第65話:いくよ!エルドラ!
アレンは顔を上げた。大概の避難は完了した……ように思える。ペレの村で生まれた彼は地の利に敏く、予定していたよりも短い時間で、避難を完了させることが出来た。
「アレンさん」
かつての後輩……今の上司に名を呼ばれ、彼は振り返った。
「はい」
「あの、一時はどうなるのかと思いましたが、なんとか皆逃げ切りましたね」
「そうですね……」
間が持たず、彼に背を向ける。どうしても前のようには溶け込めないし、かつての同僚の白い目にさらされ続けるのも辛かった。
「僕はちょっと、もう一度見回りを」
「待ってください」
上司が丁寧な口調でアレンを呼び止め、言葉に詰まったように何かを考え込んだ。
「あの、アレンさん、辞める時にどうして、同僚とか、俺たちに相談してくれなかったんですか? こんなことをいまさら言いたくないですけど、リュシエンヌさんが、お役人のディアン管理官や他の貴族の男性と、不適切な交流をしていた事、貴族出身の同僚は皆、知っていましたよ。アレンさんが相談してくれるのかと思って待っていたのに……なんで、あんな酷い噂を何一つ否定しないで辞めてしまわれたんですか。みんな、傷つきました。仲間だったのに、あんなに苦労して、死線を超えて頑張って来た仲間だと思ってたのに……信用されていなくて、本当に傷つきました」
「え……えっと……」
血の気が引くように感じ、アレンはゆっくりと後ずさって上官から離れた。
理由もなく、人から不満をぶつけられることが、責められることが恐ろしい。アレンの脳裏に『あなたのせいで私は幸せじゃない、私だけがいつも不幸』と泣きじゃくり、彼を責めたてた美しいリュシエンヌの面影が蘇る。親がいない、周りが冷たい、誰も私の事を分かってくれない、私の事をみんなが無視する……喚き散らすリュシエンヌの面影が、不意に巨大化してアレンを飲み込もうとした。
過去の苦しかった幻に心臓をわしづかみにされ、アレンはすくみ上がる。
「僕は、別に言いたいことなんて」
動き回ってかいた汗とは別の汗が、アレンの全身ににじむ。恐怖を感じ、アレンは無意味な言葉を繰り返そうとした。
「僕は別に言いたいことなんて……なかったよ……あの、不快な気分にさせたなら済まなかった」
上官の表情が険しく曇る。そんな言葉なんて望んでいなかった、と言わんばかりの不機嫌な顔に、アレンは再び不安げに喉を鳴らした。
「様子を見てくる」
逃げ出そうと走り出したアレンの背中に、上官の言葉がぶつけられた。
「何で話をしてくれないんですか」
「……」
全身の力をかき集めて足を止め、アレンは振り返った。
睨み付ける上官に震える脚で向き直り、言葉を何とか押し出す。
貴方が悪い、貴方が悪い、貴方が悪い……呪いの様に絡みつくリュシエンヌの泣き声を振り払い、アレンは腹に力を入れて、口を開いた。
「自分がだまっていれば、何もかも丸く収まると思い込んでしまったんだ。逃げ出して……すまなかった。あたりの様子を見てくる」
目を見開いた上官にもう一度「済まない」と告げ、額に吹き出した汗を拭ってアレンは走り出した。
そういえば、勇者エドワードが龍を抑えているという場所を確認していない。援護の騎士は付いているのだろうか。すぐに対応できる医技武官は控えているのだろうか。避難の支援作業で、本来『対竜作戦』を展開しなければならない予定時刻が過ぎている。
ペレの村をなんとかがら空きにしたことで、皆、気が抜け始めているのだ。人里に竜が出現するということはそれだけの大惨事であり、対応できる騎士団の数は、王家の方針により、三年前の三分の二にまで減っている……。
「……エドワード」
アレンは丘陵地帯のさらに上を目指して走り出した。
――今、自分は逃げ出さなかった。アレンの心にわずかな自信が生まれる。
孤独に竜との戦いを続けているであろうエドワードのもとへ、アレンは足を早めた。ディアン管理官も、彼の部下である保安庁の魔導師部隊も、村民の避難の混乱で戻ってきていない。
「まずいな」
竜の直撃をエドワード一人で受けたら、彼もただでは済まないのではないかとアレンには思えた。
◇◇◇◇
「鳥!」
「ハイ! お帰りなさーい鈴木さん」
壁とちゃぶ台の間に挟まり、餅のようにもにゅっとはみ出している鳥が顔を上げた。
光り輝く黄金の鏡餅……本当に間抜けな姿で、飛ぶどころか最近は歩くのもおぼつかない。お風呂に浮いているアヒルさんのようなシルエットだ。
「これ見て」
ヒビの入った手を、鳥の前に突き出す。鳥が信じられないくらい首をグイッとのばして、そのままクリンと捻った。
「何でしょう」
「誤魔化さなくていい」
そう答え、鳥の頭にそっと手を置く。鳥が怯えたようにぴたりと動きを止め、毛と肉に埋もれた目で、じーっと自分を見上げた。
「あんたはこの魔力がほしくて、エルドラで私を半殺しにしようとしたんでしょ」
鳥が手にくちばしを近づけ、どこにあるのか良く分からない鼻でフンフンと匂いを嗅いだ。
それから、あきらめたようにうなずく。
「……はい、そうです、鈴木さん」
鳥がしゅるしゅると首を縮め、丸い団子のような姿勢になった。毛がバサバサと逆立ち、妙に疲れた風情を漂わせている。
「私はカイワタリの神鳥。前にも言ったように、神に等しき力を持つ鳥なのです、あなたのようにね」
そういえば、そんな事を言っていた。
神鳥……当初は雀みたいな小鳥だったから何を言っているのかと思っていたけれど。
バサバサの巨大毛玉になった鳥が、あきらめたように話を続ける。
「エルドラと、こちらの世界。私と弟は界と界を行き来して、相互の世界の四季の恵みを楽しんでいました。この二つの世界は、自分たちが飛べる範囲にある世界の中でも、とりわけ美味しいものが多かったんです」
「ふうん……」
わりと予想外の話を鳥が始めたので、何といったものかわからず曖昧に頷いた。
美味しいものは確かに多かったと思う。
色鮮やかだし、勝手に動いたり光ったりしていたので初めはぎょっとしたが、エルドラのご飯は本当に美味しくて、楽しかった。この食い意地の塊みたいな鳥も同じ気持ちなのだろう。
「でもある日、界の嵐が私たちを襲いました。どこかの『世界』が滅びかけた余波だったのかもしれないです。ああ、こんな話をしても、鈴木さんには何のことかわからないと思いますが……。とにかく私と弟は界を渡る旅の途中で爆風で吹き飛ばされ、エルドラの地に叩き落されました」
鳥が、恐ろしい記憶に怯えたようにますます首を縮めた。
「私は体は残ったものの……力の大半と元の姿を失ってこんな普通の鳥の姿に。弟は私をかばい、ひとひらの羽を残して体が消しとんでしまいました。そして今は、身体を持たずに暴走する力の塊になって、苦しみ続けています」
『弟』。その言葉に、食いたい、食いたい、そう囁きかけてきた巨大な竜の姿を思い出す。ぼんやりとした銀色に輝く輪郭の、得体のしれない巨獣の姿を。
魔力が教えてくれたことは、本当だ。改めて確信した。カイワタリに斃され続けている『竜』は、こいつの言う『弟』なのだ……。
鳥の一連の話を聞く中で、美しい巨大な鳥の姿が頭の中にふわりと浮かんだ。黄金の鳥と純銀の鳥……輝く一対の鳥が、闇の中を光の尾を引きながら横切ってゆく。あれがこいつとあの竜の、本当の姿なのだろう……。
「身体をなくしてしまって、あんな竜みたいな化け物になったんだね、あんたの弟は」
手のヒビから漏れる光が、不意に強まった。鳥がびくりと震え、ますます金色の毛が逆立つ。
「体が壊れて、神に近い魂だけが漏れ出して、エルドラの大地で眠りと覚醒、魔力の捕食を繰り返してる」
言葉は勝手に出てきた。その言葉が自分の耳に届き、ああそうなのか、と納得する。
エルドラの竜はこいつの片割れ。世界と世界の間を移動できる不思議な鳥の、片割れなのだ……。
「だから私の魔力を弟に食べさせて、空腹をいやしてあげようと思ったんだね。カイワタリの力を持つ日本人をあっちに送っている理由も、魔力をあの恐ろしい『弟』に食べさせたいから」
手のヒビが強い光を放ち、肌がぼろぼろと剥がれ落ちた。薄皮に包まれている皮膚が虹色に輝き、鳥の身体が同時にかっと燃え立った。
「鈴木さん、あの……」
「連れて行って、エルドラに。界を渡る力はあっちの人間には無いんでしょう。私たちの一部と、あんた達兄弟しか持っていない」
そういって、空いているほうの手でリュックサックを引き寄せた。
エルドラ行きに必要なものは、あらかじめ全て、これに詰め込んである。
父のノート、母からもらった写真、そしてタイゾー君を連れて帰るときの男物の着換え。
図体が大きいタイゾー君のために、上下ともにXLにしたが、大丈夫だろうか。
彼は背はとても高いものの、かなり痩せているし、ベルトも買ったので大丈夫だとは思うが。
リュックを背負い、ひりひりする虹色に光る手で鳥の頭を押した。
「あんたもさ、私の料理を通して、私の魔力をちょっとずつ食べてたんだよね?」
「はい……」
うなずいて、鳥の頭を引っ張る。もちもちと丸かった鳥の首がするすると伸び、クジャクのようなシルエットに変わった。そのまま羽を引っ張り、尻尾も引っ張る。モコっとした丸い尾は枝垂桜のような見事な尾羽に、分厚い翼は陽炎のように透き通る、大きく繊細な風切り羽になった。
虹色の蛍のような燐光を纏いながら、鳥の身体が飴細工のようにグニャグニャと形を変え、先ほど幻に見た、優美な巨鳥の姿をついに取り戻した。
鳥が頭をあちこちにめぐらせ、驚いたように自分の体を改める。
そして、自分を見上げてぽとりと一粒だけ涙を落とした。
「私の身体ですね」
「うん」
「私の……昔の身体です……罪を犯した私に、なぜ元の姿を返してくれたのですか。カイワタリをあちらに送り続け、弟に魔力を食わせていたのは私なのに」
うなずいて、ポンと頭を叩いた。
自分を、これまでの歴代のカイワタリをあっちへ突き飛ばしたのはこいつだ。
皆に大けがをさせ、死ぬ思いをさせてエルドラに送っていたのは、こいつ……。
だが、もうそれを責めても仕方ない。弟を本当に助けられない限り、こいつは絶対に同じことを繰り返す。
こいつの弟だって、エルドラに被害を与え、魔力を求めて暴れるのをやめられないだろう。空腹を我慢できないのだから。
「鈴木さん……の、魔力は、強すぎますね、こちらで魔法を使えるなんて、私たちと変わらない」
鳥がそう呟き、涙をこぼしたことを隠すように羽づくろいをした。
「そうかもね、遺伝かも」
「え?」
すっと伸びた細い首を傾げ、虹と黄金に輝く羽毛に包まれた、黄金の鳥が呟いた。
「どういう意味ですか、鈴木さん」
「何でもない。さ、行くよ」
「はい?」
「今のあんたなら、その翼で界を渡って飛べるはず。私を連れてあっちに行くのよ、鳥」




