第74話:それからのわたし。
「はー」
じゅうじゅうと天ぷらを揚げながら、満ち足りたため息をついた。
タイゾー君をこっちに連れ帰って、店長のお荷物を運ぶ手伝い、団地の解約のお手伝いをして、バタバタしているうちにもう、一か月。
こっちに戻ってからの生活は、いつもの様に淡々としていて、それでいて目まぐるしい。
バイトも見つけた。あんまり案件がなくって短期のものだが、時給が良くて気に入った。
とにかくまじめに働いて、調理師として出来ることを増やそう。
この近所であれば、居酒屋のバイトもいいかもしれない。
酔っぱらいの相手と、生活が夜型になることが若干きついが、あまり値段が安すぎるお店を選ばなければ、危ない人はそんなに来ない。
ちょっと嫌だけれど、母の飲み友達に働き口を紹介してもらってもいいかもしれない。
頑なに距離を取り続けてきたけれど、母には悪意も善意もない、ただの我儘な子どもなんだ、と最近はわかるから。
「あ」
タイゾー君からメールが来たので、文面を確認した。
『久しぶり! 最近アレンに会った?』
その一言だけが書かれていた。
タイゾー君とは、しばらく、全く連絡が取れなかったのだ。
別れ際、『記憶喪失の振りは無理だから、エルドラでの生活を正直に話せば頭の病気だと思わるんじゃないか』などと笑って言っていたが、本当に洒落にならない事態になっていたのかもしれない……。
実は最近、今更ながらにタイゾー君の事をネットで検索したのだ。そしてびっくり仰天した。
有名な外資系ブランドの日本法人の社長の息子で、親御さんとは関係ないところでトップモデルとして活躍してきた有名人。それが、タイゾー君の本当の姿だったから。
大富豪の息子だったお父様は親日家で、日本人とアメリカ人のハーフであるお母様と結婚して、こちらに永住したのだという。
もちろん行方不明のことも、ネット上では色々と憶測され、噂になっていた。
明らかに住む世界が違いすぎるので、気後れして自分からはメールなどはしなかった。
まあ、今後も話は合わないだろう……と思う。
おそらくは、普段食べている料理も違うんだろう。
トリュフやフォアグラなど自分はめったに食べないし。
『会ってないよ、アレンさんはお仕事で出張に行ってしまったらしくて、まだ顔も見てない。タイゾー君は元気なの?』
そう返事をし、タケノコの天ぷらをモグモグと頬張る。水煮のタケノコだが美味しい。天ぷらを抹茶塩でいただくのが最近のブームなのだ。
それから、エルドラから持ってきたあかね茶をすすって、ほーっと一息ついた。癒される味だ。
自分は食って料理して、また食って料理して、働くところでも料理しているのが一番幸せだ。
立ち上がり、タンスの上の、病床でピースサインを出している老けた父の写真に、タケノコの天ぷらを一個おそなえした。
この写真は、山崎さんの奥さんが、スマホで撮影したものを送ってくれたのだ。ショッピングセンターで印刷できたので、何となく飾っている……。
「あ、そうだ」
この写真も、ディアンさんのお母さんにあげよう。ディアンさん曰く、彼のお母さんはまだあのダメおやじを愛しているらしいから。
エルドラに頻繁に行くのは気が進まない。
それは、あっちでの自分は、魔法が使え過ぎるから。自分が万能な存在になったように思え過ぎて、いつか風船みたいにパン!と割れてしまうような気がするからだけど……。
すぐにタイゾー君から返事が来た。
『ごめん、今スイスの親戚のところに居るので、PCからメールしてます。国際電話できる携帯がないんだよね。頭が病気のエドワード君は、親から軟禁されてるもんで。Webチャットできるツールとかある?』
Web……?
何? 何のことかさっぱりわからない。
たぶん自分には無理なことを頼まれている。それだけはわかる。
『ごめんなさいメールしかありません、パソコンはインターネットとパズルのゲームしかできません』
『そっか、じゃあいいや。とにかくアレンと会っておいでよ、身を切られる思いで、それだけをアドバイスだけして僕は去ります E』
「?」
何だ、このメール……。
パソコンやメールに詳しくない人にも、わかる言葉で話をしてくれ。そう思う。
E……ってエドワードのEなのだろうか。
もしくはパソコンに詳しい人にしかわからない記号なのか。
身を切られるってどういう意味なんだろう。
スイスの冬は寒い、ということなのか。
それともパソコンやメール独特の用語なんだろうか。
『わかりました、ありがとう。寒いけどお大事に』
全然わからないけど、一応そう返事をした。
アレンに、最後に挨拶くらいはしたほうがいいということだろう。
……最後か。
そう思うと、なんだかさみしい。
だがもう竜の事件も、店長の件も解決した。
アレンは多分精神的に立ち直ったのだろう、また騎士団の医技武官とかいう立派な仕事に戻り、使命にまい進している。
彼の周りをうろうろする理由はなくなった。
自分は日本でまじめに働き、今度こそ正社員目指して頑張る。
『菜菜ちゃんへ。色々ありがと。君のクールなところが好きだったよ』
一言、そういう返事がタイゾー君から来た。
またこういう、訳の分からん事を言う……。
そう思いつつ携帯を置いて、残りのタケノコを頬張る。
美味しい。キノコの天ぷらも好きだし、エビも大葉もナスもカボチャもお芋さんも白身魚も好きだが、タケノコも好きだ……。
「あした、お父さんの写真持ってこー」
呟いて、炊き込みご飯も頬張った。これは残りのタケノコとお揚げ、ニンジン、干しシイタケを刻んで炊いたご飯だ。
嗚呼、新米は最高にうまうまである。
また太るのはわかっているが、日本人としてはご飯は絶対に止められない……!
◇◇◇◇
「…………」
父の亡くなる間際の写真を胸に抱き、威厳溢れる女侯爵様がこらえかねたように涙をぬぐった。
「ありがとう、ナナ殿。大事なお父様の事を、別れた妻の私にお伝えくださったこと、心の底から感謝いたします」
そういって、豪奢なドレスの胸に自分を抱き寄せ、女侯爵様が言う。
「本当にありがとう。竜に立ち向かって下さった勇気、省一様の事を知らせてくださった優しさ、決してこのアルビオナは忘れませんよ。ディアンの妹でなければ、あなたに我が侯爵家にお嫁に来てほしかったくらい。私は、これからずっとあなたの味方です、この国で困ったことがあれば、必ず私に相談なさいね」
「え、えへ……」
とてもとても立派で美しい侯爵様に褒められ、照れくさくて思わず頬を撫でた。
もちろん透明になってしまった右手はちゃんと隠している。
それにしても、ディアン管理官の母上様はすごい。
元夫が別の女と造った貧相な小娘にまで優しくて、立ち振る舞いも鮮やかで、公平で理知的で、素晴らしいと思う。
ペレの村人の避難に関しても、どの貴族よりも親身になってくださったと、国中で女神さまのように称えられている方なのだ。
これほどの女傑が、なぜあのバカ親父を選んだのか。
やはり己が立派過ぎると、男はダメなのを選んでしまうのだろうか。
しかも一人息子は別れたダメ夫にそっくりだなんて。
切ない……。
「女侯様、お茶をお持ちいたしました」
やさしい、澄み切った可愛い声がして、何ということかリュシエンヌが姿を現した。
アレンのところにやって来た時の震え上がらんばかりの毒々しさと、男が絡まないときの可愛い笑顔を思い出し、一瞬にして凍り付く。
「あら! カイワタリの貴女。いらしてたのね、また嬉しいわ!」
そういって、リュシエンヌがかすかに膨らんだお腹を撫でながら、嬉しそうに微笑む。
「…………」
「遊びに来てくださったの?」
「え、あの、あ、そう、です」
何が……起きているのだろう。
この子、タイゾー君の嫁なんじゃなかったっけ。
ダメだ分からない。
タイゾー君が帰ったからまた再婚したのか。
痩せているせいかもしれないが、再婚直後にしてはお腹がでかい!
貼りつけたような笑顔の女侯爵様、まだ目立たぬ程度とは言え、明らかに妊婦さんのリュシエンヌを見比べ、息を呑む。
何が起きているのだろう、なぜ彼女がディアン管理官の実家に居るのだろう……!
「リュシエンヌ、ありがとう。下がって結構よ」
女侯爵様がやさしく聞こえる声でおっしゃった。
リュシエンヌも同じく、やさしく見える笑顔で丁寧に一礼し、「またお話ししましょうね」と自分に微笑みかけて、部屋を出て行った。
「はぁ……」
女侯様がこめかみを揉む。
それから、キッチリと塗った赤い唇を開いた。
「……あの娘のお腹に、私の初孫がいるのです。貴方にとっては姪になるのね。気が向いたら可愛がってやって頂戴。ディアンの馬鹿は家に戻ってきませんよ。あの娘を嫌がり、私の説教を嫌がって、ずっと仕事に逃げています。どこまで省一様に似れば気が済むのでしょう」