第五話「誕生祝1」
※今回の話にはそこそこグロい描写があります。苦手な方はご注意ください。
「大事無いようだな」
狼が完全に焼失してから、壮年のヴァンパイアは私を地面に降ろした。
服装はクドラクさんと同じ黒に統一されたコートと帽子。と、先程まで付けていなかったマスクを懐から取り出し、付けている。
マスクの隙間から、ヴァンパイア種族の証である尖った犬歯が見えた。
思っていた以上に分かり辛く、ぱっと見では人間と判別が付かなかった。
その出で立ちから、クドラクさんと同じ領主様の関係者だろうという事は想像できる。
彼の言う通り、魔物とあれだけ近距離で接敵しながら無傷で済んだ。
運が良いとしか言いようが無い。
「危ないところを助けて頂いてありがとうございます。あの、あなたはうごげっ――」
「エミリアちゃん!大丈夫!?」
血相を変えたウィリアムに飛び付かれ、私の言葉は途中でうめき声に変化した。
そのまま抱き上げられ、あちこちをぺたぺた触られる。
……前世だったらなんかいろいろ問題になりそうな言い方になってしまったが、もちろん変な意味ではなく、私の身を案じての行動だ。
……あえて言及する必要はないと思うけど、念のため。
「大丈夫、この通り無傷だ」
「ごめんね、僕がもっと周りに注意していたら」
ウィリアムの目には、薄っすらと涙が浮かんでいた。
「いいや、こちらこそすまなかった」
すぐに逃げていれば、魔物に気付かれる前に安全な場所に避難できていたはずだ。
ウィリアムを狙った攻撃も、百%命中すると決まっていた訳じゃない。
そもそも制御できていない力だったんだから、見当外れの方角に逸れていたかもしれないし、すぐに気付いて避けられたかもしれない。
何の自衛手段も持っていないのに注意を向けさせるなど、自殺行為もいいところだ。
私がもっと上手に立ち回っていれば良かったんだ。
彼が責任を感じる必要なんてない。
「ありがとうございます、領主様。この子に何かあったら、僕は……」
「礼には及ばん。民を守るのが我らの務め」
「領主……様?」
「如何にも」
私を助けてくれたヴァンパイアは、この地を治める領主その人だったようだ。
彼は膝を折り、私と目の高さを合わせた。
宝石のような赤い瞳がじっと見つめてくる。
「クドラクから聞いたぞ。マリの為に食材を欲していると」
「はい、そうです」
領主様はふっと目を細め、私の頭を撫でた。
「死の瀬戸際に立ったというのにまるで恐れてはいないな……まだ十にもならぬ身で立派なものだ」
「いえ、そんな」
自然と口元が綻ぶ。キャラじゃないとか言われそうだけど、頭を撫でられるのはけっこう――それなりに――かなり――好きだ。
一番撫でられたいのは母だけど。
「……って、あ!肉!」
そこで私は、魔物のせいですっかり忘れていた事を思い出した。
「ウィリアム!早く血抜きしないと!」
「ちょ、ちょっとエミリアちゃん!」
ウィリアムはあわあわと領主様と私を交互に見やっている。
……しまった。命の恩人に対して失礼だった。
私は自分の行動を恥じたが、領主様は特に気分を害した様子は無かった。
「私の事は気にするな。ウィリアム、お前も早く行ってやれ」
「ありがとうございます。このお礼は、後日必ず致します!」
ウィリアムと私は領主様に一礼し、鹿の元へ駆け出した。
「……まさか、これほど早く目覚めるとは」
領主様の最後の呟きは、鹿に夢中な私の耳には届かなかった。
◆ ◆ ◆
手頃な木があったので、血抜きはそれを利用して行われた。
ロープで鹿の四肢を縛って頭が下になるように吊るし上げ、首の頚動脈を切断する。
血を捨てるための穴は時間が無いため、省略した。
たちまち木の根元が真っ赤に染まる。
「エミリアちゃん平気?」
「大丈夫だ」
前世ではほぼ知ることのない肉の加工現場。後学のために見ておきたいと思っていた。こういう生々しい光景は慣れていないと刺激が強いので、その耐性を付ける意味でも。
学べるものは何でも学ぶ。それが私のモットーだ。
寒さのおかげで幾分か緩和されているが、それでもねっとりとした血の臭いが鼻腔を刺激する。プラス、鹿が本来持っている動物臭さもなかなかにエグい。
しかし、そこまで気持ち悪くはならなかった。
「本当は罠で生け捕るのが一番なんだけどね」
「そうなのか?」
「うん。殺しちゃうと血の流れが止まっちゃうからね。その分、体の中に血が残りやすくなるんだ」
そうだったのか。
てっきり即死がいいのかと思っていた。
ちなみに罠猟は大人の事情――土地の所有権やらの問題――で、この山では禁止されているそうだ。
ふと、鹿の頭が目に入った。
脳天を貫かれ、風穴が空いた頭蓋――矢は回収済みだ――から、中身がでろりとはみ出ている。
つい三分前まで生きていたはずの瞳からはもう生気は感じられない。まるでビー玉みたいだ。
「エミリアちゃん。今から内臓を出すけど……本当に見たい?」
「もちろんだ」
ウィリアムは念を押したが、私の決意が揺らいでいない事を確認すると作業に取り掛かった。
作業工程は実に単純だった。
木から下ろした鹿を仰向けに寝かせ、ナイフで腹を裂いて内臓を露出させる。
胸骨を取り除き、食道と肛門付近を切り取って、あとは引っ張るだけだ。
取り出した内臓は穴を掘って埋める。
「どんな動物もそうやれば取れるのか?」
「だいたいはそうだね」
「ふーん……」
「さて。次は皮を剥ぐけど」
「私は平気だ」
「……僕が初めて見たときは泣きながら吐いたんだけどなぁ」
などとボヤきながら、再度木に、今度は首にロープを掛けて吊るす。
表現は悪いが、首を吊っている状態だ。
四肢の付け根と首に切り目を入れ、手でぐいぐいと引っ張ると、いとも簡単に皮は剥がれた。
『コートを脱がすようにする』のがコツらしい。
私がまな板の上で見たことのある肉の形状にはほど遠いが、白とピンクという色合いだけを見ればぐっとそれに近付いている。
ここまで来れば後は部位ごとに切り分けるだけだ。
「エミリアちゃん」
「大丈夫だって言ってるだろう」
前世でこういうグロは禁忌のような扱いを受けていた。その記憶を引き継いでいるのだから、私も拒絶反応が起きるかと思っていたけれど。
どうやら私はグロに高い耐性を誇っているようだ。
……何のメリットになるかは知らないけど。
皮はなめせば衣服などにできるが、ウィリアムの一家はそちらには手を出しておらず、いつも衣服屋さんに売っているらしい。
一言に『なめす』と言っても、削り、漬け、乾かし、揉みと四工程も必要で、そこまでは手が回らないようだ。
最後に首を切り落とし、内臓が入っていたスペースに雪を適量入れる。こうすることで残った体温を素早く奪い、腐敗の進行を遅らせるのだ。
その状態で麻袋に体をまるごと入れ、その上からも雪を入れてしっかりと口を縛る。
「よし、作業完了。後は山を降りてからやろう」
「了解……っと」
私は残った鹿の首に向かって手を合わせた。
「ありがとう。そしてごめんなさい。あなたの命、無駄にはしない」
◆ ◆ ◆
あれよあれよという間に三日が過ぎてしまった。
「母様、お誕生日おめでとう!!」
「マリさん、おめでとうございます」
六年ごとの誕生祝いは基本的に家族しか行わない。
本来は私と母のみで行うのが普通だけど、ウィリアムは今回の件でいろいろと助けてもらったので、そのお礼も兼ねてスペシャルゲストとして招かせてもらった。
「おめでとーございます!」
……そして何故か、呼んでいないはずの彼の甥っ子も同席している。
「……ウィリアム」
「ごめんね。エミリアちゃんに会いに行くって聞かなくって」
ジト目で非難すると、彼はバツが悪そうに頬を掻いた。
いかん。祝いの場の空気を私が乱してどうするんだ。
幸いにも母は招かれざる客に対しウェルカムなムードを出してるし、ここはひとつ、穏便に。
「まあいい。子供の我侭を寛大に許すのも年長者の勤め」
「エミリアちゃん本当に六歳だよね?年齢偽ってないよね?」
失礼なことを言うウィリアムを無視して、無邪気に拍手する甥っ子に目を向ける。
彼の名はレオ。黒髪黒目で、年齢は私よりも一つ下だ。
雄々しい名前とは裏腹に大人しい性格で、両親にべったりらしい。
やれやれ……五歳にもなって親離れしていないとは、とんだ甘えんぼさんだ。
「エミリア。また会えてボクはとっても嬉しいな!」
「ああ。元気そうで何よりだ」
甥――つまりウィリアムの兄の息子なのだが、普段は王都に住んでいるため、会うのは年に二~三回くらいだ。
初対面の時はやたらと顔を近づけて話しかけてくるので人懐っこい子だな、としか思わなかったが、ウィリアム曰く私に一目惚れしているらしい。
随分とマセているなぁ。
おっと。今はレオよりも母のことだ。
私は手を広げてテーブルを示す。
「さあ、母様。今日のために腕を振るった鹿料理だ」
メニューはスープ、ステーキ、サラダ、サンドイッチだ。
もちろん、全ての素材に鹿肉が含まれている。
スープはとろとろになるまでじっくり煮込み、ステーキは食べやすいように一口サイズにカットしてある。
サラダは繊維状に刻んだものを混ぜ、サンドイッチには豪快に焼いたものをそのまま挟んである。
全部肉だとちょっと胸焼けしそうな印象を受けるが、鹿の肉はさっぱりした味なので全く問題ない。
ところどころ不満はあるが、限られた時間の中では最高のものを用意できたと自負している。
「すごいわね。これ、全部エミリアが作ったの?」
「まさか。ウィリアムにも手伝ってもらった」
本当は全部一人でやって母に褒められ――じゃなかった、母に喜んでもらうつもりだったが、さすがに手が足りなかった。
ウィリアムには本当に世話になった。
彼がいたからこそ、どうにかここまで漕ぎ着けることができたのだ。
「さあ、思う存分食べてくれ!」
◆ ◆ ◆
料理の評価は上々だった。
誰かの口に入るたび、笑顔が溢れる。
料理をした身として、これほど幸福なことはない。
「ウィリアム。ありがとうね」
「え?」
「エミリアにいろいろと付き合ってもらって」
「いや、ちゃんとした契約の上での狩りなんで、お礼を言われるようなことなんて何にも」
「その契約に、料理のお手伝いなんて入ってなかったでしょ?」
「それはまあ……ここまで来たら全部手伝ってあげたいって思っただけで……」
「ふふ。じゃあやっぱり、ありがとう、だわ」
母の笑顔を見て、ウィリアムは顔を赤くしてあわあわしていた。
「……ふふふ。うまく行ってるな」
頃合を見計らい、私は徐々に二人から遠ざかる。
母の誕生日プレゼントは、なにも料理だけではない。
本当の狙いは、ここにあったのだ!
名付けて――
「ねーねーエミリア、なにしてるの?」
「……っ」
……しまった。
レオの存在を忘れていた。
NG集
『私の身を案じて』
「ぐぇっ」
血相を変えたウィリアムに飛び付かれ、私はうめいた。
そのまま抱き上げられ、あちこちをぺたぺた触られる。
……前世だったらなんかいろいろ問題になりそうな言い方になってしまったが、もちろん変な意味ではない。
私の身を案じての行動だ。
……あえて言及する必要はないと思うけど、念のため。
「大丈夫?ハァハァ……どこも怪我してない……?ハァハァ」
「哀れなロリコンめ。燃え尽きよ」
領主様の言葉で、ウィリアムを中心に火柱が上がった。