第三話「黒歴史」
私は何者なのか。
長らく放置していた疑問に、解法への兆しが見えた。
浮かび上がる仮説。
それが合っているかを調べる必要がある。
ウィリアムとの訓練が終わった私は、すぐさま家に戻った。
「ただいま」
この時間に誰も居ないことは百も承知だが、癖なので仕方が無い。
玄関を足早に抜け、リビングに並べられた本棚の前に立つ。
この世界での本は高く、値段は前世の十倍以上もある。
印刷技術も無く、紙自体も高いとなればそうなるのは自明の理だ。
本来であれば、私のような子供では触ることすら許されない代物だ。
せいぜい、羊皮紙に内容を書き写したものを見せてもらう程度か。
しかし母は『たくさん読んで賢くなりなさい』と言って、好きなように読む許可をくれている。
本当に、ありがたい。
家にある本は全部で四冊。
『王国の歩き方』
この国の地理や、おすすめのスポット、危険な場所などが載ったガイド本。
付随して、道中で万が一食料が尽きたときに食べられる草の種類や、生息している動物の分布図などが掲載されている。
『家事入門(初級編)』
炊事、洗濯、掃除の方法を書いた教本。
個人的にバイブルとして崇めている。
中級以上のものを読みたくて仕方が無い。
『料理大全』
読んで字の如く、料理のレシピ本。
前世には無かった料理も多数掲載されているので、読んでいて面白い。
『ヒト辞典』
ヒトの種族別の生活環境や生息地域などを網羅した辞典。
私はヒト辞典を手に取り、その中の三大種族の項目を開いた。
・三大種族とは?
ヒト科動物の中でも特に強力な力を持ったヴァンパイア、ベルセルク、エルフの総称。
・それぞれの生態について。
共通して、他の種族とは身体能力の根幹が違うことが挙げられる。
彼らは素手で野性動物と対等に渡り歩くことが出来る上、それぞれが独自に昇華させた魔法――“術”を使うことができる。
ヴァンパイア――黒髪赤目。北の雪原に生息。他種族との融和を成し遂げた史上初の種族。現代社会の基礎を作り上げたのはヴァンパイアに他ならない。
“魅了術”を使用する。
ベルセルク――赤髪黄目。西の砂漠に生息。気性が荒く、他種族に対する攻撃性が高い。
“獣化術”を使用する。
エルフ――緑髪緑目。中央森林に生息。全ての能力が極めて高い反面、寿命は短い。
使用術不明。
ヴァンパイアだけ若干ヨイショされているのは、この本がヴァンパイア王国で発行されたものだからだろう。
(言っていなかったが、私はヴァンパイア王国のアイカラという地方にある辺境の村に住んでいる)
辞典に種族ごとの髪と瞳の色が明記されているのは、それが最も目立つ外見的特徴だからだ。
種族ごとの髪の色と目の色さえ覚えていれば、見ただけで相手が何種族なのかを見分けることが出来る。
専門用語でこれを初見判別という。
以前説明したとおり、私の髪と瞳の色は白だ。
辞典にはその事も記されている。
・白化現象。
本来付くはずの色が付かず、反転して白になってしまうこと。
個体数が少なく、詳しい発生条件は分かっていない。
初見判別が行えないため、種族の判別は困難を極める。
長らく自分を人間種族と思っていた。
母もそうだったから、自分もそうに違いないと信じて疑っていなかった。
なまじ前世の記憶なんてものを持っているせいで、そっちにばかり目が行き過ぎていた。
『他の種族とは身体能力の根幹が違う』という辞典の一文。
「まるで三大種族みたいだ」と言ったウィリアムの驚き方。
そして、『種族の判別は困難を極める』という白化現象――。
もし。
もしも私が、白化現象を起こした三大種族のいずれかだとしたら――今日の出来事の説明が付く。
だとすると、私の父は――。
思わず、喉が鳴った。
髪と瞳の色以外にも、大抵の種族は何らかの特徴を持っている。
例えば、ドワーフ。彼らは六本指だ。
例えば、コボルド。彼らは背が低い。
などなど、髪と瞳+αで何かあるはずだ。
もし、三大種族の+αと私のどこかが一致したとしたら。
『自分が何者であるのか』という疑問に答えが出る。
「……」
私はゆっくりとページをめくった。
◆ ◆ ◆
「はぁ……」
「どうしたのエミリアちゃん。今日は元気ないね」
「いや、なんでもない」
「疲れてるなら今日はやめとく?」
「スケジュールが押してるんだ。休むなんてありえない」
「それ、六歳の子供が言う言葉じゃないよ……」
翌朝。
ウィリアムと軽口を交わしながら、今日も淡々と訓練をこなす。
小山まで荷物を背負ったまま歩き、なだらかな傾斜をひたすら往復する。
単調でつまらないと言えばそれまでだが、反復練習の大事さは前世の記憶から学習済みだ。
調べた結果、私は三大種族のいずれにも該当しなかった。
というより、辞典には『ヴァンパイアの犬歯は他よりも長い』としか載っておらず、残りのエルフとベルセルクに至ってはそのほとんどが『不明』だった。
私の犬歯は至って普通サイズなのでヴァンパイアでないことは確かだ。ただ、それ以外は調べようがない。
エルフと言えば耳が長いイメージがあるが、この世界でもそうなのかは分からない。
ベルセルクは字面で想像が付かないが……『獣化術』なるものを使うらしいので、ひょっとしたらネコ耳でも生えているのかもしれない。
仮に私の推測が合っていたとすると、エルフでもベルセルクでもない、ということになる。
結論。私は三大種族ではない。
ちなみに三大種族以外の、身体能力に優れた数種も調べたが、該当するものは無かった。
初見判別が有効すぎるので、それ以外の種族の差というのはあまり研究が進んでいないらしい。
やはり私は何の変哲もない人間のようだ。
雪山で疲れないのは、たぶん前世の記憶から無意識に疲れない歩き方をやっているとか、そういう理由だろう。
私は実は三大種族だったのだ!
なんて展開を期待しなかった訳じゃない。
前世の影響か、果ては転生者としての性か、その手の話には憧れの念を禁じ得ない。
三大種族なんて、いかにもな種族と同じ世界に住んでいるなら、彼らと繋がりがあると想像してしまうのは仕方の無いことだ。
女の子だけど、私TUEEEEとかしてみたいじゃん!
が、さすがに山歩きが得意なだけでそこまで期待するなんて、恥ずかしいにも程がある。
忘れよう。昨日の自分は忘れよう。
こういうのをなんと言ったか……。
ああ、そうだ。
黒歴史だ。
「エミリアちゃん、エミリアちゃん!」
無心になって訓練に励んでいると、ウィリアムと離れすぎてしまった。
「早すぎるよ。ちゃんとペース配分考えないと、いくら君でもバテるよ?」
「すまない。次から気をつける」
お小言をもらってしまった。
「でも今の歩き方すごいね。僕もやってみよ……うお!?」
ウィリアムが私の動きを真似ようとして、バランスを崩す。
傾斜を滑らないようにピッケルを刺し、特に危なげなく体勢を元に戻す。
何度も何度も練習を繰り返さなければ成し得ない体捌きだ。
やはりしっかりと鍛えている。
「危なかったー。エミリアちゃん、体力だけじゃなくてバランス感覚もあるんだね」
褒められた。無意識だったのでどんな歩き方をしていたのか覚えていないけど、かなり早く移動できる歩き方だったようだ。
しかし、ちょっと褒められたところで浮かれたりはしない。
自分は平々凡々な人間なんだ。
調子に乗ってはいけない。
舞い上がってはいけない。
自分を特別視してはいけない。
何かに秀でたいのなら、ありもしない才能を幻視するのではなく努力を重ねるべきだ。
あの日の黒歴史を戒めに、私は黙々と練習を続けた。
そんな生活を続けること、早三週間。
狩りの日が来た。
NG集
『本』
家にある本は全部で五冊。
『王国の歩き方』
『家事入門(初級編)』
『料理大全』
『ヒト辞典』
『ホモの素晴らしさについて』
「おい、最後のやつはなんだ」