第四十八話「お茶会」
~前回までのあらすじ~
学園内での作業が終わり、イワンの帰りを待つエミリア。
そこでアリシアの主人であるルガトと初めて出会う。
彼と話をしているうちに、アリシアとルガトが抱えている、ある問題にエミリアは気が付いた。
どうやら、アリシアは私とイワンのような、互いに何でも話せるような主従関係に憧れというか、そうなりたいという願望を持っているらしい。
『ご主人様と仲良くなりたい』というのは使用人であれば誰もが思うことだろう。たった一人だけを顧客とする専属使用人ならなおさらだ。
彼女は、それが上手くいっていない。
学園では頼りになる先輩メイドだが、ルガト様の前では緊張でガチガチになっている。
そんなアリシアにルガト様は「自分は嫌われている」と勘違いを起こしてしまい、互いが互いに余計な気を遣うという悪循環に陥っている。
思い起こせば――彼女と一緒にいるとき、たまに寂しそうというか、羨ましそうな表情をすることがあった。
それは決まって、私がイワンのことを話したときだ。
何か悩みを持っているとは思っていたが、話をする素振りも無く、無理に聞き出すのも忍びないと思い「悩みがあったらいつでも相談してくれ」と言うだけに留めていた。
しかしまあ……知ってしまった以上、見て見ぬフリはできない。
アリシアにはいつも世話になっているし、恩返しの意味も込めて少しだけお節介を焼かせてもらおう。
幸いなことに、ルガト様もアリシアと気軽に話ができるようになりたいと思っているようだ。
二人が同じ気持ちであるなら――ほんの少しのきっかけさえあれば、すぐに打ち解けられるだろう。
◆ ◆ ◆
翌日。
朝からいきなりイワンの寮にやってきたカーミラさんに、私は連れ出された。
以前、話の流れで出てきた「街を案内してあげる!」というあやふやな約束を、カーミラさんは律儀に覚えていてくれていたようで――こちらは約束したという自覚すらなく、長らくやっていなかった魅了術の訓練をやろうと家を出る寸前だった――、主要な場所への近道を教えてもらいながら街を散策することになった。
やはり地元のことは地元のヒトに教えてもらうのが一番だ。
道が複雑だからと行くのをためらっていた行商街への近道もばっちり把握できた。
街から街、国から国へと流れる行商は珍しい商品の宝庫だ。そういう場所をひやかしに回るのは私の数少ない趣味の一つと言える。
ある程度の散策が終わり――ありがたいことに休日用に使える洋服も何着か買ってもらった――、休憩がてら立ち寄った喫茶店で、私はルガト様について尋ねてみた。
「ルガト……?ああ、あいつはいいやつだよ。あいつはね」
「引っかかる言い方をしますね。何かご存知なんですか?」
含みを持たせた言葉に、私は身を乗り出した。
テストの出題範囲を調べる。
売れ筋の商品の販売層を調べる。
旅の間に遭遇しやすい魔物の弱点を調べる。
どんな事でも、どんな時でも情報収集は欠かしてはならない。
たった一つの情報が不足していたせいで、何か取り返しのつかないミスをすることだってあるのだから。
「もしかして……気付いてないの?」
「え?」
形の整った眉を「ハ」の字に曲げるカーミラさん。
私は言っている意味が分からず首を傾げた。
「……ちょっと違うことを質問するけど、今まで自分が始末したヒトのコトを覚えてる?」
「いいえ。よほど印象に残らない限り、寝て起きたら忘れます」
笑ってしまうような断末魔を上げたりとか、突拍子もない命乞いをするとか、記憶に残るようなことをされない限りはすぐに忘れてしまう。
真顔でそう答えると、カーミラさんは苦笑いした。
「完全に暗殺者の言だねー。私の抱えてる案件、いくつかお願いしちゃおうかな」
「いいですよ。イワンの護衛に支障のない範囲でしたら」
「あはは。どうしようもなく首が回らなくなったらお願いするね」
カーミラさんは半分冗談っぽく言っているが、私は至って真面目だ。
彼女が王となってこの国を総べてくれれば、イワンの周辺状況もぐっと良くなる。
そのための仕事を頼みたいと言うのなら、私はいつだって全力を尽くす所存だ。
「キミにとって彼女は印象に残らなかった?私はすっっっっごく苦手だったんだけどなー」
「……あの、さっきから誰の話をしているんです?」
未だに訳のわかっていない私に対して、カーミラさんは、はぁ、とため息をついた。
「キミが殺した『血濡れの女王』の名前、覚えてたら言ってみて」
『血濡れの女王』――ああ、あいつはしっかり記憶に刻まれている。
人生で五指に入る激闘の相手だったからな。フルネームで言える。
「ちゃんと覚えてますよ。ヴェターラ・ストリゴイ・ヴリコラカス……あれ?」
同姓……?つまり、あの二人は……。
「きょう……だい……?」
「気付くのが遅いよ。ルガトはヴェターラの腹違いの弟。そしてヴリコラカス家は現王の側近中の側近。純血派の中心に位置する大貴族だよ」
「ちょっと待ってください。ということは……?」
「端的に言うと――親和派の最大の敵だね」
ということは……あれほど品行方正そうなルガト様も、実はヴァンパイア以外を見下している、ということ……なのか?
だったら、アリシアに嫌われていると言っていた時の、あの寂しそうな顔は何だったのだろうか?
「ああ、勘違いしないでね。ルガト自身は親和派だから」
ルガト様本人は親和派寄りの考えを持っているが、家柄が家柄なだけに体裁を気にして公の場では自分の考えを口に出すことができないようだ。
「そういう考え方は個人の自由じゃないんですか?」
「ヴリコラカス家ほどの大貴族だと、それじゃ他の純血派に示しがつかなくなるからね。ルガト自身もそれをよく分かっている。それに――『不名誉な名』を付けられるかもしれないっていう恐怖もあるだろうし」
「不名誉な、名?」
カーミラさんはコップの淵についた水分を指先に含ませ、小さく呟きながらテーブルの上にその文字を書いた。
テーブルには掠れた文字で『イル』と書かれていた。
前世も含めて全く未知の言葉に、私は再び首を傾げた。
「ヴァンパイア種族っていうのはね、家柄とか格式とかをとーっても重んじるんだよ」
私は全然気にしないけどね、と、彼女は付け加えながら続ける。
「で、一族の名を貶めるような行為をした者は追放されるんだけど、その時に『穢れたもの』としてこの名を付け足されるの」
罪人の肩に刺青を彫ってその者の罪を周知する、というならわしのある村が王国の外にあったが、それのヴァンパイア版ということか。
「なるほど。ルガト様の場合、仮に家を追放されたらイル=ルガト・ストリゴイ・ヴリコラカスになる、ということですね?」
「――……それ、本人の前で絶対に言わないでね。殺されても文句言えないよ?」
カーミラさん自身が「ここは純血派がいない安全な場所だから」と指定して入った喫茶店なのに、周囲を伺い、先ほどよりも小声で囁く。
「とにかく。そういう事情もあるから、ルガトは家の中では純血派のフリをしているんだよ」
『イル』にどういう意味が含まれるのか。
私は人間種族だから理解できないが、ヴァンパイア種族にとっては何か忌避すべきものがあるんだろう。
カーミラさんも自分の口からは言おうとしないし、私が言った時に少しピクリと肩が反応していた。
「次の休日、アリシアからお茶会に招待されているんですけど……何もしない方がいいですか?」
私のせいで二人の立場が悪くなったら恩を仇で返すことになってしまう。
それだけは絶対に避けなければ。
「あの子の家族が居るところで仲を取り持つような行動をしなければ大丈夫だよ」
「分かりました。いろいろと相談に乗っていただいてありがとうございます」
◆ ◆ ◆
あっという間に休日になり、お茶会の日がやって来た。
貴族街の最奥部、王城に限りなく近い場所にヴリコラカス邸はあった。
詳細な大きさは分からないが、たぶん学園とほぼ同一の敷地面積を誇っているんではないだろうか。
ウンm級の巨人でも侵入できないようなでかい塀に四方を囲まれ、外から中の様子は全く見えず、入ることもできない。
唯一、大通りの方に面している箇所に一つだけ門があり、中に入るにはそこで検問を受ける必要がある。
いかつい顔の門番に圧倒されつつ、事前にルガト様から貰った紹介状を渡し、要件を告げ、簡単な身体検査を受け、門の脇に設置された詰め所で三十分以上待ち、入館証明なるものを渡され、ようやく中に入ることができた。
警備厳重すぎ。
ヴリコラカス家、と一言で言ってもその人数は多い。とてもではないが、一つの家に住むことはできない。
そこで考え出されたのが、今の形態だ。
巨大な堀の中にいくつも家を建て、一族で分けて住み合う。
堀の中の家すべてが、同じ苗字の村と考えてもらえればいい。
彼らはこの圧倒的な人数で以ってヴァンパイア王国の権力の中枢に食い込んでいる。
王位継承権の上位は継承者狩りの効果も相まって、ここ数年でほとんどがヴリコラカス家の者という状況になってきていた。
私がもしヴェターラを殺していなかったら、親和派は純血派の包囲網に完全に囲まれ――王位継承は始まる前に純血派の勝利で終わっていた。
私はヴェターラを殺すことで、母と、カーミラさんの二人を同時に救ったことになる(カーミラさんに関してはヴェターラ殺しの容疑がかけられてしまっているので、救ったという表現は適切ではないが)
……これも、転生者が引き起こす『運命の歪み』というやつなんだろうか。
まあ、今回に関しては良い方向に持っていけたので良しとしよう。
できれば今後もプラスの方面に歪んでいってほしいものだ、なんて祈りながら。
その後、私は思い知ることになる。
これがいわゆる『フラグ』でしかなかったことを。
◆ ◆ ◆
「こちらで御座います」
門番に連れられ、歩くこと数分。
入口にほど近い場所に、ルガト様の屋敷はあった。
他の屋敷より若干こじんまりしているのは「大きすぎる家は落ち着かない」というルガト様本人の希望を聞いた結果によるものらしい。
「ヴリコラカス家の敷地内では入場証明を決して外さないようにお願い致します。もし外された場合――命の保証は致しかねます」
「分かりました。ありがとうございます」
「では――私はこれにて」
案内役のヒトにおっかないことを言われながら、私はルガト様の屋敷の扉を叩いた。
できればイワンも誘いたかったのだが、彼を招いてしまうと「ルガトとカーミラの弟が密会している」なんて風に思われてしまいそうだったので、今回は行ってくるという報告だけに留めた。
ちなみに私はイワンの専属使用人としてではなく、あくまでアリシアの友人という立場で招待されたのでセーフなのだそうだ(カーミラさん談)
しばらくしてから、ドタドタと言う音が聞こえて、勢いよく扉が開いた。
「アリシアか!?」
「え?」
「あ……君、か」
出てきたのは使用人のアリシアではなく、ルガト様だった。
これからお茶会をするというのに外出用のコートを着ていて、まるでこれからどこかに出かけようか、という装いだった。
以前に会った時のような大人の余裕は全く無く、言いようのない焦りが表情にありありと浮かんでいた。
一見しただけで『何かあった』と察するには十分だった。
「どうかされたんですか?」
「……アリシアが、買い物に出掛けたきりで戻って来ないんだ」
「……詳しく聞かせてもらえますか?」
◆ ◆ ◆
居なくなる直前アリシアの行動をかいつまんで話すと、こうだ。
朝、いつものようにルガト様を起こし、朝食を食べる。
ルガト様は食後に紅茶を飲むというのが日課になっていたのだが、今日に限って運悪く茶葉を切らしていた。
まさに紅茶を飲む直前でそれに気付いたアリシアは顔面蒼白になりながら「在庫の管理を失念しておりました」と何度も頭を下げ、急いで茶葉を買いに出て行った。
――それがルガト様が最後に見たアリシアの姿だ。
いつも茶葉を買いに行く店は往復で三十分ほどの距離だ。
ルガト様の話通りであれば、買い物に出てから既に三時間以上経っている。
主人を待たせているのに寄り道するとは考えにくいし、仮にしていたとしても遅すぎる。
……何らかの事件に巻き込まれた可能性が高い。
「僕はこれから彼女の向かった紅茶屋に向かうつもりだ」
「でしたら、私も同行させてください」
「君はここで待っていてくれ。アリシアとすれ違いになるかもしれないし、もしかしたら何か危険があるかもしれない」
私は懐からペンと紙を取り出した。
もしもアリシアが帰って来た場合はここで待つようにとメモをして、入り口から一番目立つ場所に置いておく。
「これで入れ違いになっても大丈夫です。さあ、行きましょう」
「駄目だ。君の身に何かあったらイワン君になんと申し開きすればいいんだ」
「大丈夫です。自分の身は自分で守れますから」
「君……!」
なおも押しとどめようとするルガト様。
……こういう時、自分の容姿が嫌になる。
いくら大丈夫だと言っても、相手は信用してくれないから。
……彼を言いくるめるための言葉がいくつも浮かぶが、あえて多くは語らずにシンプルなものを選んだ。
ルガト様の紅い瞳を真っ直ぐに見つめる。
「お願いですから行かせてください。アリシアは私の大切な友人なんです」
「……っ」
ルガト様は瞳を閉じ――私を連れて行くか否か、迷っているように感じた――やや時間を経てから「わかった」と頷いてくれた。
「何かあればすぐに逃げ出すように。反論は許さないよ」
「分かりました」
アリシア……何事も無く、無事でいてくれればいいんだが……。
NG集
『学園では』
どうやらアリシアは、ルガト様との関係が上手くいっていないらしい。
学園では傍若無人でオラオラな先輩メイドだが、ルガト様の前では緊張でガチガチになっているらしい。
『不名誉な名』
カーミラさんはコップの淵についた水分を指先に含ませ、小さく呟きながらテーブルの上にその文字を書いた。
テーブルには掠れた文字で『あんぽんたん』と書かれていた。
「一族の名を貶めるような行為をした者は追放されるんだけど、その時に『穢れたもの』としてこの名を付け足されるの」
「なるほど。ルガト様の場合、仮に家を追放されたらあんぽんたん=ルガト・ストリゴイ・ヴリコラカスになる、ということですね?」
「――……それ、本人の前で絶対に言わないでね。グーパンされても文句言えないよ?」
『判別』
ルガト様の屋敷のドアを叩くと、ドタドタと言う音が聞こえて、勢いよく扉が開いた。
「アリシアか!?」
「え?」
「あ……」
ルガト様と目線が合う。
彼はそのまま視線を下げ――顔より下の、女性らしさが出る部分を見た。
「……なんだ、君か」
「オイどこ見て判別してんだ」




