第7話:素敵なレストラン
「どうしたんだ、キョロキョロして」
アレンにいわれ、ナナは慌てて座り直した。
「ごめんなさい、お料理が気になって。こっちのお料理、エレナさんのものしか食べた事が無いから」
「ネっ!おかーさん、いつも同じご飯だもんねー、文句言わないで、残り物食べなさい!だもんねー」
自分の言葉に、デイジーが妙な相づちを打った。
「ち、ちがうよ、そうじゃないけど!なんて言うか、ここは見た事がない料理が多いなって」
そう答えた拍子に、窓の外からとんでもない吠え声が聞こえて来て跳び上った。
「きゃあっ!」
「大丈夫だ、足蛇の成獣の声だ。この辺は足蛇に乗っている人間も多いから」
アレンの言葉に、跳ね上がった心臓を慌てて宥めた。
「凄い声」
「そうだなぁ、慣れるけどな」
何でもない事のように言い、アレンが木のコップに注がれたお水を飲んだ。
『あんな怖い声、慣れる日が来るかな』
再び、失礼ながらも、そっと周囲を見回す。
どうしても、どうしてもお料理が気になるのだ。
出来る事ならメニューを読み込みたいが、字が全く読めない。
『お、お魚だ。お魚は私の世界とだいたい同じ姿だな』
虹色の鱗の魚。身は白身だ。
鱗だけは見た事も無い鮮やかな色合いだけれども、身の方は普通に見える。
店に漂う香りは良い香りだし、お料理の味は期待出来そうだ。
あの木の実はクルミみたいだ。
でも棒で叩くと勝手に割れている。
それにあのお客さんたちが食べているのは、思い出スープだ。
みんな覗き込んでいる。何なんだろう?
自分が頂いた時には、何も見えなかったけれど。
腕組みをして考え込む。
料理は、食べて美味しい、体にいいものが最高だと思っていた。
でも、あの男性の言っていた『心に効く料理』というのは何なのだろう。
「うーん、深いなぁ……心に効く料理かぁ……」
呟くと、アレンが当たり前のように言った。
「人間は心と体があって人間だからな。料理が心にも効くのは当然だ」
「エッ?」
「エッ……って。そう言うものだろう? だから僕は今日は癒し豆を食べる予定なんだが」
何を言っているのだろう。そう思ってアレンの緑の瞳を見つめた。
アレンもまた、不思議そうに自分を見つめている。
ややして、形の良い口元をほころばせ、アレンが優しく聞こえる声で言った。
「カイワタリは皆、千差万別だな。足蛇が怖いカイワタリも居れば、魔竜を倒す勇者も居る……だが、食べ物を不思議がるところは、皆一緒だ」
「カイワタリ?」
「そう、別の世界からやって来た、不思議な人間をそう呼ぶ。エドワードもそうだった。君と同じで食べ物をいつも不思議がっていた。僕はあれほどに明るく勇敢で、強く、真っ直ぐな男を見たのは初めてだった」
言いかけたアレンの表情が、みるみるうちに曇ってゆく。
「あの、アレンさん……どうしたの」
「なんでもない」
彼が美しい目を伏せて首を振ったのと同時に、シェフらしきさっきの男性が料理を運んできた。
背が高く、引き締まった躰をした40歳くらいの男性だ。長い真っ直ぐな髪を一つにひっつめ、品のいい、体の線に沿った服を着こなしている。
このおじさまもカッコいい。
不謹慎な事を考えて胸をときめかせた瞬間、男の人が明るい声で言った。
「アレン君、久しぶりだね!」
どうやら、知り合いらしい。
「ダンテさん、お久しぶりです」
アレンが、どんよりした表情で言った。
カイワタリの『エドワード』の話をした瞬間から、またおかしい。
「具合悪いの?」
ダンテさんと呼ばれたシェフが、声を潜めた。
声もいい。
ああ、ステキなオジサマだ。
「いえ、元気です」
目の下に一瞬にしてどす黒い隈を作ってしまったアレンが、明らかに作ったような表情で微笑む。
「そうか、ならいいんだけど。さ、君のだよ、デイジー」
「ありがとう!」
小さい手で、デイジーが子ども用のお皿を受け取った。
「コレはアレン君の癒し豆だ。んー、やっぱり少し顔色が悪いな、医者の不養生かい」
「いえ」
アレンが顔を隠すように俯いた。
テーブルに次々にお皿を並べてゆくダンテさんに、色んな場所からお客さんが声をかける。
「ハーイ!ちょっとお待ち下さいね!」
返事をし、ダンテさんが足早に去って行った。
相当忙しそうだ。
そう言えばこの店には、お運びの店員さんが居ない。
小さな厨房にも人は居ない。
「ねえ、アレンさん、このお店って一人で回しているの?」
「いや、前は手伝いの女性が居た。ただ、もうお歳だったから、もう店を辞めたのかもしれない」
「へぇ、次の店員さん決まったのかな」
「さあ、この店は忙しいから、なかなか新しい人は居着かないと聞いた。自分の家でお喋りしながら農作業している方が気楽だからな、皆そっちの仕事の方がいいんだろう。農作業なら子どもの頃から慣れているし」
「……」
そうなのか。人が居ないのか。
『もし募集中なら、私、ここで働いてみたいな』
このお店で働かせてもらう事は出来ないだろうか。
もちろん、デイジーの両親に相談をしてからだが、今の時期はあまり仕事も無いようだし、もしかしたら許してもらえるかもしれない。
「どうした、ナナさん」
アレンが、淡い桃色の豆を口に運ぶ手を止めて言った。
「うん、私ここで働きたいなって思って。勿論駄目なら良いんだけど。私、元の世界でこういうお店で働いていたから」
「へえ」
アレンが、少し明るくなった顔で言った。
「いいんじゃないか。この時期は農閑期だから、姉夫婦も君にしてもらう仕事が無いと思う。俺からダンテさんと姉に、それとなく話をしよう」
「ほんと?」
嬉しくなって、胸の前で手を合わせた。
もしそうなら、かなり嬉しい。どんな料理があるのかもこの目で見られるし。
やっぱり料理は気になる。
こっちの人はどんなものを、どんな気持ちで作っているのか知りたい。
調理の仕事は大好きだから。
朝も早いし、肉体労働だし、キツい仕事だけど、自分は好きだから。
そうだ、デイジーのパパの早朝の仕事を手伝って、昼と夜はお店を手伝う、とかでも良いかもしれない。
とにかく自分は完全な部外者なのだし、ちゃんとヤル気をアピールしてバリバリ働かないと、宿無しになってしまう。お金を手に入れないと。
ときめく胸を押さえて、目の前のサラダを頬張った。
かむと、大きく「しゃく、しゃく」という音がする。
不思議な食感だった。レタスより更にパリパリなのに、口の中でホロホロと溶けてゆく。
それにとても瑞々しい。
「ナナちゃん嬉しそう、どうしたの」
「ううん」
デイジーの前髪がくしゃくしゃになっていたので直してあげて、ニッコリ微笑みかけた。
それから、口の周りのパン屑をとってやる。
「また頑張って働きたいなって思って。それだけ」
「いいんじゃないか。義兄さんも姉も君を心配していると思う」
そう言ってくれるアレンの声は、少し明るくなっていた。
さっきまでの暗いかげりも、鳴りを潜めている。
高原の風のように爽やかな、明るい笑顔だ。
ずいぶんとステキに見えて気恥ずかしくなり、顔を伏せた。
「どうした?」
「いや、何でも……」
「ナナちゃん!あげる!」
デイジーが千切って差し出すパンを受け取り、口に運んだ。
ふわっと甘くて、ミルクのような香りが口に広がる。
元気に働こう、そんな気持ちがわいて来て思わず顔を上げた。
「…………」
またアレンと目が合って、顔を伏せた。
駄目だ。
このレベルのイケメンとは接点が無かったので、まだ見慣れない。
かなり照れくさい。
「お待たせ!」
ダンテさんが運んでくれたボウルを覗き込んだ。
スープの中を、縮れた麺が泳いでいるのだが。
「さ、元気に動いているうちに食べて。栄養価がどんどん下がるから」
「え、えええ……これ生き物なんですか?」
「え? 知らなかったかい。これはペレの村名産の『踊り麺』だよ。踊り麦の粉を自家製粉したんだ」
「む、麦……踊り麦……」
なんだそれは、と思いつつ、おそるおそるフォークを突っ込んだ。
麺がくるりとフォークに巻き付く。
「!」
「ごゆっくり」
ダンテさんが微笑み、優雅な足取りで厨房へ戻って行った。
おそるおそる、巻き付いた麺を口に運ぶ。
…………。
…………。
「お、美味しい!札幌で食べた味噌ラーメンより美味しい」
「何か言ったか?」
慌ててブンブン首を振り、くるくるとスープの中を回っている麺を次々に掬って、口に運んだ。
コレは、かなり美味しい。美味しい美味しいってばっかり言って、語彙が少なくて情けないけど、本当に、美味しい!
「自家製麺かぁ!」
感動して、どんぶりのようなお皿を覗き込んだ。
麺は少しずつ速度を落としているようだが、まだクルクルと回っている。
すごい。このお店。
レベルがかなり高い。
清潔感と良い、料理の綺麗さ、おいしさと良い、マスターの凛とした佇まいと上品さといい。
どうしよう。床拭きからでもいいので、この店で働かせて欲しい!