第二十七話「殺害」
人間がヴァンパイアを殺す。
小猫がライオンを殺すくらいに困難だが、決して不可能ではない。
ヴァンパイアと言えど不死身ではないのだから。
その為の手段として、魔法が不可欠だ。
もちろん、ヴァンパイアに真っ向から魔法を放っても通用しない。
なので、クドラクの不意を付かなければならない。
チャンスは一度きりだ。
「さて。左手は人差し指からやってやろうか」
「……」
「なんだ?言いたいことがあるならはっきり言え」
私が取り乱し、泣き叫ぶ声を聞きたいのだろう。
愉悦を浮かべた表情で耳を寄せてくる。
「……」
「うん?よく聞こえんな」
「臭いから口を近づけるな。弱者をいたぶることしかできないクソ野郎が」
ペッ!と唾を頬に吐き掛ける。
ずっと余裕ぶっていたクドラクの顔に、初めて不快感が浮かぶ。
「……ウィリアム。長くなりそうだ。お前は先に本隊と合流しろ」
「了解しました」
一礼し、本隊――たぶんアヅェ達のところだろう――の元へと足早に駆け出すウィリアム。
クドラクは指をポキポキと鳴らし――さっきよりも楽しそうに嗤った。
「さぁて。悪い子にはおしおきしないとな?」
私はわざとらしく身をよじった。
「クソ野郎な上に変態と来たか。いよいよ救い様が無いな」
「……いい度胸だクソガキ。自分で殺してくれと懇願するほどの地獄を見せてやる」
「……ふん」
私は、まだ綺麗なままの左手でクドラクの足を掴み、赤黒くなった自分の右手を掲げた。
◆ ◆ ◆
何年か前の話になるが――詠唱なしで魔法の練習していた時、教本に載っていない技を二つ発見した。
一つ目が『重ね掛け』だ。
同じ内容の魔法を何度も掛けることによって、その威力を増す方法。
これは詠唱なし特有の方法のようで、詠唱ありだと魔法を使う度に呪文を唱えなければならないため、重ね掛けはできなかった。
そして二つ目が『動作』だ。
詠唱なしで魔法を使う際、ただ立ったまま使うよりも何か動きを付けた方がより簡単に発動する。
例えば、物体移動の魔法ならば対象に手を添えたり、落とし穴を掘る際に地面を叩いたり……等だ。
詠唱なしの魔法にとって、動作そのものが発動の補助となるんだろう、と当時の私は結論付けた。
そして、動作を派手にすればするほど、その威力が増すことにも気付いた。
魔法発動の原理――大きな魔法を使うには、大量の魔力が必要になる――を完全に無視していたが、現実にそうなっているのだ。
どういう理屈になっているのかは今になってもまだ分からない。
◆ ◆ ◆
「地獄に落ちるのは――お前だ」
持てる力の全てを注いで、地面を強く、強く叩いた。
「なっ!?」
魔法が発動し、唐突に地面が消失した。
そう錯覚するほどの大穴が開き、私とクドラクを呑みこんだ。
深さは分からない。
唐突な浮遊感に、胃の中のモノが出そうになる。
すぐにクドラクを引き寄せ、私が上になるようにする。
「お前……何故魔法が――」
目を白黒させるクドラク。
説明する義理も時間もないので、「ざまあみろ」の意味を込めてニヤリと笑ってやる。
クドラクの首に肘を当て、落下の衝撃に備える。
落下時間はほんの一瞬だった。
それでも、子供の体重に落下のスピードを乗せ、一点に狙いを絞ればかなりの衝撃になる。
肘の先がクドラクの首に食い込む感触と共に鈍痛が走る。はずみで彼のマスクがどこかに飛んでいく。
クドラクは受身も取れないまま地面に叩き付けられ、さらに私という重荷までプラスしている。
私は彼をクッションとして使わせてもらったので、肘以外は無傷で済んだ。
いかに強靭なヴァンパイアであろうと、同じヒト科動物であることに変わりは無い。
魅了術である程度の傷を治癒できるようだが――魅了術は魔法と違い、詠唱なしで唱えることができない。
つまり、喉を潰せば魅了術は封じれるのだ。
首への攻撃は頚椎を含めた重要な部分への攻撃と共に、魅了術封じも兼ねていた。
しかし……。
「この……クソガキがぁぁ!!」
「がはっ!?」
クドラクが放った拳が顔面に命中し、私は吹っ飛ばされた。
失敗した。
首の骨を折るどころか、喉を潰すまでも至らなかったらしい。
しかしかなりのダメージを与えることには成功しているようで、クドラクもまともに起き上がれないでいた。
「くそっ……足が、足が動かねえ」
微妙に曲がった首で怪我をした箇所を確かめている。
魅了術で治療するつもりだ。
ここで回復されたら私の勝ち目は無くなる。
「わああああ!!」
すぐに起き上がり、クドラクに飛び掛かった。
急いで首を絞める……が、右手が完全に使い物にならなくなっているせいで上手く窒息させられない。
逆に両手で頭を掴まれ、頭突きを食らった。
「がは……」
「治療の前に、お前を先に殺してやるよ」
クドラクが、口を開いた。魅了術で確実に仕留めるつもりだ。
集められた魔力が舌の上に乗り、唇から魔力を含んだ意味ある言葉が紡がれる。
「あ」
その時、私は――唐突に理解した。
◆ ◆ ◆
「なあ。エミリアはなんで家政婦になりたいんだ?」
ある日、ふとした拍子にイワンからそんな質問をされた。
寝る前に雑談をするのは恒例行事だが、そういう類の話は珍しい。
「うーん」
改めてそう言われると、返答に困る。
理由はいろいろあった。家事が好きだからとか、母と同じ職種になりたいだとか、将来は安定した収入が欲しいだとか。
それらを混ぜ合わせると、こういう返答になる。
「自分に一番合ってるから……かな?」
「そうなのか」
微妙に眉をひそめるイワン。
「なんだその納得いかねーって顔は」
「なんていうか……確かにお前なら家政婦くらい簡単にできそうだけど、ピッタリなのはもっと別にありそうな気がして」
「……じゃあ、イワンはどんな職業が私に合うと思う?」
「開拓者……とか?」
開拓者、とは、未開の地を探検して新たにヒトが住める地を開墾していく職業のことだ。
発見した土地が肥沃な大地の場合、莫大な報奨金が国から与えられたり、土地の所有権を優先的に貰えたりする夢のある職業である反面、未知の野生動物や異なる文化の先住民と戦闘になることも多く、危険と隣り合わせだ。
しかも開拓できないと小黄銅貨(この世界で一番価値の低い硬貨)一枚すらもらえないという過酷さだ。
私は首を振った。
「ないない。そういう一攫千金な職業はゴメンだ」
「だったら傭兵とかはどうだ?もしくは騎士とか」
「……なんでそういう物騒な方向への就職を進めるんだお前は」
「え?だってお前、戦闘センスがすげー良いし」
「はい?」
「気付いてないのか?」と前置きしてから、イワンが説明してくる。
曰く、私には戦いに対する天性の才能がある、ということ。
戦いを重ねれば重ねるほど、命の危機に晒されれば晒されるほど、その力を伸ばすことができるだの何だの……。
その才能を最大限に生かすには、やはり戦闘系への就職が良い、とのこと。
はっきり言って眉唾モノだ。
そりゃあ、模擬戦では私の方が勝ち越しているけど……それは前世の知識とかによるものが大きい。
というか、イワンがまともに戦ったことがあるのは私と領主様だけのはず。
たった二人しか相手にしたことがない奴に戦闘センスがどうのと言われても、信じられるはずがない。
「――というわけだ。分かったか?」
「はいはい」
「お前、なんで寝る体制に入ってんだよ!聞いてなかっただろ!」
「聞いてたよ。アレだろ?私はピンチになればなるほど力を増すんだろ?」
「微妙にちげーよ!命が脅かされると、それに対応して能力が大幅に上がるんだよ!今まで出来なかった技を使えるようになったり、身体能力が上がったり!」
どっちも同じじゃないか。
ぎゃあぎゃあ言うイワンをなだめて、その日は眠りに落ちた。
◆ ◆ ◆
「なるほど。イワンの言っていたことも、あながち間違いじゃなかったってことか」
「あ……あが」
クドラクの口の中に左手を突っ込み、舌を掴む。
これで魅了術は封じた。
すぐさま殴りかかろうとするクドラクに、私は避けもせず、ただ一言。
「『やめろ』」
風圧で前髪が揺れるほど拳が接近したが、そこから先にはピクリとも動こうとしない。
続けて、言葉を紡ぐ。
「『お前は私に危害を加えられない』」
舌を離すと、クドラクは私から距離を取った。狭い穴の中なので、ほんの二メートルも離れられてはいないが。
「お前、その技……」
「何を驚いてるんだ。こんなの初歩の初歩だろう?」
肩をすくめて――右手の酷い有様が視界に入った。
ついでだから治しておくか。
「『全治三十秒……といったところかな』」
いつだったか、領主様に言われた言葉を真似してみる。
百八十度曲がった指がブルブルと振動し、DVDの逆回しのように、ぐりん、と元の位置に戻り、赤黒い色をしていた皮膚が徐々に元の肌色に変色していく。ついでに、痺れるような肘の鈍痛も収まっていく。
きっかり三十秒後、私の右手はいつも通りになった。試しに動かしてみても全く違和感は無い。
「よし。完治」
治った瞬間、眩暈を覚えた。
魔力収集による疲労ではない。
何故かは分からないが、猛烈にお腹が空く。
……あ。ひょっとして、怪我を治療すると身体の栄養的なものが急激に減るんじゃないか?
だから領主様は痣を『三十秒』かけて治したんじゃないか?
指が千切れかけるほどの大怪我なら、三分なり、三十分なり、もっと時間をかけて治さないと身体に負担がかかる……ということか。
ファンタジー小説にありがちな、唱えるだけで回復するような便利な治癒魔法は存在しない、ということを改めて認識させられた。
うん、勉強になった。
完璧に治った右手を見て、クドラクが叫ぶ。
「何故だー!なぜ人間のお前が魅了術を使える!?」
「魅了術、必要な魔力とコツさえ掴めば誰にでも使える」
かつて雪山で出会った謎の男の言葉を借用すると、クドラクの表情が完全に怯えたものに変わる。
「そんな、そんなハズはない……種族を超えて術を使えるなんて――」
わけの分からない事を呟きながら、クドラクは私から視線を逸らし、逃げようとする。
しかし足が動かない(たぶん首を攻撃した時に足の神経が切れたんだと思う)状態では、どうやっても逃れられないし、私への攻撃は封じられている。
完全に……形勢逆転だ。
「どこに行くつもりだ、よっ!」
「ぐほっ!?」
私はクドラクを蹴り飛ばし、仰向けにさせる。
彼の上に馬乗りになり、頬に両手を添え、額がくっ付くほどに顔を寄せて――目を、合わせた。
「た、助けてくれ。ここで俺を助けてくれたら、王都の――」
「最後の最後で魅了術のコツまで伝授してくれるとは……あなたは優秀な先生だったよ。今までありがとう。クドラクさん」
何か命乞いめいたことを言っていたが、それを無視して私は告げた。
「『死ね』」
「――――っ」
クドラクの目から……光が消えた。
……。
……。
……。
死んだ。
殺した。
種族は違えど、意思疎通のできるヒト科動物を、自分の手で殺した。
だというのに、私の心は冷静そのものだった。
地上を見上げる。
穴はそれなりに深く、私の身長ではそのまま上がれそうにない。
土を操作し、等間隔に取っ手を付けて登る。
「――ふう」
乗り越えた。
絶体絶命、というに相応しい状況を、どうにか脱することができた。
しかも魅了術という新たな技まで習得できた。
この力があれば、ヴァンパイア達を返り討ちに出来るかもしれない。
『あの言葉』を境に、私は完全に割り切れるようになった。
仲の良い村人たちを助けたい気持ちはあるが、全員はどうやっても無理だ。
だから、自分にとって大切なヒトだけを助ける。
それ以外は――見捨てるつもりだ。
この村で、私が助けたい大切なヒトは、二人だけ。
「……母様。イワン」
母の姿を探すが、敷地内には居なかった。
おそらく村のどこかに逃げているはず。
魅了術を掛けられた村人は全部で六人。うち一人はこの敷地内に居る。
つまり執務棟の外には五人、敵になった村人がいる。
そして、村の外には五人のヴァンパイア。
今すぐここから逃げれば、生き延びることはできるだろう。
しかし……母とイワンだけは見捨てることはできない。
友達になったきっかけはクドラクによるものだったかもしれないが、そんなことはどうでもいい。
友情なんて理由もなく始まり、なんとなく続いていくものだ。
だから、あいつの掌で踊ったとは思わない。
「……先にイワンだな」
居場所の分からない母を捜すよりも前に、居場所の分かるイワンだ。
休憩に行くと言ってから、もう十分以上が経過している。
村の状況を鑑みれば、それだけで何かあったと察するには十分だった。
足を進めようとすると――いきなり、屋敷の裏口のドアが開いた。
「おやエミリア。無事だったのかい」
「……師匠」
出てきたのは……返り血でメイド服をべったりと汚した師匠だった。




