第二十五話「黒幕」
「最期……って」
「エミリアちゃんらしくない物分かりの悪さだね。この村は、今日無くなるのさ」
メモ帳に刻まれた予定を確認するような口調で、ウィリアムは繰り返した。
たまらず私は怒鳴り返す。
「魔獣が攻めてきてるんだぞ!そんな非常時にヒト同士で争ってどうする!」
「それは嘘だよ。この計画の一部さ」
「どうして……どうしてこんなことをするんだ!?」
確かに不便だし、娯楽施設は無いし、何より寒いし、街に比べればいいとこなんて一つもないかもしれない。
それでも私は生まれ育ったこの村が好きだ。
ウィリアムだって、同じ気持ちのはずだ。
そう思っていたのに、彼はこの村の破滅に加担している。
何かをネタに脅迫され、仕方なく……という感じではない。
私を殴った時も、今も、躊躇するどころか進んで行っている節がある。
「僕もこの村が大好きだよ」
ウィリアムは穏やかに言う。
「でも、僕らは家畜だ。ご主人様が『要らない』と言えば――どんなものだって壊すよ」
「ご主人様……?」
「ああ。ちょうど帰って来られたみたいだね」
押さえつけられていた頭が解放され、今度は無理矢理顔を前に向けられる。
「ほら。あの御方が僕らのご主人様だ」
「……嘘だ」
「嘘なんかじゃないよ」
ウィリアムが示した視線の先――。
そこには、村に侵入していた魔物を狩りに出ていたクドラクさんの姿があった。
◆ ◆ ◆
「クドラク!ちょうどいいところに戻ってきた!急にテルがおかしくなったんだ!」
テルさんは両手をそれぞれ押さえつけられ、罪人のようにクドラクさんの前に突き出されている。
「誰か布を持ってきてくれ!子供達に死体を見せるな!」
「怪我人は執務棟の中へ運べ!」
「執務棟の外に逃げた奴らを呼び戻せ!外で騒がれたら魔物が釣られて来るかもしれんぞ!」
何人かの大人が指示を出し、徐々にだが、広場の騒ぎは収束しつつあった。
だからと言って失われた命が無くなる訳でも、テルさんの犯した罪が無くなる訳でもないが。
クドラクさんは、テルさんを一瞥した。
気さくな彼らしからぬ冷たい表情だった。
「イワンは?」
「持ち場の方には誰も居ませんでした」
「……あの領主に何かを吹き込まれ、警戒していたのかもしれんな」
「クドラク様の計画に気付いていたと?」
「それはない。ただ、奴は警戒心が強かった。あらゆる事態を想定して息子だけは逃がす算段くらいは立てていたのかもな」
「では、いかがいたしましょう」
「お前は屋敷の中を探れ。家畜の掃除は他の『駒』に任せる」
「はっ」
「おいお前ら、一体何の話を……」
テルさんの腕を押さえていた村人は困惑する。罪人と断罪者のはずなのに、その会話はまるで騎士と王のようだった。
クドラクさんの赤い瞳が、村人の姿を捉える。
「そいつを離してやれ」
「は?」
「聞こえなかったのか?『離してやれ』」
クドラクさんが再度告げると、右手を押さえていた村人はとても素直にテルさんから手を離した。
最も、素直なのは手だけで本人は困惑していたが。
「……!?」
「リチャード!お前、なんで――」
「わからねえ!手が、勝手にっ!」
「ありがとよ」
テルさんは自由になった右腕で懐に忍ばせていたナイフを取り出し、左腕を押さえていた村人の喉元に突き立て――そのまま、ぐにゅ、とナイフを捻った。
びじゃぁ、と大人の身長ほどの高さまで血が噴出する。
血の噴水は十秒程度で収まったが、それだけで十分だった。
たった十秒で死に至るほどの血液を失い、村人――工具屋のバルドルさんは死んだ。
テルさんは続けて傍に落ちていた斧を拾い上げ、リチャードさんへ狙いを定めた。
「うし。そのまま動くなよ?」
「や、やめ」
命乞いを無視して斧を頭に叩き付けるが、ギリギリのところでリチャードさんに回避される。
なんとか即死は免れたが、避けきれずに肩がばっくりと裂けた。
痛みに悶えながら地面を這いずって逃げようとするが、簡単に追いつかれてしまう。
「おいおい、一撃でラクにしてやるんだから暴れるなよ」
テルさんは足でリチャードさんの背中を踏み付ける。まるで木をノコギリで切り落とす時のような格好だ。
「やめてくれ!何でもする!だから助けてくれ!」
「そりゃ無理な相談だ」
「だ、誰か――」
リチャードさんは周囲を見渡すが、バルドルさんが殺された辺りで村人のほとんどは外に逃げてしまっていた。
残っているのは物言わぬ死体か、恐怖のあまり動くことすらできなくなった者、どうすればいいのか分からず泣いている者だけだ。
「いやだいやだしにたくない助」
口上の途中で、テルさんは彼の背中に斧を叩き付けた。
リチャードさんの体がくの字に折れ曲がる。天を向いた口はまだパクパクと何かを訴えていたが、それは誰の耳にも届くことはなかった。
やがて、口の動きが止まる。
まるで仕事でかいた汗を拭うように、ふぅ、と血を拭うテルさん。
「では、屋敷へ言って参ります。ああ、それとウィリアムが裏庭で待っていますよ」
それだけを言い残し、軽快な足取りで屋敷の中へ入って行く。
それを見送らず、クドラクさんは私達の方へ視線を向けた。
◆ ◆ ◆
「あああ……」
私の口から出てきたのは……意味の無いうめきだった。
ヒトが死んでいく。
何の罪もないヒトたちが、くだらないヴァンパイアの権力闘争に巻き込まれて。
それに対し、私は何もすることができない。
涙が頬を伝った。それがどういう意味なのかは分からない。
悲しいから泣いたのか、悔しいから泣いたのか、怒りで泣いたのか。
冷静に考えてみれば、テルさんがここまで平然とヒトを殺せるはずが無い。
どれほど魅力的な報酬を約束されようと、愛娘の頭を叩き割れる訳が無い。
それが可能になる方法を、私は知っていた。
だったら、黒幕が誰かなんてすぐに見当がついたはずなのに。
「そいつは真っ先に殺しておけ、と言ったはずだが?」
頭上から声が降ってくると同時、視界の端に靴が映った。
私は顔を見上げる。
「クドラク……!!」
黒髪赤目、黒いマスクに黒いジャケットを羽織ったヴァンパイア。
もはや敬称で呼ぶ必要も無くなったかつての魔法の師に対し、私は怨嗟の声を上げる。
「この、人でなし!テルさんやウィリアムに魅了術を使ったな……!!」
魅了術『思考』
術者の思い通りに動く操り人形を作り出すことができる、ヒトの尊厳を無視した悪魔の術。
ウィリアムやテルさんはそれにより、クドラクの思うがままに動く『駒』となってしまっている。
お隣さんだろうと自分の妻だろうと平然と殺せるし、それに対し疑問を感じることも無い。
「……お前、魅了術のことをどこで知った?」
クドラクは私の頭に靴を置き――思い切り、踏みつけた。
ガリ、と口の中で何かが取れた。
土と血の味が混ざり合い、めまいも相まって吐きそうになる。
「――まあいい。で、ウィリアム。この頭でっかちの色無しを生かしておいた理由は何だ?こいつの魔法は人間では対処しきれんぞ」
「イワン様の姿が見当たりませんでしたので、居場所を聞き出すために。仮に逃げられたとしても、彼女さえ確保していればイワン様は間違いなく戻ってきます」
「……なるほど。イワンはこいつに惚れ込んでいたからな」
つまり私はイワンを釣るための餌か。
ウィリアムに一欠片の理性が残っていて、私を生かすよう取り計らってくれた――なんて甘い展開ではなく、あくまで打算で生かされているだけだ。
「さすがは大商人の弟だ。頭が切れる」
「何を仰います。イワン様にエミリアを宛てがったのは、クドラク様ではありませんか」
……え?
クドラクが、私を、イワンに……宛てがった?
どういう意味だ?
私の胸中を読んだかのように、クドラクが足を退ける。
「なあエミリア。イワンに出会う直前、俺がお前に何て言ったか覚えているか?」
……詳しくは覚えていないが、確か『友達になってくれ』と言われたような気がする。
あれ?
「まさか……」
「そのまさかだ。あの時、お前に魅了術を掛けた」
「……っ!!」
ようやく、疑問が解消した。
私が何故あそこまで躍起になってイワンと友達になろうとしていたのか。
魔法について話ができるヤツが欲しかったから、とか、自覚が無いだけで彼に惚れていた、とか、そういう理由ではなかった。
クドラクに、そう言われたから。
三種ある魅了術のどれを使ったのかは分からないが、私は潜在意識に『イワンと友達にならなくては』という意識を埋め込まれた。
それ以外の理由もないし、それ以上の理由もない。
「本来は癇癪を起こさせてお前に怪我を負わせ、村での立場を無くして追い込むのが狙いだったんだが……まさか本当に友達になったのは予想外だった」
イワンと打ち解けようとした私の数々の努力は……一体、何だったんだ。
彼と友情を結び、過ごしてきた二年間が……がらがらと、崩れる音がした。
「しかもそのせいでイワンが頭角を現したんだから、人選ミスと言わざるを得んなぁ」
「逆にそれで良かったのかもしれません。隠れた王の資質を持つ者――言わば隠しトラップを早期発見できたと思えば」
「おかげで大掛かりな仕事になっちまったがな」
「こ、こんなことをして……領主様が黙っていると思うのか!」
声が震えてしまっていた。
でも、何かを言わないとイワンのことで頭がぐるぐる回って、涙が出そうになる。
起こってしまったことはもう覆せない。
だから、悩むのは後回しにしてこの状況を脱することに全力を注ぐ。
――そう自分に言い聞かせるための啖呵を、クドラクは鼻で笑った。
「領主一人では何もできん。討伐部隊のヴァンパイアは全員、俺の仲間だ」
「なっ……に?」
ウィリアムの肩に手を置きながら、クドラクは絶句する私を冷たく見下ろした。
「魅了術で『駒』を作れるのはヴァンパイア一人に対し一人が限界。だったら、仲間が居ると考えるのが自然だろう?」
討伐部隊のヴァンパイアは全部で五人。
――だとすると、ウィリアムとテルさんを除いてあと四人、悪魔に魅了されてしまった村人が、いる。
◆ ◆ ◆
<イワン視点>
「はぁ……」
指定席となったロビーのソファに腰掛け、俺はため息を吐いた。
頭の中では、村を出る直前の父様との会話を思い出していた。
――「あの時の約束、覚えているな?」
――「友達を守れ。できるな?」
――「よし。さすがは我が息子だ」
その時の父様の笑った顔がやけに頭に残ってしまって、俺は見張りの仕事もそっちのけで父様の心配ばかりしていた。
エミリアに休憩しろと言われた時は思わず反論しかけたが、落ち着いて考えてみれば納得だ。
こんな状態で、エミリアを守るなんてお笑い草だ。
「父様に言われたばっかりなのに……駄目だな俺は」
「おや坊ちゃん。見張りはいいんですかぃ?」
しわがれた声が聞こえてきて、そっちの方へ顔を向けた。
「テレサ。広場に避難しろって言われてるのに何をしているんだ」
「ヒェッヒェ。あまり年寄りをいじめんで下され」
……つまり外は寒いし立っているのが面倒だから家でゆっくりしている、ということか。
まあ、広場もここも距離はそれほど無いし別にいいか。
「それで坊ちゃん。どうしてこちらに?」
「ああ。父様のことが心配で落ち着かなくてな。エミリアに休んで来いと言われたんだ」
「それはそれは……すっかり尻に敷かれてますな」
「尻がどうした?」
「いえいえ何も」
……たまにテレサは顔をくしゃっとさせて(何か嬉しいことがあった時の顔だ)おかしなことを言う。
「そうだ坊ちゃん。ちょうどお湯を沸かしていたところなんです。良ければ気分が落ち着くようにお茶を淹れて差し上げましょうか?」
「ああ、頼む」
テレサの紅茶は絶品だ。
エミリアの淹れてくれたのもウマイが、やはり紅茶はテレサに軍配が上がる。
「お待たせしました、さあどうぞ」
「ありがとう。ところでテレサ」
「はい、なんでしょうか坊ちゃん」
紅茶を受け取った俺は、テレサが握っているものに目を向けた。
「なんで包丁なんか持ってるんだ?」




