第三十一話「雪」
暗闇。
目はしっかりと開いているのに、まるで暗幕をゼロ距離で見ているかのように真っ暗だった。
視力を失ったんだから、まあ当然か――と、どこか他人ごとのように思った。
繊細なヒトは視力を失っただけでショック死する、と前世の知識にはあったような気がするが、私はどうやら繊細ではなかったようだ。
とはいえ、それなりにショックを受けてはいるが。
やはり、勝てない。
油断しまくっている上で、斜め上からの奇襲を掛けなければ人間とヴァンパイアの実力差は埋められない。
魅了術は封じられてしまった。
向こうも魅了術を掛けることができなくなってしまったが、そんなのは問題ではない。
子供など、大人ならば足蹴にするだけで簡単に殺せてしまう。
唯一、こちらが反撃できる術と言えば通常の魔法なのだが――。
「いけぇ!」
適当な方向へ雪玉――土玉と同様に形状を変化させている――を投げるが、もちろん当たった感触は無い。
遠くで雪玉が着弾する音が空しく響くだけだ。
「ふ――どこを狙っている?」
「ぐはっ……」
ならばと、声や足音のする方向へ狙いを定めるが――
「無駄だ」
伸ばした手を掴まれる。
途端に、集めていた魔力がどこかへ霧散してしまう。
そして投げ飛ばされる。
「がはっ」
どんな方法を使っているかは分からないが、アヅェに接近されると魔力収集ができなくなる。
当てずっぽうに魔法を使えば当たらず、狙いを付ければ邪魔をされる。
そしてその度に蹴られ、殴られ、投げられ――傷が増えていく。
八方塞がりだ。
それでも、諦める訳にはいかない。
私がここで死ねば、それは同時にイワンと母の死も意味する。
それは嫌だ。
それだけは、嫌だ。
例え刺し違えても――アヅェだけは、殺してやる。
考えろ。考えるんだ。
こいつに一撃を食らわせる方法を。
私はあらゆる方法を試した。
形状を変化させた雪玉は、発射までにタイムラグが生じる。だったら、ノータイムで投げたら当たらないだろうか。
それも一つではない。下手な鉄砲も数打てばなんとやら――魔法で形状を変化させない雪玉をいくつも放った。
「なんだそれは――雪遊びか?」
「げふっ」
さすがに避けきれないようだったが、ただ丸めただけの雪玉ではアヅェにダメージを与えることはできなかった。
落とし穴をあちこちに張り巡らせ、落ちた瞬間に穴を閉じて圧死させるという策も考えたが……アヅェが落ちるまで悠長に待っているような時間は無いし、盲目ではどの穴を閉じていいのか瞬時に判断ができない。
やはり雪玉を投げるしか手段は無い、か?
「……こほ」
何度目か分からない蹴りを喰らい、私は再び地面を這いつくばった。
頬や髪にどろりとした液体が付着している。確認するまでもなく、私の血だ。
前世の物語では『目が見えなくても気配で相手の動きが分かる』みたいな話がたくさんあったが、現実では無理な話だ。
知覚の七割を視界で補っているのに、それを塞がれれば攻撃も防御もままならないのは当たり前だ。
武術の達人じゃあるまいし――そういうヒトでも無理じゃないかな、と思う――、せいぜい亀のように縮こまって防御するくらいが関の山だ。
……山と言えば、一つだけ気付いたことがある。
山の中腹で戦っているので、当然だが平地と違い傾斜が付いている。
なので頂上を背にして戦えば、たとえ吹っ飛ばされても起き上がりやすい、ということ。
……何の解決にもならない。
くそ、くそくそくそくそ!
私は焦りから、無意識のうちに雪を握り締めていた。
……。
……雪?
……山?
……傾斜?
あ。
思い……ついた。
盲目の状態でもアヅェに確実に致命傷を与えられる、理想の魔法を。
「しぶといな……これならどうだ?」
「ごほっ!?」
しかし、まだだ。
実行に移すには、アヅェの魔法無効化の範囲を見極めなければならない。
しかし、逆転の糸口は見えた。
もう少しの辛抱だ。
◆ ◆ ◆
「……そろそろ死んだか?」
アヅェは散々蹴り飛ばしたエミリアの頭を踏み付ける。
事前資料によると、この少女は九歳らしい。それにしては少し小柄だが――虚弱という訳でもなく、むしろ驚くほどタフだ。
精神的にも、肉体的にも。
普通の人間はヴァンパイアに歯向かおうなどとは思わない。
例えどんな理不尽だろうと、絶対強者の言葉には逆らわないのが人間だ。
死の寸前に恨み言を言うくらいならまだ理解できるが、逆にこちらを殺してくるなんて――普通では考えられない。
それに、これだけ圧倒的不利な状況でも少女はまだ諦めていなかった。
隙を見ては雪玉を投げつけ、まだ噛み付いて――否、こちらの喉笛を噛み砕こうとしている。
魔法もさることながら、その鋼の精神力も大いにアヅェの関心を引いていた。
これほどの逸材、殺すには惜しいと、心の底から思った。
人間で魅了術の使い手とあれば、どれほど有用な駒となるだろう。
魅了術で要人を殺しても、彼女に嫌疑が掛かることはない。
まさに万能の暗殺者として機能する。
――この村の人間さえ消せば、彼女が魅了術の使い手という事実を知るのは自分だけになる。
(……いや、駄目だ)
人気の無い場所で『仲間の仇』と称しわざと時間を掛けていたぶっていた。
その間、アヅェはどうにかして少女を殺さず手駒にする方法を考えていた。
しかし王都への報告書に虚偽を書くことはできない。
提出する際『内容に嘘偽り、または故意の報告漏れが無いか』を魅了術で調べられるからだ。
虚偽が判明した時点で、家の名は地に落ちる。まして、内容が内容だ。バレれば国家反逆罪が適用されて物理的に首が飛ぶことは必死。
『家の名を上げる』という至上目的を持つアヅェにとって、それは絶対に渡ることのできない危険な橋だった。
やはり魅了術の秘密を知った者は殺さなくてはならない。
アヅェがヴァンパイア種族である以上、その掟に逆らうことはできないのだ。
「…………けほ」
「ほう。まだ息があるな」
村人の中から駒を選定する際、クドラクはこの少女を候補に入れていた。
長きに渡る僻地の潜入任務でとうとうおかしな趣味に目覚めたのか、と仲間達から茶化されていたが――今なら、彼がなぜこの少女を駒にしようとしていたのかが理解できる。
結果として反対多数でこの少女は選定から外されたが、もし彼女を駒にしていれば、この村の殲滅作戦はもっとスムーズに終わっていたかもしれない。
あれほどの加速魔法を、ごく僅かな時間で使える魔力収集スピード。
人間の魔法は自分達からすれば『とにかく助長で遅い』というイメージを根底から覆すものだった。
「……」
エミリアが、手を伸ばす。
これだけボロボロにされながら、まだこの少女は諦めていなかった。
「無駄だと、言っているだろう!」
伸ばした手を捻り上げ、胸倉を掴んで投げ飛ばす。
「……かは」
受身も取らず、雪の上に大の字で倒れるエミリア。
少女を象徴する白い髪は、自身の血で赤い斑模様ができていた。
魅了術が使えなくなったエミリアがアヅェに勝つためには、魔法による砲撃を当てる以外に術はない。
詠唱という予備動作無しで使える魔法がそれしかないのだから、それに縋るのは当然だが――ここまで諦めが悪いと苛立ちを覚えてしまう。
ふと、村の方に目を向ける。
駒たちが指示した通り、家々に火を放っていた。
もう、村が無くなるのも時間の問題だ。
「……ハッ。見ろ。お前が守ろうとしていた村が燃えているぞ」
「……」
「お前がいくら足掻いたところで、所詮は人間。無駄なんだよ。無駄」
「……」
「詠唱なしの加速魔法だけは賞賛に値するが……所詮、あんなものは一発芸に過ぎん」
「……」
エミリアが、よろよろと……手を、伸ばした。
先程と同様の無駄な行動――ではない。
少女の掌はこちらを向かず、真上に突き出されていた。
まるで、会議の際に発言をするかのように。
「……三つ、訂正させてくれ」
少女は、少女らしからぬ口調で喋りながら、人差し指を立てた。
「ひとつ、私は別に村を守るために戦っている訳じゃない」
エミリアが、ゆっくりと起き上がった。
血塗れの痣だらけ。服も泥と雪にまみれてあちこちが破れている。
立ち上がれるのが不思議なほどなのに、ごく自然に、立ち上がった。
「私程度の力で村全部を守れるなんて、思っていない。たった二人。たった二人の命さえ守れれば――あとはどうでもいい」
少女ははっきりと言った。
守りたい二人さえ守れれば、残りの村人はどうなろうと構わない。
まだ年端もいかない少女が、そう、言い切った。
続けて中指を立てる。
「ふたつ、さっきの魔法は加速魔法ではなく……物体移動の魔法だ」
物体移動の魔法。人間の魔法使いが初歩の初歩で覚えるものだ。
手で持てないようなモノを運ぶくらいしか使い道のない、単なる練習用の魔法……少なくともアヅェはそう認識していた。
「馬鹿な。そんな魔法であれほどの速度を出せるものか」
「詠唱なしの魔法は……重ね掛けができるんだよ。まあ詠唱を省略できないヴァンパイアには、少し想像し辛いかも知れないな」
アヅェが見たところ、少女の放った砲弾は目で追うことができないほどの速度を出していた。
『重ね掛け』という概念はなんとなく想像できるが……何度重ねればあれほどの速度が出るのかは全く想像がつかなかった。
「私はかつて、クドラクに魔法を教えてもらっていた」
少女がうわ言のように口を開く。
死の瀬戸際に立ったヒトは、頭がおかしくなり、こうして昔話を語り出すことがあるが……彼女の瞳は、まだ死んでいなかった。
見えていないはずなのに、アヅェは無意識のうちに少女の白い瞳から視線を逸らした。
「しかし、クドラクがあまり時間を取れないこともあり……私は山の麓で一人、自主練習をしていたんだ」
昔を懐かしむように、エミリアが目を細める。
「その中で、私は思った――魔法には、無限の可能性があると。本に載っている魔法が全てじゃない。自分の想像を具現化するためのツール……それが、魔法の本質だと」
「おい、一体何の話をしている?」
戸惑うアヅェを他所に、続けて、少女は薬指を立てた。
「そこでみっつ目の訂正だ……私が詠唱なしで使える魔法が、土玉や雪玉を飛ばすだけだと誰が言った?」
「……なんだと?」
「クドラクから聞いていないのか?私は、どんな魔法でも詠唱なしでしか使わないと」
エミリアが両の掌を、ぽん、と地面に当てた。
アヅェはそこで、無意識に彼女の話に集中していたことに遅れながら気付いた。
大地が、小刻みに振動をはじめる。
地震?いや――この一帯だけが、揺れている。
こんな局地的な地震など聞いたことが無い。
「――ちっ!」
何をしたのかは分からないが、それが魔法ならば無効化できる。
アヅェは急いで少女の首を掴み上げた。
「なぜだ……どうして無効化が効かない!?」
が、振動は一向に収まらないどころか、徐々に大きさを増していた。
「無駄だ。今のでもう仕込みは終わったからな」
狼狽するアヅェを他所に、エミリアは不敵に笑った。
「お前の魔法無効化は、素手で触れている間しか効果を出さない」
「――っ」
アヅェの使っている無効化装置はエミリアの推測通り、素手で触れた相手の魔力収集を阻害するものだった。
なぜ、それに気付けた?
アヅェの胸中を読んだかのようにエミリアが答える。
「お前に気付かれないよう、ずっと私は仕込みのために魔法を使い続けてたんだぞ――『近付いただけで魔法を無効化する』というのが嘘だと、その時に気付いた」
……なんだ。
「だったら、触れている間しかできないのかと当たりを付け、それを検証した」
……なんなんだ。
「結果、蹴られている時は問題なく魔法を使えたが、素手で触れられている時だけは使えなくなった――つまりはそういうことだ」
……何なんだこいつは!?
(九歳の子供が、どうしてこの極限状態でそこまで冷静に分析できる!?)
……いや。違う。アヅェはすぐに頭を振った。
こいつは、子供なんかじゃない。
(子供の皮を被った――もっと別のナニカだ)
魔力収集が早いとか、魅了術が使えるとか――それは単なる要素でしかない。
真に恐ろしいのは、彼女自身だ。
エミリア・ルーミアスという個体そのものが、恐れるべき対象なのだ。
ほんの少しでも彼女を『使おう』としていた自分の愚かさに、アヅェはこの時点でようやく気付いた。
村の中でエミリアに放った最初の一撃。
あの一撃で、終わらせなければならなかったんだ……!!
「もう、何をしても無駄だ。ここから先はもう――魔法じゃなく、自然現象だからな」
「だから、一体なにをした!」
少女の唇が、にやり、と弧を描く。
「単なる除雪だよ」
「は……?」
「お前の敗因は、私に魔法を使わせる隙を与えたことだ」
地響きがどんどんと大きくなり、やがて、それが姿を現した。
雪だ。山の頂上から、大量の雪が猛スピードで斜面を駆け下りていた。
大質量の塊となった雪は、行く手を遮る木々を飲み込みながら、真っ直ぐこちらに向かってきている――!
「なぁ。雪崩って知ってるか?」
見えないはずの白い瞳が、アヅェの赤い瞳を真っ直ぐに見据えていた。
「なっ……にいいいぃぃぃ?!」
魔法で火や風などの自然現象を再現することはできない。ただ、自然現象を誘発することはできる。
そのことは知っていたが――雪崩を引き起こすなんて、聞いたことが無い。
「くそっ!」
すぐさまエミリアを投げ捨てる。
もはや驚愕する他無いが――魅了術で空に逃げれば、こんな攻撃など避けることはたやすい。
「『浮かび上が』っ……!!」
「なに逃げようとしてるんだ。仲良く一緒に心中しようぜ」
足元の雪が凍りつき、アヅェを地面に縫い留める。
エミリアだ。宣言した通り、彼女はこれまで一度も呪文を口にしていない。
そのことに驚けるような心の余裕は、今のアヅェに無かった。
「やめろ!離せ!」
「――さっき言いそびれた言葉、もう一度言わせてもらうぞ」
巻き込まれればタダでは済まない大質量の雪が襲い掛かる中、冷静に足元の氷を砕き、エミリアを排除し、さらに魅了術を使い逃げるほどの能力を、残念ながら彼は持ち合わせていなかった。
そして、その時間も。
焦りが焦燥に変わり、気付けばもう、雪崩は避けられないほどに迫って――
「死ね」
「こ、この俺が……こんなところで――うああああああああああああああああ!!」
アヅェの叫びも、血塗れのエミリアも、全てを、白が呑み込んだ――。
◆ ◆ ◆
という訳で作戦成功。
雪崩に呑まれる直前に『土牢』を使い地面の下に逃れた私は、『土牢』から抜け出し、その上に積もる雪を除雪しながらひたすら上を目指した。
え?心中するんじゃなかったのかって?
いやいや。ないない。
どうしようもなくなれば刺し違えるつもりだったが、逃げられるのならそれに越したことは無い。
運が良かった、としか言いようが無い。
私が除雪の魔法をよく使っていたこと。
前世の知識の中に雪崩の発生方法があったこと。
斜面の角度、雪の積もり具合――その他、全ての要素が合致していたからこそできた芸当だ。
一息で殺していれば私に抵抗できる術は無かったのに、なぜわざわざあんなに時間を掛けていたのか。
きっと、なんだかんだ言いながらアヅェにも油断があったんだろう。
“人間はヴァンパイアを超えることはできない”という、当たり前のような先入観のせいで、彼は最後の最後で詰めを誤ったんだ。
まったく。よく私に『詰めが甘い』などと説教できたものだ。
やがて、雪の感触がなくなり、ひんやりとした風を掌が感じた。
「よし……ようやく、出られたっ」
雪崩に巻き込まれた者が生存できる確率は決して高くはないが、低くもない。
簡単な訓練を受けていれば生存率は飛躍的に上昇する。
ヴァンパイア王国は雪国だ。アヅェが雪崩に対しての訓練を受けていないとは断言できない。
なので、より確実な死を与えるために足元を固定した。
ガチガチにくっ付けてやったので、雪崩をまともに食らったはずだ。
たとえ生きていたとしても虫の息だろう。
一番の脅威であるヴァンパイアは全員葬った。
後は、残る駒を全員捕まえるだけだ。
盲目でどこまでできるか分からないが……やるしかない。




