第五十二話「ルガト2」
~前回までのあらすじ~
純血派筆頭であるヴリコラカス家の次男ルガトの生い立ち。
アリシアとの出会いとすれ違いの日々。
アリシアの足取りを追っているうちに、僕――と、その場に居合わせたエミリア――は、インキュバスの廃墟街内の、ある屋敷に目星を付けた。
安全確保のため、エミリアを外に残して一人で内部に潜入する。
「天より神の恩寵を賜らん。非力な我に邪悪を砕く御力を」
中に入ってから、すぐさま自己強化の魅了術を発動させる。
戦闘になるかは分からないけれど、自己強化をするとしないとでは戦闘力が大きく変わってくる。
念のために使っておいて損はないだろう。
制限時間があるから、できるだけ戦闘が始まるギリギリに使う方がいいんだけど――自己強化は魅了術の基礎でありながら、使うタイミングに困る厄介な技だ。
大きな理由として、二つの問題が挙げられる。
ヴァンパイア種族の中では周知のことだけど、魅了術は言葉を用いて対象に強力な催眠術を掛ける魔法だ。
言葉が通じる相手であれば、どのような命令でも聞かせることができる。
そして、それは自分も例外ではない。
自分自身に『強くなれ』という命令を下す――それが自己強化の基礎だ。
しかし、単純にそれだけで術は発動しない。
魔法のように、自己強化には確固たるイメージが必要になるからだ。
ヒトは思っている以上に、『強い自分』というものをイメージできないものだ。
これが一つ目――イメージの問題。
これを解決するため、僕らヴァンパイアは耳障りの良い『神への祈り』という体で呪文を唱えることが多い。
神という偉大な第三者から、大きな力を与えて頂く。
それは僕らにとって、とても想像しやすいものだ。効果もほぼ均一になるため、大多数のヴァンパイアが好んで使用している。
そこで次に問題となったのが、呪文の詠唱が長すぎるということだ。
ほんの僅かな寸隙を縫って意識を集中し、必要な魔力を集めることはヴァンパイア種族にとってそれほど難しくはない。努力次第では短縮することも可能だ。
しかし、呪文はそうはいかない。
短文ではイメージが乏しくなり、魅了術そのものが発動しなくなるのだ。
僕も、どうにか短い文言で発動しないかと試行錯誤を繰り返したけれど――今の呪文以上には、どうやっても縮められない。
これが二つ目――呪文詠唱の問題。
結局、戦闘が起きそうな時は予め発動しておく、という対処療法のような措置が講じられている。
初代国王が魅了術を編み出し同胞に広めたとされる頃から、魅了術の研究は遅々として進んでいない、というのが現実なのだ。
◆ ◆ ◆
屋敷の中はそれほど広くない。
ヴリコラカス本家の屋敷と比べさせてもらうなら、ウサギ小屋程度の広さだろうか。
狭ければ狭いほど、探し物はしやすい。
「……あっちか」
魅了術で強化された感覚は、隠れ潜むヒトの気配を容易に割り出せた。
右奥の部屋に二人、隠れている。
息を殺してこちらの様子を窺っているところから考えると、僕の侵入には気付いているようだ。
そして敵意を向けているということは――何か、よからぬ連中であることは想像がつく。
わざと無遠慮に歩き、扉を開く。
一人は真正面。もう一人は扉の背後に隠れていた。
真正面の男が注意を引いたところで後頭部に一撃――という算段だったのだろうが、相手は僕の瞳を見るなり、明らかに動揺した。
「ヴァ……ヴァンパイアだと!?」
その隙を見逃すほどお人好しではない。
一蹴りで男の眼前へ踊り出し、殴るというよりは少し強めに押す、という感覚で腹の辺りに触れる。
「ごべぇ!」
ただそれだけで、相手は血反吐を吐きながら壁にめり込んだ。
「しし、死ねぇ!」
背後に隠れていた男が、手にした棍棒で脳天を叩いてきた。
普通であれば間違いなく致命傷だけど、自己強化を施した肉体はその程度では傷つかない。
逆に棍棒の方が負けて、ぼきりと折れてしまった。
それを見て、男は顔を青ざめさせる。
「ふ――ふざけやがって!こんなこと聞いてねえぞ!」
悪態をつき、一目散に逃走する男。
戦う気はないようだけど、このまま逃がすわけにはいかない。
一人目はもう気絶させてしまったし、彼には『いろいろ』聞かないといけない。
魅了術を使う準備をしながら、男の後を追いかける。
「ぐぇ!?」
その時、男のうめき声と、ドサリと床に倒れる音が響いた。
気配を探るが、男以外の存在は認められない。
「――?」
一瞬、自害したのかという考えが頭をよぎるが、すぐに否定する。
自害するつもりだったら、逃げる必要なんてないのだから。
――新手か?
慎重に扉を開けると、
「エミリア!?」
そこには、屋敷の外で待機を命じていた少女の姿があった。
「何故入って来た!ここは危険だ――」
声を荒げる僕に対し、彼女は淡々とした声で告げてきた。
「申し訳ありません。しかし、ご報告しなければならないことがありまして」
◆ ◆ ◆
「――と、言う訳です」
「なるほど。危ないところだったね」
外で待機している際に、彼女もそこで気絶している男の一味に出会ったようだ。
幸い、気付かれる前に物陰に身を潜めることで難を逃れることができたようだけど。
エミリアが遭遇したのは、黒装束を身に纏った男二人組。
そいつらは彼女の存在に気付かないまま、屋敷の中に捕らわれているアリシアのことを話し始めた。
それによると、彼らは奴隷商人へ商品を横流しする闇商人のチームで、たまたま隠れ家であるここの前を通るアリシアに商品価値を見出し、衝動的に誘拐した……ということらしい。
紅茶屋の店主の言う通り――やはりアリシアはこの場所を通っていた。
そして運悪く彼らに捕まり、今は地下室に閉じ込められている。
ちなみにその黒装束たちは、それだけを言った後、どこかへ行ってしまったようだ。
仲介業者の元か、買い取り手の元か。
いずれにしても、あまり時間は無い。
「外も危険がある以上、ルガト様と一緒に行動した方が安全だと判断しました」
エミリアの言うことは一理ある。
彼女自身も優秀な使用人だ。奴隷商人からすればそれなりに商品価値を見込めそうな気がする。
奴隷商人がうろついていると分かった以上、一人にするなんて論外だ。かと言って今から帰れというのも危ない。
だったら、僕の後ろに居てもらった方が良い。
しかし……気になることがいくつかある。
「エミリア。そいつをどうやって倒したんだい?」
「倒したのではなく、こいつが勝手に倒れたんです。その拍子にどこかにぶつかったんでしょうね」
気絶した男に対し、何ら動じることなく話すエミリア。
彼女の話し方は、自分の見てきたことを言っている――というより、教科書を読み上げるような淡々としたトーンだった。
使用人というのは荒事が日常茶飯事な仕事ではない。
こんな状況になれば、怯えて震えるのが普通と思うんだけど……。
「じゃあ、気配の消し方は誰に習った?君の姿を見るまで全く気付けなかったんだけど」
僕はいま、魅了術で自己強化を行っている。
筋力だけではなく、視力や聴力といった感覚もすべて普段より鋭敏になっている。
だというのに、エミリアの姿を見る直前まで、その存在に気付けなかった。
兄や姉、そしてカーミラ氏ほどではないが、僕とてそれなりに場数を踏んだ経験者だ。
その経験が、エミリアは明らかに素人ではないと声高に叫んでいる。
「え……と。もしかしたらアリシアから聞いているかもしれませんが、実は以前、傭兵の一団に入っていたことがありまして。その時に少々仕込まれました」
彼女の親代わりとなっていた人物が亡くなった後、国外で様々な職を転々としていたことだけはアリシアから聞いていた。
けれど、まさか、こんな小さな子が傭兵団に入るなんて……。
国外の情勢はそれほどに劣悪なのだろうか。
「戦闘要員として?」
「まさか!給仕係ですよ。戦闘行為は習ってません」
「給仕係なのに気配を消す訓練を?」
「傭兵はパーティで行動します。一人の危険は全員の危険に繋がりますので、戦わなくても多少の技術を学ぶのが普通です」
中でも気配を消すのは基本中の基本……だそうだ。
傭兵というもののシステムにあまり詳しくない以上、経験者にそう言われれば納得するしかない。
「なるほど。こんな状況でもやけに落ち着いているのは、そういう理由があったんだね」
「落ち着いてはいませんよ。内心の不安を外に出さないだけで精いっぱいです」
「……………………まあ、いい。アリシアが捕らわれているという地下室へ案内してくれるかい?」
「はい!」
階段へ歩みを進めるエミリア。
その小さな背中を見つめる。
「……」
ヒトは、経験で成長していくものだ。
彼女がこんな状況で年齢にそぐわない落ち着きを持っているのも、その賜物と言えるだろう。
しかし――それでも腑に落ちないことが多い。
……実を言うと、彼女の行動に関して少しおかしいと思うことはこれまでいくつかあった。
アリシアが行方不明になった際、取り乱すことなく最適な行動を取った。
紅茶店に行く際、置いていくつもりで走ったのに、まるで息を乱すことなくついて来た。
僕と同じ――もしくは、それよりも早い段階で――この屋敷に潜むヒトの気配に勘付いた。
「……」
数日前に兄と交わした言葉が、脳裏を掠める。
◆ ◆ ◆
「ヴェターラを殺した犯人は、カーミラではない」
純血派の上層部では、姉を殺した人物はカーミラ氏と断定し、現在その裏付けを進めている。
しかし、調べれば調べるほど――彼女が犯人ではないという証拠ばかりが集まっていく。
偽の証拠を捏造してでもあの小娘を処刑台に送り出せ!という上層部の無茶な要求に対し、兄は嘆息交じりに吐き捨てた。
「忌々しいが、そんな馬鹿なことをするような女ではない。今の状況でそんなことをすれば、それこそ自分が犯人だと背中に書いて大通りを歩くようなものだからな」
兄はカーミラ氏を疎みながらも、その実力を高く評価していた。
『純血派だったら、間違いなく俺のモノにしていた』と言っていたくらいだから、体裁を気にして本音を言わないだけで、案外、彼女のことを気に入っているのかもしれない。
「犯人、通称『ヴァンパイア殺し』は白髪白目という目撃証言があるが……それ自体はさほど重要ではない。問題は、ヴァンパイア種族以外の何者かが、ヴァンパイア種族を殺したという点にある」
上層部は、姉――王位継承権第三位であるヴェターラ・ストリゴイ・ヴリコラカスが殺されたという点に重きを置いていたが、兄は全く違う視点でこの事件を見ていた。
ヴァンパイア種族は、絶対強者でなければならない。
それがこの王国を支える基盤となっている。
もし、その前提が崩れてしまえば――例え噂程度であっても、民衆に広まってしまえば――この王国は、内部から崩壊する。
つまり、姉殺しは単なる殺人事件ではなく――王国の根幹を揺さぶり、転覆させるほどのものであるという認識だ。
姉の死が親和派に有利に働くとはいえ、外の種族の犯行だと匂わせしてしまうとヴァンパイア種族そのものの地位を揺るがしかねない。
仮にカーミラ氏が犯人であったなら、必ずヴァンパイア種族の仕業であるという証拠を残すはず。
でなければ自爆技に等しい行為だ。
故に、逆説的に、彼女は犯人ではない――というのが兄の弁だ。
「我々の先祖は泥を啜ってここまで這い上がって来た。王国建設以前の、惨めで非力なヴァンパイア種族に戻る訳にはいかん。ヴァンパイア種族の尊厳を、ひいてはこの王国を守るため、『ヴァンパイア殺し』は何としてでも見つけ出し――必ず殺さねばならん。必ずだ」
「兄さんは犯人の目星は付いてるの?」
「……ヴェターラの死後、あいつの領地から出て王都に移り住んだ者。三大種族に匹敵する何らかの能力を持ち、ヴァンパイア種族に強い恨みを持つ者。派閥は無関係だとは思うが、もしかしたら親和派と何らかの繋がりを持っている可能性もある」
すべて推測の域を出ないがな、と付け加えた後、ポツリと漏らす。
「もし複数の項目に当てはまる者が居れば――どんな種族であろうと調べるべきだろう」
◆ ◆ ◆
「……」
姉を殺した犯人像についての、兄の見解。
それに、エミリアは一致していた。
彼女が王都に移り住み、イワンの元で働くようになったのは二か月ほど前のはず。
そして、親和派筆頭であるカーミラ氏と懇意にしている。
「……」
さっき、エミリアの肩を掴んだ時の感触を思い浮かべる。
あんな華奢な体で、血濡れの女王とまで呼ばれた姉を殺す?
「……ありえないな」
湧き上がった疑惑を打ち払う。
それほどの戦闘力をこんな少女が持っているはずがないし、第一、あれほどイワンと親しく接しているのにヴァンパイア種族に恨みを持っているというのも矛盾している。
どうやら今の僕はアリシアが誘拐されたことで、冷静さを欠いているみたいだ。
だから、エミリアの行動にいちいち反応して兄の言葉に無理矢理当てはめてしまっているだけだ。
馬鹿なことを考えていないで、今はアリシアを救う事だけに専念するんだ――と、自分を叱咤する。
「この先です。階段を降りると地下牢があって、アリシアはそこに捕らえられています」
「ありがとう。ここからは僕が先に入るよ」
落ち着いて。冷静に。
戒めの意味も込めて効果の切れた身体強化を再度施し、地下室への階段を降りていく。
◆ ◆ ◆
紆余曲折の末、無事にアリシアを救出することができた。
冷静さを欠いているという自己評価は見事に的中し、犯人たちに対して正面から突っ込むという愚行を犯してしまった。
犯人が足を滑らしてくれたおかげでどうにか事なきを得たけれど、もしあれが無ければ、今頃アリシアは……。
考えるだけで恐ろしい。
どうも、僕は精神的に甘い部分が多い。
仲間が人質に囚われていようとも、冷静な判断を下せるようにならなければならない。
怪我の功名だけど、自分への新たな課題を見つけられたのはまあ良しとしておこう。
その代わり、アリシアにはさらに嫌われるハメになってしまったけれど。
地下室では確かに距離が縮まったように感じたけど、どうやら気のせいだったみたいだ。
まあ、いい。
いつかエミリアとイワンのような理想的な主従関係になれるよう、頑張っていこう。
◆ ◆ ◆
アリシアを助け出した翌日、僕は兄との定期会合を行っていた。
「どうだ。犯人らしき人物は見つかったか」
「……」
脳裏を掠めるエミリアという少女の姿。
しかしそれを話せば、芋づる式にアリシアを助けるために奴隷商人と戦ったことまで話さなければならなくなる。
自分の専属だから、勝手に奴隷にされるのは我慢ならなかったと言えばそれまでだが、僕には『前科』がある。『不必要に人間種族に入れ込んでいる』なんて思われたらアウトだ。
それに――アリシア救出に協力してくれたエミリアをある種売り渡すような行為が、果たして許されるだろうか?という良心の呵責もある。
兄が挙げた項目にいくつか一致してはいるが、彼女は絶対に犯人ではない。
無関係な人物の、痛くもない腹を探らせて徒労に終わらせるより、もっと犯人像に近い人物を探すべきだ。
「僅かな懸念でも構わん。どんな些細な事でも良い。気になる人物はいなかったか?」
だから、僕は顔を上げて、いつも通りはっきりと答えた。
「いいや。何もなかったよ、兄さん」
「――。そうか。ならば今回の会合はこれで終了とする」
NG集
『呪文』
安全確保のため、エミリアを外に残してから、すぐに自己強化の魅了術を使用する。
「我、神に祈らん。主よ、祖国を救い給え――」
「ルガト様、その呪文はアウトですよ」
『効果時間』
「ヴァ……ヴァンパイアだと!?」
僕の姿を見るなり驚愕の声を上げる男。
一蹴りで男の眼前へ踊り出し、殴るというよりは少し強めに押す、という感覚で腹の辺りに触れる。
「ごべぇ!」
ただそれだけで、相手は血反吐を吐きながら壁にめり込んだ。
「しし、死ねぇ!」
背後に隠れていた男が、手にした棍棒で脳天を叩いてきた。
普通であれば間違いなく致命傷だけど、自己強化を施した肉体はその程度では傷つか――
「ごべぇ!」
――敗因:時間切れ。
『つんでれ』
「ヴェターラを殺した犯人は、カーミラではない」
兄さんはカーミラ氏が犯人だと声高に叫ぶ上層部に辟易しながら、そう漏らしていた。
「あれほど聡明な頭脳と可憐な容姿と着痩せするナイスバディの持ち主がそんなことをするはずがない」
普段は論理的な兄さんが、カーミラ氏のことになると決まってこのように意味不明な理論を展開する。
「上層部の奴ら、言うに事欠いて証拠を捏造しろだと?そんなことをして、俺が嫌われでもしたらどうしてくれるんだ!!」
「兄さん……ホントに彼女が好きなんだね」
熱弁する兄に水を差したつもりはないが、そうポツリと漏らすと、兄はあからさまに慌て、咳ばらいをした。
「べ……別にあいつのことなんか、何とも思ってないんだからねっ!!」
「兄さん……」
僕の兄は、たまにキモい。
『邪念』
「……」
さっき、エミリアの肩を掴んだ時の感触を思い浮かべる。
(ウヘヘ……柔らかかったなぁ……)
あんな華奢な体で、血濡れの女王とまで呼ばれた姉を殺す?
「……ありえないな」
湧き上がった疑惑を打ち払う。
「疑惑の前に邪念を打ち払え」




