺さないとダメ……か。ヴァルコラキに逆らってまで、私ともう一度殺し合いたいなんて」
にやける顔を隠しきれず、枕に顔を埋めた。
「イワン……。今度会ったら手加減なしだ」
ずっと彼に抱いていた執着心。
それは心を安定させるための拠り所であると、ずっと勘違いをしていた。
「次は絶対に、逃がさない」
時に甘く、時に切なく、時に黒く濁ったその感情が何であるか。
毎夜毎夜、彼のことを考えているうちに――私は、その正体にようやく気付いた。
これが……初恋、というヤツなんだろう。




