第七十五話「隙」
<カーミラ視点>
「殺せ――と言いたいところだが、まだ仕事が残っている」
「なんだそれ?」
……油断した。
イワンが『駒』にされてしまったこと。
エミリアの動揺が激しすぎたこと。
そして、私自身も冷静さを欠いていたこと。
あれだけエミリアに「冷静になれ」と言っていた当の本人がこの体たらくだ。
本当に、情けない。
接近するエルフ種族に気付けず、まともに攻撃を喰らってしまった。
痛む腕を抑えながら――完璧に折れている――私は起き上がる。
「喜べカーミラ。貴様が五代目の王だ」
「どういう――つもり!?」
ヴァルコラキは両手を広げて、広げた掌を、ぎゅ……と握りしめた。
まるで、世界のすべてをその掌の中に収めるかのような仕草だった。
「我々はこれから力ある仲間を集め、世界を再構築し――真の王となる。お前を生かしておくのはそのための余興だ」
彼らはどこにも属さない新たな勢力として、国を興す腹積もりみたいだ。
エルフとヴァンパイアの連合国となれば、順調に行けば最大勢力になることは想像に難くない。
「宣言しよう――体制が整った暁には、真っ先に貴様の首を貰いに来ることを。それまで貴様も、せいぜい力を溜めておくことだ」
それは、宣戦布告だった。
まだ王にすらなっていない私と、できてもいない組織の長である彼との間で交わした、戦争の約束。
「そんなこと言ったって、どうせまた約束を破るんでしょ?」
「――何の話だ」
……やっぱり、忘れてる。
これだから、男ってヤツは。
私はヴァルコラキから視線を逸らしてイワンに向き直る。
「絶対に助けに行くから、それまで死なないで」
「助け? ねーさまは何を言ってんだ?」
首を傾げながら、イワンは不思議そうな顔をする。
いまのこの子にとって、自身の行動に何ら違和感は無い。
エミリアを傷つけることも、私に剣を向けることも……それが自然な行動だと思い込まされている。
「いま私はとても気分が良い。特別に、そこの色無しも生かしておいてやる」
まるで凍傷になったように震え続けるエミリアを顎で指し示す。
「どれほどの脅威かと警戒していたが……まさかこんなにも脆いとは。やはり失敗作か」
「うぅ――」
嘲笑われているというのに、エミリアはまるで反応を見せない。
焦点の定まらない瞳でイワンの方をずっと見ながら、時折うーうーとめくだけだ。
――さっきから、彼女の様子がおかしい。
「真の強者とは、魅了術を巧みに使える者のことではない。誰にも依存しない強さを持つ者のことだ。こいつに全て依存している時点で、エミリア。お前は強者ではないということだ」
きびすを返して、この場を立ち去るヴァルコラキ。
エルフも、イワンも、それに続いて背を向ける。
イワンの服の端を、エミリアが掴んだ。
「なんで、だよ……イワン。私は、おま、え、を……」
喉からヒュー、ヒュー、とおかしな呼吸音をさせながら、エミリアはイワンへとさらに手を伸ばす。
「い゛……行゛か゛な゛い゛で……」
「あのなぁ」
懇願するエミリアの手を、イワンは冷たく払い除けた。
「キシローバ村でそう言った俺に対して、お前は何をした?」
「――あ」
キシローバ村で、二人の間に何があったんだろう。
それに思い当たる節があるのか、エミリアは壊れたように首を振りながら、頭を抱えてうずくまる。
「因果応報ってヤツだな。じゃあな」
それが決定打だった。
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
エミリアはバリバリと頭を掻きむしり、血の池で地団太を踏み始めた。
土と血で全身を汚し、涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら、叫ぶ、叫ぶ、叫ぶ――。
そこには知性など欠片もない。
ただ泣きじゃくるだけの、子供に戻っていた。
「嫌だあぁぁぁぁああ! 行かないでぇえええええ!!」
「エミリア――傷口が開くから暴れないで!」
イワンに斬られたお腹の出血はまだ止まっていない。
安静にさせないと――私は片腕でどうにかエミリアの動きを抑えつける。
時折、折れた腕に暴れる彼女の腕が当たって激痛を引き起こすが、歯を食いしばって耐える。
それよりも止血だ。
私はエミリアの身体を引き寄せ、傷口を強く掴む。
痛みでさらに暴れられてしまう可能性もあったけど、それよりも血を止めることを優先した。
「イワアァァァァン!!」
でも、エミリアは止まらなかった。
それどころか、傷口を掴んだ痛みすら感じていない様子だ。
「っっっ、行くなっアあぁァぁ゛ッ!」
咆哮と称すべきほどの大声量で、エミリアはイワンへ言葉を叩きつける。
子供の駄々が聞き入れられるはずがない。
彼女の叫びは、何の意味も成さず、ただ虚しくこだまするだけ。
――その、はずだった。
「――! ん!?」
イワンの動きが、ピタリと止まった。
エミリアの言葉が届いた――という訳ではない。
でも、足を止めた。
ヴァルコラキが、面倒そうに振り返る。
「どうした」
「わ――分からねえ。体が、動かないんだ」
「なんだと?」
訝し気にイワンを見ていたヴァルコラキが、何かに気付いたようにエミリアの方へ視線を向ける。
「――まさか」
イワンの横を通り過ぎ、私たちの元へ戻って来る。
通りすがりにイワンの横っ面を殴りつけた。
「ってぇ!」
二、三歩たたらを踏んだイワンは抗議の視線をヴァルコラキに向けるが、体が自由になっていることに気付いたようで、不思議そうに自分の掌を見つめている。
「何だったんだ? 今のは」
「貴様……」
先程までの上機嫌とは打って変わって、ヴァルコラキは憎悪に満ちた視線をエミリアに向けた。
怒りのあまり、手が震えている。
「まさか、使えるのか」
「あああああ! あうあああ!!」
エミリアは、さっきの絶叫を最後に意味のある言葉を発さなくなっていた。
ヴァルコラキからの質問も、聞こえている素振りすらない。
「――無意識、か? だとしても、その片鱗をよもや我々ヴァンパイア種族の前で見せびらかすとは……到底、見逃せることではない」
「ぃああ、うあ、あぅあああぁ!」
「おい、何の話をしてるんだよ。俺にも分かるように言ってくれ」
ヴァルコラキの独り言にイワンは説明を求める。
声には出さなかったけれど、私も弟と同じ心境だった。
彼は、何を言っている?
彼は、何を知っている?
「イワンよ。やはりコイツは殺しておけ」
でも、ヴァルコラキはイワンの質問を無視した。
詳しい説明もなく、ただ「殺せ」とだけ命令する。
「はぁ? どうしたんだよいきなり」
「何も考える必要はない。強くなりたいなら……強いままで居続けたいなら、こいつを殺せ」
強いままで居続けたいなら。
それは、自分より強い者を蹴落とし続けるということ。
かつて弱小種族だったヴァンパイアが、これまで永きに渡って続けてきたこと。
私もイワンも、その言葉の真意に気付いた。
「――つまりは、エミリアは俺らよりもっと上のなにかで、まだまだ強くなってことか?」
疑問を口にしたイワンの頬を、ヴァルコラキが再び打った。
「『駒』が余計な詮索をするなッ!」
「……はいはい、わーったよ」
釈然としない様子だったけど、主の命令は絶対だ。
イワンは意識を切り替えて剣を構え直した。
「つーわけだ。ワリぃけど死んでくれ」
「――っ! させない!」
「Борис!」
ヴァルコラキがエルフの名前を呼ぶと、心得たと言わんばかりに大男が動いた。
周辺の土がぐにぐにと蠢き、エミリアをイワンの方へ弾き飛ばすと同時に、私の身体を拘束する。
両手と首に土の錠がかけられ、身動きが取れなくなる。
「あぁ、あ……」
「そんな怯えんな。すぐラクにしてやるからな」
イワンの手が、エミリアの首を掴み、宙に釣り上げる
怪我の影響だろうか、右手ではなく左手に構えた剣を、彼女の首筋にピタリと当てる。
「イワン! お願いやめて!」
私はなんとか拘束から逃れようとしたけど、無駄だった。
抜けようとするとより強固に、より堅固に土が体を締め付けてくる。
頼りの魅了術も、こっちを見てくれなければ何もできない。
私は、こんなにも無力なのか――。
イワンが小さく、剣先を動かした。
エミリアの首から、ぷしゅう、と、血が溢れ出す。
「あ……ぁ」
しばらくもがいていたけど――やがて身体から、力が抜け落ちる。
どろりとした血が、イワンの腕を伝って小さな水たまりを作っていた。
「ちっ……汚ねぇな」
動かなくなったエミリアの身体を、ちょうどいい場所を見つけたとばかりに――彼女自身が空けた落とし穴に放り込んだ。
その下は――極寒の水脈だ。
「ほら。これでいいだろ?」
エミリアをじっと睨みつけていたヴァルコラキの視線が、ふっ――と緩む。
イワンの働きに満足したような、エミリアが死んで安心したような、どちらとも取れるような表情だった。
「よくやった」
「強くなる為だからな。これくらいお安い御用だ」
「後顧の憂いは断った。先を急ぐぞ」
ヴァルコラキは今度こそ、振り返ることなく去って行った。
彼に続いて、エルフの姿も消える。
と同時に、私を拘束していた土がボロボロと崩れる。
「エミリアッ!」
急いで落とし穴を覗き込む。
深さは五メートルほど。水が流れているので転落死の可能性は少ないけれど、このヴァンパイア王国では、それ以上に注意しないといけないことがある。
低体温症だ。
こんなところでずぶ濡れになってしまっては、例えまだ生きていても――待っているのは緩慢な死だ。
「エミリア……そんな……」
「――俺はまだ、納得がいってねえ」
「え?」
「さっきの勝負だ。本気ですらない相手に、俺は何回負けてるんだよ」
私から背を向けて、悔しさにまみれた声で拳を握る。
ヴァルコラキの話が真実なら――エミリアにはまだ先がある。
「こんなんじゃ、俺は誰の役にも立てねえ」
止まっていたはずの手首の傷からは、新たに血がポタポタと流れていた。
……さっき、イワンが斬ったのはエミリアの首じゃ…………ない。
まさか、自分の手首を――?
魅了術『思考』をかけられた人物は、術者の完全な傀儡となる。
どんな命令でもこなし、主のために生き、主のために死ぬような文字通りの『駒』。
でも、結果的に主のメリットになるようなことであれば、一時的に命令に逆らう『駒』が誕生することがある……なんて話は聞いたことがある。
(まさか……イワンがそうなの?)
単なる偶然に過ぎない。
しかし、結果的に――エミリアが生き永らえる『隙』を作ってくれた。
「生きてたら、また喧嘩しようって伝えといてくれ。完全な状態のエミリアを殺してこそ、俺は本当の強さを手に入れられる」
「――!!」
それを聞いた瞬間、私は壁際に捨ててあったエミリアの持ち物を掴み、地下水脈へ飛び込んだ。




