第二十二話「ターニングポイント」
月日が経つのは早いもので、気付けば二年の時が過ぎていた。
季節は間もなく春に差し掛かろうとしている。キシローバ村で唯一、景色ががらりと変化する時期だ。
現在の私は誕生日を二度繰り返して九歳になった。
二年もの歳月を経た割に身長がほぼほぼ横ばいなのが気に掛かるが……特に大きな病気を患うこともなく、健康そのものだ。
「エミリア、行くぞ」
「ああ」
待ち合わせていたイワンと合流し、私達は山へと向かった。
何をするのかって?
もちろん、魔物の討伐だ。
◆ ◆ ◆
この二年で、キシローバ村の運営体制は大きく変化した。
魔物の発生件数は年を経るごとに増え続けていた。それでもクドラクさんをはじめとしたヴァンパイアたちが定期的に討伐を行っていたので、村人への被害は僅かで済んでいた。
しかし、一年ほど前に出された帰還命令により、常駐しているヴァンパイアの数が減ってしまった。
魔物の増加はキシローバ村だけでなく、ヴァンパイア王国全土で起こっているらしい。
魔物が増えればさらなる危険生物――魔獣の出現率も増えるし、国内が乱れれば、他国から攻められる隙を晒すことになる。
そのため、ヴァンパイアが人数不足に陥っていた。
『田舎の村にそんな大人数のヴァンパイアはいらないだろう』という理由で、エストリーさん、リャノンさん、アサンボサムさんの三人が村から引き抜かれてしまった。
現在、村に残っているのは領主様とクドラクさんのみ。
二人だけで数の増えた魔物を駆除しながら、村の様々な業務をこなしている。
まるで前世にあったブラック企業並みの労働を強いられ、領主様もクドラクさんも日を追うごとに疲労が溜まっていた。
彼らを助けるべく、キシローバ村では現在『村人でできる事は自分達でやろう!』という風潮になっていた。
雪かきや夜の見回りなどは村人達が交代で行い、領主様たちは魔物の討伐に注力してもらう。
そうして互いに協力し合い、なんとか村の体制を維持できている状態だ。
魔法を使える私はかなり重宝されていた。
特に大雪が降った後の雪かきはもはや私の専門業と言ってもいいほどだ。大人数でやるよりも私の魔法の方が遥かに早く除雪できる。
あまりの早さのため、『除雪王』とかいう称号までもらった。
称号や勲章は異世界テンプレでよくあるもので、私も憧れを抱いていたんだが……何故だろう、全然嬉しくない。
◆ ◆ ◆
……そうそう。イワンはあの一件以来、完全に生まれ変わった。
かつては姉に強烈なコンプレックスを抱いた承認欲求のカタマリだったが、『姉は姉、自分は自分』と折り合いを付けるようになった。
癇癪も起こさなくなり、少しずつ笑顔も増えた。
今では村人にもイワンの存在は受け入れられている。
もともとの見てくれがいいせいか、年の近い女子は彼の屈託の無い笑顔に胸をときめかせる者が多かった。
特に衣服屋のステラなんか完全にのぼせ上がり、イワンと仲良くしている私に対しえらく嫉妬していた時期があった。
……まあ、その辺に起きた騒動はまた何かの機会に話せればと思う。
魔法もふてくされることなく真面目に習うようなった結果、私が数年かけてコツコツと伸ばした魔力収集量を、イワンはあっさりと抜き去った。
さすがはヴァンパイアと言うべきか、そこは素直に負けを認めるしかない。
しかし緻密な魔法を使う面では私もまだまだ負けていない。
単純な力ではイワンが勝っているが、それ以外の細かい部分は私に軍配が上がる。
互いの欠点を補い合えるいいコンビだ、とクドラクさんには評された。
魔法も使えるようになったが、やはりイワンは剣術の方が好きならしい。
剣術の訓練も欠かさずにやっている。
私自身に剣の腕を見る目がないので、イワンの剣士としての正確な実力は分かりかねるが……あの年齢にしてはなかなか強いと思う。
イワン専属メイドはあれ以来、土日限定になった。
月~金までは主にウィリアムの狩りを手伝ったり、雪かきしたり、家で新しい料理を研究したり、雪かきをしたり、護身術を習ったりして、土日はイワンの家でメイドをしている。
……実際は働いていると称して、遊んでいるだけなのだが。
一緒に庭で魔法の練習をしたり、実戦っぽい訓練をしたり、勉強の分からないところを教えたり、風呂で体を洗い合ったり。
そして夜はあの大きなベッドに二人で寝転がり、眠くなるまでいろいろと他愛のない話をする。
これで本当に給金をもらっていいのかというレベルだが、主を楽しませることも専属メイドの大事な仕事の一つだと、師匠にはそうすることを許されている。
尤も、イワンと遊ぶ以外の家事では未だに尻を叩かれているが。
◆ ◆ ◆
魔法の授業はクドラクさんが忙しくなったために無くなってしまったが、魔力収集の練習は欠かしていない。
魔力収集はやればやるほどに精度を増し、集められる量も際限なく伸びていった。
今の私が使える魔法のバリエーションから考えれば明らかにオーバースペックだが、大人になったら伸ばせなくなるかもしれないし、こうして時間が取れるのは今だけかもしれない。
なので現状に満足せず、限界が見えてくるまで練習を続けるつもりだ。
目指せ、イワンに並ぶくらいの魔力収集量!
◆ ◆ ◆
そして最も大きな変化と言えば、魔物討伐に参加し始めたことだ。
といっても、実際に討伐する訳ではなく、私の仕事はあくまで偵察だ。
魔物はちょっと魔法が使えるだけの子供が相手にできるものではない。
やつらを安全に狩れるのは領主様かクドラクさんのみ。
イワンでも狩れない事は無いらしいが、領主様曰く「まだ戦力として数えられない」とのことだ。
いかに強大な力を持つヴァンパイアでも、この村全てを完全に守りきることは難しい。
単純に魔物の個体数に対して監視の目が足りないのだ。
それを補うために村人から偵察部隊が創設された。
私はまだ子供だが目が良いし、雪山を走り回れる体力もあり、いざとなれば魔法も使えるということもあり、偵察にはうってつけの人材だった。
少しでも村の役に立ちたいと思い、自分から立候補した。
もちろん母から大反対を食らったが、最終的にはなんとか説き伏せることに成功する。
私の仕事は安全圏から素早く魔物を見つけ、それを領主様かクドラクさんに急いで知らせる。
それだけだ。
偵察部隊は二人一組が基本だ。私は専らイワンと行動を共にしていた。
領主様たちに比べればまだまだ未熟とはいえヴァンパイアであり、行動の癖も互いによく知っている。
クドラクさんの言う通り、私達はいいコンビと言えた。
普通の野生動物であれば、全く相手にならないほどだ。
思わず、「私達なら魔物でも狩れるんじゃないか?」なんて錯覚してしまう。そんな考えが頭に浮かぶたびに、そんな訳がないと自制する。
自分の実力を見誤る者ほど早死にする。
そのうちの一人になる訳にはいかない。
まだ死にたくないし、何より――私が死んだら、母が悲しむ。
余計なことはせず、役割に徹しろ。
そう自身に言い聞かせていた。
◆ ◆ ◆
そんなある日。
突然、降って沸いたように、“そいつ”は現れた。
いつものように雪山の見回りをしていると、
「ん?」
「どうしたエミリア」
「……ヒトが、いる」
「はぁ?なに言ってるんだ。こんな場所にヒトなんて――」
イワンは訝しげな疑問符を上げるが、私が見ている方角に首を向けると、
「――いた」
と、口を半開きにしながら言った。
雪山の獣道を我が物顔で進みながら、“そいつ”は私達の前に姿を現した。
一言で言えば、おかしい男だった。
ここは野生動物しか立ち入らない区域だ。キシローバ村に用があるならもっと安全な平地を進めばいい。
隣村の狩人が迷い込んだ……と考えられなくもないが、それなら登山装備を一切付けていないのはおかしい。
黒髪黒目――人間というのが、さらに彼を不気味たらしめていた。
ゴーグルが無ければ目が炎症を起こしてしまうというのに、何も付けていない。
氷点下の山の中、薄いローブだけを羽織っているだけなのに、少しも震えていない。
明らかに“おかしい”
「止まれ!」
イワンも男の異常性を察知したのか、木刀を抜いて威嚇する。
が、男は止まらない。
そのままずんずんと進んでくる。
「おい、聞こえないのか!止まれ!」
二度目の警告で、男はようやく足を止めた。
止めた……というより、“ちょうど話しやすい立ち位置まで来たから止まった”と言った方が正しいだろう。
要するに、彼はイワンの言葉を全く聞いていない。
彼我の距離はちょうど五メートルほどになった。
二十代後半くらいだろうか。そのくらいになると細かい年齢までは見分けられない。
暗い目をしていた。
ちょっと失礼な表現だが、濁った泥水のような影が見え隠れしている。
男はにこりともせず、私を真っ直ぐに見つめていた。
「お前がエミリアか」
初対面のはずなのに、何故か私の名前を知られていた。
ますます変な人物だ。
こういう大人に話しかけられた場合、前世であれば逃げるのが得策なのだが……。
しかし、男が何者なのかという好奇心から、彼と会話することを選択した。
「どうして私の名前を?」
「知り合いから聞いた。世にも珍しい子供がこの村にいるってな」
……私は珍獣じゃないぞ。
「確かに白化した人間は珍しいのかも知れませんが、ヴァンパイア王国内になら私以外にも――」
「いや、そっちじゃない」
ちょっとだけムッとしながら反論すると、男を手を振って私の言葉を遮った。
“そっち”じゃない?
じゃあ、“どっち”なんだ?
「なにせ世にも珍しい――――転生者だからな」
「…………え?」
続けて出てきた男の言葉は、怒った母の様に私を思考停止させるに相応しい破壊力を持っていた。
転生者。
前世からの記憶を持つもの。
異世界の存在を知っている者でなければ出るはずの無い言葉だ。
つまり、この男は――。
「おい、お前はなんなんだ!」
イワンが男に木刀の先を向ける。
以前に比べれば随分と落ち着いたが、やはり根は喧嘩っ早い。
しかも私が話しに絡むと途端に沸点が低くなるのだ。一時期はウィリアムにまで噛み付いていた。
断っておくが、これは唯一の友達を他に取られたくないという独占欲的なもので、恋愛フラグとかではない。
「イワン。少し落ち着け」
相手がいくら怪しかろうと、その態度はよろしくない。
どうにかなだめようとしたら、男がイワンを見下ろした。
まるで、今そこに居ることに気付いたかのような素振りだ。
「お前は誰だ」
「俺はイワンだ!イワン・ヴァムピィールヅィージャ・ジャラカカス!」
何故か名前を尋ねられたと思ったイワンは、長々としたフルネームを叫ぶ。
男の表情が訝しげなものに変わった。
「ジャラカカス?ヴァンパイアでも有数の貴族が、何故こんな辺鄙な村に?」
「知るか!」
「まあいい。俺は今エミリアと話をしている。お前はあっちで雪遊びでもしていろ」
「ふざけるな!お前――」
男はイワンの首を掴んだ。
そのまま足の届かない位置まで持ち上げる。
「聞こえなかったのか?俺は今、エミリアと大事な話をしている。邪魔をするなら、誰であろうと容赦なく殺す」
男の瞳が、一段と暗くなる。
この段階になって、ようやく気付いた。
男はヒトの死に多く携わっている。
前世よりも死の距離が近いこの世界では、死に目に会うこと自体は珍しいことではない。
私の年齢でもう何人もの死に遭遇しているくらいだ。
しかし、男は別格だった。
数人どころではない。数百、あるいは数千もの死と対面している。
それほどの人数、自分で手を下さなければ絶対に遭遇しない。
端的に言えば、こいつは人殺しの目をしていた。
私の中で男は“怪しい”から“敵”になった。
「やめろ!」
足元の雪玉を魔法で圧縮し、それを飛ばす。
魔法を習い始めた頃から慣れ親しんだ物体移動の魔法。現在、最も使用頻度が高い魔法の一つだ。
中心点を決め、そこに雪が集まるようにすれば氷のように固い雪玉を作れるし、それを弾丸のように飛ばすのにも使える。
この魔法は一回の効果が小さいが、重ね掛けすることでありとあらゆる場面で使える万能の魔法になる。
多数の魔法を同時に使え、魔力収集も早い私ならではの手法だ。
魔物討伐に参加し始めてから攻撃用の魔法もいくつか教えてもらったが、どれも応用力に欠けていて私には合わなかった。
ただの雪と侮る無かれ、圧縮してある程度の硬度と速度を兼ねたそれは木の板くらいは余裕で貫通できる。
ヒトに向けて飛ばせば――試したことは無いが、簡単に殺せてしまうと思う。
もちろんそんな度胸はないので、狙うはイワンを掴む手だ。
加減が分からなかったので骨折は免れないだろうが、イワンにしていることを思えば罪の意識は全く沸かなかった。
「無駄だ。お前の攻撃は効かない」
「?!」
しかし、直撃したというのに男は痛がりもしなかった。その身体はまるで騎士の鎧を着込んでいるように硬く、固めた雪玉の方が砕けてしまった。
「お前の本気はそんなモノじゃないだろう?それともコイツを殺さないと本気を出せないか?」
男が力を込めると、イワンが苦しげにうめき、唇の端から泡を吹いた。
冗談、とは思わなかった。
コイツは殺すと言えば躊躇いもなく殺す。
死ぬ。
イワンが。
私の、友達が。
「あああああ!!」
前世の知識にあった『ヒトを決して害してはならない』という強烈な倫理観は完全に頭の中から消えていた。
どんな手を使っても、コイツからイワンを引き離さないと。
それだけに意識が集中していた。
今までで最も速度を上げた雪玉を、同じ場所めがけて発射した。
ぶぢん、と歪な音が鳴り、男の肘から先が千切れた。
ボトリ、と雪の中に落ちるイワン。
「げほっ、ごほっ……!」
激しく咳き込んでいるということは生きている。
それだけを確認して、さらに雪玉で男を追撃する。狙うは残った左腕と両足。
先程の一撃でなんとなく感覚を掴んだが、加減はしなかった。
「これは……加速魔法?いや、違うな」
「?!」
いつの間にか、男は私のすぐ目の前に移動していた。
放った雪玉は外れ、雪を盛大に吹き飛ばして地面に着弾する。
男は右手で顎を撫でる。
「……なるほど。物体操作の魔法を何十回も重ね掛けしているのか。まだ二度目の誕生祭も迎えていない年齢でこれほどまでに魔法を己がモノにしているとは――つくづく、転生者は化物だな」
「あ……」
私は後ずさった。
今しがた、雪玉で千切れたはずの腕が、何事もなかったかのようにくっ付いている。
幻でも見ているかのようだ。
「言っただろう?『お前の攻撃は効かない』と。ほんの一瞬、破られかけたが……そこは経験の差だ」
男と目があった時、奇妙な感覚を覚えた。
この感覚を、私は以前に一度だけ体験したことがある。
「魅了……術?」
出来の良い生徒を持った先生のように、男はニヤリと唇を歪めた。
「そんな……魅了術はヴァンパイアしか使えないはずだ!」
「それは優位性を確保するためのヴァンパイアの方便だ。必要な魔力とコツさえ掴めば誰にでも使える」
世界を覆しかねないことを、まるで世間話のように言い放つ。
男の底が分からない。
怖い。
私は純然たる恐怖を覚えた。
「さてエミリア。お前は何のためにここに来た?」
唐突な質問。
全く意図が分からない。
「前世で遂げられなかった思いを果たすためか?自由気ままに生きるためか?まさか魔王を倒すため、なんて言うんじゃないだろうな?」
自我が芽生え始めた頃にずっと考えていた。
転生者とは、何かを成す為に異世界から来る。
しかし私には前世の記憶はあれど前世の人格は存在しない。
だから、遣り残したことも、目的も無い。
何にも無い。記憶だけの空っぽだ。
母と共に平和に暮らしたいと結論を出したが、結局それは『自分は何者か?』という思考を放棄しただけに過ぎない。
私は……。私は……。
「忠告しておこう。何も無い平穏を望むだの、幸せに暮らしたいだの、そんな甘い考えがお前に通用すると思うな」
男の言葉が、鋭利なナイフのように私の胸に突き刺さる。
「転生者はこの世界にとって劇薬だ。定められた他人の運命をも呑み込み、変えてしまうほどにな」
男の瞳が私を捉える。
魅了術の発動条件は瞳を合わせること。
私は咄嗟に視線を逸らした。
「お前に大切な者はいるか?」
「――っ、いない」
反射的に母の顔が思い浮かんだが、どうにか顔に出すことはしなかった。
ただ、男はやけに含みを持たせた言い方をしてきた。
「そうか。もし居るなら、早めに別れを告げた方がいい」
「っらぁぁぁ!」
突然、雪の中から雄たけびと共にイワンが飛びかかる。
どうやら隙を伺っていたらしく、獰猛な獣のような一撃が男の首筋に吸い込まれる。
が、まるでそこに打ち込むことを知っていたかのようにあっさりと避けられてしまう。
いつもなら、イワンが攻撃に失敗した際は私がフォローする運びになるのだが、男の言葉に衝撃を受けていて完全に忘れてしまっていた。
そのせいで、イワンは次の一撃を加えずに私の前へと飛び退いた。
「大丈夫か!?エミリア」
「いい太刀筋だ。こいつも、お前に運命を捻じ曲げられた一人、という訳か」
聞き捨てなら無い言葉を吐く男。
私が、イワンの運命をねじ曲げた?
「ワケの分かんねーことをゴチャゴチャ言いやがって!エミリアに手を出すんじゃねえよ!」
「言いたいことは全て伝えた。もう何もする気は無い」
肩をすくめ、男はきびすを返した。
隙だらけの背中だ。私の魔法なら音も無く脳天を割ることだってできるほどに。
でも、何もしなかった。できなかった。
「忠告だけはさせてもらったぞ。後はどうするか……自分で考えろ」
男が最後に放った言葉が、胸の中で何度もこだました。
「また来る」
NG集
「お前がエミリアか」
男が口を開いた瞬間、私は迷わず鞄に取り付けた警報ブザー(子供がランドセルに付けているアレ)を鳴らした。
途端に焦り出す男。
「待て待て!確かに怪しい登場の仕方をしたが、これは演出の一環であって俺は決して怪しい人物じゃないんだ!何なら俺の素性を事細かに――」
「NGでネタバレはやめろ」




