第一話「私という存在」
私の名前はエミリア・ルーミアス。今年で五歳になる。
体躯は年相応にちんまりしている。出るところは出ておらず、引っ込むところも引っ込んでいない。
髪の色は白。字面からだと老人を連想するだろうが、私の白い髪はそれとはまるで違う。光を反射するくらいにツヤツヤで、見方によっては銀髪に見えたりする。長さは肩にかかるくらいだ。
瞳の色も髪と同じく白。初めて鏡を見た時はとてつもない違和感があったが、さすがにもう慣れた。
顔の造詣はいい方だと自画自賛しておく。目は大きいし、鼻も眉もすっきりしている。
母が美人なのできっと私も将来は美人になるだろう。そうであって欲しい。
父はいない。母が一人で家計を切り盛りしている。
とはいえ、貧乏というわけではない。
母はとある有力な貴族の使用人で、給金はそこそこにある。
なので、これといって暮らしに不自由はしていない。
え?私が五歳児とは思えない話し方だって?
それはそうだろう。
今の私には、自分とは別の数十年生きたヒトの知識が入っているのだから。
前世の記憶?とやらだろうか。
それが分厚い物語として頭の中に収められている。
中を覗くと、こことは全く異なる世界の、高度に発達した文明社会で生きていた人物の記憶があった。
その知識を元に現状を表現するなら、私は転生者のようだ。
事故や災害、或いは神の手違いや悪戯をきっかけに別の世界へ転生する。
転生者は大抵、何らかの能力に秀でている。
強大な魔法を簡単に扱えたり、尋常ではない身体能力を持っていたり。
その力を持って華々しい人生を歩んでいく。
そういう存在らしい。
……と言っても、私にそんなものは一切無い。
神様からお手軽に使えるチート能力も貰っていないし、ステータス画面も開けない。
見るだけでモノを鑑定したりも出来なければ、すべての属性魔法を使えたりもしない。
私が唯一秀でている点といえば……知恵が回ることくらいだろうか。この年齢で家事を任されているような子供はなかなかいないと思う。
もしも前世の記憶が無ければ、私はただの子供だっただろう。
何故、私だけそんなものを持って生まれたのか。
ひょっとしたら、大して珍しいことじゃないのかも、と思った時期もあった。
近所の子供にそれとなく聞いて回ったが、やはり記憶保持者は私しかいなかった。
母にこのことは言っていない。
もし気味悪がられたらどうしよう。そういう恐怖があったので、未だに言えないでいる。
何のための記憶なのか。何故私だけなのか。私は何者なのか。
このところ常にそれを考えている。考えすぎて憂鬱だが、それを払拭する存在がここにはいる。
「……おっと。いけないいけない」
思考を中断する。そろそろ母が帰ってくる時間だ。
暖炉に薪をくべ、部屋が適温になるように調節する。
この地域は豪雪地帯で、一年の半分は冬という気候だ。外は当然のように雪が降り続けている。
ストーブのような便利なモノは存在していないので部屋の暖を取るのも一苦労だ。
そうしているうちに、玄関のドアが開いた。
「ただいま」
「お帰りなさい、母様。食事の用意ができてる」
勤めを終えてきた母の元へ駆け寄る。
いきなり「おかえりー!」などと抱き付いたりはしない。それはただの五歳児のやることだ。
私は違う。まず母様の体が冷えないように配慮した。雪の付いた上着と部屋着を素早く交換し、暖炉から最も近い席へと誘導する。
「今日はシチューを作ってみた。具はジャガイモと人参と玉ねぎ、それからブロッコリーだ」
解説をしながら、母の帰宅時間に合わせて予め暖めておいたものを食卓に広げる。
料理自体は前世の記憶のおかげでそつなくこなせたが、ガスコンロや電子レンジがないので、最適なタイミングで暖かい料理を出すことが難しく、最初は失敗の連続だった。
「いつもありがとうね」
柔和な笑みを浮かべて私の頭を撫でる黒髪黒目の女性。
彼女が母のマリだ。年齢は二十三歳。夫――つまりは、私の父と死別してからずっと独身を貫いている。
父がどんな人物だったのかは知らない。
それを聞くと、母は悲しそうな顔をして言葉を濁した。
彼女のそういう顔は見たくないので、一度聞いて以来、父の事は話題にしなくなった。
「母様。いつもお疲れ様」
そこまで言って、ようやく母のお腹辺りに顔をうずめる。
これは冷え性の母のために人肌で暖めるのが目的であって、決して甘えたくて抱き付いた訳じゃない。
私はそんな子供っぽい行動はしない。
しないが――憂鬱だった気持ちが、ふわりと暖かいものに包まれて霧散する感触があった。
「ごちそうさま。エミリアの作る料理はどれもおいしいわね」
「そんなことはない。本の通りに作っているだけだ」
とは言え、多少手は加えてある。
前世の記憶を紐解けば、料理などいくらでも作ることができる。
前世にしかない家電を用いた加工法――例えば、『ラップで包んで800Wで二分チンする』など――を省いて、ここででも再現できそうなものを取り入れているだけに過ぎない。
「私じゃこの味は出せないわ。まるで魔法ね」
「私は魔法使いの家系じゃないだろう」
……そうそう。この世界には前世には有り得なかった魔法が実在する。
ただ、残念なことに魔法使いは血統がモノを言うらしく、魔法使いの血が混ざっていない私は魔法を使うことができない。
実に残念だ。
やはり私には他の転生者のような華々しい人生は送れそうにない。
今のところ、将来は母のような立派なメイドになれるよう進路を定め、日々勉強をしている。
「エミリア、その話し方はダメよ」
「む……」
母はちょんと私の頬を付いて言葉遣いを窘めてくる。
私の自我はその大半を前世の知識から形成している。
どうやら以前は男性だったらしく、言葉遣いがそれに引っ張られてしまっている。
自分でも直そうとは思うのだが……。
「ごめんなさいお母様。以後気を付けますわ」
「エミリア。顔が引き攣ってるわよ」
これだ。
どうも女言葉は性に合わない。
「はぁ……なかなか言葉を覚えないと思ったら、いきなりそんな口調になるんだから。どこで覚えたのかしら」
言葉を覚えなかったというより、この世界の言語が分からなかった、という方が正しい。
元々言語を覚えていると新しい言語を覚えにくくなると前世の記憶にはあったが、まさにその通りだった。
自我が芽生えてから半年以上はかかったと思う。
今も頭の中は前世の言語でものを考えているので、うっかり口に出してしまいそうになる。
異世界の知識を持ってはいるが、あくまでも私はこの世界の住人だ。
少しずつ切り替えていかないと。
「すまない」
「大丈夫よ。まだ五歳なんだから。これから直していけばいいのよ」
にこやかに笑い、しゅんとする私の頭を撫でる。
母は私を元気にさせるのがとても上手だ。
「母様……」
それに嬉しくなった訳ではない。
ただ、母の体が冷えないようにと念には念を入れて再度抱き付いた。
前世の記憶があろうが関係ない。
今の幸せな生活を続ける。
それ以外に望むものなんてないんだ。
◆ ◆ ◆
六歳になった。
この世界は毎年お祝いをするような習慣は無く、代わりに六の倍数の年齢になると盛大にお祝いをするらしい。
誕生祝いを三回繰り返す――つまり十八になると成人として扱われるそうだ。
「エミリア、誕生日おめでとう!」
この日は仕事を休んで母が自ら手料理を振舞ってくれた。
私が家事担当をするようになってからはほとんど料理をしなくなったので、実に一年ぶりくらいの母の味だ。
肉料理を作ってくれた。脂の乗ったステーキだ。
寒さの厳しいこの地域で肉はとても希少なものだ。100グラム単位で結構な金額が消し飛ぶ。
その価値をよく理解している私は、嬉しいよりも戦々恐々とした気持ちの方が勝っていた。
並べられる料理の代金をざっと計算して、顔を青ざめさせる。
「母様。なにもここまでしなくても」
「なーに言ってるの。六歳よ、六歳。今奮発しなくていつするっていうの!」
「はぁ……」
私のことよりも自分の身だしなみに気を使えばいいのに。
まだ若いんだから、その気になれば再婚相手の一人や二人、簡単に見つけられるだろうに。
事実、母のことを好いている人物に心当たりがある。
「それと。はい、誕生日プレゼントよ」
そう言って、母は三冊のノートとペンをくれた。
ノートは真っ白な空白のもので、ペンは万年筆だ。
そのどちらも、この世界ではまだ高価なものに分類されている。
「母様……!」
「書き取りの練習をしたいって言ってたじゃない?遠慮せずに使いなさい」
それを言ったのはかなり以前の、しかも一度だけのはず。独り言に近い言葉を、まさか覚えていてくれたとは。
目頭に熱いものがこみ上げてくる。
たまらず、私は母に飛びついた。
「ありがとう母様。頑張って勉強するよ」
「そこは普通に母様大好き!でいいと思うんだけど」
それはさすがに恥ずかしくて言えない。
でもまあ、そこは以心伝心で分かってくれるだろう。
その日は私の人生の中で最高の一日だった。
◆ ◆ ◆
さらに数ヶ月が過ぎ、長い冬が終わろうとしていた。
もうすぐ母の誕生日だ。
母は今年で二十四歳。
そう、盛大にお祝いをする年だ。
何か送りたいと考えた私は、すぐに肉料理を思いついた。
前世の知識を流用すれば、驚くほど美味なものを作れるだろう。
肉をふんだんに使用したコース料理にしよう。きっと喜んでくれる。
……が、材料となる肉は私のお小遣いで買えるような値段ではない。
とはいえ、手が無いわけじゃない。
買えないなら捕まえればいいんだ。
かなりの冒険になるけれど、母の喜ぶ顔が見たい。
その一心で、私は行動を起こした。
母の誕生日まで、あと三週間。
NG集
『誤った知識』
本の通りに料理を作っているとは言え、この世界でも適用できそうな一手間は加えてある。
「おいしくなれ~キュンキュンきゅん~!
萌え萌え~キュンキュン~おいしくな~れ!」
とか呪文を唱えてみたり。
これで料理の味が向上するんだから、異世界とは本当に不思議な場所だ。