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第72話:あと、一仕事だね!

「あっ……」

 ぼて、と地面に落ちた後、間抜けな四つん這いの姿で顔を上げた。

 

 岩の上に腰かけたタイゾー君、彼に何か飲み物を飲ませている、ボロボロのアレン、それから二人を渋い顔で見守っているディアン管理官がそこには居た。

 タイゾー君とアレンの間には、険悪な空気などまるでない。友達が、友達の手当てをしてあげている光景に見えて、ちょっと涙が出そうになった。

 それに死にかけていたアレンも、ちゃんと元気に動いている。その事に心からほっとした。

「あの、二人とも」

「竜はどうしたんです」

 自分の言葉を遮って、ディアン管理官が不機嫌に言った。彼にはこの場所からでも、竜が動きを止め、自分の持つ何かに吸い取られ、ひらひらと飛んで行ったところが見えていたのだろう。

 何と答えたものかしばらく考えた後、父に生き写しの『生き別れの兄さん』に答えた。

 

「えっと、無事竜は竜ではなくなったよ、あの竜は、昔からずっと一匹の竜だったの。体が壊れて暴走していたけれど……もう大丈夫。二度とエルドラに、竜は出ないです、省吾さん」

「!」

 ディアン管理官が、自分の言葉に息をのむ。

 なぜ、自分の『日本の名前』を知っているのかと思ったからだろう。

「これ、渡したかったの」


 背負っていたリュックから、父のノートと、若い頃の写真を挟んだクリアファイルを取り出した。

 

「はい、ディアンさんどうぞ」

「何です……?」

「鈴木省一さんの遺言と、若い頃の写真です。たぶんエルドラから戻ったばかりの頃の、だと思います」

「…………」

 動こうとしないディアンさんの手に、パッキングした写真とノートを手渡した。

「昔から、お父さんは誰の事でも捨てちゃうヒトだった。貴方とお母さんだけが捨てられたんじゃないし、あの人がエルドラを嫌いになったわけでもない。ずっと同じところに居ると、家族や恋人が重くなって捨てちゃう人なんだと思う」


 ディアンさんが、父と同じ形の、鮮やかな緑の目を見開いた。頭のいい人だ、自分が何を言っているのか分かったのだろう。

 

「私も孤児同然で、おばあちゃんに育てられたから一緒です。お父さんは6歳の時、出て行ってそれっきり」


 黙りこくっていたディアンさんが、手にしたノートをゆっくりと持ち上げ、指で表紙に書かれた名前をなぞった。

 鈴木省一。読めるのだろう。きっとあの父親が、日本語を幼い彼に教えたに違いない。

「……鈴木菜菜さん」

「はい」

「これ、ちょっとだけお借りしてもいいでしょうか」

 ディアンさんがそう呟き、一瞬どうしていいのかわからない、と言わんばかりに顔をゆがめた。

 だがすぐに元の取り澄ました表情を取り戻し、穏やかな声で言う。


「母に見せてやりたいです。あの人は私と違い、父を本当は恨んでいません。遺言……ということは、亡くなられたんですね。その事を、せめて母には知らせたい」

「どうぞ」

 うなずいて、ディアンさんの……違う世界で暮らしてきた、遠い存在である『兄』の目をじっと見つめ返した。

 

「私、もう全部読んだからいいです。写真……そのお父さんの絵姿も、日本の私の母の所には何枚かあるし。えっと、シェーレン侯爵アルビオナさんに差し上げます」

 父のノートにあった、エルドラ時代の奥様の名前を告げると、ディアンさんが心得たようにうなずいた。お母さん、なのだろう。彼の。

 自分を日本に無理やり送還した時の、ディアンさんの表情を思い出した。薄笑いの底に沈んでいた強い怒り。

 

 『この力を授かっていて良かった。二度も邪魔なカイワタリをこの世界から追い出すことができて……本当に、気分がいい』

 

 別れ際に言っていたあの言葉の意味が、今ならわかる。彼は、カイワタリに対して、どうしようもない感情を抱いていたのだと。

 自分を捨てて日本に戻ったカイワタリ、そして、自分を選ばなかった美しい聖女カイワタリを、心の奥では憎み切れぬ分だけ、過剰に憎んだ……。

 

「ありがとう」

 ディアンさんが一言そういって、自分たちに背を向けた。

「竜が撤退したのであれば、騎士団を帰還させなければ。ペレの村人も戻って来させなければいけないし、忙しくなります」

「ディアン……」

「積もる話は、後ほど」

 タイゾー君が何かを言いかけたが、ディアンさんは振り返らずに飛んで行ってしまった。あとには、カイワタリの二人と、麗しの騎士様一人が残された。

 

「ナナさんはどこかに怪我をしていない?」

 アレンがハキハキした口調でそう言い、タイゾー君の頬に傷薬を塗り終えて立ち上がった。

 タイゾー君はやつれはてた顔で、ぐったりと蹲っている。

「携帯していた医療用具と薬に破損がなくってよかった」

「あ、あのっ」

 自分の大怪我のことなどおくびにも出さず、、アレンさんが自分の顔を覗き込んだ。

「ナナさん、大丈夫?」

「だ、大丈夫……って、それは私の……」


 ――私のセリフだよ!

 アレンさん自身が大けがしてたじゃん、どうして動き回ってるの、休んで居てくれればよかったのに!


「わぁぁ、わぁぁぁぁ」

「ナナさん……」

「わぁぁぁぁ」


 心の糸がぷつっと切れる。

 タイゾー君は、地面に落ちたけど、無事。

 そしてアレンもあんな大けがをしてけれど、無事だ……。

 

 いろいろ尋ねたことの答えが返って来る前に、地面にへたり込んで泣いてしまった。

 

「よかったぁぁぁ!」

 良かった。みんな生きてて良かった。

「菜菜ちゃん……マジで大丈夫? ごめん、もう俺飛べなくてさ、あんな化け物と1対1にさせちゃってごめん……」

「そんなの、別に、いい、ひっく」

「菜菜ちゃんの頭の上に居た、あの鳥は何だったんだろう。俺の目には竜と同じように見えたんだけど、ま、害をなさない生き物ならいいか」

 頭の上に、タイゾー君の大きな手がポンとのっかった。チクチクと痛んでいた爪での刺し傷が、ふわっと消える。

 少し体力が戻ったタイゾー君が、魔法で傷を直してくれたのだろう。

「ひっく、ひっく……ありがとう」

「さ、行こう、二人とも。ちゃんと手当てをするから。僕もこの血を洗い流さないと」

 アレンが穏やかな声でそう言い、自分の腕を取って、立ち上がらせてくれた。地と埃で汚れた顔の中、宝石のような柔らかな緑の瞳が泉のように輝いていた。

 こんな危ない場所まで、動くようになった体を引きずって、ディアン管理官と一緒に駆けつけてくれたのだろう……。

 

 ああ、バカだ。

 この人はどこまでもバカ。自分を投げ出しすぎる。

 何でこんなに優しくて、何でこんなに自分を後回しにするのか……。

 

「アレンさん」

「何?」

「危ないから……こんなところに来ちゃダメでしたよ、安全な場所で待っててほしかったです」

 涙を拭きながら告げた自分の言葉に、アレンが困ったように微笑んだ。

「うん……そうだよね、ごめん、君の言うとおりだ」

 アレンさんはそれだけ言うと、ふらふらのタイゾー君に肩を貸してゆっくりと歩き出す。

 自らを危険に晒した言い訳はせず、アレンが明るい声で別の事を言った。

 

「ねえ、ナナさん。竜が鳥になって飛んで行ったのが見えた。ナナさんがこの国を、竜の脅威から守ってくれたように感じたよ」

「別に私、大した事なんてしてないですよ……頑張ったのは、みんなを守ったのは、勇者のタイゾー君だと思います、最後の最後まで、諦めずに竜と戦ってくれてすごかったし」


 そう答えて、自分も空を見上げた。

 雲が切れ、真っ青な冬の空が覗いている。ずっとずっと空高い場所で、金と銀の光の輪がくるくると回っている様子が見えた……。

 

「腹減った……」

 素敵な勇者のはずのタイゾー君が情けない声で言い、自分を振り返ってニッコリ笑う。

「ねえ、屋台で踊り麺でも食おうぜ、三人で」

「僕は騎士団の残務処理があるから無理だな」

 あくまでも真面目なアレンさんが、割と空気を読まずにそう言った。この融通の利かなさが、彼の長所でもあり、短所でもあると心の底から思う。

「アレンは仕事かぁ。じゃあ俺、菜菜ちゃんと二人で行っちゃおうかな」

「…………」

「アレン、どうしたの?」

 タイゾー君がニヤニヤしながら、自分を支えるアレンの顔を覗き込んだ。

「何怒ってるんだよ、イケメンエリート騎士様。君意外と嫉妬深いよね」

「……イケメン、エリート、何の話だろうな。知らない単語ばかりだ、僕は日本語に詳しくないから」

「妬いてんでしょ?」

「君は少し休憩したほうがいい、もちろん僕もこの体をどこかで洗わないと……」


 何の話をしてるんだろう。

 でも、仲直りしたみたいで良かった、本当に良かった。改めてみると二人ともいい男だ。なんでこのレベルのイケメン様が、自分なんぞと知り合いになったのか。


「ん?」


 思い切り腹が鳴った。

 そういえば、タイゾー君の言うとおりだ。すっごくお腹が減っている。

 屋台で踊り麺を食べたら、金と銀の鳥をひっ捕まえて日本に戻り、店長たちをこっちに連れてこなければ。


 それでようやく、自分の使命を『閉じる』ことが出来る気がする。

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