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第67話:再会したのに……

「エドワード……」

 竜出現が予測されるペレの枯れ川のほとりで、うずくまる男の影を見つけてアレンはゆっくりと近づいた。

 ここ数日、勇者エドワードはこうして竜を封じ続けている。夜も昼も、雪が降っている間もここを動こうとせず、ひたすらに術を施し続けていると聞いた。

 皆は、カイワタリは無限の力を持つ偉大な存在だと思い込み、彼自身の心配はしていない。

 もちろん、普通のエルドラ人とエドワードは違うのだろうけれど、無理がかかっていることは間違いない。

 何か医技武官としてできることは無いか。そんな理由を捻り出し、胸の内で何度も繰り返しながら、アレンはゆっくりとエドワードの顔を覗き込んだ。

 彼と向き合うことの不安で、がくがくと足が震える。

 妻を奪い、アレンの友であることをやめた勇者が、汗に濡れた顔でゆっくり振り返る。

「……やあ」

 肌が痛むほどの寒さなのに、エドワードは汗だくだった。苦しいのだろう。そのことがアレンには分かった。常に全力で走り続けるような負荷が、エドワードの身体にはかかっているのだろう。

「久しぶり、どうしたの、避難して」

「いや、あの」

 緑褐色の切れ長の瞳を、勇気を奮い起こして見つめ返した。

「いくら勇者とは言えども、君だって普通の人間だろう、心配で……どうしてるのかなと思って来たんだ」

 エドワードが、蒼白になった顔をかすかに緩めた。

「優しいね、アレン、相変わらず」

 白茶けた唇から、そんな言葉が漏れる。

 だが、彼にも今はわかっている。エドワードが、リュシエンヌとの相性に苦しめられているアレンを解放しようとして、あんな暴挙に及んだのだということは……。

 

「でも本当、逃げてよ、もう限界で、そろそろ放すから。戦う力が残らなくなりそうでヤバいんだ」

 エドワードの顎から汗がしたたり落ちた。

 アレンはこれまでのわだかまりを忘れ、慌てて彼のそばに屈みこむ。

「どうした」

「息切れ……」

「エドワード、少し向こうに行こう。皆の避難は済んでいるし、騎士団が来ているから多少余裕はあるはずだ。薬湯を飲んで少し休んでくれ」

「避難、済んだのか」

 エドワードが目を見開いた。曇っていた瞳にかすかな光が宿る。

「ああ」

 うなずくアレンの前で、エドワードが相好を崩した。

「そっか、よかった。避難先が確保できないってディアンがぐずぐず言ってたから、心配してたんだよ!ちょっと俺、肩の荷おりたわ」

 明るい声に、明るい表情。エドワードの表情は、かつて友人として見せていたものとまるで変わらなかった。

「エドワード……」

 深く傷つけてしまった友の変わらぬ優しさに、アレンは言葉を失う。

「アレン、ありがとう、来てくれて」

 やさしい声でエドワードが言い、地面から手を放して、汚れた手のひらを払う。

「確かに、アレンの言うとおり、ずっと飲まず食わずだ。何か飲んでから……戦う」

 エドワードは均衡を崩してもう一度地面に手をついた。たくましい肩は上下し、喉を汗が伝い続けている。元気に見せていても、実際のところはひどく苦しいのだろう。

 アレンは思わず手を差し出す。

 エドワードに対して迷いなく歩み寄れた自分に気づき、アレンは思わず微笑んだ。

 

「さあ行こう、エドワード……竜が出てくる前に少しでも体力を回復……」


 そう言いかけたアレンの足元で、地面が激しく揺れ、巨大な亀裂が口を開く。

「アレン!」

 エドワードの叫びと同時に、アレンの視界が暗転した。地割れの穴に落ちたのだ、そう認識した瞬間何かに叩きつけられ、彼の意識は途切れた。

 

◇◇◇◇


「シェーレン侯爵様、今後も王太子様への御伝言がございましたら、できるだけ私がお力になろうと思いますわ」

 品よく微笑んだリュシエンヌのつま先から頭のてっぺんまでを見回し、ディアンの母、シェーレン女侯はため息をついた。

 何をしに、ここに来たのだろう。

 社交界の女狐、あるいは妖精と呼ぶべきか……とにかく精神的に安定せず、人を引っ掻き回して懊悩させるのが趣味との噂は聞いていたが。

 

「貴方が、王太子殿下にお願いして、この別荘地の提供を命じさせたそうね」


 女の武器であっさりと皇太子を打倒したその手腕は、一言で言えば『あっぱれ』だった。

 社交界の取り巻き達の心をとらえ、己に隷属させて放さない病的なほどに強い魅力を、今回ばかりは正しく行使したのだろう。

 

 理由は、なぜそんな事をリュシエンヌが試みたのか、ということだが……。


「はい、私、ペレのみなさんの役に立ちたくて」

「そう、素晴らしい心がけですこと」

 シェーレン女侯は小さく唇を舐め、歪みひとつない慈愛に満ちた……ように見える微笑みを浮かべた。

「エドワード様に恥じない奥様ということね」

 ――うちの息子にはあまり近づかないで頂戴ね。

 その一言を明確に口調に込め、女侯は麗しの妖精に釘を刺す。

 彼女の息子ディアンは、元聖女である『ヨモダリコ』への執着が激しすぎ、いまだにまともな嫁を迎えようともしない。

 いい加減尻を力いっぱい叩いて、まともな娘を嫁に取らねば後継教育が間に合わないと彼女は考えている。

 ゆえに、息子を誘惑し、頻繁に体を重ねているこの娘の事は少々目障りに思えるのだ。

「いいえ、女侯様、私はエドワードの妻ではなくなります」

 しかし、リュシエンヌは徐行の言葉にきっぱりと首を振った。

「何ですって」

 さすがの女侯も言葉を失い、リュシエンヌの小さな顔を眉をひそめて睨んだ。

「エドワード様はこの竜殺しが終わったら、この世界を発たれると聞きました。ですからわたくしとはお別れですわ」

 動揺したことを悟られぬよう、女侯は彼女の言葉に小さくうなずいてみせた。

「そうなの。道ならぬ世紀の恋を成就させたお二人ですのに……運命とは残酷なものですね」


「いえ、特に気にしていませんわ。単刀直入に申しあげます。私、お腹にディアン様の子供が居りますの」


 突然投げつけられた言葉に、女侯は今度こそ言葉を失った。

「なっ」

「シェーレン侯爵様、もう三か月になります。時期的になりふり構ってはいられなくなりました。この子が腹から出てきたら、侯爵家に差し上げますので、わたくしと取引していただけませんか」

「とり……ひき?」

 リュシエンヌの平らな腹を見て、女侯はごくりと息を飲み込んだ。

 ――この話は嘘なのか、本当なのか。

 母親の自覚もない冷たい言葉、だがどこまでもこの女らしい、とも思え、次に言うべき言葉が見つからない。


「ええ、私に別の名前を下さい。その名前とエドワードの残してくれたお金で、世界中を放浪したいんです、私」

 リュシエンヌが楽しげに言って、愛らしく小首を傾げた。

 彼女にとって、己の気まぐれ以外のすべては雑音なのだろう。

 ――赤子も男も、どうせ飽きる。楽しいのは自由だけ、愛しているのは自分だけ。

 そう言いたげな空虚なまなざしが、ふらふらとあたりをさまよっている

 

「そう……なの」

 扇で口元を隠し、女侯はしばらく考えて、やさしい声でリュシエンヌに言った。

 

「突然言われて驚いたわ。ディアンとも話をしてみます。貴方も、エドワード様とのお話合いが済んだら連絡を下さいね。息子の赤ちゃんであれば、可愛い私の孫でもありますから。あの子同様、カイワタリの血を引く子は希少ですし、きっと素晴らしい魔力を持って生まれてくることでしょうね、楽しみにしています」

 嘘をついても直ぐにばれる、そういう意味を込めたのだが、リュシエンヌに伝わったのかどうかは分からなかった。

 彼女のとろりとした青の瞳には、何の感情も浮かんでいない。

 得体のしれない物柔らかな微笑みを浮かべたまま、『妖精』は軽やかに立ち上がった。


「そう致します、ありがとうございました、女侯様」

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