第十三話「二人の一日1」
「ちょ、ちょっと待て!」
咄嗟に反論できたのは奇跡に近かった。
それくらい、テレサさんから出てきた言葉は衝撃的で――まるで実際に殴られたみたいに頭がくらくらした。
専属メイド?なにその超展開。
「おや。どうしたんだい」
「どうしたも何も、いくらなんでも無茶苦茶だ!物事には順序があるのだから、まずは母の許可を取ってから――」
「心配しなさんな。マリからはもう許しを得ているよ」
「えっ」
「テレサ、どういうことだ!」
「おやおや、坊ちゃんまでどうなさったんですか」
「無断でメイドを――しかもこんなヤツを雇うなんて、そんなの父様が許すはずが無い!」
「ご安心を。領主様には既に報告済みです」
「えっ」
イワンと私の反論を、たったの一言で終わらせてしまった。
既に根回しが完了している……だと。
私が簡単にイワンの心を開けないと分かっていなければ、そもそも雇用するなんて話にはならないはずだ。
というか、私とイワンの接する時間を増やすためだけにここまでするか普通?
このお婆さん、侮れないぞ……。
「母は何と?」
「父様は何か言っていなかったか!?」
私とイワンがほぼ同時に尋ねると、『おやまぁ。息が合っているねぇ』とテレサさんは笑った。
それが気に食わなかったのか知らないが、何故かイワンに睨みつけられてしまった。
「ご心配なく。どちらも私に一任すると言質を取ってあります」
◆ ◆ ◆
「ただいま、エミリア」
「かあさまーーーー!」
おかえりの挨拶も忘れて、私は仕事から戻ってきた母に詰め寄った。
「どういうこと!?使用人になるなんて私は聞いてないぞ!」
「どうも何も、あのテレサ様に見初められるなんてすごい事なのよ?」
「すごいこと……?」
母曰く、テレサさんはかつて“伝説の使用人”と呼ばれるほどに凄いヒトだったらしい。
若かりし頃は歴代の王や大貴族に仕え、影から彼らを支える存在だったようだ。
十年ほど前から隠居生活を送っていたが、古い知り合いである領主様のたっての頼みによりメイド業を再開させたらしい。
確かに、あの紅茶はそんじょそこらのメイドでは出せない味だ。
只者ではないと思っていたが……そこまで強烈な経歴の持ち主だったとは。
「イワン様専属っていうのが少し心配なところだけど……テレサ様がついてくれるなら私も安心だわ」
母もメイドとして働き出してそこそこの年数になる。
その母が全幅の信頼を寄せるなら余計な心配は無用か。
……最も、イワンと友達になる件に関しては心配だらけだが。
「それに、エミリアも仕事をしたいって言ってたじゃない?給金も出るみたいよ」
「なに!?」
それは聞いていなかった。
イワンと接する機会が増えて、伝説のメイドとまで呼ばれた人物に師事できて、さらに給金まで出る。
一石三鳥とはこの事か。
ウィリアムへの借金は完済間近だが、収入は多いに越したことは無い。
いつまでも貯金ゼロというのは不安だし、護身術も早く学びたい。
「使用人になりたいんでしょう?だったら、将来絶対に役に立つ経験が得られると思うわ」
「母様がそこまで言うなら……分かった、やろう」
もとより、メイドとして働くことは全然嫌じゃない。将来に向けての職業体験、といったところだ。
気付けば私は、すっかりやる気になっていた。
……我ながら現金なものだ。
話がひと段落したところで、母が「そういえば」と、何でもない風に尋ねて来た。
「イワン様に石をぶつけられそうになったって聞いたけど」
「ん?ああ、ちゃんと避けたから大丈夫だ」
「そうなの。良かったわね、当たらなくて」
わさわさと頭を撫でてくれる。
――やはり母に撫でられるのが一番落ち着く。
「ああ。日頃から動体視力を養っていた甲斐が――」
「エミリアじゃなくて、イワン様の方よ」
「それはどういう意味だ?」
私が首を傾げると、母はにっこりとした笑顔を向けてきた。
「だって、もしエミリアに当たってたら――私が黙っていなかったもの」
「か、母様……」
母の笑顔はとても暖かく、見るだけで心がぽかぽかする。
――はずなのだが、今の笑顔は身震いするほどの寒気を感じた。
「今度イワン様に何かされたら、遠慮なく私に言ってきてね」
「あ、ああ……」
なんとか返事を搾り出すと、母は「よろしい」と満足そうに頷いた。
予め用意した部屋着を手に、寝室に着替えに行く。
私の為に怒ってくれるのはとても嬉しいが――怖すぎて、逆にイワンの身が心配になってしまうほどだ。
明日以降、何事もありませんように。
私はその場で祈りを捧げた。
◆ ◆ ◆
翌日から、イワン専用メイドとしての訓練が始まった。
午前中はいつも通り魔法の授業が行われた。
授業開始前に領主様が直々に頭を下げに来たこと、そしてイワンの頬が赤く腫れ上がっていること、クドラクさんのイワンへの接し方が少し厳しかったこと以外は特に何事も無く終わった。
そして正午過ぎ。授業が終わった私はすぐさま領主様の館に向かい、まずは例のメイド服に着替えた。
「いいかいエミリア。使用人はその家の格を映し出す鏡だ。お前が乱れた格好をしていれば、それは家の品格を疑われることになる。身だしなみには十分気をつけな」
「はい、師匠!」
私は仕事中だけはテレサさんを師匠と呼ぶことにした。言葉遣いも敬語に戻す。彼女だけでなく、イワンに対しても同様だ。
仕事として給金を貰う以上、公私はきっちり分けないと。
師匠と呼ばれ、テレサさんは「ガラじゃないんだけどねぇ」と言いながらもまんざらでは無さそうだった。
備え付けの全身鏡で身だしなみを入念にチェックする。
襟もヨレていないし、スカートもシワになっていない。
よし、完璧――
「お待ち!ホワイトブリムが曲がっているじゃないか!」
「へ?」
鏡で見るが、別に曲がっているようには見えない。
首を傾げる私に、師匠は無言で分度器をゴツンと頭に当てた。
い、痛い……。
「よーくごらん。角度が五度もズレてるじゃないか。こんな姿でご主人様に奉公できると思っているのかい?」
えぇー。
メイド本来の仕事は主にハウスキーパー、つまり家主に代わって家事を行うことだ。
ここで言う家事とは“家でやらなければならないこと全て”を差す。
掃除、洗濯、料理はもちろんのこと、子供の面倒を見たり、怪我で動けなくなった者の世話をしたり……等々、本当に多岐に渡る。
前世の職業に当て嵌めるなら家事代行+保育士+看護士+介護士みたいなものだ。
師匠曰く、本当に優秀なメイドの役割は『家主が安心して仕事に集中できる環境作りをすること』だそうだ。
なので、上に挙げた例以外でも、出来る事はなんでもしなければならない。
ある意味、『何でも屋』というのが一番ぴったりな表現かもしれない。
専属メイドとは名の如く、仕える人物の身の回りの世話をするのが仕事だ。基本的にそれ以外の事に注意を払う必要はない。これは直接関係の無い仕事(掃除など)を他のメイドと分担することで奉仕の質を上げるのが目的だ。
イワンの専属メイドならば、イワンの世話だけをすれば良いのだが、この家には師匠以外のメイドは居ない。
なので、師匠は専属メイドというカテゴリでありながらこの家の家事全て担っている。
イワンの世話はもちろん、家の掃除、洗濯、買出し――さらには領主様の仕事の手伝いまで。
師匠の後任となるからには、その全てを一人で出来なければならない。
「これくらい一人で切り盛り出来なくてどうするんだい」
さらりと言ってのけるが、領主様の家は広い。掃除だけで一日が終わってしまいそうだ。
そりゃ王都の城に比べたら全然狭いだろうけど……。
魔法をフルで駆使すればなんとかいけるだろうか。
……なんて、この時点では甘い考えを抱いていた。
「エミリア!掃除にいつまでかかってるんだい!」
「す、すみません!」
「エミリア!この皿まだ汚れが残っているじゃないか!」
「すみません!」
「エミリア!洗濯はまだ終わらないのかい!」
「すみませんー!!」
……こんな調子で、初日は怒られまくった。
正直、舐めていた。家でのほほんとやる家事と、メイドとしてやる家事を同列に考えていた。
メイドめっちゃ過酷やん。
思わずドワーフの行商マインの訛りが移ってしまうほどの辛さだ。
師匠は普段はとても優しいヒトだが、仕事となると本当に厳しかった。
少しでもおかしな事をすれば容赦なく尻を叩かれる。
――というか、師匠の仕事は早すぎる。
こっちは魔法を駆使しているというのに、それでも何一つ彼女より早く仕事をこなせない。
例えるなら、馬車と競歩だ。
こちらは魔法という馬を使って走っているのに、師匠は競歩でそれよりも早いスピードを叩き出している。
それだけのスピードにも関わらず、「あたしも衰えたモンだねぇ。作業一つにこれだけ手間取っちまうなんて」などと言う始末だ。
……わけがわからないよ。
◆ ◆ ◆
こんな感じで、午前中は魔法の勉強、そして午後からはメイドの勉強に邁進した。
おかげで魔法の自主練習は出来なくなってしまったが、メイドをしている時に家事魔法は使いまくっているし、夜は家で魔力収集をしているので使用量はほとんど変わっていない。
むしろ家事魔法は実践形式で使っているので、一人でコソコソやっているよりも全然身に付く。
――そうそう。変わっていないといえばもう一つ。
イワンだ。
「ご主人様。午後の紅茶です」
「……」
メイド生活が始まって早五日。彼は相変わらずムスッとしたままだ。
私に向かって掛けた言葉はたった一言。「坊ちゃんって呼ぶな!」だ。
師匠の呼び方を真似したのだが、どうもお気に召さなかったらしい。なので今は「ご主人様」と呼ぶことにしている。
メイドの勉強が出来るのはとてもありがたい。
おかげでメキメキと家事スキルが上達しているのが実感できている。
しかし――『彼と友達になる』という本来の目的は未だ遠いように思えた。
まあ、半年以上一緒に勉強していたのに仲良くなれなかったんだから、メイドになったからと言ってすぐに関係が改善できないのは当たり前か。
……もう少し気長にやっていこう。
そしてメイド生活六日目。
その日は師匠のこんな一言から始まった。
「泊まり?」
「そうとも。そろそろ慣れてきた頃だろうし、一日を通した仕事の流れを覚えてもらうよ」
「それは構いませんが……」
「安心おし。マリにはちゃーんと許可を取ってあるよ」
ですよねー。
根回しの早さといい、ちゃんと魔法の授業の無い日を選んでいるところといい、この辺りの手際の良さはさすがとしか言いようが無い。
という訳で、明日は朝からメイド業に勤しむ事になった。
◆ ◆ ◆
メイド生活七日目。早朝。
少し緊張しながら領主様の家に足を運ぶ。
正午から夕方までの間でもあれだけやることがあったんだ。加えて、今日から専属メイド本来の仕事である奉仕活動もしなければならない。
今日だけで一体、何回尻を叩かれることやら……。
過酷な一日になりそうだ。
気合を入れてメイド服に着替えた私に、師匠は意外な事を告げてきた。
「買い出し?」
「そうとも。これが難儀な事に隣の村まで行かなくちゃ手に入らないものでねぇ。悪いけど、今日の訓練は無し。いきなり実践になっちまうけど……今日明日、坊ちゃんの事を頼めないかい?」
隣村までは往復で二日かかる。
その間、この家を私一人で切り盛りしなくてはならないのか。
正直、ちゃんと出来るかどうかわからない。
不安は大きいけど、師匠に頼られたというのは素直に嬉しかった。
「分かりました。師匠の留守は私が預かります」
「……ありがとう。あんたを雇っておいて正解だったよ」
師匠は嬉しそうに微笑み、私の頭をぽんと撫でた。
冬使用の外套を羽織りながら、懐から一枚の紙を手渡してくる。
「これは?」
「今日一日の仕事の流れを書いたものだよ。本当は隣に立って一つずつ説明してあげたいところなんだけどねぇ……手抜きで許しておくれ」
ちらりと見ると、結構みっちりとスケジュールが組まれていた。
この量は一人ではとても……。
……いやいや、「やる」と言ったからには頑張ってやり遂げないと。
「私にできるかな」なんて不安を顔に出したら、師匠が安心して家を空けれなくなる。
「いえ、大丈夫です!任せてください」
なので私は、あえて胸を張って師匠を送り出した。
「…………。さて、と」
これはピンチではない。
師匠に鍛えてもらった家事スキルと自前の魔法を十全に発揮し、イワンと仲良くなるための絶好のチャンスなのだ。
今の私には荷が重い仕事だとは十二分に承知しているが、この二日を乗り越えれば私は大幅にレベルアップできる。
「やってやる、やってやるぞ!」
頬を景気良く叩き、私はさらに気合を入れ直した。
NG集
『もう一人の反論者』
テレサさんはイワンと私の反論を、たったの一言で封殺した。
「ちょっと待ったぁ!僕を差し置いてエミリアちゃんをメイドにするなんて、そんな事は許さないよ!」
「おまわりさんこのヒトです」
『午後ティー』
「ご主人様。午後の紅茶です」
私はコンビニで買ってきたペットボトルを置いた。
「手抜いてんじゃねぇ!」




