第四十一話「討伐訓練2」
森の中は奥へ進むほど鬱蒼と茂り、ただでさえ傾きかけていた日の光をほとんど遮断してしまうほどになっていた。
「くそっ……やっぱり動きやすい服で来るべきだったか」
今の私の格好はいつものメイド服に獣の皮をなめした上着を羽織っているだけという、旅人からすれば『てめーナメてんのか』と叱られるレベルの服装だ。
一応、護身用のナイフは持ってはいるが、ほぼ装備なしに近い。
アリシアがいつもの服装で行くと言っていたので、それに合わせた結果がこれだ。
間違っても森の中を散策するような恰好ではない。木の枝に何度も引っかかり、その度にフラストレーションが溜まった。
ラノベみたく、どんな場所でも徹頭徹尾メイド服を着こなすというのは無理だ。やはりTPOを弁えて服装をその都度変えていかないと。
引き返したい、という気持ちと、ここまで来たんだから一目くらい見て行こう、という気持ちの狭間で揺れながら、ようやく戦闘の気配がする場所に辿り着く。
幸い、隠れる場所は多い。気配さえ消せば見つかることはないだろう。
こっそりと、木々の隙間から向こう側を覗き込む。
二人のヴァンパイアと、数匹の魔物が相対していた。
ヴァンパイアのうち一人は見知った顔だった。
「……ブルクサ」
あろうことか私の前でイワンを侮辱した大馬鹿野郎だ。
戦いはブルクサともう一人のヴァンパイアが優勢で、既に戦いは終わりを迎えようとしていた。
「はっ――こんな簡単な作業で単位が貰えるとは、下等集は楽でいいよなぁッ!」
「全くです」
ブルクサは相棒と軽口を交わしながら、私の身長より長い剣を悠々と操り次々に魔物を屠っていく。
さすがは成績上位者と言うべきか、なかなか堂に入った剣さばきだ。
「……ん?」
ふと違和感を覚えて、私は首を傾げた。
成績上位者なのに、なんで討伐訓練に参加してるんだ?
あらかた魔物を片づけたブルクサは、最後に残った狼型の魔物にトドメを刺さず――足で首根っこを抑えつけた。
もはや虫の息の魔物に、一体何の用があるんだろうか。
「こいつならいけそうだな」
ブルクサは懐から黒い小瓶を取り出し、それを魔物の口に放り込んだ。
「ブルクサさん、それは何です?」
「魔力活性剤」
その薬の名前は、以前聞いたことがある。
一時的に魔力の収集速度を速めることができるが、副作用が激しく実用化には至らなかった代物だ。
――魔力活性剤には、もう一つ使い方がある。
魔物に投与することで人工的に魔獣を生み出すことができる。
昔、私を殺そうとした盗賊団に実際に使われたことがある。
魔獣になれる確率は一定だが、ある程度魔物の良し悪しを目利きできれば――その確率は飛躍的に上昇する。
……魔獣なんか作って、どうしようというのか。
私はもう少し、二人の様子を探ることにした。
薬品を投与され喚く魔物をヘンテコな模様が描かれた袋の中に詰め込み、ブルクサは相棒に話しかけた。
「よし。イワンの居場所はどこだ?」
――あ?
「二班の南側――こっちですね。走って十分ほどです」
「よし。目的地に着いたら封魔布を解いてこいつを魔獣化させ、イワンを食い殺させる」
――おい。
――おいおいおいおい。
――忠告、したよな?私。
「見てろよ。目にモノ見せてやるぜ」
――“次は無い”って、確かに言ったよな?
「七光りが」
数か月ぶりに、私の頭の中は一つの感情に染まった。
血よりも赤い感情――殺意だ。
私は手元にあった小枝を拾い、狙いを定めた。
「……発射」
軽く投げたような動作とは裏腹に、魔力を存分に乗せた小枝は目にも止まらぬスピードでブルクサが抱えていた布を大きく切り裂いた。
「うおっ!?」
ボトリ、と落ちてきた狼の魔物。
どうやらあの布は魔力活性剤の効果を遅らせるモノだったらしく、布から出て来た瞬間に急速に“成長”を始めた。
もとは風属性の魔物だったようだ。竜巻でも起きるのでは、と身構えてしまうほどに暴風が荒れ狂う。
「何だ?!何が起きた!」
「分かりません!」
「ち――仕方ねえ、作戦失敗だ!逃げるぞ!」
もちろん逃がすつもりなどない。
しかし、魔獣が邪魔だ。
「『土玉』」
物体操作の魔法で土を圧縮して硬度を上げ、小枝と同じ要領で発射する。
ただし、重ね掛けした魔法の数は先ほどの比ではない。
圧倒的な推進力を得た土玉は突風をいとも簡単に切り裂き、魔獣になりかけていた狼の頭と胴体を大きく抉り取った。
ぼとり、とその場にくずおれる魔物の成れの果て。
「い―― 一体何が……」
ブルクサの相棒が足を震わせ、その場に腰を抜かす。
――こいつも邪魔だ。
「『落とし穴』」
とんとん、と指先で地面を軽く叩くと、ブルクサの相棒の足元に大きな穴が出来上がる。
突然足元が無くなり、成す術もなく落ちたところを――手を、ぱん、と合わせる。
ぐげぎゃ、と、擬音にしにくい音を立てて相棒は潰れた。
残りはブルクサ一人。
「くそ……誰だ!?俺たちをヴァンパイア種族と知っての狼藉か!」
ブルクサはようやく――ようやく、襲撃者の存在を悟ったようで、今さら周辺の気配を探り始めた。
遅すぎる。
前々から思っていたが――ヴァンパイア種族は平和ボケしすぎているきらいがある。“自分たちは食物連鎖の頂点だから、襲われるはずがない”という根拠のない自信を持つ輩が多すぎる。
私は気配を消すのを止め、堂々とブルクサの前に姿を現した。
「――っ、おまえ、は……」
「よう。奇遇だな」
わざとらしく手を上げる。
ブルクサは今の攻撃が私の仕業とは思っていないらしく、周辺の警戒を一層強めた。
……まあ、今のメイド服姿の私を見たら、誰でも陽動だと勘違いするな。
「言葉に気を付けろよ人間ごときが。主人に躾されてねえのか?」
「あいにくだが、私は敬う相手を種族で決めたことはない」
「調子に乗るなよ家畜が!てめーをダルマにして、周りでコソコソ隠れてる奴をおびき出すエサにしてやるよ!」
バカが。
もう、勝負は終わってるんだよ。
『使用する』――そう心で念じた瞬間、パリン、と薄氷が砕けるような音がして風が舞った。
私は自分の白い髪が視界の端で踊るのを見ながら、同じく白い瞳でブルクサの瞳を真っ直ぐ見やった。
ブルクサは信じられないようなものを見る目で、こちらを指さしていた。
言葉を発したのは、ふたり同時だった。
「――おい、なんだその髪の色は……!?」
「『お前は私に逆らえない』」
――――――――。
見た目には何も起っていない。
だが――この勝負 私の勝ちだ。
「……は、はは。どこで情報を仕入れたのかは知らんが、存在もあやふやな『ヴァンパイア殺し』の格好をして魅了術の真似事か?そんなことで俺が怖気づくとでも思っているのか?」
ヴァンパイア殺し?
聞き慣れない単語が出てきたが、あえてスルーする。
とりあえずは――おしおきタイムだ。
私はわざと誘うように両手を広げた。
「――おい、何のつもりだ」
「お前は絶対に、私に危害を加えられない」
「あ?」
「言葉通りだ。嘘だと思うならやってみろ」
「ふざけやがって……!だったら望み通り、頭と胴体を真っ二つにしてやるぜぇぇぇッ!!」
渾身の力で真横に放たれた斬撃は、しかし振り切られることはなかった。
私の首筋の横一センチのところで、ピタリと止まっている。
「え……、あ?」
ブルクサは信じられないような目つきで、私と自分の手を交互に見やっている。
「な……何かの間違いだ!」
続けて一閃、二閃と剣を振り回す。
袈裟斬り、大上段斬り、突き……そのどれもが、私の身に届くことはない。
「何故……」
剣を捨て、素手で殴りかかってくる。
しかし結果は同じ。蹴ろうが殴ろうが、それが私に対しての攻撃である限り、届かない。
「何故だぁぁぁぁ!!」
『私に危害を加えられない』
そう、命じたから。
以前話をした通り、ワシリーと死別した後、私は各国を回って戦い続けた。
その中で、魅了術を使っていくつもの実験を行った。
どういう言葉を使うとどういう効果が、どの範囲で、どれくらい続くのか。修行の中でできなかった実験を何度も繰り返した。
幸いにも、紛争地帯で魅了術を掛ける実験体の確保には困らなかった。
ヴァンパイア種族には遠く及ばないだろうが、おそらくその次くらいには魅了術に詳しいという自負はある。
魅了術による命令には、副次効果がある。
今ブルクサに掛けた魅了術は『私に逆らえない』だが、以降、私がブルクサに発する言葉は全てこの『私に逆らえない』という一文に引っかかる。
つまり――私がどういう命令を出そうと、彼は従うしかできないのだ。
『○○しろ』という魅了術だと該当する命令一つで効果が終わるが、さっきのような言い回しで言うとある程度、効果の範囲を広げることができる。
喚き散らしながら虚しく拳を振るうブルクサに、私は口を開く。
「お前らが作った教科書によると『人間は魔法を使うべき種族ではない』だったか?生憎だったな。人間でもちゃんと訓練すればお前らと同程度の魔法くらい使えるんだよ。魅了術だってそうだ。お前らの専売特許じゃない」
他の三大種族――ベルセルク種族とエルフ種族の使う術は理解できなかったが、魅了術はきちんと魔法の理論に沿った術だ。
だから、理論を学んで必要な魔力さえ確保できれば――どの種族でも使える。
もしかしたらだが、ベルセルクとエルフの術も、概念を理解できれば使えるようになるのかもしれない。
「もっとも、私が使う場合は常に掛けている『幻視術』が強制的に解けるのが難点と言えば難点か」
この世界において、私のような白髪白目は忌み子として疎まれている。
何もしないままだと石を投げられたり、村に入れてもらえなかったり――最悪、殺されてしまうこともあるだろう。
そういう余計な揉め事に巻き込まれないための措置として、私は幻視術という魔法を用いて本来の色を誤魔化している。
しかし魅了術と幻視術は同時に使えないらしく、魅了術を使う場合は白髪白目で戦わなければならない。
不便だが、真の力を開放!みたいな感じで内心ちょっとかっこいいと思っていたりする。
「くそ……だったら……!!」
「『魅了術は使うな』」
術や魔法を使う寸前の、独特な“間”を感じ取り、先手を取る。
自分自身に掛けて私の魅了術を上書きするつもりだったんだろう、ブルクサが歯噛みする。
「ぐ、ぐぅぅぅぅぅ!!」
この術の恐ろしいところは、一度相手に掛けてしまえば――言葉にもよるが――かなり長い時間効果が持続するところにある。
制約がかなり多い術だが、特に一対一での戦闘ではとても有利に働く。
「『跪け』」
私の言葉に従い、ブルクサが地面に這いつくばる。こうなれば、もう彼に勝機は無い。
「この間、試験の日に私が言ったことを覚えているか」
「殺してやる……殺してやる……!!」
質問に答えずに物騒なことを呪詛のように繰り返すので、体重を掛けて頭を踏み付ける。
ブルクサの頭が少しだけ地面にめり込んだ。
「忘れてるみたいだからもう一度言ってやる。『次に私の前でイワンを貶めるような発言をするな』だ。当然だが、彼に対する敵対行為も行間に含まれている」
ブルクサは私の足を掴んで退かそうと手を伸ばすが、それも『攻撃』の中に定義されているようで、彼の腕は空しく宙を空振りするだけだった。
「人間ごときがヴァンパイア様の頭を足蹴に……殺してやる!お前の家族全員、お前の目の前でバラバラにして殺してやる……!!」
「生憎だったな。私に家族は居ない」
自分の言葉で、少しだけ胸が痛んだ。
――忘れよう。
「だったら、お前の知り合い全員だ!あの使用人の女も、種族の恥さらしのご主人様も……全員、切り刻んでやる……!!」
「またイワンを侮辱したな」
がす!と音が鳴るくらいに強く頭を踏む。
一度だけではなく、何度も、何度も。
何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も踏み付けると、ブルクサはようやく大人しくなった。
しゃがみ込んで髪の毛を引っ張って顔を上げさせると、ブルクサの瞳に少しだが怯えが混じった。
ヒトを従わせるには、やはり暴力が手っ取り早くていい。
……あくまでそれ以外に手段が無い場合のみであって、推奨をしている訳ではないのであしからず。
「私に家族は居ないが――ありのままの私を知る人物が世界でただ一人だけ存在している。それがイワンだ」
イワンを失えば、今度こそ私は拠り所を失い、壊れてしまう。
だから。
私は自分自身の為に、彼を守る。
「イワンに害を成す奴は――誰であろうと、殺す」
「……え?」
そこでようやく、ブルクサは自分の立場に気付いたようだ。
魅了術を掛けられ、私に絶対服従しなければならない。
周辺に仲間は居ない。
そして――ここでの死は、余程不自然でない限り『事故』として扱われる。
「そ――そんなこと、お前にできる訳が――」
「できないと思うか?私をただのメイドだと思っているのか?」
彼の人差し指をつま先で持ち上げ、そのまま九十度まで指を立てさせる。
人体の構造上、これ以上指は曲がらないようにできている……できているが、無理をすれば曲がらない訳ではない。
私はつま先に体重をゆっくり掛け、さらに角度を付けていく――。
「お、おい、まさか――やめ」
九十度、九十五度――これ以上曲げれば可動範囲を超えて折れる、というところまで来た。
もちろんそこで止まることなどせず、さらに体重を掛ける。
「ヒトの大事なご主人様を散々侮辱してきたんだ――楽に死ねると思うなよ?」
ぎちぎち、と、関節が限界を迎える感触を足の裏で感じながら、私は半月形に唇を歪めた。
「痛い痛いやめろやめろやめてあああああああああああああ!!!」
ぱきょ。
NG集
『遭難』
薬品を投与され喚く魔物をヘンテコな模様が描かれた袋の中に詰め込み、ブルクサは相棒に話しかけた。
「よし。イワンの居場所はどこだ?」
「二班の南側――ですが、僕らが今どこにいるのかわかりません」
「迷った!?」
『ご褒美』
何度も何度も踏み付けると、ブルクサはようやく大人しくなった。
しゃがみ込んで髪の毛を引っ張って顔を上げさせると――ブルクサの表情は、すこぶる笑顔だった。
「もっと強めにお願いします」
「ドM!?」




