第二十三話「応援」
「なんだったんだ、あいつは」
男の背中が見えなくなり、ようやくイワンは息を吐いた。
首筋にはくっきりと手のカタチをした痣が残っている。
「エミリア、大丈夫か?」
「あ、ああ……」
体の方は何ともないが、男に言われた言葉の数々が胸をちくちくと刺していた。
突拍子も無いことを一度に言われすぎて、考えがうまくまとまらない。
「イワン、お前の方こそ大丈夫か」
「あー、これくらい別になんともねえよ」
ぽりぽりと首筋を掻きながら、イワンは笑う。
「お前が無事ならそれでいい」
「そうか」
ぽろっと恋に落ちてしまうかもしれないくらいカッコイイ言葉を言われるが、今はそんな場合ではない。
私は煙弾を打ち上げた。意味は『異常事態のため、帰還する』だ。
「とりあえず村に戻ろう」
イワンは大丈夫と言っているが首の痣がやはり心配だし、正体不明の人物が村の近くをウロついていたことは早めに報告しておいた方がいいだろう。
今日は領主様が執務棟にいるはずだ。
◆ ◆ ◆
領主様は討伐には参加せず来客の対応をしている。
もう終わっているかと馬小屋を覗くと、そこには見慣れぬ馬が繋がれていた。
どうやらまだ来客者は滞在中らしい。
先にイワンの治療を済ませてしまおうかと思いきびすを返したその時、これまた見慣れぬヴァンパイアの男がこちらに歩いてきていた。
彼はこちらに気付くと、私――というか、私の髪と瞳の色――を見て驚く。
……まあ、初めて会うヒトがする反応だ。
その後、イワンの方を見ておお、と嬉しそうに声をかけてきた。
「君がイノヴェルチ様のご子息か」
「はぇ?」
いきなり話しかけられてポカンとするイワン。それを見て「名を名乗らないとは失礼なヤツめ!」と思われたと勘違いしたのか、見慣れぬヴァンパイアはピシリと敬礼した。
「これは失敬。私はアヅェ・デアルグ・ウーストレル。王国直属の魔物討伐部隊北支部の視察係をしている」
王国直属の討伐部隊。
読んで字の如く、ヴァンパイアの手が足りていない村を周り、魔物を一掃する役を担った部隊だ。
かねてより応援を打診していると領主様が言っていたが、部隊を派遣する前にアヅェさんが先んじて村の様子を見に来た、という事なのだろう。
彼が「この村にはまだ余裕がありそうだ」と見なせば、キシローバ村での魔物の掃討は後回しにされる。
交渉は上手くいったのだろうか……。
見慣れぬヴァンパイアことアヅェさんは、イワンを見て「ん?」と眉をハの字にする。
「その首の傷はどうかしたのか?」
「これは悪漢から私を庇ってできた傷です」
あの男との一件についてはあまり突っ込まれたくないので、イワンに変わって早口にそう告げる。
アヅェさんが驚いたように目を見開く。
「ほう……まだ幼いというのに勇敢だ。聞けば、魔物の討伐にも積極的に参加しているとのことだが」
いつもの調子で「おう」と言おうとするイワンの脛を蹴る。
……どうもコイツは敬語が苦手なようだ。
「はい」
「村人からの評判もすこぶる良い。このような息子を持てて、さぞやイノヴェルチ様も鼻が高いだろう」
本音とお世辞を半分こにしたような口調だったが、それに気付かずまんざらではない様子で頬をかくイワン。
アヅェさんが来るのがあと二年早かったら村人からの評判はちょっとアレだっただろうと思うと、本当にイワンは成長したなぁ、としみじみ感じた。
「当然のことだ……です」
「早めに部隊を派遣しよう。この村には守るに値する逸材が居る」
イワンの頭を、ぽん、と撫でて、アヅェさんはやはり彼のものだったらしい見慣れぬ馬に飛び乗った。
「本隊はここから三日ほど離れた場所で待機している」
それがどれくらい離れた場所にあるのか、あまりよく分からない。
――というか、隣村くらいしかヒトの住んでいる場所をはっきりと把握していないのだ。
詳細な地図、というのが村に無いせいで、私が思い描く世界は本来のそれよりも遥かに小さい。
地図自体はあるにはあるが、私が小さい頃から更新されていないままの大雑把なもののみ。主要都市の名前と方角くらいなら『王国の歩き方』で学んだが、正確な距離はさっぱりだ。
この村で生活する分には何も不便は無いので気にしたことは無かったが、異世界とここを比べて不便と感じることの一つだ。
「一週間ほどで戻ってくる。それまでこの村を守っていてくれ」
「はい!」
笑みを浮かべるイワンに手を振り、アヅェさんは村の外へ通じる門へと馬を走らせた。
あと一週間。
一週間待てば、応援が来る。
◆ ◆ ◆
「――という訳です。イワンも怪我を負いましたが命に別状はありません」
アヅェさんを見送ってから、謎の男のことを領主様に報告した。
イワンは医務室で治療を受けているため、今は私一人だ。
山での出来事をありのままを伝えることはできなかった。言っても訳が分からないだろうし、私もどう説明していいか分からない。
なので、『怪しい男が村の周辺を探っていたので声をかけたらイワンの首を絞めて逃走した』という風にさせてもらった。
「男……か。この村を調べて何の意味があるというのだ」
「分かりませんが、今後一層、注意を払った方がいいかと」
男とは別で、よそから応援が来る直前というのは気の抜けやすい時期でもある。
アヅェさんたちが駆けつけた時には既に遅く……なんて展開は絶対に避けなければならない。
「あと一週間で領主様の肩の荷も下ります。それまでは頑張りましょう」
「アヅェと会ったのか」
「はい。随分とイワンを買っておられましたよ」
「そうか」
領主様は、ふぅ、と椅子にもたれかかる。
「改めて礼を言う」
「……?なにに対してです?」
「イワンがあそこまで成長できたのは、エミリアのおかげだ」
「私は何もしてませんよ」
「共に競い、寄り添える友人。それこそがイワンにとって最も必要なものだ」
競えているかはちょっと微妙だ。
ここのところ、特に身体能力の面で顕著に種族の差を感じてきている。
あと数年もすれば、イワンは私の手の届かない場所に行ってしまうだろう。
甘えんぼなところは変わっていないが。
未だに自分で身体を洗おうとしないし……。
まあそこがかわいいからいいのだが。
「だとしても、実際に努力したのはイワンですよ」
それだけを告げて、きびすを返す。
「――そういえば領主様」
「なんだ?」
「転生者、という言葉をご存知でしょうか」
自我に目覚めてすぐ、同年代の友人に聞いて回ったことのある単語。
あれ以来、口にすることはなかったが――改めて、それを問うてみた。
もしかして、領主様なら何か知っているかもしれない。
「……?いや、悪いが知らん」
領主様は虚を付かれたようにキョトンとしていた。
本当に知らない顔をしている。
「そうですか。ありがとうございます」
頭を下げ、今度こそ私は部屋を出た。
◆ ◆ ◆
怪我の様子見と男のことを口止めをしてから、イワンを家に送る。
転生者がどうの、という会話を彼は聞いているはずなのに、何も聞いてこない。
そのことを問うと「エミリアが何も言ってこないってことは、俺が知る必要のないことだろ?」と答えた。
無類の信頼を置いてくれている。そのことが何よりも嬉しかったと同時に、怖かった。
もし私が、異世界の記憶を持った転生者だと知られたらどうなるのか、と。
帰宅した私はすぐに湯船に水を溜めて魔法でお湯に変化させる。
魔物討伐に参加した後は、まず風呂に入るのが日課になっていた。
寒い身体を温められるし――考え事に集中できる。
いつもなら雪山での反省点を洗い出し『次に活かすにはどうすればいいか?』を考えているのだが……今回は違う。
あの男についてだ。
まずは容姿を脳裏に思い浮かべる。
黒髪黒目の人間種族。乱雑に切り揃えた髪は男にしては少し長めだった。暗く、淀んだ双眸は吊り上がっていて、ただ睨むだけでも威圧感を与える。身長は百七十の後半くらい。ローブを羽織っていたのであまり分からなかったが、イワンを持ち上げた腕はかなり引き締まっていた。
そして――魅了術を使っていた。
人間種族が魅了術を使う。
ありえない話だ。猿が剣を使えないように、人間が魅了術を使うことはできない。
魔力の量もさることながら、人間が使う魔法とは根本的に構造が違うのだ。
魅了術教本を熟読し、何度も試したからこそ分かるし、言い切れる。
人間が魅了術を使うのは不可能だ。
――しかし、実際にあいつは魅了術を使ってみせた。
私の攻撃に対し、『効かない』という言葉で対抗した。
実はあいつは黒髪のカツラを被ったヴァンパイアだった?いやいや、髪の色は誤魔化せても瞳の色は誤魔化せないはずだ。
仮にそうだったとして、わざわざ人間種族に扮する意味が分からない。
あの口ぶりからすると男も転生者っぽかったので、もしかしたら何らかのチート的な能力なのかもしれない。
次に、男の言葉を思い浮かべる。
“お前は何のためにここに来た?”
“何も無い平穏を望むだの、幸せに暮らしたいだの、そんな甘い考えがお前に通用すると思うな”
“転生者はこの世界にとって劇薬だ。定められた他人の運命をも呑み込み、変えてしまうほどにな”
“お前に大切な者はいるか?もし居るなら、早めに別れを告げた方がいい”
………………。
私なりにあいつの言葉を解釈すると。
転生者は何らかの目的を持ってこの世界に登場し。
激動の人生を送る運命を背負っていて。
その運命ゆえに、他人の人生を捻じ曲げる存在である。
なので、大切な者の運命を変えたくないなら、自ら離れた方が良い。
ということか。
イワンも、私のせいで運命を捻じ曲げられたと言っていた。
確かにイワンは変わった。姉へのトラウマも払拭し、無闇やたらに敵を作ることもなくなった。
領主様が言うように、きっかけは私だったのかもしれない。
でも……それは『運命を捻じ曲げる』なんて表現をするほどのものだろうか?
私が居なくとも、遅かれ早かれイワンは変わっていたと思う。
自分で姉のトラウマを乗り越え、大きく成長していたはずだ。
しかし一笑に伏すこともできない。
もし男の言葉が本当なら、私が居るだけで周囲のヒトの運命がおかしなことになる。距離が近ければ近いほど大きく、顕著に。
最も近しい人物――言うまでもなく母だ。
私のせいで、今後母の運命が良くない方向へ転がってしまう。
想像するだけでゾッとした。
しかし母と離れるなんて考えられなかった。
絶対に嫌だ。
でも、もし私のせいで母が不幸になってしまうなら……。
私は一体、どうすればいいんだ。
「うぅ……」
思考が堂々巡りし、私は膝を抱えた。
「エミリア?」
外から母の声がした。
どうやら長く風呂に入りすぎていたようで、既に帰宅していたようだ。
「っ、すまない母様。すぐに夕食を」
「いいのよ。それより私も一緒に入っていい?」
「あ、ああ!背中を流そう」
少しフラつきながら――のぼせてしまった――湯船から出て、入ってきた母の背中を洗う。
「こうして一緒に入るのも久しぶりよね」
「そうだな」
「最近はどう?何も変わりない?」
魔物討伐に参加してからというもの、母は以前より私を気遣うようになった。
とてもありがたい反面、心配をかけてしまう自分の弱さが嫌だった。
私がテンプレなチート使いでTUEEEできていれば、こんな心配をかけずに済んだものを……。
将来メイドになる分には武力など不要だが、今だけは心の底から欲していた。
「ああ。何も問題はない」
「嘘ね。何があったか話しなさい」
母は背中を向けたまま、そう断じた。
「え?いやいや、本当だぞ。いつも通り偵察をして――」
「嘘よ。いつも通りではなかったでしょう?」
「――っ」
「じゃあ、聞き方を変えるわ。今日何があったのか、事細かに話してみて?」
「……」
嘘を言ったつもりはなかった。
背中を向けたままなのに、私の心の底にある迷いを母は感じ取ったのだろう。
私は、今日の出来事を話した。
男のことも、領主様に話した風に脚色した。
何故だろう――ちゃんと辻褄を合わせたはずなのに、母に話すとあちこちに綻びがあるように感じてしまった。
しかし特に突っ込みは入らなかった。
全てを聞き終え、母はなるほどと頷き、
「そのヒトに何か言われた?」
「……」
「なんて言われたの?」
「その、髪の色とかを……」
嘘ではない。ちょっと珍獣みたいな感じに言われたのは本当だ。
この村で私をそういう目で見るようなヒトは居ないが、外に出ればそんな輩はゴマンと居る。
珍獣扱いはまだいい。それで差別するような者だってゼロではないだろう。
身体を洗い終え、二人で湯船に浸かる。
「それで?」
「なんていうか、私って、“何なんだろう”なぁ……って」
さすがに“母の傍に居るかどうか迷ってる”とは言えずに言葉を濁した。
母は何も言わず私を後ろから抱きしめてくれた。
「母様?」
「髪の色なんて関係ない。エミリアはエミリアよ」
母に優しく囁かれる。
それだけで、私の中に燻っていた不安が消えていく。
私の人生の転換点になりそうな男との出会いが、とても小さな出来事のように思えてくる。
やはり母は魔法使いだ。
私を元気にさせることのできる、私だけの魔法使いだ。
「かわいいかわいい、私の子よ」
「……ありがとう、母様。元気が出た」
「そこは感極まって『母様大好きー!』って言ってくれるところだと思うけど?」
それは恥ずかしくて口には出せないので、誤魔化すように母に抱き付いた。
迷いは晴れた。
私は転生者である前に、母の子なのだ。
子は母の元に居るべきだ。それが普通で、当たり前なのだ。
◆ ◆ ◆
一週間が過ぎ、アヅェさんがヴァンパイアを引き連れて戻って来た。
部隊、と言ってもアヅェさんを含めて五人しかいないが、この村周辺の魔物を掃討するには十分だ。
村人総出で出迎える。
「応援、痛み入る」
「堅苦しい挨拶は抜きにしましょう。差し迫った問題があるのです」
アヅェさんは少し焦ったように、領主様に何かを耳打ちした。
領主様の表情が険しいものへと変化する。
「それは本当か?」
「間違いありません」
その言葉を、領主様から近い位置に立っていた私は偶然拾ってしまった。
「魔獣です。それも、複数体の」
NG集
『華麗に』
「お前が無事ならそれでいい(キメ顔」
「そうか」
(あれ!?スルーされた!?)




