第十九話「イワン1」
俺の名前はイワン。
イワン・ヴァムピィールヅィージャ・ジャラカカス。
ヴァンパイア王国の最北端、キシローバ村で生まれた。
父はこの村を納める領主で、母は俺が物心付く前に死んだらしい。
しかし寂しいとは思わなかった。
俺にとって、母はもとから居ないものだ。居ない人物に対して寂しいという気持ちなんか生まれるはずがない。
俺にとって、家族は父様とねーさま。
それ以外は居ないし、必要ない。
そう思っていた。
ねーさまは天才だった。
勉強はもちろんのこと、武術や魔法だってすぐに覚え、十歳になる前に“魅了術”を使えるレベルまで魔力収集ができるようになっていた。
ヴァンパイアと言えど、魅了術に必要な魔力を実用レベルで収集できるのはほんの一握りで、そのほとんどが成人を超えていると考えれば、いかにねーさまが優れているかが良く分かる。
自慢のねーさまだった。
ねーさまが褒められるたび、「そうだろう」とまるで自分のことのように胸を張った。
ねーさまは将来、父様を継いでこの村の領主になる。
そして俺はねーさまの下で胸を張り続ける。
そんな未来が来ると、信じて疑っていなかった。
――しかしある日、ねーさまは急に村を離れ王都に行くと宣言した。
急に、と思ったのは俺だけで、父様には既に話を済ませていたらしい。
「今の私じゃなりたい自分になれない。だから、もっと勉強してくるね」
頑張り屋なねーさまらしい言葉だったが、当然俺は断固反対した。
大学になど行かずとも、ここで勉強すればいいじゃないか。
“魅了術”なんか、父様に教えてもらえばいい。
ずっとこの村で一緒に過ごそう。
――当時、三歳か四歳くらいだった俺は舌っ足らずな言葉でねーさまの足にしがみつき、そう訴えかけていた。
「イワン」
駄々をこねる俺に、ねーさまはいつもの優しげな声でこう告げてきた。
「この村にずっと居る。そう考えたこともあったわ……でもそれじゃ、私が成さなければならないことを成せないのよ。私にはもっと、もっと――大きな力が必要なの」
「ねーさまがしたいことってなに!?オレや父様と離ればなれになってまでしなきゃいけないことなのか!?」
「そうよ」
裏切られた気分だった。
俺にとって、ねーさまと父様だけ居ればいいはずなのに、ねーさまはまるで違う世界の、違う景色を見ていた。
「ねーさまがそこまでしたいことってなんなの!」
「……イワンになら、教えてもいいかな」
ねーさまは膝を曲げ、グズる俺の頭を撫でた。
ねーさまの説明は難しすぎて、当時の俺には理解できなかった。
ただ一つ理解できたのは、ねーさまは『この国の王になろうとしている』ということだけだった。
ヴァンパイア王国は“王族”が国を統治しているが、王の子供が必ずしも王になる訳ではない。
『より優れたヴァンパイアの血族が、国を牽引する旗印となる』という初代国王の言葉を受け継ぎ、その代で最もすぐれた“家”が、“王族”に格上げされるのだ。
もしねーさまが王になれば、俺や、父様も“貴族”から“王族”になる。
……それにどういう意味があるのかは分からない。
とにかくねーさまは、すごいことをしようとしている。それだけは理解できた。
――しかし子供である俺には関係のない話だった。
とにかくねーさまと離れたくない。その一心で駄々をこねた。
「じゃあ、イワンもいつか王都に来て、私を助けてよ。そしたらまた一緒にいられるよ?」
「――!」
盲点だった。
ねーさまが村を離れるのを止めないと言うのなら、俺が王都へ行けばいいのだと。
「分かった!この村でねーさまみたいにいろんなことをたくさん勉強して、ねーさまを助けられるようになるよ!」
子供である俺はその言葉にすっかりその気になり、笑顔でねーさまを送り出した。
……たぶん、そこから俺の歯車は狂い始めた。
◆ ◆ ◆
怖い夢を見た。
「――!」
目を覚ました瞬間に夢の内容は忘れてしまったが、とにかく怖かった。
俺はすぐに隣のねーさまに擦り寄ろうとして――
「あ……」
自分以外誰も居ないことに気付く。
もう、ねーさまは居ないんだ。
そのことに猛烈な寂しさを募らせる。
ああ……。
俺にとっては、ねーさまが母親役でもあったんだな、と、ようやくそこで理解した。
寂しい。
寂しい。
一人だとベッドが大きすぎて、
一人だと寒すぎて、
一人だと夜が怖すぎて、
死にそうだ。
しかし、そのことを誰かに言うわけにはいかなかった。
俺は将来、ねーさまを助ける男だ。
夜が寂しいだなんて、言ったらねーさまに笑われてしまう。
だから一人で歯を食い縛って、孤独に耐えた。
目が覚めると、よく枕が濡れていた。
◆ ◆ ◆
「はい。こことここ……あとここも間違ってますね」
「……」
当時、家に仕えていたメイドに勉強を見てもらっていたが、自信満々で出した回答は半分以上が間違っていた。
「坊ちゃま。そんなに落ち込まないで下さい。全問正解するお嬢様が優秀すぎたんですから」
「…………」
「魔法を習いたい?」
「ああ、早く覚えたいんだ。だから頼む!」
その当時、村に派遣されていたヴァンパイアに頭を下げたこともあった。
父様には真っ先にお願いしたが、「お前にはまだ早すぎる」と怒られてしまった。
しかし俺は、早く魔法を覚えて、王都に行きたいんだ。
ねーさまに早く会いたい一心で、慣れない相手に恥を忍んで頭を下げるが、
「ハハハ!やめとけやめとけ。お前の姉は特別だったんだ。下手に真似しようとしても怪我するだけだぞ?」
「…………」
いつしか俺は、『天才の姉の真似をしたがる凡才な弟』というレッテルを貼られた。
何をしてもねーさまと比べられ、見下され、笑われる。
それが苦痛で仕方なかった。
そして、あの日の言葉を思い出すようになった。
――「じゃあ、イワンもいつか王都に来て、私を助けてよ。そしたらまた一緒にいられるよ?」
あれは駄々をこねる俺を説得するための出任せだったんだ。
ねーさまは俺になんか何の執着も持っていない。
ただただ――鬱陶しい。そう思っていたに違いない。
それなのに、俺は、あんな言葉を鵜呑みにして……。
ちくしょう。
俺は孤独とは別の理由で枕を濡らした。
◆ ◆ ◆
ある日、唐突に魔力収集ができるようになった。
きっかけはねーさま……いや、姉が忘れていった一冊のノートだ。
内容は魔法に関する初歩的なまとめのようなもので、魔力収集の基礎についてみっちりと書き込まれていた。
姉のノートは(たぶん)そこいらの教本よりも丁寧で、とても分かりやすかった。
そのおかげかは知らないが、試しにやってみたら、あっさりとできた。
俺は急いで父様にそのことを報告した。
「ふむ。では来週から魔法の授業を行おう。講師を誰か割り当てておく」
やった。
ようやく自分が認められた気がして、嬉しかった。
その六日後、講師の名を告げられると共に衝撃の事実を知らされる。
「もう……一人?」
「そうだ。エミリアという人間の村人だ」
「……エミリア」
講師はクドラクだった。そのことに不満は特にない。
しかし、俺と同い年で魔法の素養に目覚めた人間――エミリアに関しては大いに不満だった。
何故なら、会ったことはないがその名前には聞き覚えがあったからだ。
使用人どもが談話している最中にときたま出てくる程度だったが、そいつは俺にとって聞き捨てならない呼び方をされていた。
曰く、エミリアは天才児だと。
四歳にして既に文字が読めただの、五歳にして既に家事を完璧にこなしていただの、六歳にして既に大人顔負けの暗算ができるだの……エミリアの話題には枚挙に暇が無かった。
姉以外に天才なんていない。
俺は姉を憎むようになっていたのに、エミリアが姉と同列に語られるたびに何故か不快な気分になった。
◆ ◆ ◆
「はじめまして。私はエミリア・ルーミアス。お互い頑張ろうな、イワン」
初めてエミリアを見た印象としては……とりあえず白かった。
他にもいろいろな感想が思い浮かんだ――母親とあまり似ていないとか、意外と可愛いとか、女なのに胸が無いとか――が、白さの衝撃が大きすぎて、全部かき消されてしまう。
あの目、ちゃんと見えているのか?
「お断りだ。たかが人間、しかも“色無し”と馴れ合う気は無い」
俺がさんざんな態度を取ったにも関わらず、エミリアは怒ることもなく、逆にクドラクをなだめていた。
挑発して“天才児”の化けの皮をはがしてやろうという目論見は、あっさりとかわされた。
「……チッ、つまんねえやつ」
俺はさらにコイツのことが嫌いになった。
――それと同時に、最後に言われた言葉が妙に心に残った。
「イワン。気が向いたら友達になってくれ。私はいつでも大歓迎だ」
◆ ◆ ◆
数日後。俺が何もすることなく、エミリアの化けの皮はあっさりとはがれた。
エミリアが天才というのは真っ赤な嘘だ。
天才は、教えられたことは何でも一度で覚える。少なくとも、姉はそうだった。
しかしエミリアは、魔法の素養があれば誰でもできるはずの魔力収集ができず、今日も面白い顔をさらしている。
俺は拍子抜けした。
こいつの母親は使用人の中では中堅クラスだ。
その娘だから、新米の使用人どもが母親に気を遣ってこいつを天才児と持ち上げているだけだったんだ。
所詮、噂は噂だ。
俺はすぐにエミリアへの興味を失った。
劣等生には付き合っていられないと、俺は早々に授業を抜けるようになった。
本当はエミリアを放って授業を進めたかったのだが、クドラクがエミリアにかかりきりになっているせいで全く進める気配が無かったので、その間は剣術の練習に当てるようにした。
「おや、坊ちゃま。今日も授業は無しですか?」
家に帰ると、使用人のテレサが家の掃除をしていた。
俺が他の使用人どもを毛嫌いしていることに父様が気付いたらしく、その代わりにテレサを俺専属の使用人としてあてがうようになった。
テレサは他の使用人どもとは違い、俺をバカにしたりしないし、何も言わなくてもまるで心が読めるみたいに俺がやって欲しいことをしてくれる。
例えば、夜一緒に寝てくれたり。
テレサのおかげで、ここ最近は目が覚めた時に枕が濡れることもなくなった。
「ああ。あのバカが魔力収集をできるようになるまで、俺はしばらくこっちに集中する」
木刀を構え、基礎の型を確認するように剣を振る。
剣術は特にやりたかったわけじゃない。
なんとなくでやり始めただけだが、他のどの習い事をしている時よりも楽しかったので最近はこればかりをやっている。
エミリアはただの凡人だと分かったし、傍にはテレサが居てくれる。
久しぶりに晴れ晴れとした気分だった。
――が、それも長くは続かなかった。
◆ ◆ ◆
ついにエミリアが魔力収集を覚えた。
それからは早かった。
エミリアはあっという間にとんでもない魔力コントロール能力を身に付け、その姿はかつての姉を嫌でも連想させた。
もし、こいつが人間ではなく、ヴァンパイアだったなら――間違いなく、姉の領域に到達できていただろう。
まさしく、天才――。
違う!
ねーさま以外に天才なんていない!
こんな色無しの人間が、ねーさまと同格だなんて――絶対に、認めない!
どこかに綻びがあるはずだ。
俺はいつしか、魔法の勉強そっちのけで、エミリアの粗を探すようになった。
そのせいで余計にエミリアとの差が開いてしまい、俺はさらに焦るようになった。
そんな俺の胸中を知らず、ある日、クドラクが決定的な一言を放った。
「それだけ出来るなら魔法大学入学も有り得ない話ではないぞ」
魔法大学。
俺から姉を奪った忌々しい場所だ。
そこに入れるのは、一握りの魔法の天才のみ……。
エミリアは、大人のヴァンパイアからすらも認められる存在になってしまった。
それはまさしく、天才である何よりの証明――。
許せない。
許せるはずが無い。
コイツの存在を、俺は許せない。
「じゃあ次、イワン」
気付けば俺は、エミリアに向かって石を飛ばしていた。
――結果は失敗。俺はクドラクから逃げるハメになった。
◆ ◆ ◆
頭の中がごちゃごちゃだった。
俺は姉が嫌いだ。
そのはずなのに、姉とエミリアが同列に並べられるたび、猛烈に嫌な気分になった。
俺はエミリアが嫌いだ。
そのはずなのに、エミリアが姉に近付くたび、心のどこかが――うまく言い表せないが、決して嫌な感情じゃない――モヤモヤとした。
もう、わけが分からない。
自分が何を考えて、何をしたいのかが分からない。
……こういう時は、剣を振ろう。
無心になって剣を振っている間だけは、このわけの分からない自分を忘れることができる。
うまくクドラクから逃げることに成功した俺は、裏庭に行く前に腹ごしらえをしようと家の中に入った。
「お帰りなさい坊ちゃん」
「テレサか。小腹が空いた!何か食べれる……物、を」
思考が固まる。
そこには、つい今しがた石をぶつけようとした同級生が、何故か使用人の格好をして立っていた。
どういう話があったのかは全く知らないが、テレサはいきなりエミリアを雇うと宣言した。
反射的に反論したが、よくよく考えればこれはチャンスだ。
エミリアが俺の使用人になれば、立場は圧倒的に俺が有利になる。
難癖を付けたりすることもカンタンだ。
見ていろ……他の使用人たちのように、追い詰めて辞めさせてやる!
NG集
『名前』
俺の名前はイワン。
イワン・ヴァムピィールヅィージャ・ジャラカカス。
「長っ」
NGじゃないよ?
『同類』
エミリアが俺の使用人になれば、立場は圧倒的に俺が有利になる。
難癖を付けたりすることもカンタンだ。
そしてあんなおしおきや、こんなおしおきを……。
「フヒッ」
「……何故だ。イワンからウィリアムと同じ、嫌なオーラを感じるぞ」




