第四十五話「屋上の待ち人」
いつも通りの朝を迎え。
「おいイワン、起きろ」
いつも通りの訓練をこなし。
「ほい、タオル」
いつも通り朝食を摂る。
「いただきます」
ただ、ここから先はいつも通りではない。
「じゃあ行くぞエミリア」
「おう」
今までいってらっしゃいと見送っていたイワンと一緒に寮を出る。
そう。
今日から私も、彼と共に登校するのだ。
◆ ◆ ◆
私の頭の中にある異世界の知識によると『子供は一定の年齢までは学校に通わなければならない』という法が存在していた。
子供=労働力という考えが一般的なこの世界からすれば夢のような話だ。
決められた時間の中で、ありとあらゆる分野の学問を安い金額で修めることができるのだから。
……ただ、学校に行くことが当たり前になりすぎて、勉学に励む機会を享受する幸せを知らない子供たちが多かったように思う。文明が進み過ぎた故の弊害だろう。
もし、私に次があるのなら。
ちゃんと記憶をゼロに戻して、前世レベルの時代に生まれ変わったら、やはり学校のことを「ダルい」だの「めんどくせー」だのと言ってサボってしまうのだろうか。
そうはなりたくない。
ヒトは学ぶことを放棄した瞬間、緩やかに死んでいくのだから。
◆ ◆ ◆
学校に行くとはいえ、当たり前だがイワンと同じ授業を受けられるわけではない。
あくまで主人のサポートの一環として学園に足を踏み入れることを許されるだけだ。
サポートと言っても、授業の合間にしか会えないので、主人に対してできることはかなり限られている。
せいぜい次の授業に必要なものを用意しておくとか、昼休みに茶を出したりする程度だ。
なので、どちらかと言うと学園内の雑務手伝いがメインの仕事と言えた。
一言に手伝いと言っても、やることはその日によって変わるらしい。
校内清掃をしたり、書類整理をしたり、果ては壊れそうな扉の立て付けを直したりもさせられるとか。
将来、主がどのような事態に陥っても問題解決ができるようにと、様々なシチュエーションでの仕事を用意している、というのが学園の弁だが……。
どう考えても便利屋扱いなのでは、とは思わなくもない。
私が学園に入ったきっかけは『ちゃんとした学校に通う気分を味わいたい』だったが、今は『イワンを純血派から護る』という大義名分がある。
しかしここまで別行動ばかりだと、来た意味が無いのでは?と思わずにはいられない。
愚痴を言っても仕方がない。
とりあえずは仕事に励むとしよう。
「それじゃあ、また休み時間に」
「ああ」
手を振って見送り、私は使用人たちが集められる雑務塔へと足を運んだ。
◆ ◆ ◆
雑務塔には既に使用人たちが集まっていた。
使用人=メイドのようなイメージがあるが、執事も何人か混じっている。
メイドも執事も、ぱっと見た感じ全員が見目麗しい。
ヴァンパイア種族の元に派遣されるほどの使用人となれば、仕事だけでなく容姿も選りすぐったエリートたちなんだろう。
そんな美男美女の中に私のような一般人が居ると、正直、かなり浮いてしまう。
控えめに向けられる好奇の目線を掻い潜り、私は見知った顔の少女の元へと駆け寄った。
「アリシア」
「エミリア。来たんだね」
アリシアは柔和な笑みを浮かべて手を振ってくれた。
最初に彼女を見た時は露出が多いメイドさんだと思っていたが、どうやらそれは私の間違いだったようだ。
私のような女性らしさを感じさせないメイド服は廃れ、アリシアのような露出メイド服の方が主流になっている。
現に他のメイドも、全員がそこそこ肌を露出させている。むしろアリシアのものが一番控えめとすら言えるくらいだ。
扇情的な服装で主人を『すっきり』させる。良いか悪いかは置いておいて、『癒す』ための手段としてはなかなか合理的なのかもしれない。
私がもっと女らしかったら、イワンのためにそういうコトも習おうという気になるのだが……私は自分の体をちらりと見下ろして溜息を吐いた。
「どうしたの?溜息なんかついて」
「……」
私とは比べ物にならない大きなモノを実らせているアリシアを一瞥して、私はさらに深く嘆息した。
◆ ◆ ◆
記念すべき第一回目に与えられた仕事は運動塔の屋上掃除だった。
教師の粋な計らいか、はては偶然の産物か、相棒に選ばれたのはアリシアだ。
「屋上掃除は難しい部分は無いけど、範囲が広いから手分けしてやろう」
「分かった。じゃあ私はあっちから行こう」
屋上の両端からそれぞれ中央に向かって掃除を進めていく、という風に段取りを決めてから、私は屋上の端まで歩を進めた。
「……くぅ」
そこには、先客が居た。
仰向けに寝転び、両手で頭を支え、足を組んで完全に昼寝のスタイルで朝から眠りこけている少年。年齢は私と同じくらいで、目を瞑っているせいで瞳の色は分からないがヴァンパイア種族だろう。
イワンと全く同じ制服に身を包んでいるのだから、人間種族であるはずがない。
主人補正のせいか、失礼ながらイワンには劣る容姿だったが、やはり美少年だ。
……ヴァンパイア種族には美男美女しか生まれないのだろうか?という疑問が生まれてくるほどに彼らの容姿はみな整っている。
忌々しいが、あのクドラクも容姿だけ見ればその筋が好みそうなダンディなおじさんだったからな。
「……」
昼寝にはまだまだ早い時間帯だが、すやすやと寝息を立てている生徒らしき人物を眺め、さてどうしたものかと腕を組む。
掃除の邪魔になるので起こすか、掃除が邪魔にならないように避けて行うか。
しかしここの生徒ということはもう授業時間になっている。
朝早く登校して、まだ時間が余っていたので仮眠を取っていたらついつい眠り過ぎてしまった……のかもしれない。
数分ほど彼を観察した後、声をかけてみることにした。
「あの」
「……くぅ」
「あのー。授業始まってますよー」
「くぅ」
少し強めに揺すってみたが起きる気配は無い。
「……仕方ない、いつものアレをやるか」
私は手を口の両端に当てた。さながらお手製の拡声器だ。
それを彼の耳の傍まで持ってきて、ぽそりとつぶやく。
「寝ているヒトを起こすには――やっぱり大声が一番だな。すうううぅぅぅぅ」
息を深く、深く吸い込み、貯め込んだ息を声量に変えて大音量で――
「おいおいおいおい?!話が違うじゃねーか!耳元で優しく囁くんじゃなかったのか!?」
叫ぶ直前になり、彼が飛び上がった。はずみで腰の辺りに留めていた木刀が床に当たり、カラン、と乾いた音を立てる。
私が近くでごちゃごちゃやっていたから目が覚めた――という訳ではなく、元から彼は寝てなどいなかった。いわゆる狸寝入りというやつだ。
数分ほど観察する時間さえあれば、狸寝入りは簡単に見抜くことができる。
「生憎ですが、イワン様以外に囁き声での起床介助は行っておりません」
あいつは普通の方法では起きないからな。
「なるほど。あんたにとってもイワンは特別という訳か」
「? それが普通なのではないでしょうか」
私にとってイワンは自分の存在を繋ぎ止めるための楔だ。そこいらの使用人よりも情を注いでいるという自覚はある。
しかし程度の差はあれど、自分の主人を特別扱いしない使用人など居るはずがない。
それが当たり前だと思っていたのだが、違うのだろうか?
首を傾げる私に、名前も知らない生徒は何故か嬉しそうに頷いた。
「そーかそーか。種族の壁は厚いけど、俺はあんたらを応援するぜ。がんばれよ」
「? はぁ」
何か……会話に大きな食い違いが発生しているような気がするが、それが何かを探る前に別の質問を投げかけられた。
「なあ。なんで俺が起きてるって分かったんだ?」
「喉です」
「……喉?」
「ヒトは眠ると唾液がほとんど出なくなります。唾液の量は身体が自動的に調整しているので、自分の意志では制御できません。つまり、しばらく眺めていて唾をのみ込む動作を複数回行ったら狸寝入りの可能性が高い、ということです」
唾を複数回のみ込む=唾液の量が起きている時と同じに調節されている=寝ていない、という構図だ。
昔、ワシリーの夜襲を回避すべく狸寝入り作戦を行ったことがあった。
しかしそれを見抜かれ、逆にフルボッコにされた。
その時の経験が活きた。
「失礼ですが、こちらの生徒の方ですよね?」
「おう。俺はウト。ウト・ルゲイエ・ワイルドハント。よろしく」
聞いてもいない名前を名乗り、少年――ウトは私の手をぎゅっと握ってきた。
「ウト様。どうして私の――」
「様なんかいらねーよ。気軽に呼んでくれ。あとそのわざとらしい敬語もいらねえから」
「……じゃあ、遠慮なく言わせてもらう。ウト、お前は何者だ。どうして私がイワンを起こす時の方法を知っている?なぜわざわざ狸寝入りまでして私の出方を伺った?」
彼がここに居たのは偶然ではない。
何か用があって、私をここで待っていた。
断言はできないが、そう思った方がいろいろと辻褄が合う。
カーミラさんは心配ないとは言っていたが、彼が純血派のヴァンパイアで、イワンを狙って私に接触を試みている……と考えられなくもない。
まあ単に友達、という可能性の方が高いだろうが。
念のため魅了術に対して警戒すべく、微妙に視線を逸らしながら会話を続ける。
「そんなに警戒しないでくれ。俺とイワンは道場時代からの同期で、あんたの事はイワンから常々聞かされていたんだ」
予想は良い方に的中していた。
ちなみに道場、というのはイワンがこの学園に来る前に通っていた剣術学校のことだ。とてつもなく厳しいところだったそうだが、イワンはそこでも一番の成績を取っていたとか。
友達のメイドが初めて学校に来たから、ちょっと顔を見てみたいな、ということだろうか。
わざわざこんな時間でなくとも、そして狸寝入りなどしなくても、いくらでも機会はあっただろうに。
疑問点はいろいろあったが、とりあえずの礼儀として、挨拶の定型文を口に出す。
「そうか。いつもイワンが世話に――」
頭を下げる私の頬に、木刀の切っ先が添えられた。
殺気は感じられないが、僅かに彼から発せられる威圧感が増した。
「……何のつもりだ?私は友人の使用人だぞ?」
「昔から、イワンがしつこいくらいに言うんだよ。あんたはとんでもない実力の持ち主だってな」
私の質問に答えず、ウトは昔を思い出すように虚空に視線を向けた。
「ガキの頃だったから、思い出が美化されてんだと思ってはじめは気にしちゃいなかったよ」
確かに、イワンとよく組み手とかをやっていたのは十歳になるより前の頃だ。
種族としての力の差はあったが、まだそこまでではなかったから、彼の言う通り『美化された思い出』だろう。
「つい先日から、イワンは今以上に剣術に打ち込むようになった。今でも上級生の何人かとしかまともに試合にならねーくらい強いやつがさらに練習のメニューを増やしたんだ。何かあったのかって聞いたら、あんたが戻って来てくれたっていう話になったんだ」
練習のメニューを増やした、というのは初耳だった。
イワンの帰宅時間は日が暮れる直前くらいで、放課後はずっと剣術の修行に明け暮れていると言っていた。
今までずっとそういう学園生活を送っていたとばかり思っていたのだが――違ったのか?
「それと剣術に打ち込むのと何の関係があるんだって聞いたら――『今のままじゃエミリアを守ることなんてできやしない』って言って、それっきり何も答えちゃくれねえ」
――イワンが、私を守る?
どこの誰から?
というか、なんで?
疑問符が頭の中を埋め尽くす私の胸中などおかまいなしに、ウトは剣を握り凶暴な笑みを浮かべた。
「あのイワンにそこまで言わしめるほどの人間種族。興味が沸かない訳ないだろ?一度手合わせしてくれよ」
「待て待て!イワンからどういう風に聞いたかは知らないが、私は女で人間種族。お前は男でヴァンパイア種族だ。それだけでもう結果は明らかだろ?」
「…………」
ウトはしばらく逡巡するように私の目を見つめてから、木刀から力を抜いた。
「それもそーだな」
「分かってもらえて何より――」
次の瞬間。
一度下げたはずの木刀が、再び私の眼前にまで迫っていた。
しかも先程とは違い、明らかに振り抜くことを想定した力加減で。
軌道は私の首元。スピードから考えると、当たればまず無事で済まない。
それらを考え終える前に、身体が自然と動いていた。
地面に這いつくばるようにしゃがみ、木刀をやり過ごす。
ウトの方を見やると、振り抜いた際にシャツがめくれて無防備な脇腹が見えた。
骨と骨の間の肉に指を差し込んで動けなくしてやろうか――いやいや、イワンの友達にそんな乱暴はできない――と悩んでいると、ウトが木刀を両手に持ち替え、大上段で構えた。
木刀の狙う先は、私の脳天――
「ふっ――」
身体を回転させながら、思いっきり後ろに飛ぶ。
巨大な金槌で打ち付けたかのように、私が今までいた場所が大きな音を立ててへこんだ。
……おい、どうして木刀で煉瓦作りの建物が壊れるんだ。
「なーにが『私は単なる使用人』だ。タダの使用人がそんな暗殺者みたいな動きをするワケないだろ」
不意打ちを避けられたにも関わらず、ウトは嬉しそうに笑った。
「しかも完全に俺の動きが視えてたな。反撃の手口を考える余裕すらあった」
「……」
「状況証拠は揃った。もはや問答無用だ。無理矢理にでも手合わせしてもらうぜ」
どうしてこうなった。
私はただ、掃除をしに来ただけなのに。
嘆いてばかりもいられず、私は半身を横にずらした。
「全く乗り気じゃないが……降りかかる火の粉は払わせてもらうぞ」
NG集
『先輩後輩』
記念すべき第一回目に与えられた仕事は運動塔の屋上掃除だった。
教師の粋な計らいか、はては偶然の産物か、相棒に選ばれたのはアリシアだ。
「屋上掃除は難しい部分は無いけど、範囲が広いから8:2で手分けしてやろう。私は先輩だから2だけ掃除するから、あとの8はお願いね」
「……」
雑務仕事は、体育会系だった。
『状況証拠』
「状況証拠は揃った。もはや問答無用だ。無理矢理にでも手合わせしてもらうぜ」
「待て。落ち着いて今の状況を整理して考えてみろ」
私=女。無理やり襲われる側。
ウト=男。無理やり襲う側。
「字面だけ見たらもう犯罪の臭いがやばいだろ?状況証拠が揃ってるのは私じゃなくてお前なんだよ!」
「負けました」




