第十五話「二人の一日3」
サービス回()
この家には、さすが貴族のお屋敷といえる立派な浴室がある。
平民の家とは違い、魔法が無くともお湯を沸かせる設備――給湯器みたいなもの(人力)があるので、いつでも湯張りが可能だ。
もちろん魔法の方が百倍早いので、私は魔法を使う。
「できた」
湯船に溜めた水をお湯に変える。
もはや魔法も手馴れたもので、「制御を間違えて爆発したらどうしよう」なんて考えて、おっかなびっくり使っていた頃が懐かしい。
時刻は夕方五時。徐々に夜が訪れる時間だ。
厨房で夕食の下ごしらえをしてから、外で素振りをしていたイワンに声を掛ける。
相変わらず、剣を握っている時だけは別人のようにかっこいい。
「ご主人様、お風呂の用意ができました」
「色無しが背中を流してくれるのか?」
「はい。不服ですか?」
「……別に」
師匠のメモによると、イワンはまだ自分では身体を洗えないので、誰かが一緒に入る必要があるそうだ。
体を洗うくらい自分で出来ないのかと小一時間問い詰めたいところだが……前世で言えば七歳は小学校の低学年だ。一人風呂はまだ危ないので、付き添いは必要だろう。
うっかり足を滑らせて、湯船で溺れでもしたら大変だ。
風呂に入るイワンに続いて、私も服を脱いだ。
全身鏡があったので、一応姿をチェックする。「身だしなみに気をつけろ」と師匠に言われて以来、鏡を見る頻度がかなり増えた。
裸なのだから身だしなみも何もない気はするが、一通りおかしな所が無いかを見る。
タオルで前を隠した方がいいのか少し悩んだが、別に隠すほどのものでもない。イワンも腰にタオルを巻いていなかったので、まあいいかと思ってそのまま入った。
大丈夫。私は別に恥ずかしくないし、お互いまだ子供だ。間違いなんか起こるはずもない。
なので、セーフだ。
「遅いぞ、何をしている」
「すみません。では、頭から洗いますね」
まず、櫛でイワンの髪を軽く梳く。私くらいの長さになるとこの作業に結構な時間が掛かるが、彼は短いので数分で済んだ。
「お湯を流します。目を瞑っていて下さい」
桶に溜めたお湯で髪を濡らしてから、両手の指をいっぱいに広げて、指の腹を使って頭皮をマッサージするように洗う。石鹸などは使わない、いわゆる『湯シャン』がこの世界の基本だ。
ごしごし、ごしごし……。
都度、お湯を何度も頭からかけて汚れを洗い流す。
「身体を洗います」
次にタオルを取り出し、塗らした石鹸を何度も擦って泡立てる。
それをイワンの背中へ押し当て、ゆっくりと動かす。
背中を全て洗ったら、次は横に回りこんで右腕を、それが終わったら左腕を、そして最後に正面と足を洗う。
よいしょ、よいしょ……。
誰かと一緒に風呂に入るのは銭湯でよく経験していた。ご近所さんの背中を流したりもしていたが、全身を洗ったのはさすがに初めてだ。結構楽しい。
ヒトの体を泡まみれにするのも面白いし、あのイワンが私にされるままになっているというのもなんだか新鮮だ。
全身をアワアワにしてやろうと躍起になっていると――ふと、視線を感じた。
顔を上げると、イワンが、じー、とこちらを見ていた。
「あの、何か?」
「……どうして色無しには胸が無いんだ?」
子供らしい、いやらしい意味を含まないとても素朴な質問だった。
今まで同年代と一緒に風呂に入ったことが無かったんだろう。で、師匠がアレなもんだから、同じ女なはずの私がぺったんこな事に疑問を抱いた……というところか。
はぐらかすのもいいが、ご主人様が後々恥をかかないよう未然に防ぐのもメイドの役目だ。
「ご主人様。女性の胸が膨らんでくるのは、ヒトにもよりますがだいたい十歳前後からですよ」
「そうなのか?」
「はい。なので私に胸が無いのは当然です」
イワンはふんふんとしきりに頷いていた。興味深そうに私の胸を凝視して、おもむろに手を伸ばした。
ぺたぺた。ぺたぺた。
「……俺と変わらないな」
「でーすーかーらー、私はまだ発展途上なんです。将来性があると言ってください」
とは言っても、あまり大きくなって欲しくはない。理由?肩が凝るし、大きいモノを抱えていたらいざと言う時に動き辛いからだ。
かと言って今のままも、もちろん嫌だ。私だって腐っても女の子なんだし、ある程度は欲しい。
大きすぎず、小さすぎずなサイズが理想なんだが……母を見る限り、私は大きく成長しそうな可能性を秘めている。
……え?触られたのに怒らないのかって?
だってまだお互い子供だし。イワンもいやらしい行為が目的で触ったわけじゃない。
『された方が主観』という言葉もあるし、私が嫌と思わなければ大丈夫だろう。
なので、セーフだ。
◆ ◆ ◆
夕食は宣言通り手間を掛けた。
メニューはシチューとサラダ、そしてパンにした。
シチューの具はベーコン、ジャガイモ、玉ねぎ、人参だ。野菜は昼と同じくかなり細かく切った上で溶けるくらいに煮込んでいる。
パンは固めのものを選んだ。シチューの味に飽きたらパンを食べ、パンの味に飽きたらシチューに漬して食べるとまた違った食感と味わいが楽しめるようになっている。
サラダもイワン用にアレンジを加え、野菜の種類が少ない代わりに果物を何種類か入れている。
「ウマイ」
「ありがとうございます」
どうやら料理に関してはお気に召してもらえたようだ。文句一つ言うことなく完食してくれた。
『イワンに納得してもらえる料理を作る』という自分の中に掲げた目標は達成できて、大きな満足感を得られた。
ドヤ顔してしまいそうになる表情筋を抑えながら、窓の外を見やる。
執務棟の最上階にはまだぼんやりと灯りが付いていた。
「それにしても、領主様は遅いですね」
「……たぶん今日は帰って来ない」
「え?」
「魔物が現れたせいだ。そういう時、いつも父様は何日も家を空ける」
前回、魔物が現れたのはちょうど一年ほど前。その時も数日間、家に帰ってこなかったらしい。
魔物は自然界に一定数発生してしまうものなので仕方ないと言えば仕方ないのだが……少し、イワンを不憫に思った。
◆ ◆ ◆
滞りなくメイド業は進み、残る仕事はあと僅かとなった。
鴉の行水よろしく五分で風呂から上がり、魔法で髪を乾かす。
本日のメイド服の出番は終わりだ。汚れを落としてから畳んで、家から持ってきた寝間着に着替える。
ワンピースみたいな薄い肌着で寝るのがこの世界では一般的らしいが、この地方でそんな格好をしたらたちまち凍えてしまう。なので私がいま着ているのは分厚い布地のパジャマだ。
階段を上がり、イワンの部屋をノックした。
「失礼しますご主人様」
「ん」
「今日は耳かきの日です」
自分の体を洗えないイワンは、当然ながら耳かきも他人の手を借りなければできない。ちなみに『爪切りの日』も数日おきに存在している。
「ん」
特に何も言うことなく、彼は私を部屋に招いた。
気のせいか、ちょっと態度が柔らかくなっている。少なくとも、朝~昼にかけての嫌悪した視線は夜になってから一度も向けられていない。
「では、私の膝に頭を乗せてください」
一言断ってからベッドの端に腰掛け、私は自分の膝をぽんぽんと叩いた。
イワンは何も言わず、私の膝に頭を乗せる。もしワンピースタイプの寝間着だったら生足膝枕になっていたな、なんてくだらないことを考えながら耳かきを開始する。
まずは外側の汚れを取り除く。この辺はさほど痛みを感じないので、大胆に耳かきを動かしてサッと済ませる。あまりに細かい汚れはこの時点では無視して、先に進む。
そのまま耳の穴へ耳かきを入れる。この時に注意すべきは『相手を痛がらせないこと』だ。
耳の聞こえに影響するほど巨大な耳垢があるなら話は別だが、基本的に耳垢は完璧に除去しなければならないものではない。無理に取ろうとして鼓膜を引っかいてしまうなんて、論外もいいところだ。
耳垢の除去はほどほどに、相手に心地良い気分に浸ってもらう――それが私なりの耳かきの作法だ。
「…………。上手いな」
「恐縮です」
ついに料理以外でもお褒めの言葉を頂けた。
見てますか師匠。エミリアは立派にやっていますよ……!
梵天(耳かきの後ろに付いているフワフワしたやつ)で取り損ねた細かい汚れを払い、最後に耳をふーっ――イワンの身体が、ビクン、と反応した――、として終わりだ。
「はい、では反対側を向いてください」
「もう、終わりか?」
名残惜しそうにするイワン。しかし私はきっぱりと「終わりました」と宣言する。
耳の皮膚は薄いので、あまりやり過ぎるとかえって良くない。なので耳かきは「えー!?もう終わり?」くらいに名残惜しまれるのが一番良い塩梅なのだ。
渋々寝返りを打つイワン。そのまま反対側の耳も同様に綺麗にして、耳かきは終了した。
「もう終わりか?本当に終わりか?お前、手を抜いたりしてないだろうな?」
「そんなことはありません。ちゃんと綺麗になってますよ」
ここに綿棒や柔らかい布があればさらに凝った耳かきができるが……ここまで好評とは思わなかったので用意していなかった。
次回は本気の耳かきセット一式を持って臨もう。
「さあ、もう寝る時間ですよ」
イワンを寝かしつけること――私の、本日最後の仕事だ。ぽんぽんと肩を叩いて、ベッドの中央に行くように促す。
しかし、いつまで経っても移動する気配は無い。
「ご主人様?」
「…………もう少し、このままで居させろ」
イワンは体を丸めてうずくまった。ちょうど私のお腹に顔を埋めるようなポーズだ。
命令口調だがいつもの強気な感じは全く無く、恥ずかしいという自覚があるのか耳が真っ赤になっていた。
これはアレか?いわゆる『デレた』状態なんだろうか。
ただ単に甘えたい願望からの行動なんだろうが、これでフラグでも立とうものなら『チョロイン』とか言われてしまうぞ?
まあ、かわいいからいいか。私は思わずクスリと笑った。
「はい。ご主人様の仰せのままに」
「何がおかしい!」
「いえいえ何も」
ゆっくりと頭を撫でてやる。
メイドが主人の頭を撫でるなど言語道断な行いだが、真のメイドとは固定観念に縛られず『主人が何を求めているか』を敏感に察知しなければならない。
私の経験(前世の記憶)からすると、このシチュエーションで彼の頭を撫でるのは『正解』だ。
「……すぅ」
イワンは文句を言うことなく、そのまま気持ち良さそうに目を閉じて――やがて、寝息を立て始めた。
ばっちり『正解』だったみたいだ。
「……イワン。そのままだと風邪を引くぞ」
彼が寝た時点でメイドとしての業務は終了だ。なので言葉遣いを元に戻した。
イワンはよほど寝付きが良いのか、揺すっても起きる気配は無い。
「仕方がないなぁ……うんしょ、うんしょ」
このまま放置する訳にもいかないので、彼の体をベッドの中央まで引っ張る。お姫様抱っことかできれば手っ取り早いのだが、いまの私に彼を持ち上げるほどの力は無かった。
このベッド、子供用にしてはやけに大きいので端から中央までが遠い。しかもふかふかで足の踏ん張りが全然利かないため、下手を打てばバランスを崩してしまいそうだ。
ここでイワンがちょっとでも身じろぎしたら一発で転ぶ自信がある。
動くなよ?絶対に動くなよ!?
「んぁ」
「ひぁ!?」
フラグを回収するようにイワンが動いた。あっさりとバランスを崩し、彼もろともベッドに倒れる。
幸いにも『イワンを中央に寄せる』という目的は達成できたが……彼にガッシリと服を掴まれてしまっていて、私が抜け出せない。
「なんだこのラブコメみたいな展開は……」
私は前世の記憶にある、恋愛を主体にした喜劇を思い浮かべた。
そういった物語の中で、こういうシーンが散見された。
男が寝ていて女が世話しているという点で配役が逆だが、概ね合っている。
……まあ、私とイワンが恋愛どうこうという風になることはないだろうが。
「かわいいな」
すやすや眠るイワンは年相応のあどけない顔をしている。母性をくすぐられるというか、上手く表現出来ないが、彼の寝顔を見ているとほっこりした気分になる。
今日一日で、驚くほど会話をした。と言っても、一方的な命令ばかりだったが。半年以上、まともな会話などなかった時からすれば大いなる進歩じゃないだろうか。
この分だと、彼と友達になれる日もそう遠くないのかもしれない。
――そういえば、彼の母は居ないんだろうか?
姉が居ることは知っているが、母は話の中で一度も登場したことは無い。
死別、だろうか。この世界ではさほど珍しいことではない。
「……ねーさま」
ん?
寝言か。
「ねーさま……ねーさま……」
私のパジャマをぎゅっと掴み、胸に顔を埋めるイワン。その瞳にはじんわりと涙がにじんでいた。
……私は『ねーさま』じゃないけど、まあ、これくらいならいいか。
「大丈夫だ。私はここにいるぞ」
涙を拭い、頭を撫でてやるとイワンは安心したように手から力を抜いた。
今日の仕事はもう終わったんだが、まあ、これくらいの残業は構わないだろう。
私はそのまま、自分の意識が遠のくまで彼の頭を撫で続けた。
NG集
『ドヤ顔』
「ウマイ」
「ありがとうございます(ドヤァ」
「ん?」
「どうされましたご主人様?(ニコニコ」
「いや、なんでもない」
「……(ドヤァ」
「ん?」
「どうされましたご主人様?(ニコニコ」
「いや、なんでもない」
※以下、繰り返し




