第十四話「二人の一日2」
午前七時。
私の専属メイドとしての仕事は、イワンを起こすところから始まった。
領主様は既に執務棟で仕事を開始しているようで、屋敷の中には居なかった。
「イワンの部屋は……ここだな」
屋敷の二階は全部で四部屋ある。領主様の寝室、イワンの寝室、執務室、書斎だ。
こちらにも執務室があるということは、領主様は家に戻った後も仕事をしているということになる。
彼のおかげでこの村が円滑に運営できていると考えると、本当に頭が下がる思いだ。
定期的にクッキーをプレゼントしようかな。好評だったし。
「……って、余計な事を考えている場合じゃないな」
私はイワンの部屋への扉を開けた。
一応ノックはしたが、案の定彼はまだ深い眠りの中だった。
師匠からのメモには、対イワン用のちょっとしたアドバイスが書かれていた。
それによると、彼も母のように寝覚めが悪いらしい。
激しく揺さぶればもちろん起きるだろうが、それで主人の機嫌を損ねるのは真のメイドとは言えない。
イワンが気持ち良く朝を迎えられるよう、最善を尽くさなければならない。
「ご主人様、おはようございます」
「……」
「朝ですよ。起きて下さい」
「うるせぇ……まだ、早い……むにゃ」
寝言で反論されてしまった。情報通り、なかなかの強敵だ。
母のように上体を起こしてお湯で顔を拭くのもいいが、もっと簡単なやり方がメモには記されてあった。
早速実践する。
私はベッドの上で四つんばいになり――貴族らしいめちゃくちゃ大きなベッドで、こうしなければ彼に近づけない――、イワンににじり寄った。
そして、耳元で囁く。
「ご主人様、お・き・て」
「……うるさいぞ。俺はもう少し寝……!?うわぁぁぁぁ!?」
イワンは幼いながらもヴァンパイアの身体能力を遺憾なく発揮して、部屋の端まで飛び退いた。
成功だ。さすが師匠のアドバイスは的確だ。
「な、なんでお前がいる!?テレサは!?」
「師匠は買出しの為、隣の村まで出かけております。戻られるのは早くても二日後です」
「――はぁ!?じゃあその間、一体誰が俺の昼飯を作ってくれる!?おやつは!?」
私が居なかった時、テレサさんはどうやって買出しに行っていたんだろう。誰かに代役を頼んだとしても、イワンは他のメイド達を嫌っているし……。
……ん?他のメイドってことは、ひょっとして母の事も嫌っているのか?
……あ。今、初めて彼に怒りを感じたかも。
「ご心配なく。全て私にお任せください」
「――ハッ。お前が一人で俺の世話をするだと?」
イワンは小馬鹿にしたように吐き捨てた。
「できるもんならやってみろよ。その代わり、ちょっとでも気に入らないことをしてみろ――父様に頼んでお前をクビにしてもらうからな!」
たぶん領主様は私の味方になってくれると思うけど……。
昨日、自分が何をしたのか忘れたのだろうか。
もちろんそんな事は口には出さず、師匠仕込みの優雅な一礼をする。
「そうならないよう、全力を持ってご奉仕させて頂きます」
――こうして、私とイワンの一日が始まった。
◆ ◆ ◆
朝食は師匠が買出し前に作ってくれたスープとパンだ。
「さあご主人様。召し上がれ」
「……これはテレサのものだな」
「はい」
「……フン。昼メシが楽しみだ」
師匠の作り置きは朝食分しかないので、昼以降は私が作らなければならない。
下手なモノを作れば難癖を付けられかねない。
紅茶もそうだったが、師匠は料理の腕も相当なものだ。
しかし、料理だけなら私も負けない自信がある。
見てろ……絶対にイワンを納得させる味を作ってやる。
「あー……」
今日は魔法の授業が無いので、イワンはリビングでだらだらとくつろいでいた。
私はといえば、みっちり仕込まれたタイムテーブルに追われてバタバタしている。
洗濯を魔法で終わらせ、掃除を開始する。
この家のメイド業の中で、私が最も苦手とするものだ。
理由としてはまず、掃除に関しては有効な専用の魔法が存在しないことが挙げられる。
『遠くのものを引き寄せる魔法』を応用すればゴミを集める事は可能だが、この魔法は集めたいものを視認しなければ使えない。
部屋中の埃を目視で確認するくらいなら、箒で掃いたほうがよほど早い。
次に屋敷の大きさ。これも厄介だ。リビング、階段、各部屋、キッチン、トイレ、浴室……等々、とにかく掃除する箇所が多い。加えて、部屋の一つ一つも広い。イワンの寝室だけで私の家の半分くらいの面積がある。
最後に、私の身長の問題がある。
私はこの年齢にしては――認めたくはないが――体が小さい。
なので、高いところに手が届かない事案が多発している。
足場用の脚立を剣のように背負いながら移動し、届かない場所があれば脚立を広げ、それに登り、掃除。終わったら降りて、脚立を片付け、また次の場所へ……。
効率が悪いとは重々承知しているが、今はそれしか方法が思い浮かばない。
掃除はかなり大変だが、逆に言えばこれ以外の仕事はそれほど苦ではない。
頑張って早めに終わる目処を立てて、イワンにおいしいご飯を作ってやらねば。
一階の掃除が終わり、さあ二階へ……なんて思っていたら、
「オイ色無し」
いきなりイワンに呼ばれ、私は掃除の手を止めて彼の元へ馳せ参じた。
これまでイワンが私を固有名詞で呼んだことはなかったが、今回ばかりは不便だと感じたのか『色無し』という例の差別用語を渾名として付けられた。
私としてはその単語に何も思うところはないのであっさりと受け入れたが、彼はなんだか面白くなさそうだった。
彼なりの意地悪の一環だったのかもしれない。
涙目+上目遣いで「ふえぇ……ちゃんと名前で呼んでくださいよぉ」とでも言えば満足したんだろうか。
生憎、私はそんなキャラじゃない。
「退屈だ。何か面白いことを話せ」
何事かと思ってすっ飛んで来てみれば、私のご主人様は暇を持て余しておられるらしい。
こっちは忙しいというのに!
彼の自分勝手さに少しだけ煩わしさを感じたが、主人の言葉に逆らうのは真のメイドではない。
イワンの要求に答えながらも、自分の仕事をする時間を確保しなければならない。
ここで重要になるのが話題の選択だ。
仮に掃除が終わっていれば、珍しい体験談などを聞かせるのが良い。会話を増やすことで主人との絆が深められる。
だが今はそんな場合ではない。掃除は予定よりも遅れているし、その後の仕事も立て込んでいる。
――となると、一人で考えてもらえるようなナゾナゾ系が最適だ。
「では、謎掛けを一つ……。ご主人様は魔方陣をご存知ですか?」
「魔法の発動条件を記したものだろ。それくらい知ってる!」
「いえいえ、そうではありません」
私は静かに首を振った。
彼が言っているのは魔法陣で、私が言った魔方陣とは全く別物だ。
魔方陣が何であるかを言葉で説明するのは難しいので、羊皮紙とペンを取り出し、実際に書いて見せた。
三×三のマスを作り、その中に数字を書き込む。
六 七 二
一 五 九
八 三 四
「なんだこれは?」
「一見すると何でもない数字の羅列ですが、よくご覧ください。縦、横、斜め、どこを足しても合計が十五になりませんか?」
イワンは両手の指を足したり引いたりして、「おお」とうめいた。
「たしかに」
「このように縦、横、斜め、全ての合計が同じになる数字の組み合わせ方を魔方陣と呼びます」
「ほほう」
イワンは目を丸くして聞き入っていた。
私の話をこんなにちゃんと聞いてくれたのは、これが初めてなんじゃないだろうか。
ちょっと感動する。
「ではここで問題です」
私は新たにマスを書き込み、そのうちの一つだけに数字を入れる。
□ 一 □
□ □ □
□ □ □
「この四角の中に二~九の数字を書き込んで魔方陣を作ってください。できますか?」
「馬鹿にするな!これくらい簡単だ」
ペンを引ったくり、羊皮紙とにらめっこを開始するイワン。
途端、彼の頭から煙が噴き出した。
三×三の魔方陣は、実は数字の配列が決まっており、パターンさえ覚えればめちゃくちゃ簡単だが、それを知らなければ難しい問題でもある。
イワンは計算が苦手のようだし、これで相当な時間を稼げそうだ。
「できたら見せてくださいね」
私は一礼してその場を離れ、掃除を再開した。
――結局、昼食の時間になってもイワンが問題を解けることは無かった。
◆ ◆ ◆
昼食の献立はオムレツにした。具は炒めたひき肉と玉ねぎだ。
玉ねぎはイワンの野菜嫌いを考慮して通常の倍以上に細かく切り刻んでいる。それ以外は特に手を加えていないオーソドックスなものだ。
イワンの足止めには成功したが、掃除は時間通りに終わらなかった。
残るは三部屋。領主様の寝室、執務室、書斎だ。
無理にやり切ろうとしたせいで昼食の支度が遅れてしまい、時間のかからないオムレツという選択になってしまった。サイドメニューを何も作れなかったことが悔やまれる。
手を抜いたつもりはないが、罪悪感が両肩に圧し掛かった。
……夕食はちゃんと手の込んだものを作ろうと、新たに心の中で誓う。
「ふん。見た目だけは立派だな」
魔方陣による知恵熱で頭をフラフラさせながらもイワンは尊大に言った。
手順としてはお手軽だが、卵を上手に焼くのは実はかなり難しい。
特にこの世界ではテフロン加工されたフライパンが無い為、卵がフライパンにくっ付いたらそこで一環の終わりだ。
家で普段から料理をしていなかったら、たぶん失敗していただろう。
見た目もさることながら、味も心配だ。
師匠のメモで彼の味の好みは事前に知っていたが、気に入ってもらえる味付けかどうかは実際に食べてみてもらわないと分からない。
これで「美味い」と言ってもらえたら拍手喝采だ。
「冷めないうちにどうぞ。お口に合えば良いのですが」
「言っておくが、俺の舌は肥えている。余程のもので無い限りウマイなんて言わないと思え!」
イワンはスプーンでオムレツをすくい、ぱくりと口に放り込んだ。
「えっ……ウマイ」
余程のものだったらしい。
良かったー。
私は胸中で胸を撫で下ろした。
◆ ◆ ◆
「よし、ここで最後だ」
昼食の片付けを終え、私は一心不乱に掃除を続けた。
そして、最後の部屋である書斎に入る。
実は、ここの扉を開けるのは今日が初めてだ。
書斎、というと本がぎっしり詰まった部屋のようなイメージだが、ここは違った。
大きくて立派な本棚が一つだけ。しかも本を収納するスペースは半分以上が空いている。
そしてその傍にポツン、とアンティークな机と椅子が置かれているだけだ。
何故か窓が無く、昼間なのにこの部屋だけやけに薄暗かった。
部屋の広さと家具の少なさがアンバランスで、どこか空っぽの印象を受ける。
家具が少なければ掃除はしやすい。私は手早く床を掃いた。
どんな本が置いてあるのか見ようと思っていたが、そんな余裕は無かった。
私はなるべく本の方には視線を向けないようにした。タイトルを見て、興味を惹かれるものだったら読んでしまいそうだからだ。
これが終わったらイワンのおやつを用意しなければならない。
時間が押している。急がないと……。
――なんて焦っていたら、本棚を箒で叩いてしまい、そこから一冊の本が床に落ちた。
「……やってしまった」
慌てて拾い上げ、傷が付いていないか確認する。
幸い、大きな傷は無かったので私は胸を撫で下ろした。
危ない危ない。
もし傷が付こうものなら、弁償代を賄う為にまたウィリアムに借金をしなければならないところだった。
さすがにそろそろ怒られてしまう。
「――あ」
落とした本を元の場所に戻そうとしたその時、見ないようにしていたタイトルが目に入ってしまった。
『魅了術教本』
――心臓が、どくん、とひときわ大きな鼓動を鳴らした。
魅了術。
三大種族が一角、ヴァンパイアにのみ許された、魔法の進化系。
その教本が、目の前にあった。
「……」
私は人間種族だ。
だから、私がこれを読んだところで魅了術を使えるようになる訳ではない。
「……」
――だからと言って、魅了術の仕組みに関心が無い訳ではない。
むしろ大いにある。
「……」
ただ知識欲を満たすだけだ。
今日はかなり仕事を頑張ったし、これくらいの役得はあってもいいんじゃないか。
ゴクリと唾を飲み込み、私は『魅了術教本』の表紙を――。
「オイ色無し!どこにいる!?」
「ひぁ!?」
――めくろうとしたところで、ドタドタと階段を駆け上がる音に驚いて変な声が出た。
急いで本を元の場所に戻して書斎を出る。
「はい、ご主人様、ただいま!」
「そこにいたのか。いつまで掃除をしている!おやつの時間はとっくに過ぎているぞ」
「すみません!すぐにご用意いたします」
掃除用具を片付け、私はイワンに続いて階段を下りた。
……ううー!もうちょっとで読めたのにー!
NG集
『甘えんぼ』
「――はぁ!?じゃあその間、一体誰が俺の昼飯を作ってくれる!?おやつは!?朝起こすのは!?着替えは!?風呂は!?耳かきは!?」
「自分でやれよ」




