第六話「誕生祝2」
いつか言ったように、ウィリアムは母に惚れている。
しかしその容姿に似合わない愚直な性格が災いして、これまではアプローチを掛けていなかった。
『遠くで見ているだけでいい』みたいな、乙女のような奴なのだ。
母は母で、ウィリアムに悪い感情は抱いていないが特別好きという訳でもない。
ウィリアムが猛アタックを掛ければ、あるいは――なのだが、何もしなければ何も始まらない。
このままでは何事もなく終わってしまう。
ウィリアムを男にするためには、きっかけが必要なのだ。
そのきっかけとして、今日という日は最適だろう。
娘が母へ送る誕生祝いを手伝ったとなれば、母からの好感度も上昇するし、手伝ってくれたお礼と称して誕生祝いに誘えば違和感も無い。
二人の仲が進展すれば私としても嬉しい。
他でもないウィリアムになら、母を任せられる。
――そんな事を秘密裏に考えていた。
レオがいなければ、私の立ち回り一つでうまく二人っきりにすることができたのに。
こいつさえいなければ……!
「どうしたのエミリア?ヘンな顔して」
私がこそこそとしている姿を疑問に思ったのか、レオがとてとてと近付いてくる。
いかん。ここであまり騒ぐと、せっかく会話を始めた二人の間に水を差してしまう。
そうなったら『二人を良い雰囲気にさせよう作戦』が台無しだ!
「レオ。ちょっとこっちに来い」
彼の小さな手を掴み、私は別室に移動した。
ルーミアス家はごくごく普通の一軒屋だ。貴族のお屋敷みたく使っていない部屋がいくつもある訳じゃない。
なので、リビング以外の部屋となると、私と母の寝室しかない。
こういう所に客人を連れてくるのはどうかと思ったが、外は寒いし致し方ない。
扉の隙間から二人の様子を伺う。
「……よし。気付いてないな」
どうにか胸を撫で下ろす。
レオにはここで少し大人しくしていてもらおう。
子供は子供同士、水入らずで一緒に遊ぼう!とでも言い含めるか。
ええと、この部屋で遊べる道具なんてあったかな……。
頭の中であれやこれやと考えていると、
「エミリア。こういうコトは男のボクから言わせてほしいな」
「ん?」
言う?何を?
レオは真剣な眼差しでこちらを見詰め(全然決まっていないが、キメ顔のつもりみたいだ)、私の手を両手でぎゅっと握った。
「けっこんしよう」
「何故そうなる」
私は冷静にツッコんだ。
「だって、手をにぎったじゃない。これはもうボクのことがスキってことだよね!?」
「全然違うな」
「エミリアはつんでれなんだね」
この世界にもツンデレという言葉があるのか。
彼の短絡的な思考よりもそっちの方が驚きだ。
「勝手にヒトのキャラを設定するな!私はツンデレなんかじゃない」
やんわりと手を解こうとするが、彼はいやいやと首を振って、さらに強く握り締めた。
えらいのに好かれてしまったようだ。
「あのなぁ……私なんかのどこがいいんだ?」
「だってエミリアかわいいから!」
至極単純な理由だった。
「今でもこんなにかわいいんだから、将来は絶対きょにゅーの美人になるよ!」
清々しいほどに正直だな。
嫌悪感を催すどころか、いっそ好感すら持ててしまう。
しかし間違っている点はきっちりと指摘しておかねばならない。
「レオ。かわいいのと胸が大きくなるのは別問題だぞ?」
「えー!?パパはそんなこと言ってなかった!」
ウィリアムの兄とは面識は無いが、子供にこんな事を教えているところから察するに、割と遊んでいる人物なんだろう。
確か、王都で事業を起こして成功した凄腕の商人と聞いていたんだが……。
母ともっと会話しろとウィリアムを焚き付けている最中に、よく『僕は兄さんとは違うからなぁ』とかボヤいていたが、こういう意味だったのか。
「かわいいだけじゃないよ!エミリアはあたまいいし、りょーりもデキるじゃない!ボクが求めてるりょーさいの条件にぴったりなんだよ!」
りょーさい……ああ、『良妻』か。
父の後を継ぐべく、良きパートナーを探しているのか。
少しおかしな点はあるが、この年齢で既にそこまで見越しているのはさすが一流商人の息子といったところか。
立派だな、なんて思ったのも束の間、
「ボクとけっこんして、いっぱいはたらいてお金をかせいで、ボクを養ってよ!」
「ニートかお前は!?」
つい全力でツッコんでしまった。
「だってー。はたらいたら疲れるじゃない?」
「額に汗を流して働くのがヒトの美徳だぞ」
「エミリア、そのかんがえは古いよー」
「古くて結構。とにかく、私はお前と結婚する気は無い」
手を振り解き、きっぱりとお断りの言葉を口にすると、レオは駄々をこね始めた。
「えー!けっこん!けっこんしよーよ!」
「あのなあ、レオ――」
「けっこんー!!」
「私の話を――」
「エミリアとけっこんしたいー!」
「……」
……男を殴りたいと思ったのは生まれてはじめてだ。
湧き上がる破壊衝動を抑えながら、頭を働かせる。
放置したいのはやまやまだが、それは得策ではない。
ここは年長者らしく、優しくしてやるか。
「レーオっ」
「――ふぁっ」
彼を真正面から抱きしめる。こうされると不思議と気分が落ち着くのだ。
いつも母にしてもらっているので、その効果は私が一番よく知っている。
そして、諭すような声音にして、頭を撫でながら耳元で囁く。
「レオ」
「ふぁいっ」
さっきまでの暴れっぷりが嘘のようにレオは大人しくなっている。
ふふふ。効果てきめんだな。母様すごい。
「私はまだ六歳だ。お前の気持ちは嬉しいが……貴族じゃあるまいし、結婚なんて考えられる段階じゃない」
「……」
「それに、他人に甘えるようなヤツに私は決して心を許したりしない。本当に私が好きだと言うなら、もっと勉学に励んで父のような商人を目指せ。
そしたら結婚も考えるから。分かったか?」
「……!!うん、わかったよ。ボク、いっぱい勉強して、リッパな商人になって、それからエミリアを迎えに行くよ!」
突然電流に打たれたように、レオは首をガクガク揺らした。心なしか瞳に宿る生気が増し、それに伴って顔も少し凛々しくなったような感じすらする。
何はともあれ、納得してくれたようで良かった。
商人としていっぱしに稼ぐことができたら結婚OK!みたいな流れになってしまったが……まあいい。
子供の口約束なんて、すぐに忘れるだろう。
「ボクはやるぞ……絶対にやってみせるぞ……」
もごもごと何かを呟いているレオから意識を外す。
母とウィリアムはどうなっている?
振り向くと――扉の隙間から覗く顔と目が合った。
「……。母様、ウィリアム、なにやってるの」
半眼で二人を見返す。
「え?えーと、その、レオとエミリアちゃんの姿が見えなくなったから、どこに行ったのかなって」
「いきなり抱きしめるなんてエミリアってば大胆ね!さすが私の娘!」
二者二様の答えが返ってきた。
どうもレオを諭している時――ちょうど彼を抱きしめたくらい――に、私たちが居なくなっている事に気付かれたようだ。
実にタイミングが悪い。
そこだけ切り取ってみれば、幼いながらも将来を誓い合ったような構図に見えなくも無い。
「母様、これには深い事情があって――」
「レオ、エミリアをよろしくね」
「うん!!」
「さっきのはレオの求婚をOKした訳じゃ――」
「さすが兄さんの息子だね。女性を見る目があるよレオは」
「えへへー」
「……誰か、私の話を聞いてくれ」
三人で話が盛り上がる中、私の呟きはあまりにもか細く、誰の耳にも届かなかった。
◆ ◆ ◆
母様の誕生祝いが終わり、ウィリアムとレオの二人を見送った後。
いきなり母がこんな事を提案してきた。
「エミリア。銭湯に行きましょうか」
「うん?いいぞ」
銭湯とはこれまた珍しいことを言ってくるものだ。
この世界の文明レベルは前世で言うところの近世+αくらいだ。
なので蛇口をひねればお湯が出てくる、なんて便利な機械はもちろんない。
風呂は各家庭にあるが、桶に溜めたお湯で体を流す程度の事しかできない。
魔法を使える使用人を雇わない限り、ゆっくり湯船に浸かりたいとなると、こうして銭湯に行くしかないのだ。
「ふふん♪」
銭湯に行くと自然と気分が高揚し、鼻歌が勝手に出てしまう。きっと前世は相当な銭湯好きだったに違いない。
たっぷりなお湯に浸かって泳ぐのが楽しいとか、決してそういう子供な理由ではない。
これは前世の影響なのだ。
ふと、鏡が目に留まった。
中に移る、驚きの白さを誇る髪と瞳を持つ少女をまじまじと見やる。
……ふーむ。この顔が『カワイイ』か。
自分では見飽きた顔なのでイマイチ分からない。
しかし子供とは言え男を一人夢中にさせたんだから、まあマシな部類に入るんだろう。
もちろん、その事で調子に乗ったりはしない。
私はあくまで、普通の人間だ。
転生者の常識を当て嵌めてはいけない。絶世の美女などでは決して無い。
驕らずに自己研鑽に励む。
過去の黒歴史を繰り返してはいけないのだ。
「エミリア、ちょっと」
「どうした母様?」
いざ湯船に入ろうとしたところで、母に呼び止められる。
母は生まれたままの姿の私をまじまじと、いろんな方向から観察しはじめた。
手をバンザイさせたり、髪に隠れたうなじや背中部分まで、丹念に。
え、ちょ、なんだこの羞恥プレイは?
「母様、寒いから早く入ろう?」
「怪我は……無いのね、本当に」
「――っ」
表情が強張ったのを自覚した。
ウィリアムと狩りに行った事は言ったが、魔物に襲われた事は伏せたはずなのに。
一体何故、母がそれを知っている?
「さっきウィリアムから全部聞いたわ」
「っ」
口止めしておいたのに!
「か、母様、これはね」
「エミリア」
「――っ」
前世という膨大な知識を保有する私は、滅多な事で思考停止に陥らない。
大抵の出来事に対する解決策を持ち合わせているからだ。
事実、魔物を目の前にしても、頭の中だけは冷静だった。
なのに――母に名前を呼ばれたその瞬間、頭が真っ白になった。
怒りに満ちた母の瞳。それを見ただけで、恐怖に支配された。
怖い。
怖い。
怖い。
母に嫌われるのが、怖い――。
ぽろぽろと、乾いてもいない瞳から勝手に涙が溢れてくる。
母は私との距離を一歩、二歩と詰め、手を大きく振り上げた。
「ひっ」
叩かれる――本能的に目を閉じ、襲い掛かる痛みに歯を食いしばった。
が、いつまで経ってもそれは来なかった。
その代わり、暖かいものに包まれる。
「母……様?」
目を開けると、母に抱きしめられていた。
優しいその仕草とは裏腹に、その声は硬く、震えていた。
「エミリア。約束して」
「な、何を……?」
「私のために、もう危ないことはしないって。あと内緒にするのもなしよ」
「あ、あれは不慮の事故で、言わなかったのは母様に余計な心配をかけないため――」
「言い訳しないで」
ピシャリと言い切られる。
「私はあなたの母親なのよ?」
何の説明にもなっていない。
でも、不思議とそれだけで全て納得してしまうような説得力があった。
「……ごべんなざい」
「分かればよろしい」
嗚咽を上げて謝ると、母はそれ以上何も言わずに頭を撫でてくれた。
前世の知識には随分と世話になっているが、それだけでは分からないことが増えてきた。
『分からない事はなんでも前世の記憶に頼ればいい』と、どこか自分自身で甘えがあった。
前世と今の共通点は多い。しかし、違う点もたくさんある。
そこをこれからちゃんと考えないと、思わぬところで足をすくわれるだろう。
前世は平和な世界だったので、戦いは決められたルールの中で行う娯楽でしかなかった。
今は違う。野生動物、魔物、盗賊……自分を脅かす輩はごく身近に存在する。
この世界を今後も安定して生きていく為には、自衛の手段が不可欠になってくる。
「母様」
「どうしたの?エミリア」
銭湯の帰り道、私は一つの決心をした。
「ワガママを言ってもいいだろうか」
母の誕生祝いに始まった今回の一件。
それは私にとって、大きな一歩を踏むきっかけとなった。
NG集
『大人』
もごもごと何かを呟いているレオから意識を外す。
母とウィリアムはどうなっている?
――扉の隙間を覗いてみる。
「――!?」
「エミリア、どうしたの?顔真っ赤だよ」
「ななななな、なんでもないっ」
「向こうでなにかしてるの?」
「やめろっ!お前が見るにはまだ早い!」