第48話:今は帰るタイミングじゃない!
「本当に俺と来なくていいの」
『身の危険を感じる』
「あ、ばれた?」
タイゾー君がさわやかな笑顔で頭を掻いた。
この男、冗談なのか本気なのか。いや、両方なのだろうが。
『いろいろ買ってくれてありがとう、それと通訳用の単語もありがとう』
タイゾー君が茶店で作ってくれた『エルドラ語:日本語 対訳メモ』を胸に、地面にお礼を書いた。
「俺もネイティブじゃないから、若干微妙かも。でも魔法で調べたから大体合ってると思うよ」
なんと、こっちのカイワタリは魔法でそんなことまで分かるのか。
自分は、なんでも食える以外のことでタイゾー君に勝てる要素がないんだけど。
『髪の毛黒に戻してよ』
「かわいいよ、そのままでいたら」
『ヤダ!!!』
「……はいはい」
タイゾー君が指を鳴らす。胸の前にたらしている髪の色が、黒に戻った。
戻すほうは早くできるらしい。
「じゃ、約束ね。帰るときは必ず呼んで。出来れば次の竜殺しが済んでからがいいけど」
『なんで?』
「カイワタリは8年に1度、もしくはそれ以上の期間を置いて現れる。竜も同じだ。カイワタリはこちらの世界に来たら、竜を殺す宿命を負わされる」
言っている話が良く分からない。どういう意味だろうか。
『りゅうって強いの』
文字を読んで、タイゾー君がうなずいた。
「うん、カイワタリを殺すために出てくる化け物だからね」
『?!』
タイゾー君は何を言っているのだろう。色々訳知りだけど、自分はさっぱりわからない。
なにしろ、こっちに訳も分からずやって来たのちは、ずっと放っておかれて今日に至るし。
「君の分の竜も僕が倒してあげる。ちょっとは感謝して好きになってよね、お姫様」
そういってタイゾー君が自分の肩を押した。
「アレンの家までは送らないから。やっぱり俺、アレンと話すことは何もない」
『話しなさいよ』
「いいんだ」
タイゾー君が小さく首を振り、片手を上げてペレの村の入り口から去って行った。
話を聞かないやつだ……仲直りはすぐすればするほど、良いのに。一秒でも早いほうがいいのに。
ため息をついて、アレンさんの家への道をたどり始める。
もう夜だ。アレンさんはまだ帰ってこないだろう。
彼は賄いを食べてくるからいいとして、明日の朝ごはんの支度をし、洗濯物を取り込まなくては。
家事もまだ全部終わってないし、居候失格だ……。
山のような食材を抱え、よろよろと歩いていたら、突然ガシッと腕をつかまれた。
「ナナさん、ひさしぶり」
やさしく聞こえる声に、何だか嫌な汗が噴き出す。
この声……。
「突然だけど、日本に帰ってもらうことになったんですよ。はい、アレン君の家にあったあなたの『日本での荷物』です」
押し付けられたリュックサックを、声もなく見つめる。
ディアンさんだ。いったい急に、何の用で……。
『不法侵入じゃないんですか』
地面にそう書き、そういえばこの人には読めないんだった、と思い出す。
ぼりぼりと頭を掻き、ディアンさんを見上げて……腑に落ちない気分になった。
この人、無理やり泣き叫ぶ女の人を、消してしまった男だ。しかもリュシエンヌと不倫していたという、おそらく真実であろう疑惑もある。
夢で見た『帰りたくない』と泣き叫ぶ女性の姿を思い出す。
あの人は砂の聖女、リコと呼ばれていた。
ダンテさんの奥さんも『リコ』。もしかしたら、ダンテさんの奥さんなのかもしれない。
ディアンさんと『リコ』の間に何があったのか。何もわからない。
けれど、なぜだろう。いやだ。この人は「何かが嫌だ」。
この人を手放しで『いい人』だと思えないのだが。
「コレ、リコに渡してよ」
ディアンさんが、小さい袋に入った何かを突き出した。
「…………」
「何か喋れば?」
首を振る。
そして喉の前で指を組み合わせ、バツ印を作った。
「ああ、そう。声が出ないの。じゃあ日本語の筆談でいいよ」
『読めますか』
地面に書かれたその字を読んで、ディアンさんが即答した。
「読めるとも。漢字はあまり知らないから、できるだけひらがなにしてくれ」
ひらがな……。
ゴクリ、と息をのみ、続きを書いた。
『どうして、きゅうにかえることになったの』
「政治上の理由だ」
地面から顔を上げずに、ディアンさんが答えた。
なんだか、異様に緊張する。
乾き始めた唇を舐め、文字を書く。
『あしたじゃ、だめなの?』
「駄目だ、今すぐに帰還してくれ。さもなければこの国が危険なんだ」
『どうして』
「理由を説明する必要はない」
だめだ、取り付く島もない。荷物を背負った遅い脚では、逃げることも出来ないだろう。
『あいさつがしたい、みんなに』
「駄目だ」
そういって、ディアンさんが腕を引いた。
振り払おうとしたが、すごい力だ。
にらみつけ、慌てて字を書く。
『あずかったにもつ、かえせっていわれても、わからない。りこさんって、だれ』
「……あちらの世界でも珍しい名前だから、おそらく自分くらいしか居ない、と言っていた」
そういって、ディアンさんが自分の手にしていた棒を取り上げ、字を書いた。
『四方田鳥子』
「…………」
「よろしくね」
『そのひととしりあいなの』
震える手で、そう書いた。
「そうだよ、鳥子はエドワードの前にきたカイワタリ。僕とダンテ、それから彼女の三人で竜殺しの狩りに赴き、それを成功させた過去がある」
薄く笑うディアンさんの顔を見て、全身に鳥肌が立った。
わかった、この人が嫌な理由、この人を見ていて鳥肌が立った理由が。
この人は……!
「じゃ、急な話だけど、お元気で。ナナさん」
やさしい声でディアンさんが言う。
『じゃあそのりこさんは、だんてさんの』
質問に答えず、ディアンさんがぐいと腕を引いた。
「この力を授かっていて良かった。二度も邪魔なカイワタリをこの世界から追い出すことができて……本当に、気分がいい」
すごい力で、体を引きずられる。ディアンさんは薄笑いを浮かべたままだ。
ぶんぶん振り払うが、ねじりあげるような彼の腕が離れない。
いつかは帰らねばならない、それは当然だが、今はまだ帰りたくない。
喉が治ったら、迷惑をかけたみんなに恩返しをしたかった。それができないのであれば、せめてちゃんとお別れを自分でしてから、約束通りタイゾー君と一緒に帰りたかったのに!
「!」
目の前が強い金色の光で包まれた。
高いところから、思いっきり突き飛ばされたような感じがする。
どこかから小鳥のさえずりが聞こえ、目がくらむほどに光が強まり、何も見えなくなった。
「……っ」
ふっと明かりが消える。
あたりを見回した。
電信柱にブロック塀。見慣れた光景……バイト帰りにいつも通っていた道……。
目の前で淡い光を放っている、割と新しいスマートフォンを慌てて拾う。
自分のものだ。転んだ時に落としたもの。
転んで異世界に来た自分。だが、日本の時間はほとんど進んでいなかったのだと気づく。日付は、自分が転んで、ペレの村に行った時と一緒だった。
「ちょっと……なにこれ」
反射的に喉を押さえた。
声が出る。
「ぴょろろりぃぃぃぃ……スズキサーン、カエシマス―、ノド。ココは二ホン……カイヲワタリマシタァァァ」
「なっ!」
頭に手を伸ばし、わしっと掴んだ。ぐんにゃりフカフカした感触、動物だ。
「アノー、アノー、クルシイデス……ピョロリィィィ」
「鳥!」
「トリデス」
「そんなことはわかってるわよっ!」
両手にがっちり捕まえた、小鳥というにはやや大きい、黄金の色の鳥をにらみつける。
「何なのよぉぉ、あんたはぁぁ!」
もうだめだ、わけが分からない。
ディアンさんのあの顔。
それから『四方田鳥子』が『カイワタリの砂の聖女』?!
自分の、つぶれたバイト先の店長じゃないか……。
なんなんだ、本当になんなんだ。
申し訳ないが目先の鳥に八つ当たりしてしまう。
怪しげな異世界のドレス姿で、謎の大風呂敷を背負い、黄金色の鳥をわしづかみにして怒り狂っている自分を見て、通行中の皆がそっと離れて行った。




