第三十六話「ターニングポイント2」
第一部・完
<エミリア視点>
あれから、三ヶ月が過ぎた。
現在、私はワシリーと共に目的地である国外へと旅を続けている。
村を出る直前に「戦い方を教えてやる」と言われたものの、未だ修行らしい修行はしていない。
前世のように安全な旅路はそれほど多くないため、旅は常に一定の危険が付きまとう。
実際、ここに至るまで何度も魔物に襲われたし、治安が良いとはいえ盗賊の数もゼロではない。
修行しながら進んだせいで行程が遅れてしまったり、そのせいで面倒ごとに巻き込まれでもしたら本末転倒だ。
なので、本格的な修行は目的地に着いてからみっちりやる、とのことだ。
今は何もせずに日の出から日没まで歩き通す毎日を繰り返している。
……とはいえ、ただ無為に日々を過ごしている訳ではない。
方角の確認や地図の見方、寝床の選定基準、食料の調達などなど、キシローバ村から出たことの無い私からするとワシリーの動きから学べることは多い。
見て、真似て、やってみて、覚える。
学習の基本だ。
◆ ◆ ◆
ひたすら足を動かし続けた甲斐あってか、私たちは間もなくヴァンパイア王国西側の国境線、というところにまで辿り着いていた。
普通だと五ヶ月以上は掛かる距離らしいので、それと比較するとかなりのハイペースで来たことになる。
旅自体が初めてなので、強行軍をしたような感じはしなかったが。
「この先に村がある。そこで宿を取るぞ」
「分かった」
数時間ぶりに口を開いたワシリーの言葉に相槌を打つ。
「念のために“幻視術”を掛け直しておけ」
「ああ」
――旅をはじめた日にひとつだけ、彼から教えてもらった技がある。
それは私がキシローバ村の外で生きていく上で絶対に覚えておかなければならないものだった。
それが“幻視術”――読んで字の如く、幻覚を見せて相手を攪乱する術だ。
……と言っても、周りの景色をまるごと書き換えるとか、覚めることのない無限ループに叩き込むような高度な幻覚を見せることはできない。せいぜい自分の色を誤認させる程度が限界で、魔法の研究が進んだ今となっては時代遅れのものとされている。
およそ術――魔法を昇華させたもの――とは言い難いほど簡単だが、編み出された当時はとてつもなく画期的だったらしい。
そして初代ヴァンパイア王はこの幻視術をヒントに魅了術を完成させ、いち種族に過ぎなかったヴァンパイアをヒト科動物最強の一角にまで押し上げたそうだ。
私は自分の頭に手を乗せ、撫でるように下に滑らせた。
……断っておくが、中二病のポーズとかではない。
これが私流の“幻視術”の掛け方なのだ。
「完了だ」
「よし」
この世界において、種族の見分け方は初見判別――髪と、目の色による種族判定――しかない。それが浸透しているが故に、初対面だとまず最初に見られる部分でもある。
そんな中、白い髪と瞳はどう考えても目立ちすぎてしまう。
なにせ、人口が最も多い王都で何十年も暮らしていたテレサ師匠ですら、白化したヒトとは出会ったことがないと言っていたほどなのだから。
キシローバ村では私のことを誰も気にしなかったし、私もそれほど意識はしなかった。
しかし、外の世界はまた話が別だ。
私のような者を『悪魔の子』として迫害する地域があるというが、そうでなくとも好奇の目を向けられるのは必至だ。
悪意のあるなしに関係なく、目立つのは極力避けたい。
そこで幻視術の出番だ。
術を使い、髪と瞳の色を『白』から『黒』へ誤認させるだけで私はごく一般的な人間種族に早変わりできる。
そうして周囲に溶け込むことで、様々な厄介ごとを未然に防ぐことができるのだ。
――という訳で、今の私は周囲のヒトから見れば白髪白目ではなく黒髪黒目に見えるようになっている。
自分ではいまいち『変わった』という実感が湧かないが……。
「ワシリー。次の村はなんていう名前の村なんだ?」
「ザロジエだ」
「大きいか?」
「いや、かなり小さい」
ワシリーは口数が少なく、必要なこと以外はほとんど口を開かない。
転生者同士なのだから、前世ネタなら話に花が咲きそうなのだが……その話題になると、彼はあからさまに口を噤んだ。
苦渋に満ちた顔で「何をやっても上手くいかないクソみたいな人生だった」という言葉を聞いて以来、その手の話題を振るのはやめた。
何か、よほどのトラウマを抱えた前世だったんだろう。
野道に慣れるために極力人里に下りないようにしていたので、かなり久々に文明人っぽい施設を利用することができる。
例えば、風呂とか。
私はあの頃より少しだけ伸びた後ろ髪を指先で弄り、ざらざらした感触に顔をしかめた。
旅に出てからというもの、体を綺麗にする機会がほとんど無かったので髪がゴワゴワになっている。
村に着いたらとりあえず風呂で身体を洗いたい。なんて、ガラにもなく女の子っぽいことを考えていた。
風呂以外にも、手の込んだ料理も久しぶりに食べたいし、誰かとお喋りもしたい。
いろいろと頭の中で楽しい妄想を広げながら、私は心持ち軽めに足を進めた。
◆ ◆ ◆
ザロジエはヴァンパイア種族がこの地を支配する前から住んでいた人間種族の小さな村だ。
王都まで伸びる巨大な街道から大きく外れているため、簡易地図にこの村は載っていない。
元からこの場所を知っているか、たまたまこの付近を通る旅人しか辿り着けないような辺鄙な場所にある。
ワシリーも言っていたが、小さいとはいえキシローバほどではない(なにせ、あの村には宿泊施設などなかったのだから)
ヴァンパイア種族の庇護により野生動物や魔物の脅威が取り除かれ、村人たちは平穏に暮らしていた。
「……って、さっき言ってなかったか?」
私は目の前に広がるザロジエ村らしき廃墟を見渡し、ワシリーに半眼を向けた。
「……この村に継承者は居なかったはずなんだがな」
村に近づくにつれ、不快感を増長するような、えも言われぬような臭いが鼻を突いた。
私はこの臭いが何であるかを知っている。
命の源――血の、臭い。
私たちが泊まるはずだった村は、壊滅していた。
◆ ◆ ◆
二人でぐるっと村を一周してみたが、生きている人間を見つけることはできなかった。
代わりと言っては何だが、村人だったであろうヒトの死体はたくさん発見した。
そのどれもが酷いありさまだった。
頭と胴体が離れた場所にあったり、腹がばっくりと割れて中身が盛大に飛び散っていたり、全身の関節が全部逆に折り曲げられていたり……などなど、数え上げればキリがない。
「やはり生き残りはいないか」
周囲を見渡し、ワシリーはそう結論を出した。
彼の言葉を肯定するかのように、斜めに傾いでいた看板が風に揺られて地面に倒れた。
「建物もかなり傷めつけられている。中には入らん方がいいだろうな」
やれやれ、と肩を落とすワシリー。
その仕草は死者への哀れみではなく、また野宿しなければならないのか、という落胆だろう。
こいつは他人の死をいちいち悼む気持ちなどない。こういう事に関して、彼は驚くほどにドライだ。
―ーまあ、私もヒトの事は言えないが。
転がる死体を眺めながら「蛆が沸いてないから死んでからそれほど経ってないな」なんて考える程度には心に余裕がある。
「それにしても、誰の仕業なんだ?」
村人たちの死体はかなり損壊していたが、獣がやったにしては綺麗すぎた。噛み千切ったような跡も無いし、爪痕もない。
何より、関節を器用に折り曲げるなど、人体の構造を知っていないとできない芸当だ。
つまりこれはヒトの手によるもの――盗賊あたりがヴァンパイアの警備の網を潜ってこの村を襲ったんだろうか、と私は当たりを付けていた。
だがワシリーの返答はその予想を大きく裏切った。
「ヴァンパイアだろうな」
「は?」
聞き間違いかと思ったが、ワシリーはもう一度、
「十中八九ヴァンパイア種族の仕業だろう」
と断言した。
いやいや。と私はかぶりを振る。
「継承者狩りでもないのにヴァンパイアが人間を襲うわけないだろう?」
疑問符を浮かべて彼を見上げる。
身長差がかなりあるため、彼の瞳を見ようとすると首が痛くなる。
……成長期はまだか。
「口減らしならぬ、村減らしってやつだ」
人間種族はヴァンパイア王国にいる限り、彼らの庇護のもと、安全を得ることができる。
その代わり、一定の税を王国へ納めなければならない。
徴収した税はヴァンパイアへの給金になったり、移動費などに費やされる。
いわば運営費、というやつだ。
しかし時には税の支払いを拒否する村もある。
ザロジエのように王国設立以前から存在している村は特にその傾向が強く『ヴァンパイアに守ってもらわなくても自分たちはやっていける』という考えの者が多い。
王国からすれば、そういう村は税を徴収できない『赤字の村』だ。
説得すればいいのだが、そうなるとさらに経費が膨れ上がってしまう。
ならばどうするか?
悪い部分は切り捨てればいい――それが“村減らし”だ。
村人全員を説得しようとすれば何年もの時間と根気と金が必要になるが、全員殺してしまえば話は早い。
最小の労力で、最大の効果を得ることができるのだ。
「……勝手だな。それなら守らなければいいのに」
溜息とともに、私はそう呟いた。
税を納める代わりに安全を保障する。そのシステムについては何の文句もない。
商人が安全に商品を運べるように傭兵を雇うのと何ら変わりはない。
ただ、金を払わないからと言って村をまるごと滅ぼすのはどうなのだろう。
それなら「警備はしない」とひとこと言えばいいだけの話ではないのだろうか。
私は率直にワシリーに告げると、彼はあきれたように肩をすくめた。
「お前な。人間種族が最も安全に暮らせる国であるヴァンパイア王国で「金を払わないなら守らない」なんて外ならぬヴァンパイア種族が言ってみろ。人間が国外に逃げ出すだろうが」
「あ、そうか」
ヴァンパイア王国はヴァンパイア種族が国を運営しているが、産業のほとんどは人間種族に委ねている。
人口と国力はほぼ比例関係にある。
国民がいなければ国は成り立たないのだ。
とはいえ、腐った部分は切り捨てなければならない。
ヴァンパイア王国にとって、ザロジエ村は『腐った部分』だったんだろう。
死人は何も語らない。
何が起きようが、生き残りがいないならどんな風にでも言い繕うことができる。
この村も“ヴァンパイア種族に襲われて皆殺しにされた”のではなく、“魔獣に襲われ、ヴァンパイア種族の善戦も虚しく滅びてしまった”とされるのだろう。
かつてのキシローバ村のように。
「……」
心臓が、どくん、と跳ねた。
◆ ◆ ◆
「村人は全員殺したはずなのだが……生き残りか?」
二人しかいないはずの場所に、足音と共に別の声がした。
振り返ると、ヴァンパイアの男――黒髪に赤い瞳、黒いマスクをしている――がこともなげに立っていた。年齢はマスクのせいで定かではないが、それほど年を取っているようには見えなかった。身長は高く、ひょろりとした印象を受ける。
ヴァンパイア王国の紋章が刻まれたローブを羽織っている。それだけで彼が王国所属の何者か、というところまでは分かった。
「親子……?いや、違うな。傭兵とその荷物持ちか。さしずめ宿を求めてここにやって来た、というところだろう」
「これはお前の仕業か?」
値踏みするようなヴァンパイアの視線を意に介さず、周囲を顎で差しながらワシリーが尋ねる。
「そうだが?」
だからどうした、と言わんばかりに尊大にヴァンパイアは答えた。
「もしかしてだが、罪のない村人を虐殺した俺を正義感から断罪しようとしているのか?」
「なワケあるか。無関係の人間がいくら死のうと俺達には関係ない。宿が取れないなら先を目指すだけだ」
「懸命だな。傭兵らしい現金な考えだ。しかし――」
ヴァンパイアは通せんぼするように両手を広げ、大きく口を横に広げて笑った。
大きなマスクが無ければ種族的特徴である長い犬歯が見えるだろう、薄気味の悪い笑い方だった。
「お前たち、運が悪かったな!人間の“整理”を見た者は誰であろうと例外なく――」
目を細めて私たちを睥睨するヴァンパイア。
その瞳には見覚えがあった。
まるで掃除でもしているかのように鼻歌交じりで村人たちを殺していたクドラクやアヅェの瞳に……よく、似ていた。
どくん、と心臓がまた鳴った。
「――死んでもらう!」
「『その言葉、そっくりそのまま返してやる』」
気づけば、私は魅了術を発動していた。
莫大な魔力を代償に対象の精神を支配――文字通り、魅了――し、術者の命令であればどれだけ非現実的な事象ですら強制的に引き起こすことができる悪魔の術。
「……!?かひっ」
術に掛かったヴァンパイアは、私の言葉に忠実に従い、直前に自分の発した言葉を『再現』し――白目を剥いて死んだ。
◆ ◆ ◆
「おい、なぜ殺した?」
「……」
ワシリーの責めるような言葉に、私は何も返せないでいた。
殺さなければ殺されるという危機感……というより、まるで害虫を踏み潰すような感覚だった。
目の前を蠅が飛んでいた。ブンブンと羽音がうるさい。だから殺した。
目の前にヴァンパイアがいた。ぎゃあぎゃあと何かを喚いている。だから殺した。
私の中では、それは同列の扱いだった。
それがどれほどおかしなことなのか、分からないほど馬鹿ではなかった。
同じヒト科動物を害虫扱いにするなんて――人間を家畜扱いしていたアヅェ達よりも酷いじゃないか。
そんなことをそのまま言えば、おかしいと思われるに決まっている。
だから、咄嗟に別の理由をでっち上げた。
「殺されると思ったから、先手必勝だ。ヴァンパイアは魅了術を使うと面倒だからな」
「……」
ワシリーは答えず、私をじっと睨んでいる。
何故か彼の目が見れなくて、私は叱られた時のように目を伏せた。
しばらく、沈黙が続いたのち、ワシリーは私の頭に手を置いた。
叱るでもなく、可愛がるでもなく、ただ、ぽん、と手を置いた。
「……やはり、憎んでいるのか?ヴァンパイアを」
「……!」
そう言われて、はじめて自覚した。
村を出てから、ヴァンパイアと直接出会ったのは今回が初めてだ。
憎んでいないつもりだったが――あの赤い瞳を見た瞬間、私は殺意に駆られた。
殺したい、と言うより、殺さなければならない、という使命感すら感じた。
それは「悪いことをしているヴァンパイアを懲らしめる」という崇高な目的からくるものではない。
自分の中に潜むヴァンパイアへの憎しみからくる――ただの殺戮衝動だ。
『自分の出生の秘密を探る』という目的があったから、今まで見て見ぬふりをしてきていたが、もう隠せない。
村の人たちを操り、笑いながら殺していったヴァンパイアたちのことを、ひいては人間を家畜扱いするヴァンパイア種族そのものを――私は憎んでいた。
「エミリア」
「……」
ワシリーは膝を折り、私と視線を合わせた。
勝手に殺してしまって、てっきり怒られるかと思いきや――彼の目には怒りではなく、別の感情が浮かんでいた。
それが何なのかは分からない。
「復讐を望んでいるのか?」
「……」
「可能だろう。お前ならばこの国を滅ぼすことだってできる」
「いやいや、大げさな―ー」
笑って否定するが、顔が引きつってしまい上手な笑顔を作れたかは分からない。
ワシリーは強く肩を掴み、顔を寄せてきた。
「いいや。お前にはその力が――何よりヴァンパイアに復讐する権利がある」
その言葉に、私の心は幾分か軽くなった。
あれだけ酷い目に合わされたんだから、ヴァンパイアを殺しても大丈夫と認められたような気がした。
「ワシリー……」
「どうする?決めるのはお前だ」
まるで私が復讐したいと望めば……ただ、こくりと首を縦に振るだけで簡単にこの国が消せるとでも言いたげな態度で、ワシリーは私の返答を待っていた。
私なら、この国を滅ぼすことができる……?
いやいや、そんなはずは……。
かと言って冗談で切り抜けられるような場面ではない。
イエスか、ノーか。ここで決めなければ彼は手を離してくれそうにない。
復讐か、否か。
私は彼の問いかけにすぐには答えられず……俯いてしまった。
そのせいで、見ることができなかった。
彼の、嗤った顔を――。
NG集
『注釈』
前話投稿から、(リアルに)三ヶ月が過ぎた。
圧倒的謝罪……!!
『観察眼』
二人しかいないはずの場所に、足音と共に別の声がした。
振り返ると、ヴァンパイアの男がこともなげに立っていた。
「親子……?いや、違うな。ロリコンと幼女か。さしずめ警備隊から逃げてここに辿り着いた、というところだろう」
「お前の目は節穴か」




