第三十三話「お別れ」
「――――は?」
領主様が何を言っているのか、理解できなかった。
オマエハ、マリノ子デハナイ
まるで異国の言葉を使われたように、言葉の意味を咀嚼できない。
「……何を。何を仰っているんですか領主様?」
かなりの時間をかけてようやくひねり出した言葉には、少々怒気が混じっていた。
それも当然だろう。
私が母の子ではない?
いくら今際の際でも、冗談が過ぎる。
領主様がこんな状態でなければ、一発ぶん殴ってやるところだ。
「私は母の――マリの娘です」
「いいや、違う」
反論を許さない絶対的な事実を、しかし領主様は否定した。そのことにさらに怒りを覚えるが、私がそれを口に出す前に領主様が語り始める。
ほんの僅かな物音にかき消されるような弱々しい声で、
「私は……かつて、王の元に仕えていた」
「……王様?」
誰かが領主様は「国内でも有数の貴族」だと言っていたような気がするが、王と繋がりがあるのは初耳だった。
どうしてこんな辺境の村で領主なんてしているんだ?
突拍子も無い単語の出現に勢いが削がれ、私は聞く耳を持つ気が無かった――私と母の親子関係を疑うような話なんて、不愉快なだけだ――領主様の話の続きを静かに聞くことにした。
「王都からこの村に赴任する際……お前を匿ってくれと……頼まれた。王都でお前を育てるには、敵が多すぎる…………と」
「……」
敵?
敵ってなんだ?
誰に頼まれた?
いろいろと出てくる疑問をぐっと呑み込み、だんまりを決め込む。
「お前の存在が敵に伝わることを恐れた私は……さらなる手を……打った。当時、新人の使用人だった少女に魅了術を使い、お前の母親役として宛がった。お前を心から愛し――そして有事の際に、その命を持ってお前を守るように……記憶を改竄した」
それが……母様、という訳か。
「マリを選んだ理由は……最も我々と縁遠かったから。ただ……それだけ、だ」
「……」
「すまなかっ……た」
怒りを押し込め、冷静に、客観的に話を分析する。
話を聞いた上での矛盾は無かった……と、思う。
領主様が冗談を言うような人物でないことも、そんなことを言うような状況でないことも嫌と言うほど理解している。
しかし私はこの話を信じない。
私と母が縁も縁もない他人だなんて、信じられるはずがない。
決定的な何かが無い限り、嘘だと判断する。
「だったら、証拠はあるんですか?」
前世には髪の毛一本で親子かどうかを調べる技術があったが、この世界にそんなものはない。
「証拠は……ある」
だというのに、領主様は断言した。
私の心臓が早鐘を打った。
「それは……魔法だ」
「魔法?」
「マリに……魔法使いとしての素養は無い。だが、お前はそれを持って、いた。それこそが、二人が親子で無いと言う……何よりの証拠だ」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
魔法の素養は遺伝するので、両親が魔法使いであればその子供は高い確率で魔法使いになれる。
ただ、例外がある。
私のように魔物に襲われたりすると天文学的な数字で魔法の素養に目覚める。
そう、説明を受けた。
他ならぬ領主様から、そう説明された。
「あの話は嘘ってことですか!?」
私が詰め寄ると、領主様は小さく身じろぎした。たぶん、頷こうとして出来なかったんだと思う。
「そうでも言わなければ……お前は納得しなかっただろう?」
「そんっ……な……」
母との間にあった絶対的な繋がりが……音を立てて崩れた。
私の両親は魔法使い。
母は……本当の母では、ない……?
湧き上がってくる焦燥感が、心を焦がした。
それでも私は首を振った。
信じない信じない信じない信じない信じない信じない信じない信じない信じない信じない信じない信じない信じない信じない信じない信じない信じない信じない信じない信じない信じない信じない信じない信じない!!!
「じゃ、じゃあ……じゃあ、私は誰の子なんです!?本当の両親が実在するなら名前を言ってみてくださいよ!でなければ私は信じません!私の母はマリ・ルーミアスただ一人なんです!!」
重篤な怪我人というのも忘れ、畳み掛けるように叫ぶ。
「おまえ……の、りょうしん、は……」
領主様の唇からひゅー、ひゅー、と息が漏れた。
「………………」
そして、それ以上、何も言わなくなった。
「おい!答えろこの野郎ッ!!」
「エミリアやめろ!」
たまらずイワンが私を抑える。
それを振り払うのは容易だった。でも、もう意味の無いことだと悟った。
その人物が動くことは、もう、ない。
「父様……?父様ぁ!」
領主様が、死んだ。
しかし、そんなことに心を砕くような余裕は今の私には無かった。
領主様の亡骸にすがり付いて泣きじゃくるイワンなどに目もくれず、私は自分の手を見つめた。
まるで極寒の地に立っているように、震えていた。
「私が母様の子じゃない……?」
たまらず、私は部屋を飛び出した。
◆ ◆ ◆
外に出ると、村は焼け野原になっていた。
執務棟以外の民家は全て焼け落ち、煤の山がそこかしこにできている。
煤の山は執務等の敷地の一角にもあった。
建物の焼けた跡ではない。村人たちを火葬した跡だ。
この地域では土葬が基本だが、今回はさすがに死人が多すぎた。
百個近い墓穴を掘るような労力は今この村には存在しないし、身元の確認ができないほどグチャグチャになっている死体も多い。
全部まとめて燃やして、一つの墓にするつもりだろう。
それらには目もくれず、私は走った。
行く当てなどあるはずもない。
ただ、逃げたかった。
全てから、逃げ出したかった。
◆ ◆ ◆
辿り着いたのは、山の麓だ。
ウィリアムと登山の訓練をするところから始まり、夢中になって魔法の練習をしたり、イワンと喧嘩をしたり、何かとお馴染みの場所になっている。
無造作に生えている木の根元に座り込む。
頭の中をありとあらゆる感情、想いが渦巻いていた。
転生者であっても、この胸の内は制御しきれない。
私の感情を最も大きく揺さぶっているのは、母だ。
……何が『守り切れた』だ。
何にも守れていない。
転生者が他人の運命を歪めるというのなら、母の運命は、最初から歪んでいたんだ。
私と出会った九年前から、既に。
「う……うああああ」
私は膝を抱えて泣いた。
「――真実はいつだって残酷である。異世界でも、それは変わらん」
聞き慣れた、というほどではないが聞き覚えのある声が正面から聞こえてきた。
いきなり現れ、自らも転生者であることを仄めかし――そして、何故か窮地に陥っていた私を助けてくれた謎の男だ。
目的も素性も謎で、そういえばまだ名前も聞いていない。
助けてくれたという事実が無ければ、問答無用で攻撃しているところだ。
「気分はどうだ?」
「最悪だ。というか……よくここが分かったな」
「お前のことなら何でも知ってる」
まるでストーカーのような言い草だった。
大の大人が子供に向かってそんなことを言ったら即通報モノだが、今の私にはその言葉も、男の存在も好都合だった。
何でもいいから、こうして会話をしている方が気が紛れる……。
「では聞くが、私は何者だ?」
「それは知らん」
「私のことなら何でも知っているんじゃなかったのか」
「お前が何者か。それを決めるのはおまえ自身じゃないのか?」
煙に巻くような答えだった。取り付く島も無い。
私は口をつぐんだが、すぐに別の質問を口にする。
「質問を変えよう。私の両親は誰だ?」
「教えられん」
「――はっ。口先ばかりじゃないか。結局は何にも知らないんだろうが」
何を聞いても知りません、教えられません。
のらりくらりと避けられている印象だ。暖簾に腕押しとはこのことだろうか。
「知らないのではなく、教えられん」
微妙なニュアンスの違いを強調する男。
「嘘を付くな。本当は知らないんだろうが」
「知りたければもっと強くなることだ」
「どうして強くなる必要がある?」
「両親の名を知れば、お前はその名を探すことになる。探せば必ず敵にぶつかることになる」
「敵……」
領主様と同じ単語を、男は口にした。
まったく意味が分からない。
父と母の名前を知りたいだけなのに、どうして“敵”なんて単語が出てくる?
実は私はやんごとなき身分の血筋だとでも言いたいのだろうか。
……いやいや、ないない。
前世の妄想に毒されすぎだ。私は。
男は、手を差し出した。
「強くなりたければ、私と共に来い。“本当”の戦い方を教えてやる」
「……強くなったら、両親のことを教えてくれるのか?」
男は答えず、ただ意味深に笑った。
「強制はしない。お前なら傭兵でも使用人でも、いくらでも働き口はあるだろう。好きな方を選べ」
「……」
まだ見ぬ両親の名を知るためにこいつの元で強くなるか、このことはさっぱりと忘れて普通に働いて暮らすか。
……もう、普通に戻れるはずなんてないじゃないか。
私の心は、最初から決まっていた。
差し出された手を握る。
「私は知りたい。自分が何者なのか。両親は誰なのか。敵は誰なのか……全部、知りたい」
「決まりだな」
男が唇の端を少しだけ上げて笑う。
こいつの笑った顔を見るのは初めてのはずだが、不思議なことに既視感があった。
「――そういえばまだ名前を聞いてなかった」
「俺の名は……」
しばらく言いあぐねてから、男は口を開いた。
「……ワシリーだ」
「ワシリー、か。これからよろしく」
「エミリア!」
「――っ」
第三者の闖入に、私はワシリーに向かって握手の形に伸ばしかけていた腕を引っ込めた。
イワンだ。彼も、私を追ってきたようだ。
てっきり瀕死の父を乱暴に扱ったことを怒っているのかと思いきや、彼はワシリーから私を守るようにして前に出た。
「お前、エミリアに何をしてる!」
「何もしていない。ただ会話しているだけだ」
ワシリーは嘆息しながら答えた。以前は会話を邪魔されただけで首を絞めていたが、今回の彼は冷静なようだ。手を出すような素振りはない。
「女の尻を追いかけている暇があったら素振りでもしていろ。剣を振るしか能が無い出来損ないのヴァンパイアが」
……ただ、やはりイワンを良くは思っていないようだ。隠そうともしない敵意が前面に出ている。
「なんだとぉ……!!」
「なんだ?図星を付かれたからって顔を赤くしやがって」
「お前ら、喧嘩はやめてくれ」
イワンとワシリーの間に入って両者を押し留める。
イワンは今にも木刀で襲い掛かりそうだったが、どうどうとなだめるとなんとか怒りを抑えてくれた。
「エミリア。早く戻るぞ。こいつと居たら何をされるか分からないだろ」
手をぎゅっと握り、村に戻ろうと足を進めるイワン。
しかし私は動かない。
「……エミリア?」
怪訝な表情のイワン。
彼にどう説明すればいいんだろう。
考えあぐねていると、後ろから肩を引っ張られた。
イワンと結んでいた手が解ける。
「こいつは俺が貰っていく」
「…………は、なんだよそれ」
「この事はエミリアも了承済みだ。部外者は黙ってろ」
イワンの視線が私に向けられた。
「エミリア、あいつについて行くってどういうことだよ!」
「……」
きっと順序を立てて説明したところで、彼は納得しないだろう。
出立を先延ばしにすればするほど決心は緩んでしまう。
私は何も言わず、イワンを抱きしめる。
いつもしているように頭をぽんぽんと撫でる。
それだけで、彼の強張っていた体の緊張が解けていくのが分かった。
「エミリア……?」
私は自分を最低だ、と思いながら、
「イワン――ごめん」
「え?」
鳩尾に膝蹴りを食らわせた。
「お……ご……」
腹を抱えてうずくまるイワン。
やはり一撃で気絶させるのは無理だったか。
首筋の後ろに狙いを定め、私は拳を握った。
「私はもっと――強くならないといけないんだ。だからここでお別れだ」
ごす、と鈍い音を鳴らしてイワンはその場に崩れ落ちた。
まだ意識は残っているみたいだが、しばらくは動けないだろう。
「じゃあな。縁があったらまたどこかで会おう」
「なんで……だよ……エミリアァ」
手を伸ばしてくる幼馴染に向けて、私は笑いかける。
上手に笑えたかどうかは定かではない。
◆ ◆ ◆
すぐに旅立ちたいとはいえ、このまま何もかも放り出して行く訳にはいかない。
飛ぶ鳥、跡を濁さず。
私はまず、元・駒だった村人達を拘束している部屋に向かった。
「エミリアちゃん……」
ウィリアムはあの頃の優しい面影も見えないほどにやつれ、まるで別人のようになっていた。
彼は自慢の弓で……多くの仲間を殺した。
私も、あわやというところで殺されてしまうところだった。
「お願いだ、僕を、僕を殺してくれ……もう耐えられない」
彼を含めた駒たちは被害者で、魅了術を使ったヴァンパイアこそ憎むべき敵だ。
そう諭そうと、彼らは自らの罪から目を逸らすことができない。
魅了術の厄介なところは、他人の意識を奪って操るのではなく、性格を改変し自ら進んで行わせるようにするところにある。
だから、今の彼らに必要なのは許しではなく……罰だ。
憔悴しきったウィリアムの胸倉を掴み上げる。
「死んでどうなる。それでお前が殺したヒトたちが生き返るのか?」
「だからって、このままおめおめと生きるなんて、僕にはできないよ!」
「……何度も言うが、悪いのはヴァンパイアだ。それで納得できないのなら――私が殺すよりも重い罰を与えてやる」
転生者は他人の人生を狂わせる。
母。イワン。もしかしたら他にも居たのかもしれない。
――だったら、もう何人増えようが知ったことか。
私は元・駒たち全員に対し、告げた。
「自分の人生を掛けて罪を償いたいと思う奴は前へ出ろ」
何人が出るだろうと思って見ていたが、意外にも全員が我先にと前へ出た。
「……本当にいいのか?もう今までの自分には戻れないぞ」
比喩表現抜きで、彼らはもう普通の村人で居ることができなくなる。
そのことを念押しするが、彼らの決意は揺らがない。
「構わないよ。君には僕たちを裁く権利がある」
「そうか……」
私は静かに呼吸を整えた。
「では、ウィリアムから順番に――私の目を見ろ」
◆ ◆ ◆
「母様……うぶっ」
「エミリア!」
私の姿を見るなり、母は飛びついてきた。
「どうしたの?いきなり外に飛び出したって聞いたから心配したのよ?」
「すまない。領主様が目の前で亡くなって、少し取り乱してしまったんだ」
領主様が亡くなったと聞いた途端、母の表情が少し暗くなった。
覚悟していたとはいえ、やはり長年仕えた相手の死は堪えるものがあるんだろう。
私がこの場に居なかったら泣いているかもしれない。
「そう、なの……。大丈夫?」
「ああ。もう落ち着いた」
私が笑顔を見せると、母も安心したように目を細めた。
「何かあったらすぐに言ってね」
「ああ。いつも心配をかけてすまない」
「もう……そこは『母様大好き!』って言うところよ」
恒例の茶化し言葉が入る。
それに対し、私は、
「――そうだな。最後に一回くらいは言っておかないとな」
「え?エミリア、最後って、どういう……」
母が私と目を合わせた瞬間――私はにこりと微笑んだ。
頬を冷たい物が流れ落ちたが、ちゃんと笑えたと思う。
「母様。大好きだ」
そして――魅了術を発動させた。




