第五十六話「弁償」
~前回までのあらすじ~
友人二人と遊んだ帰り道。
エミリアは、ランベルトと名乗る執事から唐突に『ヴァンパイア殺し』であると断定され、一方的な攻撃を開始された。
あなたには死んでもらいます。
執事ランベルトの言葉に、足が震えた。
殺意を向けられた恐怖ではない。
自身の行動を振り返り、大丈夫だという結論に至った今日の今日で、実は敵方に正体がバレていたという事実に驚愕しすぎて、頭の中がぐらぐらとしていた。
意識の外側から、不意打ちで頭を殴られたようなものだ。
「……な、何か、勘違いをされていませんか?」
ふらつきながらもなんとか起き上がり、遅すぎる言い訳を口にする。
「私は単なる使用人です。『ヴァンパイア殺し』というのが何かは知りませんが……」
ランベルトは自然体なようでいて、完全な戦闘態勢だ。加えて、あの身のこなし、蹴りの鋭さ――初対面で抱いた印象の通り、手練れであることは容易に推測できた。
そして、おそらく彼も似たような印象を抱いているだろう。
相手がどの程度のレベルかなんて、ある程度戦い慣れしていれば一度拳をやり取りするだけで簡単に分かってしまう。
それなのに言い逃れしようとしているあたり、今の私は相当混乱している。
そして、そのことに気付けないでいる。
「今ならまだ勘違いで済ませられます。でもこれ以上危害を加えるつもりなら、警備兵を呼びますよ」
ランベルトは彼は足を止めた。
私の説得に応じた訳ではない。
目を丸くして、かなり驚いていた。
「……随分と腰が引けてますね。国外であれほど恐れられた殺人鬼とは思えません」
ほんの一瞬、私を見る目が変化した。
私が『ヴァンパイア殺し』であるという確信から、疑念へ。
そこに一縷の望みを見出し、精いっぱいの言い訳を試みようとしたが、
「まあいい。すぐに化けの皮が剥がれるでしょう」
彼はもう、口を開く隙を与えてはくれなかった。
「くっ!」
迫るランベルトに、私は咄嗟に身体を翻す。
「ほらほら、避けているだけじゃ戦いになりませんよ!」
「ぐぁ!!」
先程の蹴りと全く同じ位置に、執拗に攻撃を加えてくる。
ボクシングのように腹を攻撃し続け、足が止まるのを待っているのか、それとも本命の攻撃を確実に食らわせるために腹部に意識を逸れさせているのか。
なんにせよ、今の私は生身だ。ガントレットを付けた攻撃なんて、まともに食らえば良くて骨折、悪ければそのまま死だ。
素の身体能力では勝ち目は無い。
こんな思考状態では魔法を使うこともできず、ただ致命傷を避けることしかできなかった。
「どうしたんです?逃げ回っているだけですか!?」
「ぐあっ!?」
何度目かの攻撃で、ランベルトの攻撃を受け流し損ねる。
バウンドするように無様に転がり、地面に這いつくばる。
――無理だ。
このままでは勝てない。
あまりに相手が悪すぎる。
私はラノベのチートキャラじゃないんだ。
本気を出せないという足枷を付けた状態で相手を圧倒したりなんてことはできない。
その辺のチンピラならともかく、戦闘を本職にしているような奴に敵うはずがない。
魅了術による自己強化でバフをかけまくって、ようやく普通に戦える程度なのだから。
「これがヴァルコラキ様の妹君を殺した魔女……?情報の真偽を再考せねばならないほどに弱いですね」
ランベルトが訝しげに私を見下ろす。
ほんの気まぐれで攻撃の手を緩めたのだろうが、大いに助かった。
急いで体を起こして呼吸を整える。
「……もしかしたら、私も『奴』に上手く踊らされただけかも知れません。まあカーミラがあなたを懇意にしているというのは事実ですし、全くの無駄足という訳ではないでしょう」
私が殺されれば、カーミラさんに精神的ダメージを与えられる……ということだろうか。
あのヒトがそんなことで悲しむようなタマとは思えないが……少なくとも、イワンは大いにショックを受けるだろう。
とにかく、このままではマズい。
応戦するにしても、せめて周りの目を気にしない場所に移動しなければ……。
ランベルトは強い。
傭兵の階級で言えば間違いなく上位ランカーの実力を持っている。
持てる力を全部出せれば負けることはないが……いかんせん場所が悪すぎる。
誰もいない場所に行ければ。
誰も来ない場所に行ければ。
「……本気で、戦えれば」
無意識のうちに、そんな呟きが漏れる。
それが耳に入ったのか、ランベルトはピタリと動きを止め、
「…………あァ?てめェ今なんつった?」
表情を一変させた。
それまでの紳士的な態度から一転、憎々しげに顔を歪めてこちらを見下した。
思わずギョッとした。
これが彼の素の顔なのだろうか。
視線だけでヒトの心臓を鷲掴みにしそうなほど濃厚な殺意を振りまき、わなわなと震える拳を天に向かって突き上げた。
「このランベルト様を前にして『本気で戦えれば』だと?」
――全身が総毛立つ。
次の攻撃に当たったら死ぬ、と、直感が叫んでいた。
それに従い、なりふり構わず拳が当たらない場所へと体を逃がす。
「寝言は寝てから言えこのクソガキがぁーっ!!」
私が今まで寝そべっていた道路から飛び退くのと、道路が爆ぜたのはほぼ同時だった。
まるで爆弾を爆発させたかのような衝撃が襲い掛かり――直撃していないにも関わらず、道路の端まで飛ばされてしまった。
「ぐっ!?」
余波だけでこの威力。
風圧で、パーカーのフードが大きくたなびいている。
まともに食らっていたら、私の体は原型を留めていなかっただろう。
チャンスが巡ってきて、ほんの一瞬だけ『この場を逃げる』ということを考えた。
しかし、すぐに却下した。
逃げたからと言って明日から普通の生活がやって来る訳じゃない。
逆に、より逃げ辛い状況に追い詰められるだろう。
――こいつには聞きたいことが山ほどある。
それに、知ってはいけないことを知ってしまっている。
拘束して、情報を全て吐き出させて……殺さなければならない。
そう。
殺さないと。
心の奥底が、すぅ――と、冷えていく感覚がした。
◆ ◆ ◆
「――失礼。昔の悪い癖が出てしまったようですね」
今の一撃で冷静さを取り戻したのか、また紳士的な態度に戻るランベルト。
さっきのが本性だとしたら、随分と皮の厚い仮面を顔に貼り付けているものだ、と、場違いに感心してしまった。
「少し音を立てすぎましたね。手早くケリをつけるとしましょう」
警備兵の笛の音が、遠巻きに聞こえてくる。
これだけ大きな音を立てたんだ。さすがに気付かれる。
あと少し時間が稼げればタイムアップでランベルトは逃げるだろうが――それはそれで都合が悪い。
だから、場所を変えることにする。
パーカーのフードに髪を全部しまい込み、目深まで被り直す。
「『韋駄天』」
収集した魔力を使い、魅了術を発動させる。
幻視術が解けて白髪白目に戻ってしまったが、フードを目深まで被っていればある程度は誤魔化しが効く。
ちなみに『韋駄天』は脚力が大幅に上昇し、目にも止まらぬ速さで移動することができる言葉だ。
本気で走れば姿を捉えられることなくこの場から逃げることもできるが、今回は少しスピードを抑えて移動する。
見失われては困るからだ。
離れた場所に落ちていたゴスロリ服――踏まれたり、土埃が付いたりでドロドロだ――を素早く回収し、ランベルトが見失わない程度の距離を開ける。
「――なっ!?なんだ、今の動きは」
私のスピードがあまりにも唐突に上昇したことに、ランベルトは驚いていた。
その疑問に答えてやる義理はない。
ただ、ぶっきらぼうに、
「ついて来い。お前でも追えるようにゆっくり走ってやるから」
「――てめぇ!」
どうも彼は、とんでもなく挑発に乗りやすい性格のようだ。
執事になる前はどこで何をしていたのか。
少し気になったが、まあいい。
王都はその構造上、中央に行くほど人通りが少なくなる傾向にある。
私たちが今居る学園街は、王都の中心に近い位置にある。
であれば、ヒトの往来が多い外側に行くよりも、さらに内側の貴族街方面に行った方が人目に付かずに済む。
幸い、貴族街の中でも特に人通りの少ない場所を私は知っていた。
◆ ◆ ◆
廃墟街の奥まった場所で足を止めると、少し遅れてランベルトが到着した。
「どこに逃げるのかと思いきや……インキュバスの廃墟街とは。どういうつもりだ?」
「それはもちろん、本気を出すためだ」
「――ハッ」
ツバを吐き捨て、彼は唇を歪めて彼は笑った。
もう執事言葉を使う気はないようだ。
「本気が何だって?お前みたいなガキが、本気で戦えばどうにかなるとでも思うのか?」
「そうだ」
「こいつはお笑いだ!その歳で多少腕に覚えがあるということは認めてやるが、所詮そんなものはガキの遊びなんだよ。俺とはくぐってきた修羅場の数が違う」
どの程度まで行けば修羅場なんだろうか。
たまに疑問に思う。
「この際だから正直に言ってやるよ。お前があの『魔女』だなんて……『ヴァンパイア殺し』だなんて、これっぽっちも思ってねーよ!」
「だったらどうして、私を狙ったんだ?」
「決まってる。久しぶりにヒトを嬲り殺せるチャンスを貰えたんだ。飛びつかない手はないだろ?」
「……なるほど。どこで情報を掴んだのかは知らんが、お前にとっては真偽なんてどうでもよかったんだな。ただ、『主のため』という大義名分でヒトを殺す理由が欲しかったと」
「だったら何だってんだ?!」
「いや。別に」
どうやら、初めに見た時の印象は間違っていなかったようだ。
こいつは、私と同類だ。
「どうした?出してみろよ、本気ってやつを!なぁに心配はいらない、ここなら誰にも見られねえからよ!」
「……そいつはありがたいな」
私はゆっくりと、フードを外した。
ランベルトの表情から、笑顔がかき消える。
「お前……なんっ、だ、その髪の色は……何の冗談だ?」
「最も、お前が本気の私を前に何秒耐えられるか、だが。その小物っぽい反応を見る限り、あまり長く楽しめそうにはないな?」
「ま……まさか、まさかまさか、ほっ、本物、のっ、『魔女』……!?」
徐々に蒼白になっていく彼に、私は冷たく笑いかけた。
「『捻じれろ』」
「ああああああああああああああ!!?」
ぶちゅ、と音が鳴り、ランベルトの両腕がくるくると回った。
魅了術は指示した言葉通りに相手を従わせる魔法だ。
動くなと言えば動けなくなるし、死ねと言えば死ぬ。
ただ、曖昧な指示を出した場合、その効果は掛けた相手によって大きく変わる。
今のように『捻じれろ』だけだと、指だったり、足だったり、首だったり――捻じれる部位はヒトそれぞれで全く違ってくる。
術者ではなく、掛けた相手の思考で効果が変わる――魅了術の大きな特徴の一つだ。
かつてヒトを使ってたくさん『実験』をしていた。
その頃を思い出し、懐かしさから笑みが浮かんだ。
「さて。お前が足蹴にしたこの服。弁償してもらおうか」
「た、助け――」
「『大声を出すな』」
耳障りな叫び声を封じる。
後ずさりしてなおも逃げようとするランベルトに馬乗りになり、髪を掴んで思い切り引き寄せる。
ゼロに近い距離で、白と黒の瞳が交錯した。
「弁償代は――お前の命だ」
NG集
『スピード調整』
廃墟街の奥まった場所で足を止めると、少し遅れてランベルトが到着した。
彼は玉のような汗を拭いながら、
「ゼェ……どこに逃げるのかと思いきや……ハァ……、インキュバスの廃墟街とは。ハァハァ……」
「なんかゴメン」
『道標』
廃墟街の奥まった場所で足を止めると、少し遅れてランベルトが到着した。
到着が遅かったので、もしかしたら見失ったのかと心配になっていたが、どうやら大丈夫だったようだ。
「どこに逃げようと無駄だぜ。お前の痕跡はもう導蟲に覚えこませているからな」
「私はモンスターか」




