第七十二話「成長」
ヴァルコラキは随分と氷エルフを信頼しているようだ。
長らくヒト科動物の頂点に君臨していた過去を持ち、隠遁した今もなお強い影響力を持つエルフ種族だ。
全幅の信頼を寄せるのも当然と言える。
あるいは、口では褒めておきながらやっぱり私を下等な人間と過小評価しているのだろうか。
まあ、何だっていい。
三対二という数の有利を放棄してフェアな戦いを提案してくれたんだ。
これに乗らない手はない。
とはいえ、ヴァルコラキの話をまるまる信じた訳ではない。
罠の可能性には十分注意しないと。
「エミリア……」
「大丈夫です。私は負けませんよ」
戦いやすいように手荷物を端に捨てながら、不安げな表情のカーミラさんに向かって小さく頷く。
「勝って、イワンを取り戻します」
彼が居なければ私は生きていけない。
文字通り、勝てば生、負ければ死だ。
周辺を見回す。
壁も床も、一部だけが補強のために鉄で作られていて、大部分は土を固めただけになっている。
――ここでなら、土玉も落とし穴も使える。
私は呼吸を整えながら、地面を撫でた。
物体移動の魔法を応用した、土玉造りもちゃんと使える。
「そこのでっかいのが土の魔法を妨害している……なんてこともなさそうだな」
「疑い深い奴だ。我々は手を出さんと言っているだろう?」
「単なる確認だ。その言葉を信用するための、な」
土玉の形状を変えながら、回転を加えて氷エルフに見せつける。
エルフ種族へのトラウマは完全に払拭できたようで、体の震えは一切ない。
イワンのおかげで、私も成長できた。
「さ、とっとと始めるぞ」
「……」
言葉は分からずとも理解してくれたのだろうか。
ゆっくりと――ともすれば遅いと捉えてしまうほどに緩慢な動作で、彼は剣を構えた。
「ローブも外さずとは、ナメられたものだな」
氷エルフは分厚いローブに顔まですっぽり覆ったままだ。
長旅には必須の装備品だが、戦闘となると邪魔以外の何物でもない。
一度目の戦闘でイワンとの戦いをちらちら見ていたので、彼の実力がどれほどのものなのかは「なんとなく」程度だが掴んでいる。
精霊術の練度は不明だが、剣術ではイワンに後れを取っていた。
それなのにまだ剣を使うとは……ハンデのつもりだろうか。
「安心しろ。我が妹を屠ったお前を、我々は最大限に警戒している」
上からヴァルコラキの声が降ってきた。
「そのローブは特別製だ」
その言葉を合図に、氷エルフは地面を強く蹴り上げ、一足で私との距離を詰めてくる。
その動きは記憶の中の氷エルフのスピードよりも、遥かに速い!
しかし、慌てる必要はない。
こいつがいま使っているような剣という得物は確かに強力で頼もしい。
「とりあえず何か武器になるモノを!」と言った状況下で近い形状のものを無意識に探してしまうほど、「強い武器である」と刷り込まれている。
が、強力な故にそこから繰り出される攻撃のパターンは驚くほど少ない。
縦に斬る。
横に薙ぐ。
斜めに振り下ろす。
突き入れる。
この四パターンくらいだ。
何が言いたいのかと言うと――単純な分、避けやすい、ということだ。
斜めに振り下ろされる一撃を後ろにステップで躱し、土玉を発射する。
――が、それはブラフだ。
本命は、足元の落とし穴。
土玉をその場で迎撃するか、左右のどちらかに逃げるか。
どこに逃げても落ちるようにと穴の直径を横長に大きく、深く作成する。
氷エルフが落ちたあとは、両手を鳴らして終わりだ。
「――!?」
しかし、そうはならなかった。
氷エルフは逃げることなく、落とし穴ができるよりも早く地面をさらに蹴って私の方に迫ってきた!
ブラフとはいえ当たれば無事では済まない土玉はギリギリのところで避けられ、ローブの端を少し千切るだけに留まった。
氷エルフはそのまま、剣を振り下ろした態勢でタックルを繰り出す。
「『堅硬』!」
後ろに跳んだ直後の私にそれをどうこうできるはずもなく、喰らう以外の選択肢はなかった。
魅了術を使い、両手を交差させて防御はしたが――体が宙に浮いてしまい、相手にさらなる追撃を許してしまう。
「――っ!」
氷エルフは振り下ろした状態の剣を、今度は横に薙いだ。
「が――は!?」
それをまともに喰らい、軽い私の体は壁際まで吹っ飛んだ。
窪んだ壁が、今の一撃の威力がどれほどのものなのかを物語っている。
(魅了術さまさまだな……)
視界の端で、カーミラさんが声を上げそうになっているのが見えた。
声を掛けたいが、私の気が散ることに対して配慮してくれたんだろう。
イワンはカーミラさんにとって、唯一の肉親だ。
――彼女のためにも、勝たないと。
こちらの攻撃は全て躱されてしまったが、切り替えて次の一撃への道筋を組み上げる。
私が空けた落とし穴の下から、さらさらと水の流れる音が耳に入ってきた。
地下水脈でも走っているんだろうか。
壁から作り出した土玉をいくつか放りながら、魅了術を発動させる。
「『韋駄天』――」
スピードを上げすぎて壁に激突しないよう気を付けながら、氷エルフの横に移動する。
ローブがある以上、左右の死角は大きくなっているはずだ。
気配を断ち、距離を詰める。
なるべく正面に立たないようにして左右から攻め、隙ができたところを突いて――!?
「うおっ!?」
氷エルフは、私の方を一切見ずに剣を振るってきた。
慌てて後ろに逃げなければ、そのまま斬られていただろう。
ヴァルコラキのくすくすと意地悪そうな笑い声が響く。
「その外套に死角はない。特別製、と言っただろう?」
「……あんな状態で、視野を確保できているということか?」
階上で私たちを見下ろしながら、彼は笑みを深める。
肯定、ということか。
「Борисに比べれば彼はまだまだ未熟。それを補い、存分に戦うために用意したものだ。外套を付けることで起きる不利はないものと考えた方がいいぞ」
Борисというのは、どうやら土エルフの名前らしい。
それよりも、ローブだ。
一見すると何の変哲もない素材のようだが……。
完全に死角だと思われるところで気配を断ったのに、あっさりと場所を把握されていた。
デメリットはない、ということは重量も軽いんだろうか。
それらが無いとするなら、なるほど戦いにくい。
ローブのせいで手元や体の重心移動が見えにくくなるので、相手の動きが予測し辛くなる。
これで精霊術を使われたらたまったものではないが……いまのところ、使うような気配はない。
そういえば、イワンと戦っていた時も剣ばかり使っていた。
何か、こだわりでもあるんだろうか。
とはいえ、使う可能性はゼロではない。
目に見える剣よりも、見えない精霊術に気を配りながら再び『韋駄天』で回り込む。
「――」
やはり私の動きはしっかりと見えているようだ。
となると、自分で隙を作るしかない。
時折、意識を散らすために土玉を放りながら徐々に動きを早める。
このまま中距離で戦い続ければ一方的に攻撃できてしまうような気はするが――やはり精霊術が怖い。
至近距離で戦った方がむしろ安全だろう。
(――よし)
土玉を放ると同時に、落とし穴を仕掛ける。
「――!」
僅かな気配の変化を感じ取ったのか、氷エルフは宙に跳んで落とし穴を回避した。
「土玉!」
態勢を変えられないところに、破壊的な形状をした土玉を飛ばす。
氷エルフはそれを叩き落とすしかない。
「!?」
「かかった」
土玉は剣に当たった瞬間、四方にはじけた。
形こそ鏃のように尖らせていたが、形状が崩れない程度にしか固めていない。
相手を抉るためではなく、何か硬いものにぶつかった瞬間に四散し、視覚を奪うためのものだ。
身動きの取れない空中で、一瞬でも視界が塞がれば――着地後の隙はさらに大きくなる。
「『韋駄天』――『堅硬』!」
その隙を付いて魅了術を使い、『韋駄天』のスピードのまま『堅硬』の状態で体当たりを喰らわせる。
体重の軽い私でも、難なく氷エルフを壁際に追い詰めることができた。
「『剛力』」
絶対に力負けしないように魅了術を掛け直してから、首を掴もうと手を伸ばした。
「……!!」
が、首があるはずのところには何もなかった。ローブを縫い付けるように指が壁にめり込む。
どうやら、ローブの中で体制を無理やり変えたようだ。
器用なヤツだと称賛を送りたいところだが――もう、詰んでるんだよ。
私はローブの上からでも唯一分かる部位――剣を握っている右手を掴んだ。
感触からして、手首を掴んでいる。
親指の爪を立てるように力を入れると、いとも簡単に相手の皮膚を突き破った。そのまま、コインをはじく様に親指をぐりっと動かす。
「――!!」
氷エルフの手首から血が噴き出した。
勢いから見て、動脈を切ることに成功したようだ。
「ほら……よ!」
ローブを引っ張って体勢を崩し、さらに蹴りをお見舞いする。
地面を擦りながら、吹き飛ぶ氷エルフ。彼の後を追うように、血が点々と跡を付けていた。
「そのままだと剣が握れなくなるぞ。精霊術で治癒するか? まあ、そんな隙を私が許すはずがないがな」
土玉を握りしめたまま、ゆっくりと距離を詰めながら――私は宣言した。
「降参しろ」
 




