第五十八話「占い師」
~前回までのあらすじ~
ランベルトの武器である両腕を奪ったエミリアは、圧倒的な力を以て彼から情報を引き出す。
用済みの彼を始末しようとすると、不意に痛みが走った。
「あーあーあーあー、ボロボロだよ」
愚痴をこぼしながら、洋服を拾い上げる。
ボロボロとは言いつつも、実際は少し泥が付いている程度なので洗えばどうということはないが、足蹴にされたという事実は洗い流せない。
「くそっ」
不満げに虚空を蹴る。
……いかんいかん。どうにも例のアレが近づいているせいでイライラしやすくなっているみたいだ。
ランベルトを殺すと決めた瞬間、自分でも驚くほど冷静になれたというのに、もうこれだ。
仕方ないと言えばそれまでだが、なんだかなぁ。
女性なら分かると思うが、月に一度のアレが来そうだ。
人によってはどうということはないらしいが、私はかなり症状が重い。
初日は痛みで満足に動くこともできなくなるほどだ。
この痛みを知らない人のために例えるなら、一日中腹にデンプシーロールを食らっているようなもの……と言えば少しは分かってもらえるだろうか?
血は止まらんし、腰も冷えるし、意味もなく気性が荒くなるし、魔法も使えなくなるしで、とにかく最悪だ。
子供の頃から幾度となく思い続けてきたが、コレが始まってからはより強く思うようになった。
なんで男に生まれなかったのか、と。
成り行きでランベルトを殺してしまったものの、聞き出した情報からすればそこまで影響はないように思えた。
ヴァルコラキとやらの専属執事とは名ばかりで、実態は奴隷とそう変わりない待遇だったこと。
純潔派の内部は、親和派が想像するよりも遥かにガタがきていること。
ヴァンパイアが殺されたならともかく、人間一人程度なら何の反応も起こらないように思える。
もっと楽観的に考えるなら、反応する余裕がない……とか。
「とりあえず、カーミラさんにはちゃんと言っておかないとな」
もう夜も遅いし、明日ウトに頼んで会えるようにしてもらおうか。
目下、最大の懸念は生理だ。
断続的な痛みのせいで幻視術も使えなくなってしまうので、白髪白目を誤魔化すことができなくなってしまう。
当然、仕事も休むしかない。
腹の痛みから察するに、明日の夜か、明後日の朝くらいに始まりそうだ。
ガーゼの買い置きはあっただろうか……。
そんなことを考えながら、フードを目深にかぶり、とぼとぼと岐路についた。
◆ ◆ ◆
「ただいま」
寮に戻り――誰もいないと分かっていながら「ただいま」と言ってしまうのは癖だ――、すぐさま服を脱いで全身鏡の前に立つ。
うす暗い月明かりに照らされた、驚きの白さを誇る白髪白目の少女。
飽きるほど見た顔なので、今更何がどうということのない、何の変哲もないモブ顔である。
母様の娘だと思っていた時期は、「あの母様の血を引いているんだから、将来は絶対美人になれる」と信じて疑わなかったが……。
単なる錯覚だった。
私の戦闘スタイルの基本は「意識外からの奇襲」だ。
ヒトは誰しも、出会った人物に先入観を抱く。
このヒトは〇〇なハズだ。
あのヒトは〇〇に違いない。
そういった油断を誘い、一気に仕留める。
こんな細身の子供が、ヒトを害せるはずがない。
魔法をこんなに早く発動できるはずがない。
魅了術なんて使えるはずがない。
幸いにも、私の容姿はそういった油断を誘うのに非常に適していた、
しかしそのやり方は私の本意ではない。
真正面からぶつかり、圧倒的な力でねじ伏せる方が好きなのだ。
そう。前世の記憶にあるような、いわゆる『チート能力』を使う数多の主人公たちみたいに。
しかし、現実はこれだ。
私は鏡の前で両手を広げた。
過酷な筋トレを二年以上もやっていたというのに、腕を曲げても力こぶすらできない。
お腹も同様。シックスパックになっていてもおかしくないというのに、触ってもプニプニとした感触があるだけのイカ腹だ。
理想はもっとこう――背中の筋肉で鬼の顔が浮かび上がるような感じになりたかったんだが。
このヒョロい体でもなんとか戦えるようにと、仕方なく奇襲戦法を取っている。
正直な話、小細工なしの真っ向勝負をすれば、私はブルクサにすら劣るだろう。
魅了術で身体能力をフル強化すればそれなりに無双できるが、後の反動が怖いので滅多なことではやらない。
いつになったらムキムキになれるのか……しげしげと自分の体を眺めながら、ふと、恐ろしい考えが頭をよぎった。
……もしかしたらだが、キシローバ村を出たあの頃からほとんど成長していないのでは……?
いやいや!
そんなはずはない!
恐るべき疑念を、頭を振って否定する。
私はちゃんと成長している!
その証拠に、胸が(村にいた頃よりも)少し膨らんでいる。
もちろんアリシアやイリーナと比べてしまうと貧相だが、どちらかと言えばアリよりのアリだ。
今イワンに触ってもらえたら、あの頃との違いを分かってもらえるはず。
というか胸はどうでもいいから、そろそろ本当に本気で真剣に身長が伸びてほしい。
私は胸の大きさにコンプレックスはないんだから。
負け惜しみとかじゃなく、ホントに。
戦いの時に邪魔になるという声は幾度となく聞いたし、今のところ胸が小さいことで困っていることはない。
肩は凝らないし、重心が勝手に前にいかないし、男の中に混じって雑魚寝しても何もされないしで、むしろメリットの方が多いとすら感じている。
胸はこれ以上大きくならなくていいから、身長をそろそろ下さい。
昔は同じ目線だったはずのイワンとの身長差が、じわじわと私の心を蝕んでいるんです。
胸が膨らんでいるということは、成長期に入っているのは間違いないはずだから、どうかお願いします。
そろそろ仕事して下さい、成長期さん。
……なんて、馬鹿なことを考えながら体に怪我が無いかをチェックする。
お腹は痛いものの、落ち着いて集中すれば魅了術はまだ使える。
イワンに変な心配をかけるのも忍びないので、ランベルトとの戦闘でできた怪我を片っ端から治癒していく。
「……こんなものかな」
その後で体の汚れをサッと拭いて、そのままさっさと床に就いた。
◆ ◆ ◆
翌朝。
「……いてぇ」
お腹と腰の痛みで目を覚ますという、かなり最悪な目覚めで一日が始まった。
休みたいレベルだったが、今日は行かなければならない。
一つ、確かめておきたいことがあるからだ。
「おはよう、エミリア」
「ういっす」
登校して、いつものようにアリシアと挨拶を交わす。
「昨日はありがとな。プレゼント」
「どういたしまして。……やっぱり、普段は化粧しないの?」
「時間がかかるし、汗かいたらすぐ落ちるし、別に身綺麗にしても誰も見ないからな」
「そんなコトはない!」
「のわ!?」
突然横からニュッと出てきたイリーナに、私は思わず飛び退いた。
痛てて……急に動いたから腹が……。
イリーナは今日もバッチリ決まったメイクで、犯人を言い当てる名探偵のように私を指差した。
「綺麗になって喜ばない男なんていないんだから!エミちゃんの魅力があればイワン様だってイチコロだよ!?」
「あいつはそういうことに無縁だから」
専属メイド=妾候補みたいな風潮が無きにしもあらずだが、イワンは頭の中がお子ちゃまのままだから、そういうモノには一切興味を示さない。
自分を鍛えること――剣術に夢中だ。
「どうかなぁ~?イワン様だって男なんだよ?男はみんなすべからく狼なんだよ?今は寝ているだけだけど、エミちゃんがちょっと色気を出したら、がおぉ!って襲われちゃうかもよ?」
「ないない。絶対ない。賭けてもいい」
「むぅ。そこまで言うなら試してみてよ!」
「試すって……どうやって?」
「簡単よ。いつもより薄着になること。これだけでいいから」
そんなことで狼になるほど、イワンは獣性を秘めていない。
結果は目に見えているが、ここで変に反論すると余計に話がややこしくなる。
なので、ひらひらと手を振って曖昧な返事で誤魔化す。
「はいはい……気が向いたらな。行くぞアリシア」
「絶対!絶対に試してみてよ!明日どうだったか聞くからね?!」
ギャアギャア喚くイリーナを振り切って、私は屋上への階段を急いだ。
◆ ◆ ◆
「久しぶりに屋上掃除だね。広いから頑張らなくちゃ」
「だな」
ふんと両手を握り、掃除用具箱をごそごそと漁るアリシアの背中に、私は言葉を投げかけた。
「――ああでもその前に一つ、聞いておきたいことがあるんだ」
深呼吸をひとつ。
大丈夫。まだ魅了術は使える状態だ。
集中、集中、集中……。
「――?なに?」
アリシアが振り向いたと同時に、魅了術を発動させる。
「……少し、記憶を見せてもらうぞ」
「――」
術にかかり、ぼんやりと放心したように虚空を見つめるアリシアの頭に、そっと手を触れる。
ランベルトはああ言っていたが、私の情報が洩れている可能性はゼロではない。
そして、洩れるとすればアリシアから、という可能性は高い。
昨日、「私は怪しまれていない」という結論を自分で出したが、それはウトとの戦いを見ていたアリシアが不用意に私のことを言ったりしない、という信頼から成り立っている。
今もその信頼が揺らいだ訳ではない。
ただ――純潔派のヴァンパイアに、今のように記憶を直接見られていたら?
本人の意思なんて関係ない。
間抜けにも、そのことを完全に失念していた。
…………。
…………。
…………。
「――ない」
記憶を覗かれた形跡どころか、ルガト様以外の純潔派のヴァンパイアともほぼ接触していない。
最悪、アリシアが人格ごと魅了術で操られているという可能性すらあったが、杞憂に終わった。
良かった。
本当に、良かった。
「よし。次は占い師だな……」
イワンが帰ってくるのが夕方。
仕事が終わってから急げば十分に間に合う。
「――え、あれ、私、どうしたんだろ……?」
「疲れてるんじゃないか?なんかボーッとしてたぞ」
魅了術が解けたアリシアを適当に誤魔化し、仕事に取り掛かる。
記憶を覗き見てしまったせめてもの罪滅ぼしとして、掃除する割合は私の方を多めにしておいた。
◆ ◆ ◆
占い師が集まる場所は、小ぢんまりとした裏道のようなところにあった。
しっかりとした場所を聞いていなかったら見逃していただろう。
それくらいに規模が小さい。
店の数もそれほど多くなく、大通りと比べると随分控えめな看板が建てられていた。
性格診断、仕事診断、恋愛診断、未来診断……などなど。
それらを総合的に扱う店もあれば、何か一つに特化した店もある。
商店規模が小さいということは人を探しやすい、ということ。
さっさと終わらせようと、一番手近な店の人に声をかける。
「すみません」
「いらっしゃい」
黒いマントに黒いとんがり帽子を被った『いかにも』な老婆が、怪しい水晶を撫でる手を止めた。
私の背格好を見て、老婆は全てを見越したようにニヤリと嗤った。
「分かっているよ。理想の相手を探してほしいんじゃろ?」
はい?
言われてから看板を見やると、『相性100%!理想の異性をピタリと当てます(本物)』と書かれていた。
いわゆる恋愛特化型の占い師のようだ。
わざわざ大きな文字で『本物』と記されているあたりが逆に嘘っぽさを誇張しているように思えて仕方ない。
「いえ。客じゃないです。ちょっと尋ねたいことが」
「いいからいいから。手を見せなさい」
「いや、だから違うんです」
「大丈夫大丈夫。別に怖いことはないからの」
「じゃなくて、ヒトを探して――」
「早ようせんか!」
「は……はい」
老婆の勢いに圧倒され、無意識に手を差し出してしまった。
手首を掴まれ、ぐい!と引き寄せられ――老婆の力じゃないぞこいつは――虫眼鏡みたいなものでふむふむと手相を観察される。
……どうやら話しかける相手を間違えてしまったようだ。
その証拠に、周囲の占い師に助けを求める視線を送っても、さらりと無視されてしまった。
……料金はいくらかかるんだろうか。看板に改めて目をやると、『時価』という恐ろしい文字が達筆で書かれていた。
老婆のさじ加減で、いくらでも料金を変えられる、ということか。
ぼったくり料金だったら逃げるしかないな。
なんて、腹をくくっていると――老婆が、目をカッと見開いた。
「見える……!見えたぞ……!!オヌシの理想の相手は――」
NG集
『願い』
胸はこれ以上大きくならなくていいから、身長をそろそろ下さい。
昔は同じ目線だったはずのイワンとの身長差が、じわじわと私の心を蝕んでいるんです。
胸が膨らんでいるということは、成長期に入っているのは間違いないはずだから、どうかお願いします。
そろそろ仕事して下さい、成長期さん。
「嫌でござる。絶対に働きたくないでござる」
「オイてめぇ」
『広がる格差』
「久しぶりに屋上掃除だね。広いけど一人で頑張ってね」
「手伝う気ないのかよ」
『見逃さない』
恐ろしく小ぢんまりとした裏道。
私でなきゃ見逃しちゃうね。
「恐ろしく細かいネタを挟むんじゃない」




