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第47話:気合が足りん!

「ディアン」

 母の声に、ディアンは作り笑いで振り返った。

 彼の母は強く正しく厳しく、だれより恐ろしい女だ。機嫌を損ねたら一人息子の彼ですら身の上が危うい。

 母、シェーレン侯爵アルビオナは「炎の女」だった。数十年前竜殺しの勇者と恋におち、侯爵令嬢の身分をなげうって彼と結ばれようとした情熱、そしてその男を失った後は、一人息子に『護国』のすべてを託す。果たせねば廃嫡すると公言してはばからない苛烈さを兼ね備えた名門の女当主。

 王国指折りの富豪であるディアンの母は、財産を騎士団への喜捨につぎ込み、『騎士の女王』と呼ばれている。彼女は王家の目の上の瘤、そして息子にとってのすさまじい重圧だった。

 

「くだらない女と切れてないそうだね」

「誤解ですよ」

 笑顔を保ったままそう答えると、薄い青の瞳に不機嫌な光を浮かべたまま、母が吐き捨てた。

「そう、面の皮が厚いね。今のところは『そういう事』にしておいてあげよう。それともう一つある。竜殺しの戦いに、王太子様がでしゃばろうとしているのは何故。能力も知れぬ女のカイワタリを竜と戦わせようなんて正気じゃない。騎士団も、私も、死人を出す気はないんだよ」

「えっ」

「情報が遅い! すでに近侍たちに『カイワタリを連行しろ』という命令を乱発されておいでだ」

 母の叱責に、ディアンの顔から笑顔が滑り落ちた。

 

「お前が飼っている妖精が、王太子様に入れ知恵したんだろう。だからさっさと切れろと言ったのに。あの女はただの混沌。自分のその場の感情のままに、女性性をチヤホヤしてくれる異性さえいれば満たされている化け物だって」

「…………」

「私は急ぎ、エドワード様に『二匹目の龍殺し』を伏してお願いに上がる。カイワタリが二匹の龍を屠るなんて、今までなかったことだよ。まあ、エドワード様のお力なら苦も無く戦えるだろうがね」


 いつも身にまとっている、喪服のような灰色のドレスの裾をさばいて、母が立ち上がる。

 ディアンも急いで立ち上がった。くどくどと言い訳する時間など、母からは与えられないだろう。

 護国の魔女と称えられる女傑は、息子を一瞥して、凍り付いたような声で言った。

 

「腕はなまってないだろうね、ディアン。ペレ村のはずれに、竜の痕跡が現れた。地上に飛び出すまで、あと半月もないだろう」

 己が先刻この目で確かめた『地割れ』を思い出し、ディアンはうなずいた。

「それはこの目で確認しました」


 ついさっきまでペレの村で感じていた、乾いた風の感触が頬をかすめたように思い、ディアンは無意識に手を上げ、頬にふれた。

 ダンテの言葉が、彼の脳裏をよぎる。

 

『君は嘘を本当にするためなら、どんな努力もする』


 ディアンが、頬にふれた手をゆっくりと下ろす。

 『父など初めからいなかった。それは嘘ではなく本当だ』

 『砂の聖女は、自ら『日本に帰りたい』と言ったのだ。それは嘘ではなく本当だ』

 『勇者エドワードは望んで、この世界に残ってくれようとしている。それは嘘ではなく本当だ』

 『リュシエンヌは、夫に不幸な目に合わされた罪のない女性。それは嘘ではなく本当だ』

 『ダンテ・アドルセンは友人でも何でもない、ただ竜殺しの場で知り合っただけの他人。それは嘘ではなく本当だ』


 作り上げた嘘を並べ、その強度を確認した。これらはすでに真実へと偽装を終えている。ここに、もう一つ新しい真実を付け加えよう。

 『新しいカイワタリは、この地を見捨てて日本に帰った。竜を殺すのは、真の勇者エドワード』

 

 腹を決め、彼は新しい笑顔を作り直して、母・シェーレン侯爵を呼ぶ。


「シェーレン侯爵、お叱りの旨、全てこの腹に収めました。次にご報告に上がるときは、きっとご満足いただける『跡継ぎ』になっていることでしょう」

「……口のうまさだけ父親に似て。碌な男に育たなかったね、お前は。 私は王太子様のでしゃばりに釘を刺してくる。騎士団長と合流して、人員配置を今日中に決定しなさい。育成不足で医技武官が足りない。退官した爺婆でも、解雇された阿保でもいいからかき集めておくように」


 シェーレン侯爵は振り向きもせずそう言い、速足で部屋を出て行った。

 

 

◇◇◇◇


『助けられなくて良かったって何よ、よくわからん感慨に浸ってないで助けなさいよ』

 地面にガリガリ書いて、タイゾー君をにらみつける。

「だってさぁ、自分がどんどん化け物になっていくのって怖いんだもん」

 再び文句を地面に書こうとして、ビックリして手を止めた。

 泣いている。

 思いでスープを食べた時も泣いていたけれど、今も泣いている。

 どうしたんだろう。泣きすぎではないか。確かにメンタル的に何かが壊れている様子は散見されていたけれど……。

「いいんだよ、竜なんかいくらでも退治してあげる。でもさ、何で俺空飛べてるの、とか、何で俺、勇者様とか呼ばれてるの、とか考え始めると、ここ、ゲームの中なんじゃないかって思い始めちゃうんだよ。何でもできるチートキャラになって、妄想の中から出てこられなくなってる狂人なんじゃないかって思うんだよ」


 タイゾー君が涙をぬぐう。

「元の世界に帰りたい。ヘタレ野郎でいいよ、もう。元の世界で、元の暮らしに戻りたい。ゲームの中のはずなのに、友達キャラは傷つけて、同じ世界から来た設定の女の子キャラには突き放されて、俺何もないじゃん。怖いんだよ、このままずっと帰れなかったら、俺ずっとこの世界の異物のままじゃないか、ゲームであってほしいよ、そして、一刻も早くゲームの外に出たい」


 なんという難しい壊れ方をしているのだろう。なまじオタク属性が高かっただけに、そっち方面に壊れてしまったということか。

 だが、彼はこの世界にいることに疲れを感じ、逃げ出すことを強く望んでいる。そして『お偉い勇者様』であることの孤独が、彼の狂気に拍車をかけているのだ。

 しばし考え、木の棒で文字を書いた。


『アレンさんはキャラじゃなくて生きてる人』

 タイゾー君は何も言わない。ぼろぼろ涙を流しながら、自分の書いた字を見ている。


『私もキャラじゃない、生きてる人、しゃんとしろ』

 もう一度袖を上げ、タイゾー君が涙をぬぐい直す。


『アレンさんは傷ついているだけ、アレンさんは機会があるならアンタと話したいと思ってる、でも傷ついてるから動けないだけ!』

 そこまで書いて、もう一度タイゾー君をにらみつけた。

 木の枝を持ち上げ、『しゃんとしろ』の文字にゴリゴリとアンダーラインを引く。


「ナナ……ちゃん」

 タイゾー君が泣きじゃくりながら、自分の書いた字のそばに蹲った。

 しつこく『しゃんとしろ』の文字の近くをゴリゴリしていたら、泣きながらついに笑い出す。

 

「……はは、そうだよね、君の言うとおりだ……。ご都合のいいゲーム世界だったら、君は既に僕にメロメロのはずだし、リュシィはテンプレ良妻賢母キャラとして登場してたはずだよね」

 納得するの、そこかよ!と思ったが、とりあえず頷いた。


『テンプレ、の意味は知らないけど、そういうこと!ここは現実、腹も減る!』

 そして一言書き添えた。

 

『はやく酵母を買いに行きたいです』

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