第73話:僕は君を忘れなかった
「鳥鍋嫌あああああ!」
「ゆるしてゆるして、兄さんを許してくださーい」
「鳥鍋だけは嫌ああああああ!」
「ごめんなさーい、女神ナナ様、兄さんを許してくださーい!」
そう簡単には許さない。
右手に金の鳥、左手に銀の鳥の首をわしづかみにして仁王立ちになり、可能な限り怖い口調で言った。
「あんた達、私から逃げられないのは分かったわね」
「鳥鍋嫌あああああ!」
「兄さんを許してくださーい、おねがいでーす!」
ミネラルとビタミンが交互にぎゃあぎゃあ喚く。
空を飛んでいたこいつらは、自分の魔法であっさり捕まえることが出来た。
自分の底知れぬ魔法の力が恐ろしい。
そろそろ使いたくないなぁ、などとと思う。
「菜菜ちゃん、こいつら何?」
タイゾー君が、兄弟鳥のうるささに顔をしかめて尋ねてきた。
「銀のほうが、今まで竜だった奴。金のほうは、日本人を半殺しにして魔法使いとして覚醒させて、エルドラに送りこんでた奴」
「へえ、なんか良く分かんないね、でも」
タイゾー君が肩をすくめて口元だけをゆがめる。
「……捌くなら手伝ってあげるよ」
タイゾー君の笑顔も怖い。
この人、明るくフレンドリーだけど、中身は相当アレだと思う……。
「どうしたの、菜菜ちゃん」
「何でもない」
首を振り、鳥をずるずる引きずって歩き出す。タイゾー君も、ゆっくりと自分のあとをついてきた。
「タイゾー君、日本に帰れる通路を作るからちょっと待ってて。お家に帰って身支度とかしててくれる?」
そう告げて、ギャーギャー叫ぶ鳥たちを持ち上げる。
「えっ」
「大丈夫、ちゃんと日本に帰れるようにする。安全な道を作るから」
「菜菜ちゃん……」
タイゾー君の形の良い目に、見た事も無い鮮やかな希望の光が浮かんだのが分かった。
彼がどれほど日本に帰りたかったのか、この表情を見れば伝わってくる。彼の事も、絶対に日本の家族の所へ帰してあげなければ。
「こっちの人にもちゃんと挨拶しなきゃでしょ? ちゃんと帰り支度をして待ってて」
そう言って、タイゾー君が頷くのを見届け、ニッコリ微笑みかけた。
「じゃあ、私もう少しやることがあるから、迎えに行くまで待っていてね」
「何するの?」
「お姫様を王子様のところにお届けするの」
いぶかしげに眉をひそめたタイゾー君に「あとで説明する」と言い置いて、ぴょいと空に飛びあがった。
「さ、鳥鍋、いくよ。あんた達に頼みがあるから」
「イヤー! 鳥鍋嫌ぁぁぁぁぁ!」
「兄さんを食べないで! 僕も食べないでくださーい!」
キイキイギャーギャー叫びまくる鳥たちを持ち上げ、ぎろりと睨み付ける。
全く、この見てくれだけは美しい鳥たちのおかげで、どれだけの人が人生を狂わされた事だろうか。
だが……起きてしまったことは仕方がない。取り返せるものは、取り返すだけ。
「ビタミン、ミネラル」
「はいぃぃ……」
「兄さんを食べないでくださーい……」
「日本とエルドラの間に通路を作って、固定したいの。あんた達と私なら、それが出来るわよね」
体に宿って居る魔力は『可能だ』と告げている。
二匹の鳥がお互いじっと見つめ合い、同時にぎょろりと自分を見上げた。
「日本人と、その混血児は行き来が可能なんですけど、エルドラ人が日本に行くことは出来ません」
「それが、この世界の理です、神の摂理上、エルドラは日本の下位世界と位置づけられておりますので、この決まりを変えることは出来ません」
「それでもよろしければ、小さな通路を作ることは出来ます」
「鈴木さんが裂け目を開き、カイワタリの神鳥である我々が、その出入口を固定します」
「日本人が迷いこまないように、入り口に魔法をかけ、許可した人間だけが通れるようにしてください」
「その魔法は鈴木さんにお願いします、いかがでしょうか」
二匹が口々に言う。
どうやら、嘘はついていないようだ。
「わかったわ。エルドラと日本の間に、通路を作って固定してちょうだい。絶対に消えないようにしてね? 出来るよね? 神様の鳥だもんね?」
ギリギリと鳥の細首を締め上げ、なるべく優しい笑顔で言った。
「出来なかったらあんたら、本気で鳥鍋ラー油風味にして食うからね」
「嫌ああああああ!」
「僕もですかぁぁぁ! 鍋の具にするのは兄さんだけにしてくださいぃぃ!」
暴れる鳥たちに、とっておきの猫なで声で言い聞かせる。
「大丈夫よぉ、通路を失敗せずに作ればいいんだもん。さ、行きましょう。どうすればいいのか教えてね」
◇◇◇◇
兄弟鳥を脅しに脅して、通路はあっという間に完成した。
出入口は、ペレの村のはずれの大きな木のそば。
自分がしたことなど、ぶにゃぶにゃの通路の壁を透明になった手で撫でたくらいだ。
魔力が無尽蔵である自分がすごいのか、鳥がテキトーなのかわからなくて若干不安だが、まあ、この通路なら大丈夫だろうと思えた。
そのまま、全力ダッシュで自宅へ戻る。もちろん、竜とバトルして、踊り麺を貪り食ったよれよれの格好のままだ。
だが、恥ずかしいと言っている余裕もない。自転車置き場からぼろぼろの愛車を引っ張り出し、飛び乗って重たいペダルをこいだ。
はやく、早く店長をダンテさんのところに連れて行ってあげたい。
その一心で店長の所へ駆けつけ、訳が分からずおろおろしている彼女とケンタ君を引っ張り出した。
「さ、店長!」
「あの、鈴木さん……本当に……エルドラに行けるの……」
「はい、行けます! 行き来できる道が出来ました! 取り急ぎ顔だけでも出してください、ね?」
店長の手を引き、ケンタ君を半ば引きずり、二人を神社の木と木の間に作った入り口の前まで連れてきた。
早く、早くダンテさんのところに連れて行ってあげたい、一分でも多く、家族の時間を増やしてあげたい。
「でも、私やっぱり、エルドラに戻る資格は……」
店長が、泣きそうな声で言う。
「店長、自分を責めないで。その事は今は忘れてください。大事なのは旦那さんとケンタ君に、家族の時間を返すことでしょう」
「す、鈴木さ……」
店長が、ボロボロと涙を流して頷いた。目の前にある魔法の入り口には、店長親子と自分、タイゾー君、それから……ディアン管理官しか通れないよう、自分が魔法を施した。
ゆらゆらと陽炎のように透ける『扉』の向こうに、エルドラの緩やかな丘陵の下り坂が、それから小さな市街地が見える。
あそこにダンテさんの食堂がある。店長にとっても大事な思い出の素敵なお店。
店長が日本で作ろうとしていたのとそっくりな、素晴らしいお店が。
「さ、ケンタ君もおいで」
「ねえ、どこに行くの? お菓子買いに行くの」
不思議そうなケンタ君の頭を撫で、「不思議な国に行くんだよ、これからケンタ君のパパに会いに行くからね」と答えた。
「エー、ぼく、パパいないんだけど」
「本当は居るんだよ。そうですよね、店長」
「……うん……そう。おいで、ケンタ」
店長がハンカチで涙を拭き、ケンタ君の頭を撫でた。
「ケンタのパパはね、お星さまじゃなくって本当は人間なの。ママ、ずっと嘘をついてごめんね」
不思議そうに首を傾げたケンタ君の手を引き、店長と一緒に『魔法の入り口』をくぐる。
さあっと冷たい風が吹き付け、一瞬で冬のエルドラの空気に包まれた。
「……竜が出て、まだ町は混乱しているかもしれませんけど、ダンテさんはお店の前で炊き出しをしていると思います」
目に映る光景を、茫然と立ち尽くす店長に告げる。ダンテさんは避難をせず、騎士団の皆を励まして、ずっと炊き出しを続けていた。
今もまだ、撤収作業に追われる皆に温かいスープを振舞っている最中のようだ。
「お店の場所も、ダンテさんも昔のままですよ」
凍り付いていたように佇んでいた店長が、我に返ったように自分を振り返る。
「……ありがとう……」
大きな目からはらはらと涙を流し、店長がケンタ君をひょいと抱き上げる。
「ありがとう、私、ダンテに会って来る。この子の事も早く旦那に言わなきゃ」
「はい、転ばないでくださいね!」
そう言って、走り去る細い背中を見送る。
そのまま、人の気配のない農村の砂利道で、ずっと立ち尽くす。
やり遂げたのだ、という充実感と、一日色々ありすぎて疲れて体が重いのとで、どこに移動する気にもなれず、ぼんやりと風に吹かれて佇む。
寒いけど、気持ちがいい。エルドラの空気は澄み切っていて美味しい。
――そうして、しばらくたった頃、ぼーっとしていた自分の耳に、遠い場所の声が届いた。
『君と結婚するときに約束しただろう。君が元の世界に帰っても、僕は決して忘れないと。僕は約束を守った、今日まで君を決して忘れなかったよ』
そんな、男の人の声が。
吹き出した涙をパーカーの袖でこすって、顔を上げた。
自分のしたことは本当におせっかいだったが、これでよかったのだと心から思えた。
さあ、タイゾー君を連れて、日本に帰ろう。
機会があったら、『お兄さん』も、日本のお父さんのお墓に連れて行ってあげたい。
「はぁ……」
指を耳に差し込み、ケンタ君のことを泣いて喜ぶダンテさんの声、何年越しかの熱い愛の言葉を交し合う二人の声を、意識して遮断した。
彼らが離れ離れになることは、二度とないだろう。
「さ、帰ろうっと」
背伸びをして、ひょいと空に飛び上る。
空を飛べるのは本当に便利だ。
タイゾー君のいる王都までも、あっという間にたどり着けそうだ。




