第十七話「姉」
いろいろと勉強になった読書を終え、イワンのための昼食メニューを考える。
「食材の残りは気にしなくてもいい」と師匠には言われているが、だからと言って肉まみれの豪勢な食事を作り続ければエンゲル係数が大変な事になってしまう。
なんとかして、イワンの野菜嫌いを直してもらわなければ。
野菜のシャキシャキした食感が苦手らしいので、まずはできるだけそれを無くすように調理して、徐々に慣れさせよう。
手始めに、今日のお昼は――
――なんて考えていたら、いきなり玄関扉が開かれた。
あまりにも勢いが付いていたので、ロビー中に響くほど大きな音が鳴った。
時刻はまだ十一時を少し過ぎた頃だ。イワンが戻ってくるにはまだ早い。
師匠は早くても今日の夜、遅ければ明日の朝まで戻って来ない。
消去法で、領主様だろう。
……それにしては扉の開け方が乱暴だったが。
仕事に疲れすぎて、それすらも億劫になっているのかも知れない。
早めに掃除を終わらせておいて良かった――ベッドメイクもばっちり出来ている。
お出迎えしなければと思い、私は手を拭いてロビーの方へ向かった。
「お帰りなさいませ、領主……さま?」
そこにいたのは、イワンだった。
あれ?
授業は?
「ご主人様、どうされたんですか?まだお帰りには早いお時間――」
「うるさい!」
鞄を私に投げつけ、裏庭へ一目散に飛び出すイワン。
朝とは打って変わって、この世の全てを憎んでいるようなひどい形相になっていた。
ただならぬ気配を感じ、鞄をソファに置いてから上着を引っつかんで私も裏庭に出る。
外は雪がチラついていた。
予想通り、今日は雪のようだ。
「くそ!くそ!くそくそくそくそ!!」
イワンは悪態を付きながら、がむしゃらに木刀を案山子に叩きつけていた。
いつもの無駄の無い動きとは全く真逆で、ただ力任せに木刀を振るっているだけだ。
型も何もない――単なる八つ当たりにしか見えない。
微塵もかっこよくない。
「ご主人様、どうされたんですか!」
「どいつもこいつも!」
全く話を聞いてくれず、ただただ案山子を殴り続ける。
私はメイド用の口調を一時的に止めて、いつもの――皆が言うには、男勝りな――口調に戻した。
「おいイワン、何があった!話せ!」
「うるせえ!お前に何が分かる!」
「分からないから話せって言ってるんだ!」
「うるせえうるせえ!!」
……埒が明かないな。
私はイワンの肩を思いっきり引っ張り、無理矢理こちらに体を向けさせる。
イワンの瞼は赤く腫れ上がっていて、頬には涙の跡があった。
もう涙は止まっているが、赤い瞳は若干潤んでいて、今にも零れてきそうだ。
理由はさっぱりだが、彼はかなり怒っているようだ。
何になのか、誰になのかも分からない。
……ひとまず、彼の気持ちを落ち着かせるのが先だろう。
そして、話を聞いてやろう。
心情を話すだけでもかなりラクになれるものだ。
ええと、彼が落ち着くものって何だろう。
私は昨日の記憶を急いで掘り起こす。
おやつ。この状況では無理。却下。
風呂。この状況では無理。却下。
膝枕。この状況では無理。却下。
うーむ。どうしたら……。
あ、そうだ。
『ねーさま』だ。
昨日の寝言を聞く限り、彼はかなり姉を慕っている。
前世の小説だと、寝言で誰かの名前を呼ぶのは恋しい相手と相場が決まっている。
よくあるお約束展開だ。
きっと姉のことを口に出した瞬間、彼は泣き崩れて理由を話し出す。私はそれを聞いて、よしよしと彼を慰める。
めでたしめでたし。
よし、その作戦で行こう。
「イワン、そんなことだと『ねーさま』が悲しむぞ?」
「…………」
イワンの動きがピタリと止まる。
よしよし。
「『ねーさま』はそんな風に暴れるお前など見たくないはずだ。だから落ち着いて、何があったか――」
「俺の前で――」
嫌な予感がした。
魔物に襲われた時――
石をぶつけられそうになった時――
それらの時と同じように、身の危険を感じた。
「あいつの話をするんじゃねえ!!」
「うわ!?」
私の甘い考えは、目の前に迫る木刀にあっけなく振り払われた。
自分の直感に従って後ろに下がらなかったら、直撃は免れなかった。
いくら刃の部分に布を巻いているとはいえ、殴られればたんこぶくらいは出来るだろう。
お約束な展開はどこへ行った!?
「結局、お前も同じなんだな」
「はぁ?な、何を言って――」
「やっぱりお前、嫌いだ!」
イワンは続けて木刀を振り回してくる。攻撃自体は単調だったが、目の前を木刀がブンブン通過して平静でいられるほど心臓に毛は生えていない。
魔物と対峙した時のほうがまだ冷静だったような気がする。
意志を持つヒトと相対すると、こんなにも息が乱れるものなのか。
「ま、待て!暴力反対!」
メイドへのおしおきはもっとソフトなものと相場が決まっているのに、ハードすぎる!
しかも私は悪いことをしていな……。
いや、した。
勝手に『魅了術教本』を読んだ。
これはその報いなんだろうか。
そうかもしれないが。それはそれ。イワンが怒っている事とはまた別問題だ。
イワンから逃げ回りながらも、どうにか事態を好転させるべく思考を回転させる。
力尽くで止めることはできない。イワンの動きは子供ながらに早く、種族の差をひしひしと感じさせられた。
今は彼の精神状態が不安定だからギリギリでかわせているが、もし万全の状態だったならとっくにノックアウトさせられていただろう。
この年齢なら男女による体力差はほとんど無いが、なにしろ向こうはヒト科動物最強種の一角だ。自力がそもそも違う。
バテて動けなくなるのは間違いなく私が先だ。
イワンは『ねーさま』という単語に過剰反応した後、私に攻撃してきた。
彼は姉が嫌いなんだろうか?
嫌いなヤツを引き合いに出したから、激昂している……?
そんなことでここまで怒るだろうか?少し考え辛い。
あの泣き顔を見る限り、彼は姉を慕っている。それは間違いないはずだ。
では、どうして――
「ひぁ!?」
横一文字に振られた木刀を、カエルみたいに地面に這いつくばって避ける。
「逃げるな!」
なおも木刀を振り回し続けるイワン。
さすがにこの状態では思考に集中できない。
私は走って距離を取る。木刀を持っていない分、素早さはこちらが上だ。
足元の雪を拾い上げて適当な大きさに丸めた。
人間が戦闘中に魔法を使えない最大の理由は、魔力収集が遅いからだ。
襲い掛かる脅威に対し、発動に時間のかかる魔法では間に合わない。
それなら、武器を振るった方が余程いい。
――しかし私にそれは当て嵌まらない。
魔力は一瞬で集めることができるので、制御さえしっかりしていれば十分に魔法を使う時間はある。
「くらえ!」
私は丸めた雪玉をイワンに向かって投げた。
「当たるかよ!」
イワンは木刀で雪玉を割ろうとするが、刃に当たる直前に、雪玉が、ひゅん、と軌道を変える。
まるで雪玉に意志が宿っていて、意図的に木刀を避けたかのようだ。
「はぶっ」
見事イワンの顔面に命中し、私はガッツポーズを作った。
私が使ったのは『モノを動かす魔法』だ。
本来なら手元にあるモノしか動かせないが、時間差で発動するように調整した。
より正確に言うなら『モノを三秒後に動かす魔法』だろうか。
この魔法により、私は某投手もびっくりなほど多彩な変化球を投げることができる。
「てめえ、やりやがったな!」
なおも猪突猛進に向かってくるイワンに、私はある位置を目指して逃げながら雪玉を投げ続ける。
フォーク!カーブ!スライダー!シュート!シンカー!消える魔球!
これだけの球種を前に、イワンはなす術も無くバシバシと雪玉に当たり続ける。
「くそ、くそぉ……!!」
雪まみれになるイワンに、私は次の玉を拾い上げる。
それは石だ。私の掌と同じくらいのサイズで、持ち上げるとズシリと重量感があった。
「いけっ」
石を両手で前にかざし、込められるだけの魔力を込めて射出した。
狙い通り、石はイワンのすぐ隣の木の幹に当たった。そこそこの速度も出ていたので大きな破砕音が鳴る。
「なんだお前、どこ狙って――」
小馬鹿にしたようなイワンの声が、雪に埋もれて聞こえなくなる。
ついでに、その姿も。
「作戦成功」
雪玉と自分の位置を調整して、彼が木の傍に来るように仕向ける。
その瞬間を狙い、石を木にぶつけ、枝に付いた雪を一気に落とす。
思いつきでやってみたが、ここまで上手く行くとは思っていなかった。
今しがた石を射出したのも単なる『モノを動かす魔法』を応用しただけなのだが……なかなかに威力があった。
うまいことやれば、魔物相手くらいなら攻撃手段としても使えるかもしれない。
今のうちに逃げよう。
だが――どこへ?
普通に考えれば執務棟だ。大人を呼べば一発で解決するだろう。
ただ、それは違う気がする。
そのやり方だと、イワンとの心の距離はもう縮まらない気がする。
彼の心が怒りによって剥き出しになっている今だからこそ、届く言葉があるかもしれない。
もし、私がイワンの怒りの原因を突き止めることができたら――友達になれる。
うまく言えないが、そんな確信があった。
だから、私はあえて裏門から敷地の外へ逃げた。
◆ ◆ ◆
「いよいよ降ってきたな」
本格的に降ってきた雪を見上げてぼやく。
山へ逃げ込むのもいいかと思ったが、やめた。この装備(メイド服に上着)にこの天候での入山は自殺行為だ。
かと言って、村の中央に逃げるのも得策ではない。小さい村だし、木刀を持ったイワンが暴れていたらすぐに誰かを呼ばれてしまう。
大人に気付かれてはダメなのだ。
普段からヒトの居ない場所……。
「あそこしかないな」
かつてウィリアムと登山の練習をした場所であり、少し前まで私の修行場だった丘を目指して、私は走り出した。
「色無しー!!」
後ろから怒号が聞こえてきたが、無視する。
降り積もった雪には私の足跡がくっきりと残っているので、たとえ姿を見失っても追いかけて来れるはずだ。
だから、私は気にせず全速力で走った。
ほどなくして、丘に到着する。
想像していたよりも息は乱れていなかった。狩人ウィリアムに太鼓判を押された体力の多さは今も健在だ。
木陰に身を隠して、思考に集中する。
彼が何に怒っているのか。
それに対し、私は何ができるのか。
――もしも私が一般的な転生者だったら、裏庭でイワンの胸中を完璧に察した上でチート能力を発揮してあっさりと彼をねじ伏せ、さらに心に響く言葉を連発してすぐに友達になれただろうに。
見当外れの言葉で彼の神経を逆撫でし、小細工を駆使してなんとか逃げ回り、こうして時間をかけて考え込まなければ彼の胸中すら察せない。
こんな回りくどい事しか出来ない自分が歯痒い。
……しかし、だからと言って何もしない訳にはいかない。
転生者であろうとなかろうと、私は、私に出来る事をするのみだ。
十数分ほど前の状況を頭の中に思い浮かべる。
午前十一時。本来ならまだ魔法の授業中にも関わらず、イワンは帰って来た。
彼は不真面目な態度だったものの、この間の石事件を除けば途中で授業を抜け出したりはしなかった。
――ということは、クドラクさんと何かがあった、と考えられる。
その『何か』とは、たぶんだが『ねーさま』に繋がるんだと思う。
イワンの姉―ー面識は無いが、魔法の天才だった、と聞いている。
十二歳からしか入れない魔法大学を、飛び級で入学したとか何とか。
私の頭の中にはそれくらいの情報しかない。
推論を立ててみる。
イワンとイワンの姉の姉弟仲が良好だったと仮定する。
大学への進学が決まり、家には大好きな姉が居なくなる。
イワンは寂しく日々を過ごすが、強がりな性格のためにそれを周囲に言うことができなかった。
領主様は事あるごとに「姉のように立派になれ」と言い、イワンも始めはその言葉に従っていた。
しかし、努力すればするほど、姉との才能の差がはっきりと分かった。
やがて周囲は失望し、落胆する。
イワンの胸中に姉への憎悪が溜まるが、心底では未だに姉を慕っている。
……当てずっぽうにしては、なかなかいい仮説じゃないだろうか。
これならイワンの行動にほとんど説明が付けられる。
メイドを何人か辞めさせたのは、姉と比較されたから。
私に石をぶつけようとしたのは、姉の通う魔法大学に私が行けるとクドラクさんが言ったから。
私を嫌っていたのは……魔法が姉のように優秀だから。
自分では優秀なつもりは全く無いが、イワンから見ればそうなのだろう。
思い返せば、イワンに初めて会った時は冷たいというより、小馬鹿にしたような態度だった。
「お前みたいな人間の色無しが魔法を習うなんて生意気だ!」みたいな。
彼の態度が徐々に冷たくなっていったのはその後。私が魔法の能力を伸ばしてからだ。
自分のことに夢中で意識していなかったが、授業の中でイワンを置いてけぼりにした事も一度や二度じゃない。
イワンは、魔法が苦手なのだ。
始めはいきなり魔力収集ができてスゴイと思っていたけれど、それ以降、彼の魔力収集はほとんど伸びていない。
自分の不出来さと姉の優秀さを比較して、結果、魔法に対し強いコンプレックスを抱いている。
もし、この推測が合っていたとすれば。
私は、特大の地雷を踏み抜いたことになる。
たぶん、クドラクさんとのマンツーマンの授業の中で、姉と比較されるような事を言われたんだろう。
「そんな事じゃ、姉に追いつくことなんてできないぞ!」みたいな。
それに激昂して家に帰ってきてみれば、今度はメイドから追い討ちを掛けられる。
泣きっ面に蜂とはこのことだ。
もう少し、言葉を選ぶべきだった……。
って、まだこの推論が当たっていると決まった訳じゃない。
答え合わせをしなければ。
「やっと、追いついたぞ……!!」
予想よりも遥かに早く、イワンが丘に辿り着いた。
私は木陰から出て、肩や頭に付いた雪を払う。
「イワン」
「なんだ」
師匠の言葉が、今、やっと理解できた。
私は拳を握る。
「喧嘩をしよう」
NG集
『理不尽』
「くそ!くそ!くそくそくそくそ!!」
イワンは悪態を付きながら、がむしゃらに木刀を案山子に叩きつけていた。
いつもの無駄の無い動きとは全く真逆で、ただ力任せに木刀を振るっているだけだ。
型も何もない――単なる八つ当たりにしか見えない。
微塵もかっこよくない。
「解せぬ」
案山子はボヤいた。




