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転生者の憂鬱  作者: 八緒あいら(nns)
第一章 幼女編
32/87

第三十二話「秘密」

「はっ……はっ……うお!?」


 下山は難航を極めた。

 山に登り慣れているとはいえ、目が見えない状態はさすがに辛すぎた。

 ほんの数メートルしか進めていないのに、もう三度も転んでしまっている。(つまづ)いてしまうようなモノは全て雪崩によって雪の下に埋もれているのに、だ。

 山を下りきるまで、あと何度転ばないといけないのか……。


 転ぶだけならまだいいが、下手を打てばそのままあらぬ場所に滑り落ちて死ぬ可能性だってある。

 もっと、もっと――それこそ這うくらい慎重に下山しなければ無傷で村に辿り着くことなどできはしない。


 視力さえ回復できれば……。



「……」


 私は立ち止まり、腕を組んだ。

 このままでは間に合わない。下山する頃には、何もかも終わっている未来しか見えない。



 魅了術で盲目を治療できないのだろうか?


 魅了術『肉体』は自分自身に掛ける場合、視線を合わせる必要が無いことは分かっている。

 某絶対遵守の力のように、鏡を使って自分の目を見る必要はないのだ。

 だったら、声さえ出れば治療は可能なはず。


 ただ、もちろん懸念材料はある。


 まず、できるかどうか分からないこと。

 普通の怪我や病気なら治せても、魅了術による失明は無理かもしれない。


 それに魅了術を使った治療に代償を伴うのは、さっき身をもって体験したばかりだ。

 体の栄養を奪われ、体力を奪われ、それでも足りない場合は――たぶん、寿命を奪われる。

 時間を掛ければ体への負担を緩和できるが、まだ予断を許さない状況だ。

 いつ、駒たちがイワンや母を見つけるか分からない。

 どちらもそう簡単には見つからないだろうが、百%の安全を確立した訳ではないのだ。


 治療できると仮定しても、まだ不安はある。

 盲目を治療する代償がどれほどのものなのか想像がつかないことだ。

 怪我は程度によってなんとなく想像がつくが、失明となるとイメージしにくい。


 もう一つは、これ以上魅了術を使うと私の体力が尽きる可能性があることだ。

 骨折を強引に治した時の代償、アヅェへの魅了術の無駄打ち、そして雪崩を起こすのに多くの魔力をかき集めたことで、私の体力はかなり際どい所まで来ている。


 下山するために目を治療しようとしているのに、治療したら体力が空っぽになってしまうのは本末転倒だ。


 ……一度、整理しよう。

 一、盲目のままでの早い下山は絶望的である。


 二、村には駒が残っており、母とイワンはまだ安全とはいえない。


 三、魅了術で治療するには多くの懸念材料がある。


「……ふむ」


 次に、私の目的は何だ?と自問する。

 答えは『母とイワンを助けること』だ。


 だったら……もう、答えは出ているじゃないか。

 盲目のままで間に合わないくらいなら、多少のリスクを背負ってでも早く村に戻る。

 私はまだ若いんだから、少しくらいの無茶なら大丈夫なはずだ。


 一応、保険のため魔法で雪を固めてソリを作成する。

 これで歩けなくなっても下山できる。


 私は魔力をかき集め、それを言葉に乗せた。


「『視力が一瞬で回復する!』」


 ――蝋燭(ろうそく)に火を灯すように、ぼんやりと光が戻った。

 真っ暗闇からいきなり明るい場所に連れてこられた時のように、光量の調節が上手く行かず思わず顔をしかめる。


 治療は成功だ。


「なんだ……こんな簡単に治るなら、アヅェにあれだけ蹴られる必要も――!?!!!」


 次の瞬間、想像したことのない痛みに見舞われ、私はその場に両手を付いた。

 痛みというより――ただひたすら、気持ち悪い。

 平衡感覚が消失し、視界が、景色が、世界が回る。

 吐き気が止まらない。


「ぅ……おぇええええええええええ」


 私はその場にうずくまり、吐いた。

 吐瀉(としゃ)物は血で真っ赤に染まっていた。

 もともと胃には戦闘中に呑み込んだ血以外、ほとんど何も入っていなかった。すぐに吐けるものが無くなり、胃酸だけがひたすら私の喉を焼く。



 やがて、数分――たぶん数分だと思う――ほど経ってから、ようやく吐き気が収まった。


「うぷ……はぁ、はぁ……」


 ――体力はあとどれくらい残っている?


 自問して、そしてすぐに予想していた最悪な展開に陥っていることに気付いた。


 ――残り体力、ほぼゼロ。


「う、く……」


 戻ったはずの視界がぼやける。

 ほんの数十センチ先にあるソリに手を伸ばそうとしても――手が、言うことを聞いてくれない。


 限界知らずと言われた私の体力は、ここで尽きた。

 体が限界を迎えると同時、意識も徐々に混濁してきた。

 眠る直前のように、頭の中が暗闇で満ちていく。


 こんな……。


 こんなところで、終わる……のか?私は。


 あと少し。


 あと、本当にもう少しなのに。


 たった四人、ヴァンパイアに操られているだけのニンゲンを捕まえるだけなのに。

 ――いや。捕まえるなんてまどろっこしい。

 殺してしまおう。それが最短の解決策だ。



 そうだ。


 殺せばいい。


 みんな、みんな――











「――ちっ、間に合わなかったか」


 突然抱き上げられ、落ちかけていた意識が再度浮上した。

 その腕のぬくもりには覚えがあった。


 初めて魔物に襲われた時、領主様に抱き上げられたが……その時の感触にそっくりだった。


 私は顔を上げる。

 曇り空すら今の私の目には刺激が強く、光が染みて涙が出てきた。


「領主、様?」


「……残念だったな。俺は領主じゃない」


 おぼろげだった顔が鮮明に見えるようになる。


「――!?」


 体が強張り、意識が一気に覚醒する。


 そいつは、いつしか雪山で出会った謎の男だった。

『また来る』とは言っていたが――よりによって、最悪のタイミングだ!


 咄嗟に魔力を集めようとするが……全く集まってくれない。


「落ち着け。俺は敵じゃない」


 警戒心を(あらわ)にする私の手を、男が、ぎゅっ、と握った。

 その仕草も声も、まるで以前とは別人のように優しさが滲み出ていた。


「よく頑張った。後は俺に任せて眠れ」


「あ……」


 その言葉で、私の中で張り詰めていた緊張の糸が切れた。

 まるで魅了術を掛けられたように、男の言葉に従い私は深い眠りに落ちた――。



 ◆  ◆  ◆



「う……」


 目を開けると、そこそこ見慣れた天井が見えた。

 週末に必ず来ていた、イワンの部屋だ。


 あれからどうなった?


 駒たちは?


 あの男は?


 体中が痛いが、気になることが多すぎる。

 私は悲鳴を上げる体に鞭を打ち、上半身に力を入れた。


 ほんの少し体を動かすたび、体の節々からバキバキとおかしな音が鳴ったが、構わず体を起こす。


「……?」


 そこで、右手に何かが握られていることに気付いた。


「母、様……」


 母が、ベッドの淵に寄りかかって私の手を握ったまま、眠っていた。

 疲れている……と一目で分かるほどに憔悴しきった顔だった。

 悪い夢でも見ているんだろう、時折唸りながら眉間にシワを寄せている。


 ――母がここに居るということは、村はもう安全なんだろうか?


「母様、母様……」


 起こすのも悪いと思ったが、右手を離してくれないとここから動けないので仕方なく起こすことにした。

 私の代わりにこのベッドで寝てもらおう。


「う、うん……?」


 眠りが浅かったのだろう。母にしては珍しく、揺すってからすぐに目を覚ました。


「母様、手を離してくれ」


「エミ……リア。エミリア?」


「ああ、エミリアだぞ」


 何故か疑問系で尋ねて来る母に、しっかりと答える。


「エミリア!」


 母は飛び起き、私を、ぎゅ!と抱きしめた。

 ……いでぇ。


「よかった……よかったぁ……このまま目を覚まさないかと思って、私……うぇええええ」


「私はこの通り無事だ。だから泣くな」


 母の力は強く、体のあちこちから危険信号が送られてきたが、それらを全て無視して私も母に抱き付いた。


 これは母を安心させるためのもので、決して私が抱きつきたかった訳ではない。

 分かっていると思うが、念のため。



 ◆  ◆  ◆



 落ち着いてから、あれから起きた出来事を母から聞いた。

 と言っても、母は事件が解決するまでずっと地面の下に居たので、


 例の謎の男が駒たちを捕縛してくれたこと。


 村の生き残りは、私たちを含め数名だということ。


 それしか分からなかった。

 まあ、それで十分だが。

 ……ちなみに私は二日以上眠っていたらしい。


「……そうか。みんな死んだのか」


 ほんの数日前まで百余名ほど居たはずの村人が、僅か十名以下にまでなったことに、私は少なからずヴァンパイアという種族に憎しみを覚えた。

 だが、それ以上に生き残りの中に母とイワンが居たことに喜びを感じていた。


 守りきったのだ。

 ヴァンパイアから。捻じ曲がった運命から。


 これまでにない達成感で、顔が綻びそうになってしまうほどだ。


「エミリア?」


「……いや、なんでもない」


 こんな話を聞いた後で笑ったら、きっとおかしくなってしまったと思われる。

 前世よりも死という概念が近いとはいえ、さすがにこれは不謹慎だ。

 私は顔を伏せて表情を隠した。


「あなた……少しだけ変わったわね」


「おかしいか?」


 顔を見られてしまったのかと、少しだけドキリとした。


「ううん。とっても、たくましくなったわ」


 母はそう言って、私の頭を撫でてくれた。

 それだけで、今までの苦労が報われた気がした。


「でも――もう絶対、金輪際、二度と、私のために危ないことはしないこと。分かった?」


 少しだけ凄んだ顔で睨まれる。

 私が魅了術を使えるようになろうと、これは変わらないんだろう。


 どんな状況であろうと、私のことを心配し、第一に考えてくれている。


 このヒトが母親で良かった。

 このヒトの娘で良かった。


「はい。分かりました」



 ◆  ◆  ◆



 生き残った村人は全部で八人。

 私、母、イワン、師匠。ウィリアムを含めた()()の駒たち。


 どんな術を用いたのかは分からないが、あの男のおかげで駒となった村人は全員、正気を取り戻した。

 正気の状態で、狂気に満ちた過去の自分を振り返り――全員が、罪の意識に苛まれている。

 もちろん、意識ごと操られていた彼らに罪などあるはずがない。しかし彼らにとっては操られていたことなど関係ない。

 自分の手で、仲の良い隣人を、共に寄り添った妻を、尊敬する父を、愛する子を、殺した。

 殺した瞬間の記憶が、大切なヒトの体を引き裂いた時の喜びの感情が、彼らを苛んでいるのだ。


 ――その罪の重さに耐え切れず、正気に戻した直後に二人が自ら命を絶った。

 残った元・駒たちの拘束が未だ解かれていないのはそのためだ。


 生き残った八人のうち、もう一人が――間もなく、息を引き取ろうとしている。


「父様、エミリアを連れて来ました」


 私が目を覚ましたことを師匠に伝えると、イワンに呼び出された。

 連れて来られた先は――領主様の寝室だ。


 領主様の怪我は酷いものだった。

 手足に杭のようなものを打たれ、腹を捌かれ、両目を釘で潰されている。

 釘も杭も、アヅェが使っていた魔力収集を阻害する素材と同様のものらしく、組み合わせて使うことで魔法を完全に使えなくしてしまう、一種の封印装置のようだ。


 魔法を封じられ、それでも村を救おうと、その姿のまま数十メートルも這いずって移動したらしい。

 普通なら、移動の最中に死んでもおかしくない状態だ。

 春先とはいえ、キシローバ村はまだまだ寒い。

 そのおかげで血が通常より早く凝固し、それが止血の効果をもたらしたおかげで、彼は瀕死ながらもまだ生きている。


 しかし、ほんの少しだけ寿命が伸びただけに過ぎない。

 目を潰されているため、私が魅了術を掛けることもできない。


「……エミ、リア」


 イワンの言葉に、領主様は首を僅かに動かした。


「私はもうじき……死ぬ」


「そんな事を仰らず、気をしっかり持ってください」


「その、前に……謝罪させて、くれ」


「なにを言ってるんです。そんな姿になるまで村のために戦って、謝ることなんてなにも――」


 領主様の手を握った瞬間――ギョッとした。

 彼の手は生きているヒトのものとは思えないほど冷たく、そして重たい。

 まるでマネキンの手を握っているみたいだった。


 領主様は、自分自身のことを誰よりもしっかりと把握している。

 医療知識に疎い私でも、はっきりと理解できた。


 彼は……もう、助からない。


「そうでは――そうでは、ない」


「……?では、何に対しての謝罪ですか」


 ――そういえば、無事に戻ったら私に話したいことがあると言っていたのを思い出す。

 それがこの謝罪に結びつくんだろうか?


 パッと考えてみたが、領主様に謝られることなんて思いつかない。

 唯一思いついたのがイワンの石事件だが……それはもう謝ってもらったし、そんな話をこのタイミングで持ち出すとは考えにくい。


 ……まあ、何を言われたところで動じることはないだろう。



 同年代の友達は頭を叩き割られ、仲良しのお隣さんは血の噴水に沈み、可愛がってくれたおじさんは背中をばっさりと斬られて死んだ。

 それ以外にも、たくさんのヒトの死を見た。


 そして、自分自身でも何人かのヴァンパイアを殺した。

 ある時は魅了術で体を破裂させ、ある時は魔法で作った壁でサンドイッチにし、ある時は土の塊を投げて首から上を粉々に砕いた。


 他にも、魔法の先生に拷問を受け、仲良しのお兄さんに心臓を射抜かれたりもした。


 ヒトが人生の中で経験する辛い出来事のほぼ全てをあの日だけであらかた網羅した私の心には、強固な鋼の盾が作り上げられている。


 いまさらどんな秘密が飛び出してこようと、私の心は一ミリたりとも揺らいだりはしない。























「お前は、マリの子ではない」


 ――鋼の盾が、音を立てて粉々に砕けた。

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