第8話:下働き。でも嬉しい。
アレンが頼んでくれたお陰で、明日の朝からダンテさんのお店で働けるようになった。
ナナは、小さくガッツポーズを決める。
文字が読めない事を伝えたところ、取りあえず配膳や皿洗いを手伝って欲しい、と頼まれたのだ。
本当に人手が足りなかったのだろう。
異世界の料理をじっくり見られる。
しかもあんな、一流っぽいシェフのすぐ側で!
よし、頑張ろう。
ダンテさんのお店は、昼の部、夜の部に加えて、仕込みも掃除も片付けもある。
体がバキバキになりそうだ。でも嬉しい。自分は調理の仕事が好きだ。
「じゃあ、明日の朝は俺が声をかけるよ。卸の品の荷積みだけ手伝ってくれ。それだけ手伝ってくれたら、これからもあの小屋を使ってくれていいからね」
「それにしても、あんな小屋でゴメンナサイね。真っ暗な所じゃ朝起きられないわよねぇ。お父さんも早起きして、ちゃんとナナさんを起こしてね」
デイジーのご両親が口々に言ってくれたので、ホッとして頭を下げる。
親切な人たちだ。
少しでも仕事をしてくれれば、あの小屋に寝ていてもいいなんて。
とりあえず、寝床は確保した。
がんばって、元フリーターの意地を見せなくては。
何が起きたのかとしきりに聞くデイジーの頭を撫で、急いで服を洗う。
それから、アレンが届けてくれた数枚の服を畳んで、借りた革袋の中にしまった。
「ねえ、ナナさん」
「はい」
「今度、都のお役人がいらっしゃるの。そのとき『自分はカイワタリです』って報告した方がいいわ。きっと支援を受けられるでしょうから」
エレナさんの言葉に目を丸くする。
「お役人? 支援?」
「ええ、この世界はたまにカイワタリが来るのよ。みな、ナナさんみたいな黒い髪なの。竜殺しの勇者様は違ったけれど……カイワタリの歴史を管理するお役所の人なら、力になってくれると思うわ」
「そうなんですか、わかりました!」
もしかしたら、もとの世界に帰った人の話なども知っているかもしれない。
そのお役人さんが来たら、身の上相談してみよう。
無一文どころか、着替えすらない事も。
そう考えて、エレナさんに頭を下げ、暗い小屋に戻った。
彼らは、かなり高価らしい蝋燭も快く分けてくれるご夫婦だ。
だが、家の広さや着ている服などを見ても、そんなに裕福な暮らしには見えない。
早く、彼ら夫婦に迷惑をかけないようになりたいのだけれど。
服を洗ったら寝よう。
あんまり高価な蝋燭を使うのも勿体ない。
そう考えながら、汚れ物を手に、暗い道を辿って井戸へ向かう。
ざぶざぶと心ゆくまで服を洗い、硬く絞っていると、稲妻の音に気付いた。
「げ、雨?」
服を抱えて、慌てて小屋に戻った。
激しい雨音が屋根を叩くのが聞こえる。
あっという間に、天井から水がしたたって来た。
「うわわ、雨漏りだよ」
色んな場所から雨漏りするので、避けて避けて、避けまくるうちに、小屋のすみにきてしまった。
ここなら木組みがしっかりしているので、天井も保たれているのだろう。
「そりゃそうだよなぁ、隙間から光が入って来るもんな」
濡れていない寝藁をかき集めて、体育座りで丸くなって目をつぶった。
眠い。
それから、今日あのお店で頂いた麺もサラダもパンも、とびっきり美味しかった。
幸せを思い返しながら目をつぶった。
あっというまに意識が引きずり込まれてゆく。
寝付きは最高にいいのだ。
いいもん食べてぐっすり眠る。それが鈴木菜菜のモットーだから。
…………。
おばあちゃんの……声がする……。
「菜菜、悪いけどはっきり言う。あんたには親が居ないんだよ。しかもばあちゃんは貧乏だし、いつ死ぬか分からない!あんたは他のおうちの子と比べたらずっと不利なんだ。でもね、不利だからっていじけてたら、絶対こんな暮らしからは抜けられない。甘えてる時間はあんたにないんだよ」
一昨年亡くなったおばあちゃんだ。
厳しいばあちゃんだったけど、今は分かってる。
厳しくしてもらえたから、バカみたいなチンピラ生活から立ち直れたんだって事。
「おばあちゃん……会いたかったよ……会いにきてくれたの……」
そう呟くと、おばあちゃんの声が自分を一喝した。
「バカ、気合い入れてやりにきたんだよっ!あんた、頑張りなよ!泣き入れてサボるんじゃないよ!分かったね!」
その答えに微笑んだ。
ああ、全然変わらない。
この声は、本物のおばあちゃんの声だ。
「うう」
体が重いなぁ、と思いながら目を開けた。天井からは水がしたたり続け、かすかに光が差している。
小屋の中は水浸しで、足元まで水が来ているのが分かった。
体がどんよりする。湿気で冷えたのだ。コレは結構キツい。
そう思いながら体を伸ばし、ノロノロと起き上がった。
こっちに来てから、もう3日。
毎日着替えをしなければ、という概念が薄れつつある。
が、お風呂には入りたい。バケツの水で体を拭くだけではなくって。
だが、こっちの世界にはお風呂などあるのだろうか。
お湯たっぷりのお風呂はあって欲しいなぁ、と思う。
温泉でもいい、百歩譲っても水風呂でもいいから。
ごそごそ立ち上がり、光を入れる為に鎧戸を少し開けた。
凄い雨だ。辺りが白っぽく見えるほどの。
「傘がない、仕方ないっ!」
仕方ない。気合いを入れて小屋から飛び出す。
そのまま全力で、ダントンさんの家に走った。
「おはようございます!」
「あらっ!」
ずぶぬれの自分を見て、エレナさんが慌てて布を持って来てくれた。
「ごめんなさいね、今から声を掛けに行こうと思っていたの。今日はこんな雨じゃ青空市もお休みなのよ。昨日の夜に説明すれば良かったわ」
そう言って、大きなシャツを持って来てくれた。
「お父さんのシャツだけど、これを着て居て頂戴ね。この服は乾かしておくから。お父さんとデイジーは眠りこけてるわ。お父さんも、雨の日くらいはゆっくり寝かせてあげようと思って」
「そうですよね、毎朝早いですもんね」
おいしい農作物を作ってくれる、農家の人たちはとても大変だ。そう思って頷いた。
下に履くものを探してくるので着替えていてほしい、と言われたので、濡れた肌着を脱ぎ捨て、素肌にダブダブのシャツを羽織る。
ダントンさんはとても大柄なので、ちょっとしたシャツワンピのようになった。
が、ちょっと脚が見え過ぎだ。
自分もかなり大柄だから。
これで外に出たら、ちょっとしたサービスだ。さすがに下も借りたい。
そう思って、エレナさんに声をかけようと顔を出したとき、ばっちりアレンと目が合った。
何故居るのだ、と思ったが、朝ご飯を食べにきたのだろう。
「誰だ、君は……と思ったらナナさんか。髪を下ろしているから印象が違った」
「あ、おはようございます……」
無意識にシャツの裾を引っ張る。
下には何も着ていないので、恥ずかしいとか言うレベルではない。
シャツが濃い紺色で良かった。
「!」
アレンが一瞬目を見張り、すぐに平静な表情に戻った。
だが、何故か口調が動揺している。
「あ、あの、僕が貸した服はどうした」
「えっと……えっと……濡れちゃって……それで」
駄目だこれは。ヤバい、恥ずかしい。
耳に血が集まるのを感じて俯いた瞬間、パタパタと軽い足音が聞こえ、デイジーが飛び込んできた。
「アレンにーちゃーん!おはよー!おはよー!」
寝巻姿でくしゃくしゃの髪のデイジーが、アレンの腰に飛びつく。
それから、自分を見上げて不思議そうに首を傾げた。
「あ、ナナちゃんだ!おはよー!なんで上しか着てないの!ナンデ!ナンデ!何かへーン!」
「で、デイジーちゃん、あのね、今着替え中なんだよ、ナナちゃんは」
アレンの前でその話を連呼しないでくれ、と念じつつ、更に裾を引っ張る。
膝上というのがどうしても落ち着かない。何だか、脚を凝視されている気がする。
「ナナさん、昔お父さんが痩せてた頃のズボンがあったわ、紐を縛って着て頂戴な」
エレナさんが笑顔で、ズボンを片手に入って来た。
「あ、ありがとうございます!」
お辞儀をして受け取り、廊下に飛び出した。
恥ずかしくて、相当ヤバかった。
初出勤の朝だというのに、いきなり心臓が飛び出すかと思った。そう思い、バクバク鳴る胸を、ぎゅっと押さえた。
******
「じゃ、まず全部のテーブルと椅子を綺麗にしてもらえるかな。私は仕込んだ肉の低温焼きを仕上げるから」
ダンテさんが滑らかな頬に笑顔を浮かべて言った。
姿勢を正し、深々と頭を下げる。
勿論髪はきっちりお団子で、爪はダンテさんに借りたヤスリで丹念に削った。
「はい、店長!」
受け取ったぞうきんとバケツ、何か字の書いてある缶をしげしげと見つめる。
「これが洗剤なんですね」
「そう、食用のものだよ。店のお客さんが触れる場所は、全部この洗剤で綺麗に拭いている。このバケツ一杯の水に、この匙一杯分を溶いたもので拭いて欲しい」
「分かりました」
頷いて、頭に手順を叩き込む。簡単な事だからと聞き流しては駄目だ。
でも、使ってる洗剤まできっちりこだわってるって、やっぱりいいお店だ。
自分の見る目に狂いは無かった。
バケツに溶いた洗剤で、10卓ほどあるテーブルをきっちりと拭き、椅子も同じく綺麗に拭いた。
食べカスなどが椅子や卓にあったら、お客様はがっかりするだろう。
いいお店を作るには、皆が努力を積み重ねるしかない。たとえ雇われのちっぽけな店員だとしても、その責任は同じだ。
『バイトだからって関係ないよ。もし成長したかったら、プロ意識を持った方がいい』
20そこそこの頃、尊敬していた先輩に叱られた言葉を反芻する。
掃除を適当にして、酷く叱られた事を。
「……頑張ろ!」
でもあの事も、今思えば有り難い。
あの一言で、前よりもちょっと良い自分になれたのだから。
そう思いながら裏口の水場でバケツとぞうきんを洗っていると、ダンテさんが顔を出した。
「終わったら、芋の皮むきをお願い」
「ハイ!」
芋の皮むき。その言葉で、小さくガッツポーズを決める。
どうやら、この世界の食材に触れるらしい。
バケツが綺麗になった事を確認し、言われた場所に片付けて、厨房のダンテさんに声を掛けた。
「終わりました!」
「流しに置いてある芋、ナイフで皮をむいて。ナイフは使った事ある?」
真剣に魚に切れ目を入れながら、ダンテさんが言った。
慌てておいてある道具を確認する。片刃で、ほとんど包丁と同じように見える。
「使えそうです!すぐ剥きます」
魚を、細胞壁を潰さずさっとさばくのは神経を使う。なるべく店長の邪魔をしないように、芋の皮にナイフの薄い刃を当てた。
『おお!皮と身の間が青い……でも毒々しくない綺麗な青だなぁ』
「それ、優し芋っていう芋だよ」
魚をさばきながら、ダンテさんが教えてくれた。相変わらず、目は手元だけを見ている。
「ありがとうございます!」
こうやって色々教えてもらえる事に感謝をしないと。
そう思いながら、厨房のダンテさんを振り返った。
「店長!青い部分は剥いちゃっていいんですよね!」
「いいよ!」
念のため確認し、皮むきに着手する。
この青い部分にも、体にいい成分とかが含まれているのだろうか。
癒し芋……。
これもまた、『心に効く料理』の食材なのかもしれない。
この青い部分を取り除くなら、違和感無く自分でも食べられそうだし。
「このあと、豆の莢剥きと、麦の粉を練ってもらう仕事と、色々あるから」
「わかりました、すぐ剥いちゃいます!」
このお店は繁盛している様子だったから、毎日毎日、相当忙しそうだ。
その分、色々な事が覚えられそうで嬉しい。
雑草フリーター調理師の魂に、めらめらと火がついた。