第四十九話「廃墟街」
~前回までのあらすじ~
アリシアとルガトの関係を円滑にするために、お茶会を利用して二人の仲を取り持とうとするエミリア。
しかしその当日、アリシアが行方不明になってしまう。
待機を命じるルガトを説得し、二人でアリシアの捜索に乗り出す。
アリシアが向かった店は、そこそこ距離はあるが表通りを歩くだけの単調な道を進むだけで辿り着ける。
ヴァンパイア王国の中でも特に犯罪発生率の低い貴族街であるということを考慮せずとも『事件に巻き込まれた』なんて、考える方がおかしいだろう。
しかし、三時間以上も帰りが遅れるような理由など限られている。
目の前で老婆が倒れて病院まで付き添っていたとか、隣を歩く妊婦がいきなり産気づいたとか。
考えられる中で最悪なものが『事件に巻き込まれた』だ。
最初に述べたような理由であればそれはそれでいい。
しかし、危惧しているような状態に陥っているとすれば――取り返しのつかない状況になる前に、助け出さなければならない。
その場合、無傷で助けられる確率は初動の早さに比例する。
だったら、徒労であろうと、危機感を持って探しに行くのが最良の手となる。
「――ん?」
道中で見るからに怪しい街道を発見し、私は足を止めた。
貴族街は道端であっても常に手入れされ、ある程度の綺麗さを保っているのだが、そこから先の道は手つかずの状態になっている。
どんよりと曇った空模様も相まって、かなり不気味だ。
「エミリア。何かあったのかい?」
「ルガト様。どうしてここだけ放置されているんです?」
「ああ、そこから先はヒトが住んでいない区画だからね」
「もしかして、アリシアがここを通った……という可能性は?」
地理的に言えば、この薄気味悪い街道を通れば近道になるはずだ。
ここなら何らかの事件が起きてもおかしくはない――そういう雰囲気を感じ取れるような場所だった。
しかし、ルガト様は首を横に振った。
「それは無いよ。彼女はここの噂をよく知っているしね」
「噂……?」
「知らないのかい?『インキュバスの廃墟街』のことを」
◆ ◆ ◆
かつて、人身売買を生業としていた一族が居た。
今でこそ非合法となったが、当時は奴隷制度が普通にまかり通っていた時代だ。そこにビジネスチャンスを見出し、彼らはたった一代で巨額の富を築いた。
しかし王国の発展に伴い人身売買そのものが禁止され、一族は急激に衰退した。
彼らは王国に恨みを抱き、当時の国王の暗殺を謀ったが……計画は実行に移される前に露見し、一族は全員、処刑された。
妙な噂が立ち始めたのは、それから後だ。
誰も住んでいないはずの一族の屋敷からヒトの悲鳴が聞こえるだの、人影が通るのを見ただの。
初めは単なる噂として、目撃者以外はさして気にしなかった。
しかし――廃墟を取り壊すそうとするたび、決まって事故や事件が起きるようになり、一族の亡霊が今もなおあの屋敷に住んでいる。と誰もが信じるようになった。
その不気味さゆえに、件の屋敷の周辺住民もすべて引っ越してしまい、そこはさながら小さなゴーストタウンのような有様になっていた。
――かくして、十数年経った今も贅の限りを尽くした屋敷はそのまま残っており、近くを通りかかると一族の怨霊によって冥界に連れて行かれるのだという。
やがて噂は尾ひれを増やし、とうとう区画ごと立入禁止にされてしまった。
そのゴーストタウンは、処刑された一族の名を取って『インキュバスの廃墟街』と呼ばれている。
◆ ◆ ◆
「――という訳なんだ」
「なるほど」
端的に表現するなら心霊スポットという訳か。
こういう都市伝説のような話はこの世界にもいくつか存在していたが、まさか王都の貴族街にこんな『いかにも』な話が転がっていたとは……。
廃墟街についての噂話を聞いている間に、店の前に到着していた。もっとかかると思っていたが、走ったためにかなりの時間を短縮できた。
軽く肩を上下させながら、
「? どうしました。私の顔に何か?」
ルガト様がやけに私のカオを見てくるので、何か粗相をしてしまったのかと自分の体を見下ろした。
彼の前ではまだ男言葉は使っていないし、格好もいつものメイド服だ。幻視術は朝にかけ直したし……いまの私はごく普通のモブメイドのはずだ。
これまでを振り返っても、何も見咎められるようなことはしていない……はずだ。
「――失礼。何でもないよ」
ルガト様はすいっと目線を反らした。
「とりあえず店主に話を聞こう」
「はい」
店に入るなり、ふわりといい香りが漂った。
味にうるさい貴族街の中でも評判の名店らしいが、その名は伊達ではないようだ。
「これはルガト様。自らご来店いただくとは、光栄の極みでございます」
店に入るなり、お決まり(?)の言葉で出迎えてくれたのは、この店の店主だ。彼は笑みを浮かべて――商人にありがちな上っ面の営業スマイルではないところが素晴らしい――深く頭を下げた後、
「朝にアリシア様がいつもの茶葉を購入して帰られたのですが……もしや、何か商品に不備がございましたでしょうか」
「いや。日頃から世話になっているお礼をと思ってね。いつも美味しく飲ませてもらっているよ」
「とんでもございません。こちらこそいつもご贔屓にしていただいて感謝の念に堪えません」
店主は感極まったように表情を明るくさせた後、私の方をちらりと見やった。
「ところで、そちらの方は?」
「彼女はエミリア。アリシアの友人だ」
左様でございますか、と頷いた後、店主は私に向き直って名乗り上げた後、紅茶をご用命であれば当店を~という定型句を述べてきた。
差し出された名刺を受け取り、適当に相槌を打つ。
ここにアリシアが来たのは間違いないが、それ以上の情報は得られそうにない。
長居は無用ときびすを返すと、
「――そうそう。エミリア様の方からアリシア様へお伝えいただけませんか?いくらご主人様の為とはいえ、若い身頃であのように危険な道を通るのはお止めください、と」
「危険な、道?」
「『インキュバスの廃墟街』ですよ」
「――!わかりました。伝えておきます」
来た道を全速力で戻る。
やはりアリシアは、あの道を通っていた!
◆ ◆ ◆
「くそ……あの店主め、分かっていてアリシアを行かせたのか!」
「ルガト様。落ち着いてください。止めていたようですし、店主は悪くありません」
悪態をつくルガト様をなだめる。
もし私が止めていなかったら、あの場で店主の胸倉を掴み上げていたかもしれない。
インキュバスの廃墟街は、その名の通りいくつもの廃墟が軒を連ねている。
建物の豪華さは天と地ほどの差があるが、その光景は魔物に襲われて住民の居なくなった村を連想させる。
そして、そういう場所は往々にして犯罪者などの住処となる場合が多い。
「どうしてこんな道を通ったんだ……」
ルガト様は信じられない、と言った表情で周辺を見回していた。
亡霊を信じている訳ではないが、実際に事件が起きていることは本当だ。
そんないわくつきの場所を『紅茶を買う』という理由で自分の専属使用人が通ったことにショックを受けているようだ。
「ルガト様。アリシアを怒らないであげてください」
さりげなくフォローするが、ルガト様は力なく首を振るだけだった。
「怒る……?そんなつもりはないよ。逆に紅茶なんかで僕は怒ったりしない、と彼女に言ってやりたいくらいだ」
どうやら彼はアリシアが近道してまで紅茶を買いに行った理由を『自分が怒ると思ったから』と勘違いしているようだ。
「でしたら、助け出した時にルガト様の胸の内をしっかり伝えればいいと思いますよ」
「……ああ。そうだね」
「できればその時に彼女の気持ちも聞いてやってください」
「? あ、ああ」
私の言葉に釈然としないまま生返事をするルガト様。
本当ならお茶会で二人の仲を取り持つつもりだったが、こうなっては仕方がない。
この状況をできる限り利用させてもらおう。
そのためには、アリシアを一刻も早く見つけなければならない。
「――ルガト様。この辺り、ヒトの気配がしますね」
「……!気付いていたのかい」
立入禁止の廃墟街というからには、当然ヒトは住んでいないはずなのだが、気配を感じる。
亡霊などこの世に存在しないのだから、誰かが潜んでいるのだろう。
これがアリシアであれば何も問題はないが――残念なことに気配は複数感じられた。
いわくつきの廃墟にヒトの気配がしている。
そこにアリシアの行方が分からなくなっている状況を重ね合わせると――『買い物の帰りにろくでもない連中と鉢合わせてしまい、捕らえられている』と考えられる。
そうと決まった訳ではないが『そうであってもおかしくない』状況証拠は揃い『事件に巻き込まれた』という仮説は徐々に現実味を帯びてきていた。
◆ ◆ ◆
「――待って」
「どうしました?」
私とルガト様で『なんとなくヒトの気配がする』場所を話し合った結果、とある屋敷で意見が一致した。
……何故かは分からないが、その時もルガト様は私の顔をじっと見つめてヘンな表情を作った。
先頭にルガト様、後方に私という順番で中に入ろうとするが、扉の前でいきなりルガト様が静止した。
彼は長年使われていないはずの扉を指さし、
「このドアノブ、よく見てごらん」
「……砂埃が付いてませんね。それに開閉の跡がある」
何年も使っていない廃墟なのに、誰かが出入りしている。
『屋敷の中に誰かいる』ことはいよいよ確定的になった。
「僕が先に入る。君はここで待っていてくれ」
「分かりました」
ルガト様がそろそろと中に入って行く。
私はその気配を注意深く追った。
ルガト様からどのような指示を出されても最速で動けるように呼吸を整える。
ただ上から指示された通りに待っているだけというのは二流のやることだ。
その先の指示も見据えてこそ、初めてメイドを名乗ることができる。
……完全に師匠の受け売りだが、この思考法はあらゆる場所で役に立つ。
すぐさまルガト様を追えるように、見える範囲で屋敷の間取りを予想しておこう――なんて考えていると、
「!?」
不意にヒトの気配が出現した。
慌てて振り返ると、どこから現れたのか――背後に、黒装束を纏った男が立っていた。
屋敷の中に意識を集中しすぎて、自分の周辺の警戒が疎かになっていた。
ここまで接近されて気付けないというのは実に間抜けな話だ。
恥ずかしくてもう紛争地帯を歩けない。
「――お前、俺の気配に気付いただと……?」
黒装束は警戒心を露わにするが、
「……いや、こんなガキが気付けるはずがない。たまたま運良く振り返っただけか」
そう結論付けてから、黒装束は私を上から下まで値踏みするように眺め回す。
「ふむ……さっきの上玉と比べるといろいろ乏しいが、まあ働き手としては使えるだろう」
その視線には、既視感があった。
数年前に王国の外で何度か奴隷商人に値定めされたことがあったが、その時と全く同じ感覚だ。
ついでに言うと、評価の中身も全く同じだった。
……まあ、見せる機会のない相手になんと評価されようが、別にどうでもいい。
何にせよ、いい情報源が出てきてくれた。
「つかまえた」
「な――!?」
私は親指を下に向け、地面を指した。
魔法が発動し、黒装束の首から下が地面にすっぽりと収まる。
「――ま、魔法だと!?しかも無詠唱でこの速さ……貴様、人間ではないな!?」
「さあな。想像にお任せするよ」
簡単に逃げられないように首と腰、腕と足まわりの土だけ念入りに固める。
屋敷の中を伺うが、ルガト様が戻ってくる気配は無い。
よし。手早く済ませてしまおう。
「さてと。ご覧の通り私は土を圧縮する魔法を得意としている。お前を圧死させるのも簡単だ」
人差し指と親指の間の隙間を、ちょい、とだけ狭める。それだけで魔法は発動し、黒装束の胸部を圧迫する。
「あ――か、ぐ……!!」
痛みは無いが、肺が全く広がらず、呼吸ができない――ひとしきりもがき苦しむ黒装束を眺め、優しく声をかける。
「――私の友達を知らないか?私より可愛くて、私より背がほんの少しだけ高くて、私より胸が大きい、メイド服を着た子なんだが」
私のさじ加減ひとつでいつでも殺せるということ、自分の無力さを理解させた上でやや下手に出る。
「行方が分からなくて困ってるんだ。その子のこと、もし知っていたら教えてくれないか?」
「し――知ってる。知ってます!」
そうすれば、自然と相手は心を開いて話をしてくれる。
やはりヒトは知性ある動物。こうした対話を重視しなければ。
対話さえできれば、世界は平和だ。
◆ ◆ ◆
「――なるほどな」
簡単にまとめるとこうだ。
こいつらは廃墟街を根城にして人さらいを行うグループで、メンバーは彼を含めて五人。
屋敷の中には他の仲間がいて、アリシアは地下室に捕らえられている。
人身売買が禁止されている国でヒトをさらって何の意味があるのだろうか、という疑問が浮かんだが、相場の数倍の高値でヒトを買い取ってくれる業者が王都内に存在しているらしい。
灯台下暗しということだろうか。アリシアの件とは関係ないので、詳しくは聞かずに放っておくことにする。
「ありがとう、助かったよ」
礼を述べると、黒装束は緊張が緩んだのか、自分の置かれている状況すら忘れて笑みを浮かべていた。
「どういたしまして。それで――そろそろ解放してもらえませんか?」
「おっと、そうだな」
私は手を、下に振るった。
一瞬で十メートル下まで下降し、黒装束の姿が消える。
残ったのは、ぽっかりと開いた穴だけ。
「解放してやるよ。この世から」
半開きのままの掌へ、徐々に力を籠める。
『掌』が『拳』の形になった頃には、小さく開いた穴は完全に閉じていた。
「さて。敵の人数も屋敷の間取りも把握できた。待ってろよアリシア」
NG集
『こわがり』
「――という訳なんだ」
「ななな、なるほど」
い……インキュバスの廃墟街か。端的に表現するなら……ししし、心霊スポットという訳だな。
こういう都市伝説のような話はこの世界では極限まで避け生きてきたが、まさか王都の貴族街にこんな『いかにも』な話が転がっていたとは……。
どうしよう……聞いちゃった……もう夜一人でトイレいけない……。
「うぅっ……」
「なんで急に泣き出してるの!?」
『関係』
「とんでもございません。こちらこそいつもご贔屓にしていただいて感謝の念に堪えません」
店主は感極まったように表情を明るくさせた後、私の方をちらりと見やった。
「ところで、そちらの方は?」
「彼女はエミリア。アリシアのパシリだ」
「左様でございますか」
「左様でございますかじゃねーよ疑問を持て疑問を!」




