第二十八話「切り捨てる」
私は不用意に近付くことはせず、慎重に様子を伺った。
魅了術によって駒にされた人物は、よほどおかしな行動を取らない限り判別することができないが、今の師匠は明らかにおかしかった。
魅了術でどんな人物でも駒にできるとすれば、間違いなく私か師匠は駒にされる。
何故なら、この村で私と師匠が最もイワンと接する時間が長いからだ。その分、殺せるチャンスも多い。
“イワンを殺す”ということだけを考えればそれが一番だ。
私がクドラクだったら、絶対にそうする。
幸いなことに私は駒にされていない。
消去法で言えば、師匠は駒にされてしまっている可能性が高い。
「エミリア。アンタは正気なのかい?」
「ああ。もちろんだ」
「それにしては雰囲気が変わったねぇ。随分と目が据わっている」
「そういう師匠こそ。血まみれじゃないか」
包丁は明らかに使用済み――誰かを刺したような血の付き方をしていた。
その血がイワンのものでないことを願うばかりだ。
母のことも気がかりだ。ここで時間を食う訳にはいかない。
すぐさま本題に入った。
「師匠。イワンはどこだ?」
「それを聞いてどうする?」
「決まってる。助けるんだ」
「助ける?あんたがかい?」
「ああ」
今の私なら、助けられる。
魅了術が使えるようになったから調子に乗っているとか、そういう気持ちはない。
うまく説明できないが、私の中の冷静な部分がそう告げている――としか言えない。
しかし、村人全員を助けるのは不可能だ。
複数のヴァンパイアを相手に私が助けられる人間など、命懸けでやって一人か二人。
全員を救いたい気持ちはあるが……今の私の実力では不可能だ。
だから――それ以外は切り捨てる。
例え師匠であっても。
「そういえば、さっきこっちにクドラクが来たと思ったんだけど……どこに行ったんだい」
「クドラクはもういない」
「それはどういう意味だい?」
「彼は……クドラクは、私が殺した」
「――」
「師匠。あなたがヴァンパイアの駒になってしまっていたとしても、私は躊躇わないぞ」
殺意すら含んだ強い視線を向けると――師匠が、息を呑んだ。
私は腰を落として半身をズラし、構えを取った。
ただの護身術の基本姿勢だが、魔法で攻撃にも転じられるよう、若干のアレンジが加えてある。
「師匠。私はまだまだ未熟です。だからこの手で守れるヒトもほんの一握りしか居ない」
「……」
「すまないが、師匠はその一握りではない。私が守ると決めたのはイワンと母だけだ」
時間がない。
もう問答無用で捕獲してしまおう。
そう思い、魔法を発動させようとしたところで――師匠が、ふっ、と笑った。
あれだけ手塩を掛けて育てた弟子に「あなたを切り捨てます」と言われたのに、とても嬉しそうに、笑った。
「……その様子だと本当に奴らの術には掛かっていないようだね」
「――っ、それはどういう意味だ?」
その言葉に、魔法の発動を止める。
師匠が扉を大きく開けると、ちょうど扉に隠れていた人物の姿が見えた。
「イワン……」
いつもより暗い顔をしたイワンが、テレサの前に出る。
「エミリア。テレサは正気だ。俺を守ってくれたんだ」
◆ ◆ ◆
いつものソファで休憩をしていたイワンは、いきなり玄関から入ってきたテルさんに襲い掛かられた。
咄嗟の反応が遅れ、殺されそうになったところを師匠が助けてくれたらしい(師匠の服に付いていた血はテルさんのものだったようだ)
イワンは私の身を案じてすぐ外に出ようとしたようだが、師匠がそれを押し留め、私が操られていないかを確認する、と言い――そして話は冒頭に戻る。
師匠も、駒にされるなら自分か弟子のどちらかだろう、と思っていたらしい。
「なるほど」
私はちらり、と布が被せられたテルさんの死体に目をやった。
私やイワンへの配慮だろう。と言っても、私は平気だが。
「魔獣が何体も現れたって聞いて嫌な予感はしたんだけどねぇ――まさか、本当に“継承者狩り”が行われるなんて」
若い頃の経験が活きたよ、と苦笑いする師匠。
……過去にもこういう事件に遭遇したことがあるんだろうか。
「とりあえず、無事でよかった」
「……全然、良くねえよ」
“継承者狩り”のことは既に師匠から聞いているようだ。
いつもより表情が暗いのは、これが自分のせいであると責任を感じているからなのだろう。
それは置いといて、まずは第一目標完了だ。
「イワン。師匠を連れて隠れてろ」
「待てよ。お前はどうするんだ?」
「母様を助けに行く」
「だったら俺も行く!」
「何を言ってる。アヅェ達の狙いはお前なんだぞ?」
わざわざ飢えた獣の前に兎を連れて行く気は無い。
無視して外に行こうとすると、先回りして私の進路を塞いだ。
「そこを退け」
「嫌だ!俺も行く!」
イワンの瞳が揺れ、ぽろぽろと涙がこぼれてくる。
イワンは項垂れ、私の顔に手を当てた。
腕の傷は完治させたが、顔の傷はそのままだ。
ウィリアムにぐりぐりされたり、クドラクに踏まれたり殴られたりで結構酷い有様になっているみたいだ。
「俺のせいで村がこんなことになって、お前が傷付いているのに、一人でノコノコ逃げられる訳ないだろ!」
「そうすることが最善なんだ」
「うるさい!お前がなんと言おうと、俺は付いていくぞ!」
「……」
前世にあった小説では、たぶんここは感動的なシーンなんだろう。
お互いの気持ちを確かめ合い、二人で死地に突入し共に強大な敵と対決する。
そして見事強敵を打ち破り、ハッピーエンドを迎える。
――しかしここは現実だ。
私達の間に恋愛感情は無いし、守るべき相手を危険な場所に連れて行く訳にもいかない。
しかも、私には彼の話を悠長に聞けるような時間は無い。
なので、『力尽く』ならぬ『言葉尽く』で従わせた。
「『師匠を連れて安全な場所に隠れてろ』」
「――っ」
イワンの体が、ビクン、と反応した後、師匠の手を引いて衣裳部屋の方角へ足を向ける。
たぶん地下倉庫に入るつもりだろう。
いい判断だ。あそこなら、そう簡単には見つからないはず。
魅了術『肉体』は相手の身体を強制的に動かすものだ。だからイワンからすれば勝手に体が動いている、という感じだろう。
「アンタ、その術は……」
「詳しい説明は後だ。イワンを頼む」
「……!……!」
イワンが何かを言いたそうに口を開閉させるが、少しも空気を震わせることなく、自分の足で――しかし自分ではない者の意志で――ロビーを出て行った。
◆ ◆ ◆
裏口から再び外に出た私は、急いで村の中央方面へと向かった。
「――!?」
が、屋敷の影から出てきた人物に驚いて急停止する。
現れたのは、黒髪赤目に黒いマスクをしたヴァンパイアだ。
名前は覚えていないが、アヅェの部隊に居た奴だ。
身長の関係だろうか――私が低いからではない。向こうが高すぎるのだ――こちらの方が一瞬、早く相手に気付くことができた。
「ん?お前――」
「『死ね』」
向こうがこちらに気付いた時には、既に必殺の言葉を放っていた。
目がぐるん、と気持ち悪く回転して、その場にドサリと倒れるヴァンパイア。
捕まえて魅了術を掛け、情報を引き出すなんて考えは無かった。
村人たちならまだしも、ヴァンパイアを相手に不殺を貫くような余裕は無い。
魅了術は便利だが、私の知らない解除方があるかもしれない。
それに、私の魔力収集キャパからすれば魅了術『肉体』より上の術を使ってしまうと体力が底を尽きる可能性がある。
少しでも危険性のある選択肢は極力避ける。
そのためには――ヴァンパイアは必ず殺さなければならない。
「おい、そっちはどうだ?」
「!?」
安堵したのも束の間、また別のヴァンパイアがこちらに来た。
私は急いでたった今殺したヴァンパイアの死体を茂みに隠した。
「クドラクの奴、どこに行きやがった……って、あれ?」
キョロキョロと辺りを見回すヴァンパイア。
ちょっと注意すれば私に気付けたはずなのに、まるで気付く様子は無い。
完全に油断しきっているその姿は『自分を害する者は居ない』という確信を持ったものだった。
「ベバルラン、どこだ?おかしいな。この辺りに来たと思ったんだが」
私は地面を叩き、魔法で落とし穴の底から音を鳴らした。
「ん?なんだあの穴は……」
ヴァンパイアが、無用心に穴を覗き込む。
私はベバルラン、という名前らしいヴァンパイアの死体に向けて物体移動の魔法を発動させた。
物体移動の魔法は生物には効かないが、今の彼はもう単なる無機物だ。
「いけっ」
襟首を掴み、アンダースローの要領で――投げる。
「おわ!?」
見事にヴァンパイアに命中し、二人ともども穴の中に落ちていく。
穴はそれなりの深さだが、それだけで死ぬとはもちろん思っていない。
すぐに傍まで移動し、雪玉や土玉を作る時と同じ要領で落とし穴内部の壁を圧縮して硬質化させる。
鉄よりも硬く、硬く、硬く。
「ま、待て!何者だ!」
落ちたヴァンパイアが私の存在に気付いたようだ。警戒した声を上げる。
まあ、もう関係ないが。
「ただの村人だよ。では、さようなら」
ぱん、と両手を胸の前で合わせると、その動きに連動して落とし穴が自動ドアのように閉じる。
「や、やめろ!あ……あぎぁぁぁぁぁぁ!!」
骨が砕ける音と肉が潰れる音、そして水が弾けるような音が合わさり、生理的に嫌悪する不協和音を奏でる。
特に感慨も無く、ぽつりと呟く。
「……普通の魔法でもやれるものだな」
意図せず二人のヴァンパイアを葬ることに成功した。
イワンと母を助けるために、ヴァンパイアの全滅は必須だ。
とはいえ、あくまで私の目的は二人の救出だ。
ヴァンパイアたちの殺害はそのための手段に過ぎない。
彼らの相手をするのは母の無事を確かめ、安全な場所に匿った後だ。
――もし、母が既に殺されてしまっていたら、私はどうなってしまうだろうか。
ふと浮かんだ想像を振り払い、私は今度こそ村の中央に向かって駆け出した。
◆ ◆ ◆
「首尾はどうだ」
村に到着したアヅェは駒の一人に声を掛けた。
「あらかた片付きました。生き残りはあの家の中です」
駒が差した方向を見やると、『ルーミアス』と表札の掲げられた家を四人の駒が取り囲み、窓や壁を壊している。
中の村人は家具をバリケード代わりに使い、どうにか持ち応えているが……突破されるのは時間の問題だろう。
それを見て、アヅェは舌打ちした。
「馬鹿共が。火を放てば一瞬でカタが付くだろう」
目撃者である村人の全滅は必須だが、それ以上に大事なのはイワンの殺害だ。
こいつらは揃いも揃って目の前のことに夢中になり、それを忘れている。
「も、申し訳ありません。すぐに準備いたします!」
「この家だけではない。他の家にも全て火を放て」
「はっ!」
全く……人間というのはどうしてこんなに馬鹿ばかりなのか。
己の矮小さを自覚できない者は、自らの殻を破ることができない……とは現王の言葉だが、そのことを痛感せずにはいられない。
その点、あの村人――ウィリアムは違った。
自分でしっかりと物事を考え、時には「こちらの方が効率が良いです」と主に意見すらした。
今も、一人離れて「イワン様が居そうな場所を探して参ります」と別行動を取っている。
命令を聞くことしかできない駒が、だ。
人間種族の中には、たまにそういう駒が出現することがある。
そういう駒は揃って優秀であった。
ウィリアムも例に漏れず、かなり高い教養を持っていることが分かった。
事前情報では単なる狩人、としか聞いていなかったが、ひょっとするとどこかで座学を専門に学んでいたのかもしれない。
もしくは、よほど優秀な人物と多くの時間を過ごしたのか。
この村で優秀な人物と言えば領主以外には思い当たらないが――ひょっとしたら、殺した村人の中にそういう人物が居たのかもしれない。
だとしたら、少し惜しかったかもしれない。
そういう人物は駒にして手元に残しておいた方が、後々便利だからだ。
アヅェは人間を家畜と称していたが、優秀な者は種族に関係なく優秀と正しく評価できる人物でもあった。
……最も、それは『自分の家名を上げるため』というエゴにまみれたものであったが。
◆ ◆ ◆
村の中は酷い有様だった。
何メートルか置きに無残な村人の死体が転がり、そのどれもが悲痛な形相で固定されている。
一つしかない命を絶たれるという恐怖。その中に『なぜ、私はこのヒトに殺されるんだろう』という疑問がありありと浮かんでいた。
既に悲鳴は聞こえなくなっている。
前向きに考えるなら、残った村人で駒にされた人物を取り押さえることに成功している。
後ろ向きに考えるなら、もう村人は誰も残っていない。
「こういう時は――中庸が一番だ」
前向きでも後ろ向きでもない考え。
一見すると中途半端だが、状況が良くても悪くても即座に対応できる。
今の場合の中庸――駒を取り押さえることができていないが、まだ生き残りが居る。
すなわち、膠着状態になっている、だ。
どこかの建物に閉じ篭り、駒たちは攻めあぐね、村人は逃げ切れない状態。
とはいえ、執務棟以外に頑強な家はこの村には存在していない。
暴動が起き始めてから十分――長くても二十分は経過していないと思う。
普通の家でもギリギリ持ちこたえられると思うが、既にヴァンパイア達が村の中に居る。
奴らなら、小さな家くらい一瞬で吹き飛ばせるだろう。
もっと、もっと――急がないと。
と――。
ひゅん、と風切り音が聞こえたような気がして、私は足を止めた。
敵に気付かれたかと、顔を上げて周囲を警戒する。
――あれ。
この状況、どこかで……。
「――っ!」
全身に悪寒が走り、私は前方に身を投げ出した。
ほんの一拍遅れて、さっきまで立っていた場所に、ドス、と音を立てて矢が落ちてきた。
移動せずにあのまま立っていたら、あの時の鹿のように脳天に突き刺さっていただろう。
「ハズしちゃったか……。当てる自信があったのになぁ」
「ウィリアム……」
少し離れた場所から、ウィリアムが姿を現した。
見慣れた狩人の格好をしているが――彼が今狩っているのは、獣ではない。
「次はハズさないよ」
「獣と一緒にするな。そんな矢に当たると思っているのか」
前世にあった拳銃ならいざ知らず、不意打ちでもない限り矢が当たることなど早々無い。
長年狩りの手伝いをしていたおかげで、彼の攻撃のクセは全部把握している。
魔法がある分こちらが有利だし、負けることは無い……とはいえ、時間をかける訳にはいかない。
速攻でカタを付ける!
私は勢い良く地面を蹴った。
「まあ、普通にやれば当たらないとは思うけど――これでも君は避けられるかい?」
ウィリアムが縄を引くと、その先に繋がれていたものが……地面に、ドサリと倒れる。
勝手に足が止まり、瞳孔が収縮する。
「か……母様!」
「ん、んんんー!!」
繋がれていたのは……母だった。
縄で腕を縛られ、口には布で猿轡が付けられている。
必死でもがく母越しにウィリアムが矢を番え、
「エミリアちゃん。マリさんを助けたいなら……動いたら駄目だよ?」
「くっ……」
そして弓を引いた。
狙いを違えることなく、矢は真っ直ぐに私の心臓を貫いた。




