第七十六話「因果応報2」
「偉大なる神の慈悲を我が肉体に宿し賜え」
魅了術で身体能力を強化する。
気持ちの悪くなるほどの浮遊感を味わった後――私の身体は、ざぶん、と、極寒の水中に入った。
流れは比較的緩やかだけど、手足が消失したと錯覚しそうなほどの冷たさを内包している。
折れている腕の痛みまで麻痺してくれたのはいいけれど、長居はできない。
こんな冷たい川の中では、数分浸かっているだけで死ねる。
幸いなことに、すぐ目的の人物は発見できた。
「エミリア……エミリア!」
小さな少女の身体は流されることなく、岩の端に引っかかってくれていた。
すぐに抱きかかえて、川から引き上げる。
「…………。良かった、生きてる」
川に落ちる前から意識を失っていたおかげで、水もほとんど飲んでいない。
とはいえ、安堵するのはまだ早い。
脈が弱くなっているし、何より血を流し過ぎている。
早く治療しないと。
震えてうまく動かない手を必死に動かして、エミリアが持っていたカバンの中を探る。
「……あった」
獣の皮をなめして作られたカバンは水を通すことなく、中のモノを守ってくれていた。
お目当てのモノは火打石セットと松かさ――地方によっては「松ぼっくり」なんて呼ばれたりしている――、そして数本の薪。
自然の中で生活をしていたということもあり、その準備の良さに思わず感心してしまう。
――出発の前に、彼女が何を持ち込んだかを見ておいて良かった。
そうでなければ、無計画に飛び込んだ挙句に二人で仲良く凍え死んでいたかもしれない。
火打ち金に石をぶつけて火花を作り、それを燃えやすい松かさに燃え移す。
ある程度火が大きくなってから、改めて薪を燃やす。
熱が私たちを包んでくれるように工夫を凝らして石を組めば、即席の暖房の完成だ。
「まずは……治療と、服を乾かすところからね」
カバンをナイフで裂いて広げ、即席の布団を作る。
エミリアの服を脱がせてから、そこに寝かせる。
心配していたお腹の傷は、幸いなことに内臓まで達していなかった。
あれだけの出血だったから、てっきり臓器を傷付けていると思っていたけれど、取り越し苦労に終わってくれた。
イワンの剣術の腕が良いことが幸い(?)して、傷口も綺麗なものだ。
これなら、傷跡も残らずに治るかもしれない。
傷口に消毒液を塗り、包帯を巻きつける。
これも、彼女のカバンの中に入っていたものだ。
魅了術で治癒できるんだから、必要ない――なんて考えることはせず、最悪の事態を想定して道具を持ってきている。
『何を用意して、何を用意しないか』という取捨選択の徹底ぶりには目を見張るものがある。
「キミのおかげで……なんとか生き延びられそうだよ」
エミリアの処置が全て終わる頃には、浅くなっていた呼吸も安定していた。
まだまだ安心できる段階ではないけれど、ひとまず私は胸を撫で下ろす。
彼女の体温が下がらないように最大限の気を配りながら、服を乾かす。
ここまでやってきて凍死なんてされたら、本当に笑えない。
運よくイワンが私たちに利することをしてくれた――イワンからすれば、それは『ヴァルコラキのため』なんだろうけど――んだから、それを最大限に生かさないと。
「……さむ」
自分もずぶ濡れなことを思い出して、私も服を脱いだ。
焚火の熱が伝わるところに置いて乾かす。
懐に入れておいた乾燥食料をかじりながら、じっと寒さに耐える。
焚火が熱を発さなくなるまで、少なく見積もっても数時間は大丈夫なはずだ。
万が一の時を想定して、ウトにはここに来ることを言ってある。
帰りが遅ければ捜索に来てくれるだろうし――数時間もあれば、自力で脱出できるまで回復するはず。
「くっ……」
焚火のぬくもりに触れて、お腹も少し満たしたところで……腕の痛みを思い出す。
腫れが酷くなりすぎて、皮膚の下に別の生き物が寄生したような歪な形になっていた。
色も青いというか……ドス黒い。
エミリアは「自分の怪我ならだいたい治せる」と言っていたけれど……こんな状態になっても、治せるんだろうか。
――「末端部位の治癒は簡単ですよ。骨と筋肉、血管と神経の相関関係さえしっかり頭に描ければ、すぐ元通りになります。逆に難しいのは内臓が傷ついた場合ですね。そのときの対処としては――」
お気に入りの喫茶店で交わした会話の内容を思い出しながら、おっかなびっくり、魅了術による治療を試みる。
◆ ◆ ◆
「ふぅ」
治癒は無事に成功した。
試しに手を握ったり開いたりしても、全く問題ない。
皮膚の下に微妙な違和感はあるけれど、さっきの状態を思えば全く気にならない。
「ホント、君には助けられっぱなしだね」
彼女から受けた恩は計り知れない。
「こんなところで死んだら許さないんだから。絶対に生きて、恩を返させてよ?」
ようやく乾いてきた彼女の服を着せながら、頭を撫でる。
「あなたは私と同じなんだから」
◆ ◆ ◆
私には、幼馴染がいた。
私より少しだけ年上の男の子で、家が近いこともあってよく遊んでいた。
ビックリするくらい広い彼の家でかくれんぼしたり、お絵描きしたり、かけっこをしたり。
男の子には、私以外に友達がいなかった。
彼の父親が家柄が同格の相手しか、家の敷地に入ることを許さなかったからだ。
母親の違う弟や妹がたくさんいたけれど……私と出会うまで、彼は独りぼっちだった。
ある日いつものように遊びに行くと、彼はこんなことを言い出した。
「勝負をするぞ!」
「いいよー。なんの勝負?」
年齢的に、私が勝てるものはほとんど無かった。
勝ち負けは別で、彼と遊ぶことそのものが楽しかった私は、どんな勝負でも気楽に受けていた。
しかし、今日、彼が言い出したことにはさすがに難色を示した。
「今日の勝負は――どっちが先に王になるか、だ!」
「えー……やだ」
私と彼が次々世代の王に一番近い位置に居る、ということは子供ながらに理解していた。
でも、それが現実になるのは十年以上も先の話だ。
目先の楽しさしか追いかけていなかった私は、そんな先のことなどどうでも良かった。
「私は王様なんて興味ないし、キミが王になればいいじゃない」
「ダメだ!」
「……なんで?」
「いいか? 勝負ってのは好敵手が必要なんだ」
「こう……てきしゅ?」
難しい言葉を使われて、私は、こてん、と首を傾げた。
「そうだ。俺はいずれ歴代の王を超える偉大な王になる! ただ、それは俺一人では成し遂げられない」
力強く拳を天に向かって突き上げ――そして、私を、ビシリ! と指す。
「なりたくなくてもいい。俺のために、お前も王を目指せ! 俺が王の座を奪われるんじゃないかって焦るくらいの――好敵手になるんだ!」
「えー……でも私、キミに勝てるようなことなんて何もないよ?」
かけっこもお絵かきもかくれんぼも、いつも彼が勝っていた。
私が勝ったことなんて、片手で数えても指が余る程度しかない。
「大丈夫だ! お前は俺のことは他ならぬ俺が認めてるんだからな!」
ドン! と、彼は自分の胸を叩いた。
「お前は俺と同じ場所に立てる器だ! 俺が保証してやる! だからお前は、俺が信じるお前を信じろ!」
いまにして思えば、それは子供特有の理不尽な暴論だ。
でも、不思議とその言葉は、私の心に響いた。
「そこまで言うなら……分かった。私も王様になれるように、勉強も運動も――もちろん魔法も、全力で頑張るよ」
「よし! それでこそ未来の俺の好敵手だ」
彼は、ニカッ、と朗らかに笑って、小指だけを立てた状態で手を差し出した。
私もそれに倣って、小指を差し出す。
「約束だぞ。カーミラ」
「うん、約束だね。ヴァルコラキ」
◆ ◆ ◆
勉強が分からなくて挫けそうになったとき。
運動ができなくて泣きそうになったとき。
お父様の訓練が厳しくて、逃げ出しそうになったとき。
私は決まってこの日のことを思い出した。
その度に、「もう少しだけ頑張ろう」と思えた。
周りのヒトたちには「なんでもできる天才」みたいに思われていたみたいだけれど、そんなことは全然ない。
ただ、人より少しだけ頑張ろうと思える理由があった、というだけだ。
今となっては私だけの心の中にある、遠い日の約束……。
「私とヴァルコラキの絆は完全に途切れてしまったけれど」
ようやく乾いてきた自分の服を着直してから、エミリアに囁きかける。
「キミとイワンとの絆はまだ、完全に途切れていない」
『駒』が主を騙してまで彼女の命を奪うことを拒否した。
偶然にしては出来すぎている。
もし、『運命』というモノがあるのなら。
これには、何か大きな意味がある。
少なくとも私は、そう信じていた。
炎が、役目を終えたように小さくなっていく。
エミリアを抱えて、さてどうやって脱出しようかと考えていたら――不意に、上が騒がしくなった。
「――ミラさん、カーミラさん! 居たら返事をしてください!」
ウトの声だ。
それに、他の声も聞こえてくる。
「エミリア!」
「エミちゃーん!」
彼女の同僚だという少女たちの声。
私が声で分かるのはアリシアだけだけど、それ以外にも、何人もの少女たちがエミリアを呼んでいる。
「エミリアー!」
「エミリア!」
「エミリアさーん! まだ私と一度もお茶会を開いてませんわよー!」
「……愛されてるねえ、キミは」
こんな状況だというのに、私は思わず笑ってしまった。
因果応報、という言葉をイワンは使っていた。
自分の行いが巡り巡って返ってくる、という意味だ。
善いことをすれば善いことが返ってきて、
悪いことをすれば悪いことが返ってくる。
過去、イワンとの間に何があったかは知らない。
けれど、こうしてこの子を心配してくれるヒトが、こんなにもたくさんいる。
これもまた、因果応報と言える。




