第63話:最低な私。
「設営は終わったのか」
上官に尋ねられ、アレンは他の騎士と共に立ち上がった。
「はい、10人まで収容可能です。下のほうまで運べない怪我人はここで処置をいたします」
班長の言葉に、上官が頷いた。
「ここに竜が突っ込んでこないことを祈ろう、それからこの場が活用されないことを」
皆が一斉に頭を下げ、これから始まる異変が恙なく収束することを祈る。
天変地異のたびに最前線で治療に当たる医技武官は年々数が減り、その分一人一人にかかる負荷は重くなっていた。アレンも退官の直前は、年にのべ2カ月ほどしか家に戻れなかったほど多忙だった。それが原因で離婚に至ったのかどうかはいまだに定かではないが、『前の妻』には、人並みの結婚生活は無理だったのだろう、と今では冷静に受け止められている。
「ウォルズ、器具を全部改めてくれ、壊れている部品があればすぐに再取り寄せだ」
「はい!」
うなずいて手を消毒し、運搬してきた手術用具を改め始める。薄紙で包んで保護した使い捨ての小物や包帯、血止めの布、綿などが問題ないことを一つ一つ目で確認した。騎士団の規定に基づいて厳密に梱包されたそれらには、傷が入ったものは見当たらなかった。
その作業に没頭している途中、ふと異様な振動を感じて手を止める。
他の作業に当たっていた医技武官たちも顔を上げていた。
「竜が出る」
誰かの声に、天幕に異様な沈黙が満ちる。
「ここは何人かでいい、村人の避難を最優先で援護してこい! おい、そこの下っ端!」
上官の大声に、アレンは立ち上がって頷いた。
彼の階級章は『見習い』だ。人員不足で地方から異動してきたばかりの上官は、アレンの過去など知らない。
「はい、今すぐに」
アレンは、同情的な、あるいは冷笑的な視線を振り払い、天幕から飛び出す。空を見上げると、先ほどまで晴れ渡っていた冬の青色が、重たい雲に覆われていた。
◇◇◇◇
「ケンタ―」
勝手に玄関が開いて、小さい男の子が飛び込んでくる。近所の子供らしくゲーム機を手にしていた。
「あれ、ご飯食べてるならいいや」
そういってまた飛び出して行こうとした男の子を、ご飯を食べ終わったケンタ君がチョコチョコと追いかけた。
「待って、もう食べたよ!」
「じゃ俺んちでやろうぜ、お客さんだろ」
「うん」
チビたちがドタドタと走り出てゆく。
店長が「お隣の子だから大丈夫よ、いつも遊んでるの」とのんびり言って、マクロビせんべいをバリバリとかじり、ため息をついてにっこりと笑った。
「大人だけになっちゃったから、大人の話しようか」
びっくりして、こしょう味の美味しいせんべいから口を離す。この瞬間を覚悟してきたというのに、いきなりの話でどきどきと心臓が高鳴った。
「あ、あの」
すなお茶を入れさせてもらったカップを無意味にくるくると回し、薄紫の水面に映る自分の顔を見つめる。落ち着かない。
「私さぁ……この前鈴木さんが来たあと、ずっと黒歴史を思い出してたよ」
店長がため息まじりにそう言い、口をつぐむ。それから、自分の入れたすなお茶を一口すすった。
「あ、美味しい。懐かしいな、すなお茶。喧嘩するといつも旦那が淹れてくれたなぁ」
「そうなんですか……」
「この指輪ね」
ポケットの中から、ディアンさんから預かって来た、否、押し付けられた指輪を取り出し、店長がかすかに笑った。白い小さな顔に、キラキラと輝く黒い瞳。やはり店長はきれいな人だな、と思って一瞬見とれてしまう。
「ディアンにもらったんだぁ。懐かしいな、結婚してくれって言われたの」
「……?」
一瞬何のことか分からず、天井を見上げた。
あれ、店長の旦那さんって、あの食堂のオーナーだったダンテさんだよね?
刺繍のテーブルクロスも、お店のマダムだった店長が作ったんだよね?
そう思った。
だが慌てて視線を戻し、話の続きを待つ。
「でも私、ダンテと結婚の約束をしてたから……誰にも内緒で」
店長が疲れたように微笑む。
「な、なるほど」
「私たち、三人で竜殺しに赴いた仲間でね、それが縁で出会ったの。私がエルドラに飛ばされて、ダンテに助けられて。ディアンにも出会って。初めのうちは異世界が新鮮で、本当に楽しかったなぁ……でもそのうちだんだんグチャグチャになってきちゃって……どっちからも告白されて、すごく困った」
「な、なーるほどー」
――自分の人生では永遠に起きることがあり得ない華麗な恋愛物語が、あの三人の間で展開されていたのか。
美男美男美女の三角関係。傍観している分には夢みるようなラブストーリーって感じだが。
「ディアンを振りもせず、指輪を返しもせず、無視したままダンテと結婚して、王都からペレの村に引っ越しちゃったの。最低なことしたなぁ」
「あ、あ」
――何も適切な言葉が出てこず、無意味にお茶をちびちびと飲んだ。何しろ自分は大してモテないし、男に取り合われた事も無いので、何もコメントが出てこないのだ。
モテ女の人生が分からない……。
「私、本当にダンテが好きだったの。ダンテに嫌われたくなくて。あの人はとても潔癖な人だったから。ディアンの気持ちを知ったら、彼に私を譲って、身を引くなんて言うかもしれないって思って」
「な、なるほど」
あのダンテさんならそのくらいやりかねない、と思う。親友を優先して自分の恋心をきっぱり捨てそうだ。
……自分だったら、どっちにもいい顔をしようとして、グッダグダになったまま両方から振られたと思うので、一人をきっぱり切り捨てたのは見事だと思うが、果たしてそう答えるべきか、どうなのか。
ああ、モテない、食うことにしか興味ない、さらに言うから男子から振られた事しかない25歳には分からない。
店長の華やかな過去を聞いていたら、だんだん自虐的な気分になって来た。モテ子恐るべし……そう思う。
はぁ、とため息をついて、店長が手にしていたカップをちゃぶ台に置いた。
大きな目が曇り、疲れた顔をしている。
「でも、ちゃんと罰は当たったのよ? ダンテが、赤ちゃんができたときに彼に知らせてしまったの。ずっと僕らと連絡を取ってくれないけれど、子供が生まれたら顔を見に来てほしいって」
「えっ?」
それは……。
マズい展開では……。
「それからあとは、もうずっと悪い夢の中に居たみたい。ダンテの留守を狙ってやって来たディアンに掴まって、聖女様の衣装を着せられて、強制送還の魔法を掛けられて、気づいたらお腹のケンタと一緒に日本に戻ってたの。いきなり天国から地獄へ真っ逆さま。旦那と永遠に別れさせらて、日本の家族からは『行方不明になって、腹膨らませて帰って来て、お前は何をやってたんだ』ってメチャクチャに責められて、ケンタも結構大きくなってたから産院も全然見つからなくって、もう大変だったんだから」
店長がハンドタオルを顔に押し付け、ちゃぶ台に突っ伏した。
細い肩は震え続けている。
「ね、自業自得……ダンテと引き離されたのは自業自得なの。私が悪いんだよ。私はディアンを傷つけた罰を受けたの。この指輪を突きつけてきたってことは、まだ怒ってる、許さないって事だよね」
「え、えっと」
テーブルの上で小さな光を放つ、きれいな指輪を見つめた。
ディアンさんは怒っていたのだろうか。別れ際は自分も混乱していたから良く分からなかった。
でも、多分、怒っていたというよりは……。
「ディアンに連れ出されるとき、これを返して、私が悪かったって言うつもりだったんだの。遅すぎたけどね。でもこれ、いつの間にか落としてた。吹き飛ばされたときに落としたんだね。それをディアンが拾ったんだと思う」
店長がちゃぶ台に突っ伏したまま、涙声でつぶやいた。
「帰りたいけど帰れないのよ、方法もないし、権利もない。ダンテ……」




