第49話:何も終わっちゃいない
そうだよ。あの女の人は四方田店長だ。
踊り麦の粉をこねながら、意識のないときに見た夢を反芻する。
引っかかっていた小骨が、すとんと落ちて行ったような感じだ。
言われてみれば、あの姿は店長に見える。黒いサラサラの髪に細い手足、白い肌。
「よっしゃ」
前方向にのみ練った粉を丸めて切り、お湯の中に投入した。
ぐるんぐるんとお湯の中で踊りながら、麺が見る間に膨張してゆく。
次に、心を静めてナイスアイディアを出すという『ひらめきの香辛料』を引きわりにして、醤油ベースのスープにぶち込んだ踊り麺に振りかけた。
どんぶりの中で踊りまくる麺を一気にすする。
釜揚げ踊り麺だ!
うまい!
異世界の食材を大量に持ち帰って来たので、もったいないので食べてしまおう。こっちの世界で日持ちするかわからないし、冷蔵庫はあんまり何も入っていないし。
「踊り麺美味しいですね、だしの何とも言えない香りが食欲をそそります」
小皿の上で飛び跳ねる踊り麺と格闘していた金の鳥が言った。
「あんたは何で食い物の話してるときだけ流暢なのよっ」
「ピョロリィィィ……お替わりいただけます?」
「どうぞ」
「これがカツオだしですね。好みの味です、あの、ひらめきの香辛料ではなくて七味唐辛子かけてもらえませんか」
「どうぞ!」
何なんだよこの鳥は、マジで。
ため息をつき、頬杖をついてキラキラ光る鳥を見つめた。こいつは自分の夢に出てきた鳥だけど、あっちの世界では鏡越しにしか姿が見えなかった。でもこっちでは、ちゃんと姿が見える……。
「お腹がいっぱいになったのでしばらく普通にしゃべろうと思います」
「そうして」
鳥が小さな胸をぐいと張った。
「鈴木さん!鈴木さんは最強の魔力を持つカイワタリですが、魔力を守る核が強すぎて、殺す寸前までもっていっても、まるでやぶれませんでした」
「……」
何を物騒なことを言っているんだ、この怪しい物体は。
無言で手を伸ばし、鳥をまたわしづかみにした。
「イヤー!動物愛護してくださーい!」
「あんた、ただの動物じゃねえだろ、吐けやオラ」
「やめてぇぇ……ピヨピヨピィィ」
「鳥の振りすんじゃねえよ」
「ピロロロピィィ……」
「ちっ」
手を離すと、鳥が毛づくろいをして、再び胸を張る。
「カイワタリは、瀕死の時に魔力が爆発し、あちらの世界に最強の能力者として移動できる存在のことを言うのです」
「はぁ」
わからん。何の話だ。
「ですがナナさんは、瀕死にならずとも、あっ転んじゃう、くらいの危機であちらの世界に移動できましたね」
「はぁ」
「ナナさんの力はすごく美味し、いえ、圧倒的な力で、擦り傷すら作らずあちらに移動したのですから素晴らしいですよ」
「はぁ」
今変なこと言ったな、こいつ。
美味しいって何なんだよ。
いかん、グレ菜菜モードに入りつつある。ちゃんとしなくっちゃ。
「あちらの世界も揺らいでいるのです、立て続けに竜の侵攻を許して」
「…………」
「エドワードは史上初めて、二匹の竜を屠った勇者になるでしょう。彼はとても強いカイワタリですからねぇ」
「…………」
この鳥は何を言ってるのだろうか。
そもそも、本当に何者なんだろう。
……こいつは、見た目通りの可愛い無邪気な鳥じゃない、絶対に違う。
菜菜さんの感がそう告げている。
だが、穏便にやさしい声で答えてあげた。
「そうなんだぁ、エドワードさんすごいね!」
「ハイ」
「ところでさ、私のこと、あっちの世界で重病人にしたのはあんたなのね」
「ごめんなさい、竜殺しの魔力を引き出したくて」
…………。
やっぱり、ちょっとアレだ。なんというか、かなりどぎつい何かを持っている、この鳥は。
「竜って何?」
「悪い化け物ですよー」
鳥がけろりとした口調で言った。
「……そう」
にっこり笑って、鳥が食べ散らかしたお皿を流しに下げた。
――決めた。この鳥は信用しない。
「出かけてくるわ」
夜11時、ちょうどいい時間だ。
「ハイわかりましピョロロロロロ」
「あんた、ここにいるわけ?」
「ハイ」
「あっそ、勝手に食べ散らかさないでね」
「ハイ」
デニムと長袖のカットソー、パーカーに着替え、頭を団子にまとめ、リュックをしょってスニーカーに足を突っ込んだ。
自転車の鍵を手に、家を出る。
しばらく自転車をこぐと、寂れかけた繁華街に出た。昔ながらのスナックが何件も立ち並び、酔っぱらったサラリーマンのおじさんたちがご機嫌でよろよろと歩き回っている。
『クラブ恵美』と書かれた銀色のドアを開け、ホステスのお姉さんたちにぺこりと頭を下げて、一番奥のカウンターで常連の相手をしている、ド派手なおばさんに声をかけた。
「お母さん」
すぱすぱとヤニをふかしていた女性……二年前に男を捨て、九州から帰って来て馴染みのこの場所で水商売を始めた母が、機嫌のいい笑顔で振り返る。
「あらぁ、ナナじゃないの。何よ、飲みにきたの」
「違う」
母は、父と同類の、まあ何というか子育てには致命的に向いてない、『あたしは女でいたいの!』というタイプの人だった。
五歳の自分を捨てて、愛とロマンの逃避行に消えたあと、十八年間行方知れずで、いきなり帰って来たぐらいだし、責任感もない。ちなみに帰ってきたと言っても、無視し続けた娘のところに帰ってきたわけではなく、また別の男と暮らしている。
「あ!わかったぁ!」
母がおかしそうに言った。
憎んで憎んで憎みつくした母。
『自分だけ良ければいい』という鋼の信念の前に、最後にはもうどうでもよくなって、他人のような気持ちで和解した母。
だがこの人間から自分は生まれた。なので絆は切れなかったのだろう。
自分は成長し、自力で立てるようになったからこそ、彼女とこうして会話できるのだと思う。
「小遣いでしょ?」
くれるらしい。自分は今とても貧乏だ。悔しいが貰おう。
手を出すと、五万円くれた。一応、何かちょっとは捨てた娘に悪いな……と思っているのか、金回りがいいときは小銭をくれるのだ。お金に罪はないので頂くことにする。母に何の期待もしていないので、まるで自販機からお金が出てきた、というような気分なのが逆に悲しかった。
「パチンコで勝ったのよぉ」
「そう、おめでとう」
「めちゃくちゃ出たのよぉ、お店変えるたびに何回も当たったの。もう嬉しくって」
そういって母が、煙草をふかして大笑いした。
あのまま、ぐれまくって突き進んでいたら、きっとこうなっていたんだろうな……と、自分そっくりの母の顔を見てそう思う。
「何か飲む?」
「いらない。あのさぁ、お父さんは今どこにいるの」
「さぁ……知らない」
母がまた、煙草をふかした。
「あの人もさぁ、もう七十近いじゃない、なんか入院したって聞いたけど、忘れたなぁ……あ、なんか看護師の後家さんを捕まえたって言ってなかった?」
「それはもう3年以上前」
「あっそ、じゃあわかんないな、でも相当悪かったみたいだから、もう死んでるかも」
「…………」
母の心底どうでもよさそうな言葉に軽くショックを受けたが、母に悟られないよう黙った。
「お父さんに何か用なの、山崎君に聞いてあげよっか?」
「いい。あの人には散々迷惑かけたから」
父の友人の、気のいいおじさんの名前を聞いて慌てて首を振った。
平和に暮らしている還暦を過ぎたおじさんに、今更父のことで迷惑を掛けられない。
「あっそ」
「ねえ、お父さんの写真無い?」
「あるよ」
母がそういって、クッキーの缶の中から、色あせた写真を何枚か取り出した。
他にもいろいろな男の写真が入っている。
母は悪趣味だ。別れた男の写真をためる癖があるのだ。意味が分からないが、いい思い出なのだという。本当に、自分とは心の持ち方が違いすぎる。傷つけて捨てた男たちを振り返るのが楽しいなんて。
「…………」
若いころの父の写真をつかみ出し、パーカーのポケットに押し込んだ。
「ありがと」
「あら、用事それだけ?」
母が言うので、またね、と言ってタバコ臭いお店を飛び出した。
「…………」
自転車に乗り、商店街からかなり離れた場所で止まり、だらだら流れる涙をぬぐう。
色々とショックで涙が止まらない。
父の事、母の事、タイゾー君もつれてこれないまま、いきなりこちらに戻された事、『帰りたくない!』と叫んでいた四方田店長の事、横暴で酷薄だったディアンさんの事……。それからダンテさんにも、アレンさんにも、デイジーにも、彼女のパパとママにも、お別れの挨拶すらできなかったこと……。
「……。メソメソ泣いてる場合じゃないだろうが!」
声に出してそう言ったら、涙が止まった。
明日、迷惑にならない時間になったら、四方田店長に電話してみよう……。
四方田鳥子。リコ。
そういえば賄いで、トマトをむしゃむしゃ食べてたな、好きだって言って。
そんなことを後付のように思い出した。




