第6話:市場に向かおう!
「あの、せんせー、服をありがとうございます」
「いいんだ、大分昔のものだから、君が着てくれ」
前だけを見て、フラフラと左右に揺れながらアレンが言った。
ダメだこのイケメン。魂が抜けている。
そう思うが、何をどう話しかけるべきかもよく分からない。
アレンは、反省をしていたのだと言う。
だが反省って。
何を反省する事があるのだろう。あんな風に一人で閉じこもっても何も解決しないと思うのだが。
形の良い横顔を見上げた。
背が高い。170センチある自分よりも結構高い。
だが、せっかくのイケメンが無精髭で台無しだ。いや、これはこれでワイルドっぽくてありかもしれないけれど。
カッコいいのに勿体ない。ネガティブ大王だなんて。
無精髭にキュンとなったことは、慌てて心からかき消した。
「市場は、もう少し麓に近い拓けた場所にある。あの森の影に隠れて見えないが、あの辺りだ」
アレンが長くしなやかな指をのばし、こんもりとした樹々のある辺りを指差した。
「あの、連れて来て下さって有り難うございます」
「構わないよ。市場へはデイジー一人でも行けるんだけど、この子はまだ文字が読めないからね。僕が解説する」
「文字……」
そうか、そういえば、異世界の文字はまだ目にした事がない。
デイジーのお家で目にしているのかもしれないが、漢字やひらがな、アルファベットなどとはかけ離れすぎていて、おそらく文字として認識出来ていないのだろう。
「デイジーイケますよ、一人で買い物イケますよ。農家の子は一人で買い物イケなきゃダメ」
アレンに手をつないでもらったデイジーが、得意げに言った。
まだ6歳だと言うが、本当にすらすらペラペラと何でも良く喋る。
「あのね、一人の時はモココに乗るの。見てて」
アレンの手を離したデイジーが、モココの手綱を引いて足を止めさせた。
体中にグルグルに巻いた手綱の一部につま先をかけ、器用にぴょこんと背中に飛び乗る。
「モココは乗る用の『足蛇』なの。まだチビちゃんだから、デイジーくらいしか乗せられないんだって」
そう言って、木靴を履いたちっちゃな足で、ポンっとモココの腹を蹴り、背中にパッと伏せた。
「がるぁぁぁぁぁ!」
モココが応えるように咆哮を上げ、凄まじい勢いで飛ぶように砂利道を下り始める。
「ひええええ!」
アレンは止めもせず、ひらひらと手を振った。
「デイジー!周りの人に気をつけろよ!」
「ハーイ!」
デイジーのちっちゃい白いパンツが、あっという間に遠ざかって行った。
「え、え、子どもがあんなのに乗って大丈夫なの?!」
「大丈夫だ」
当たり前のようにアレンがいい、あっという間にかけ去ってゆくデイジーとモココを追うように、ゆっくりと歩き始めた。
「こういう田舎村の人間は、三つの頃から足蛇の幼生にのって、一緒に育つんだ。まだモココも子どもだし、脚があんまり速くないだろう?」
「いやメッチャ速いっす、ビビったっす」
「そうか、君の来た世界には、足蛇は居ないのか。不思議な感じがするな」
そう言ってアレンがかすかに目を細め、気付いたように髭を撫でた。
「確かに君やデイジーに言われて、日光に当たって良かった気がする。僕は考え事をしすぎるから、あのままだと煮詰まっていただろう」
「そうですか」
イケメンの笑顔とは偉大なものだ。
気恥ずかしくなって目をそらし、背伸びをしてデイジーの姿を追った。
「一人で行かせて大丈夫かな?」
「大丈夫だ、いつもああやって一人で市へ行っている。足蛇は個人で持つには高価なんだが、やはり家に一匹居ると移動が楽だ。幼生なら値段も安いし、義兄さんが奮発して買って来たんだよ」
アレンがまるで心配していない表情で言った。
「はあ、モココはあれでも子どもなんですね」
「そうだよ、見るからに子どもだろう? デイジーと同じで甘ったれだし」
「子ども……。甘ったれ……」
自分の目にも、あの恐ろしい脚の長いトカゲ蛇みたいな怪物が、カワイイおチビさんに見える日は来るのだろうか。
この世界と自分の間には、相当な価値観のズレがあるようだが。
「そう言えばもうすぐお昼なんですけど、デイジーちゃんを家に連れ帰らなくて平気なのかな」
「大丈夫。デイジーを預かったんなら、飯も食わせてくれって頼まれたと言う事だ。小銭を貰っただろう?」
「いえ」
首を振ると、アレンが軽く頷いた。
「そうか、義兄さんと姉さんは、村の寄り合いで朝からバタバタしてただろうからな。すっぽり頭から抜けたんだろう。僕がいくらか持ってるから、市で何か買って食べよう」
アレンが顔を上げ、坂の遥か下で佇み、じっとこっちを見ている小さなデイジーに手を振った。
「そこで待ってなさい、デイジー!」
「ハーイ!はやくー!」
「がるぐぁあぁぁっぁぁぁぁぁ」
デイジーの声が小さく、モココの声が強烈に響き渡る。
本当に不思議な世界だ。こっちの市場って、何があるのだろう。
涼しい透明な風に目を細め、追いついたデイジーをモココから降ろし、再び三人と一匹で並んで歩き始めた。
「あんまり、人とすれ違わないですね」
言いながら、先生の横顔を盗み見た。
やっぱり格好いい。ドキドキする。自分は面食いなのだろう。
こんなに格好良くて恵まれているように見えるのに、何を『自分にダメ出し』する必要があるのだろう。
「そうだな、もう野菜を卸す時間は過ぎているから。もっとはやい時間なら、足蛇の引く車に野菜を乗せて通る人たちが多く居るよ」
アレンの言葉に、デイジーも言い添えた。
「そうですよ、お父さんは、朝ご飯の前に市場に行くよ!」
「そうなんだ」
それは知らなかった。
小屋が真っ暗なせいで、いつもデイジーが起こしにくるまで眠りこけていたが、もっと早起きした方がいいのかもしれない。
それなら、あとで、もっと手伝う事が無いと聞いてみよう。
サボるのって罪悪感があるのだ。時給労働のフリーターとしては。
そう思いながらのんびりと歩いているうちに、いきなり周辺に人が増えて来た。
テラス席のあるお店や、しっかりと舗装された石畳の道が森の中に現れる。
みんな、金髪や淡い茶色の髪をしていて、自分のような黒髪の人は一人も居ない。
それから女性の服装は、デイジーやエレナさんのような、すとんとしたドレスだ。
刺繍がされていて、白や、それに準じた淡い色合いのエプロンも身に着けている。
服装も可愛い。
本当に何から何までステキな村だな~、と思う。
光景のステキさに満足の溜め息をついた瞬間、すれ違ったおじさんが目を細めてモココを撫でた。
「おう、可愛い足蛇だね。このおチビちゃんは、お嬢ちゃんの足蛇かい?」
「そうです、ハイ!」
「そっか、可愛がりなよ」
「可愛がってますヨ!毎日!」
お返事をしたデイジーの頭も撫で、おじさんはそのまま去って行った。
モココは他の人が見ても可愛いらしい。
緑の金属みたいな鱗をしていて迫力満点なのだけれども。
やはり何か決定的に価値観が違うような気がする。
しばし首を傾げたが、ま、良いか、と思い直した。
この世界では、そういうものなのだ。
その違いを楽しむくらいの気持ちでなくては。
帰れるアテも当面無さそうだし。
「食事しようか。俺は昔からここが好きだから、ここにしよう」
そう言って、アレンが近くのログハウスのような建物に入って行った。
デイジーが心得た様子で、入り口の杭にてきぱきと手綱を巻き付ける。
大人の手を借りなくても、とても上手だ。モココが引っ張っても、抜けないように巻いている。
やっぱり、小さい頃から何でも自分でやっているから、器用なのだろう。
そう思ってぼんやり見ていると、デイジーがチョコチョコと駈けよって来た。
「さっ、いきますよ!兄ちゃんがゴチソーしてくれますよ!」
得意げな顔でそう言い、自分の腕にぶら下がる。
お店の中は、大きな木を切り出したテーブルと丸太の椅子があり、大きな暖炉が奥に見えた。
お客さんは結構入っていて、それなりに食べ物に見えるものを食べているようだ。真っ青なお肉、とかを食べていなくてホッとする。
「ナナさん、デイジー、こっちだ」
手を挙げたアレンの隣にデイジーがちょこんと座り、自分は二人の向かいに腰掛けた。
「あの……お給料を頂けたら本日のお代は返しますので」
そう言うと、アレンが首を振った。
「構わない、あぶく銭が転がり込んできたから、ごちそうするよ」
あぶく銭、と言った瞬間アレンの顔が歪んだが、すぐに取り繕ったような笑顔に戻った。
なんだろう。
やっぱり暗い、というか様子がおかしいように思うのだが。
「兄ちゃん、デイジーは元気パンと笑顔スープとお肉の丸焼きが欲しいですっ」
既に食べるものを決めているらしいデイジーが、元気な声で言った。
「ナナさんは何にする。君はカイワタリだと思うが、僕が知っているカイワタリの人にも受けが良かったものを、いくつか頼もうか」
「え、ええ」
頷いた。
『カイワタリ』。
竜殺しの勇者……とかいう、アキバから来たアニオタの……その人は、アレンさんの知り合いなのだろうか。
じっと顔を見るが、美しい緑の瞳からは何も読み取れなかった。
ずいぶん偉い人っぽいけど、いつか会う機会もあるのだろうか。同じカイワタリとして。
「…………」
そもそも、自分は何故ここに来たのだろう。
いつ帰れるのか。家の冷蔵庫の中身が若干不安なのだけれど。
どちらにしろ、帰れるまではここにいるしかない。帰ったところで職のないフリーターだし。
いろいろな思いが去来したが、鍋に蓋をするように、心にも慌てて蓋をした。
いじけたり、クヨクヨしても仕方が無い。
見た事も無い図形がびっしり書かれたメニュー表を見て、アレンが店員さんに注文を始めた。
「この子には、『笑顔スープ』と『元気パン』、子ども用の、香辛料を抜いた肉の丸焼きをお願いします。僕は『癒し豆の煮付け』と、『安らぎスープ』と、『前向きになる総菜盛り合わせ』、それから『虹魚の塩焼き』を。彼女には『踊り麺』と『真実の果実盛り合わせ』をお願いします」
笑顔とか元気とか安らぎとか……なんだろう。
ここは心をテーマにした食堂なのだろうか。
そんな事を考えていたら、お店の人と、お客さんのお話が聞こえて来た。
「ああ、癒し豆を食べると、イライラがすっと溶けて行くね。いつ食べても素晴らしいもんだ、お宅の癒し豆の煮付けは!」
「ありがとうございます。食事は心と体を作るものですから。ウチは心に効く伝統料理をこれからも出し続けますよ」
黒い服をぴったりと着こなした男性が、びしっと背筋を伸ばして行った。
一筋の乱れも無く結ばれた金の髪に、短く切った爪。
もしかしてあの人が、この店のシェフなのだろうか。
心に効く料理……?
なんだ、それは。
強く好奇心を刺激され、はしたないと思いつつも、周りの人が食べているお皿をキョロキョロと覗き込む。
「何、それ、どういうこと? どんなコンセプトのお料理がなの? ちょっ……知りたいんですけど!」