第五十七話「前兆」
~前回までのあらすじ~
防戦一方だったエミリアだったが、どうにか有利な場所にランベルトを誘導し、魅了術を発動させる。
一気に形勢逆転した彼女が望んだものは、『弁償』だった。
「あ、違っ……、俺はただっ……」
「ただ?」
後ずさりするランベルトの横隔膜を、体重をかけて踏み抜く。
こひゅう、と、おかしな音を鳴らして喘ぐその姿に、ほんの三十秒前までの威勢は全く無かった。
……まあ、訳も分からないまま腕が無くなったら誰でもこうなるか。
「あんた……いや、あなたを襲うように言われただけなんです!!」
「お前は言われたら何でもするのか?じゃあ死んでくれと言えば死んでくれるのか?」
「それ、はっ……」
ランベルトは額に脂汗を流しながら口ごもる。
本当なら傷口が痛くて転げ回りたいだろうに、それを必死で抑えて、私への言い訳を必死で考えている。
「お、お願いします!命だけは……命だけは助けてください!俺はまだ、こんなところでは終われないんです……!!」
考えること数秒、口をついて出たのは何のひねりもない命乞いの言葉だった。
初対面のイメージから、それなりに場数を踏んだ手練れかと思っていたが……意外と小物っぽいなぁ。
初撃で戦意を喪失させたのが功を奏したのか、もともとこういう奴なのかは判別できなかったが、まあいい。
「分かった分かった……情報をよこせ。そうすれば考えてやる」
「なんでも、なんっでもお話しします!!」
鬱陶しいくらいに縋りついてくるランベルト。驚くような掌の返し方だ。
ルガト様の兄の専属だから、さすがに情報を吐かせるのは骨が折れるかと思いきや、随分あっさりと協力してくれるものだ。
久しぶりに“スペシャルコース”ができるかと思ったのだが……まあ、手間が省けて助かる。
「両手を出せ」
「……え?」
「手当をしてやると言っているんだ。このままだと話している最中に失血死するかもしれんからな」
……とは言え、さすがに千切れた腕を完全に繋げるのは骨が折れる。
何度も言うように、魅了術は相手の想像力によって効果が左右される。
つまりヒトの身体構造を知らない者に対してはどれだけ完璧な魅了術を使おうと、それが『どういう治療をしているのか』を対象者が理解できていないと効果が無いのだ。
痣や小さな切り傷くらいなら、子供でも治る様子を簡単に想像できるが、ここまで重傷だと半端な想像力では治癒できない。
……要するに、他人の怪我の治療に魅了術はあまり役に立たない、ということだ。
逆に言えば、丁寧に解説すればどんな重症だろうと治癒は可能だ。
しかしコイツ相手に「ここの血管が~」とか、「ここの神経が~」とか、いちいち説明するのも面倒だ。
なので、誰でも言葉の意味を理解できる『止血』と『痛覚の麻痺』を施すだけに留めておいた。
言葉の意味を理解できなければ魅了術は発動しない。
キシローバ村で魅了術を初めて知った時は「なんてチート能力なんだ」と思っていたが、いざ使う側になるとこれほど頼りない術もないだろう。
相手に効果が依存している術なんて、聞いたことがない。
ベルセルクやエルフがうらやましいよ……。
「ありがとうございます、ありがとうございます」
「礼はいい。それで?誰に頼まれて私を襲った?」
「占い師です」
「…………あ?」
てっきりご主人様の名前でも出てくるのかと思いきや、想像の斜め上の答えを出され、変な声が出た。
よりによって占い師て。
「一応断っておくが、嘘を付いていたら……」
「嘘じゃありません!本当にッ、本当に占い師なんです!」
脅しをかけても、ランベルトは答えを変えなかった。
この状況でそんな意味の分からない嘘を付くとは考えにくい。
嘘くさすぎて、逆にそれが真実味を帯びさせていた。
「……そいつの顔は?」
「分かりません。フードを目深に被っていたので……しわがれた声をした、恐らく老婆です」
「そんな素性も分からない奴の言うことをどうして聞いた」
まさか本当に『ヒトを嬲り殺したい』だけが理由ってわけじゃないだろうな……。
「…………。その前に、私の素性と純潔派の現状についてお話しなければなりません」
「いいだろう。話せ」
ランベルトは呼吸を一つしてから、昔を思い出すように目を閉じた。
「今から三年ほど前のことです。私は当時、王国外の紛争地帯で傭兵団を率いていました」
「傭兵団の頭がヴァンパイア種族の専属使用人とはな」
誰もが羨むような出世っぷりだ。
しかし――ランベルトは顔を歪め、歯を食いしばった。
「出世――?いいえ、私は奴に『飼われて』いるだけです」
紛争の激化で疲弊した仲間たちを守るため、ランベルトは比較的平和なヴァンパイア王国の中へ移住を決めた。
平和な王国に傭兵の仕事なんてあるのか――と、仲間内では不安の声もあったらしいが、事前に仕入れた情報によると、傭兵はむしろ足りていない、とのことだ。
最大の要因は、魔物の増加だった。
私がまだキシローバに居た頃からその兆候は始まっていたが、三年ほど前からは大きな社会問題になっていた。
傭兵ギルドがある程度の実力を保証した傭兵は通行税を徴収しない、なんて制度ができたくらいだから、人手不足は深刻だったのだろう。
諸外国ほど危険で金になる仕事はほとんどないが、それでも傭兵は腕さえあれば食いっぱぐれることの少ない職だ。
それなりに実力があるなら、拠点の移動は間違いのない選択と言える。
「そして、初めて請け負った魔物討伐の最中――ヴァルコラキ様と出会い、我が傭兵団は壊滅しました」
「――は?」
「理由は今でも分かりません。ヴァルコラキ様――いえ、奴は!魔物ごと俺の仲間たちを……!!」
俯き、歯を食い縛るランベルト。
「私は……何もできませんでした。何もできず、ただ仲間が殺されるのを見ていることしかできませんでした!怖かったんです!あいつが私を見た時の、あの何の感情も宿さない瞳を!」
ヴァルコラキと直接会ったことはないが、そいつの妹も同じような目で私を見下していたなぁ、と、遠巻きに連想する。
大方、『仕事の邪魔だった』とか、そんな理由だろう。
一部のヴァンパイアが“なんとなく”で人間を殺すのを何度も見てきた私は、特に驚きもしなかった。
……いや、ヴァンパイアだけじゃない。
力ある者は、理由もなく自分より弱い他者をいたぶる。
「そして生き残った俺は、奴にこう言われたんです――『ちょうどいい。腕の立つ奴隷が欲しかったんだ』って」
それから、彼はヴァルコラキの執事――とは名ばかりの奴隷として働かされていた。
周囲は自分のことを虫としか思っていない敵だらけ。
任務に失敗すればひどい拷問を受けた。
そんな環境下で長時間過ごした彼は、次第にそのストレスを自分より弱いものにぶつける癖が出てきていた。
虫からはじまり、動物、魔物、果ては――
「人間にも、か」
「自分でもおかしいことをしているって分かっているんです!でも、でも……そうしないと俺自身がおかしくなりそうで!!」
似たようなことをやっていた身としては、ランベルトの行動についてとやかく言う権利は無い。
話も主題から逸れてしまいそうだったので、無言で続きを促す。
「ヴェターラ様が殺された後、私は犯人捜しを専門に行っていました。しかし、捜査は全く進まず……屋敷に戻っては繰り返し拷問を受けていました」
王位継承権の高さ以外にも、ヴェターラはその美貌や強さから、純潔派の大きな柱になっていた。
……いま思い返してみても、私が勝てたのは運以外の何物でもない。
それがいきなり殺された、なんてなれば、純潔派の動揺は相当なものだったのだろう。
無理難題を押し付け、当たり前だが成果を挙げられない人間をいたぶる程度には焦っている。
カーミラさんを犯人に無理やり仕立て上げようというのも、そんな焦りが生んだもののようだ。
……暴論以外の何者でもないが。
「それで、どうにも行き詰ったお前はワラにも縋る思いで占い師の言葉に飛びついた、というわけか?」
「……はい」
「どうせ本物の犯人じゃないから、捜査という大義名分を使ってストレスを発散しよう、と?」
「…………はい」
「私の行動が怪しくて、捜査線上に浮かんできた訳じゃないんだな?」
「え?え、ええ」
若干戸惑うような表情で、ランベルト。
「こう言ってはなんですが、黒髪の状態だと、その……」
「なんだ。はっきり言え」
「全然目立たないんですよね。野暮ったいというか、くすんで見えていたというか。今とは顔立ちが全然……」
モブ顔でも、髪が白かったら悪目立ちしてしまう、ということだろう。
散々聞いてきたことなので、適当に話を切る。
「その占い師っていうのはどこにいた?」
「商人街の、女モノの洋服が固まって出店されている場所はご存知ですか?その北側を進んでいけば、占い師の出店がいくつも並んでいます」
「――ああ、あそこか」
何の偶然か、その場所は今日、アリシアとイリーナに着せ替え人形にされた場所だった。
三人で――正確には、私はされるがままになっていて、二人で盛り上がっていただけだが――遊んだ場所のすぐ近くに、私を名指しで犯人だと言った占い師がいた。
これ以上の情報は持っていないようだし、一度、自分の足で商人街に行って調べてみる必要がある。
「もう一つ聞きたい。アリシアを誘拐したのはお前か?」
「……?アリシアが誘拐?何の話でしょうか」
一応、脅しをかけるがどうやら本当に知らないらしい。
おそらく、こいつにはそんな情報は回っていないんだろう。
ヴェターラ殺しの捜査で奔走していたと言っていたし、ルガト様と違ってヴァルコラキは混じりっ気なしの純潔派だから、わざわざ人間相手に報・連・相を徹底したりはしないだろう。
「最後に。私のことを誰かに喋ったか?」
「いいえ。誰にもしゃべっていません」
「私は容疑者じゃなかったのか?ご主人様に報告はしていないのか?」
「正確に言えば、『まだ』していません。先程お話しした通り、最近は報告を行うたびに拷問を受けていたので……」
できるだけ報告する回数を減らしていた、ということか。
コイツも苦労してるなぁ。
でも、だからと言ってあやふやな情報でヒトを襲うんじゃない。
「なるほど。よく分かったよ」
ひとしきり頷くと、ランベルトは顔を輝かせた。
「で、では……」
「ああ」
情報の対価に命を助ける――なんて、する訳がない。
友達に貰った服の弁償は、きっちりとしてもらわなければならない。
そう、きっちりとな。
「『呼――』」
魔力を乗せた言葉を紡ごうとして――不意に襲ってきた腹部の痛みに、私は顔をしかめた。
せっかく集めていた魔力が、雲散霧消する。
――ち。こんな時に……。
数秒程度のその隙を、ランベルトは見逃さなかった。
もしかしたら、ずっとその機会を伺っていたのかもしれない。
「オラァ!!」
首筋を狙った鋭い蹴り。
意識を、或いは、そのまま首の骨を刈り取ろうとする明らかな殺意のこもった一撃だった。
「……アホか」
痛みを堪え、蹴りを受け止めると同時に軸足に足払いをかけてやると、ランベルトはいとも簡単に転んだ。
「五体満足だったらともかく、そんな片端状態で出した蹴りなんぞに私が対処できないとでも?」
体のパーツを欠損するというのは、思っている以上に不便が付きまとう。
私も以前、片腕をトバしたことがあったが、その時は左右のバランスが取れずに走ることもできなかった。
足があるんだから走れるだろ、と思うヒトは片腕を背中にくっつけたまま縛って全力疾走してみてほしい。
……しかし、今のは少し危なかった。
流れる冷や汗を相手に見えないようにしながら、再び魔力を集める。
「く――そおおぉおぉぉ!!」
脱兎の如く踵を返すランベルト。
……誰が逃がすか。
普段のような人ひとり分だけの精密な落とし穴は、今の状態では無理だ。
――だったら、周囲一帯を落とし穴にすればいい。
ランベルトの進む方向へ先回りするように、大きな落とし穴を作る。
ただの落とし穴ではない。細かな砂が足を絡め取り、もがくほどに中心へ飲み込まれる――流砂だ。
いつもだったら落としてペシャン、だが、今回はまだ『弁償』をしてもらっていない。
「ぐ……くそ、くそ!糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞がぁぁぁぁああ!?」
徐々に――徐々に、落とし穴の半径を狭めていく。
「この俺が!このランベルト様がっ!こんな、こんな……ところで!終わるはずがアアッァァ!」
ランベルトの口調が――やはりこちらの方が素の喋り方なんだろう――戻ったところで、穴が完全に塞がる。
柔らかい流砂が隙間なくランベルトを包んでいる状態だ。
そう――隙間なく、だ。
両腕の無い彼に、それを払いのける力はない。
つまりまあ、彼の辿る先は窒息死だ。
呆気なく思えるだろうが、ヒトが死ぬ中では相当苦しい部類に属している。
本当なら目の前で『呼吸するな』と言ってのたうち回る姿を見て留飲を下げる予定だったが……。
「また……来たか」
女が月に一度味わう地獄の時間。
その前兆を下腹部に感じながら、私は静かにその場を後にした。
NG集
『誰に言われた』
「ありがとうございます、ありがとうございます」
「礼はいい。それで?誰に頼まれて私を襲った?」
「新宿の母です」
「普通に占い師と言え」
『誰に言われた2』
「ありがとうございます、ありがとうございます」
「礼はいい。それで?誰に頼まれて私を襲った?」
「若い男です。身なりの良い商人で、あなたを生かして捕えることができたら莫大な報酬を支払うと約束してくれました。確か名前は、ウ――」
「あのロリコンそろそろ本気で〆ないとダメだな」
『誰に言われた3』
「ありがとうございます、ありがとうございます」
「礼はいい。それで?誰に頼まれて私を襲った?」
「アリシアです」
「……やはり」
「やはり!?」




