第44話:不実な男!
新幹線並みの速度で飛ぶタイゾー君に抱かれ、あまりの恐怖で失神している間、夢を見た。
四方田店長の夢。
それと、女大好きで自分を捨てた、実のクソ親父の夢だ。
過去の夢ではないと思う。
なぜならば、自分が見たことがない部屋に、四方田店長がいるからだ。
店長は、茶色い髪の男の子の相手をしつつ刺繍をしていた。
「ママー」
「なーに」
可愛いハーフ顔の男の子が、店長の華奢な肩に手をかけて覗き込む。
ああ!あの子は、金を稼がないうえに妊娠発覚で逃げ出した、イケメン英会話教師の子……!
「なにそれ、何してるのママ」
「これね、内職。高く売れるのよ。ボタニカルアートっていうんだってー」
「いうんだってー」
店長の口調をまねして、男の子が言った。
「ねえママ、ゲーム買って」
「お金ないわよぉ」
「ないのー?」
「ない、ない」
男の子がしばらく考え、素晴らしいことを思いついたように言った。
「じゃ、ぼく、ばいとする」
店長がぷっと吹き出し、肩で軽く男の子を押した。
「まだ無理よ、あと10年は無理」
「えー」
ぺちっとママの肩をたたいて、男の子がチョコチョコ走ってゆく。
だが、思い立ったように戻ってきた。
「ママー」
「なーに」
店長が手を止めず、明るい声で傍らの男の子を振り返る。
「僕また、おばあちゃんちで留守番するの?」
「そうねえ」
店長が手を止め、男の子を振り返った。
「もうちょっとお家で内職しようかな、ママ」
「そう? ママと一緒にいられるの?」
男の子が嬉しそうににっこり笑い、その表情を見つめて店長も微笑んだ。
そうだよな、息子さんを実家に預けて働いてるって言ってたもん。
一緒にいられてうれしいんだよね……。
心の中でエールを送った瞬間、場面が特に見たくもないものに切り替わった。
「お父さんは再婚するから、菜菜とは暮らせねえわ。じゃあな」
顔しか取り柄がない父が、古い家の玄関を出てゆく姿。
「こんなちっちゃい娘捨てるなんて、人でなし!フラフラ出ていっちゃ帰ってこないで、嫁もらったと思ったら逃げられて!あんたなんか息子じゃないよ!この家の敷居、二度とまたぐな!」
おばあちゃんがお父さんを怒鳴りつけ、塩をパッパとまいた。
「菜菜!」
おばあちゃんが鬼の形相で振り返る。
「あいつみたいな人間になるなよ、努力をしない、女ばかり追いかけまわす、ばあちゃんが譲ってやった八百屋だって畳んじまった!あんな親父みたいな人間に、ぜったいなっちゃいけないよ!」
……ほんとだよ。
100パーセントおばあちゃんの言うとおりだ。
私もちょっとグレすぎて道を踏み外したけど、そのあと調理師として頑張って、少しはまともになれたもん。
お父さんみたいになんか絶対……ならないけど、あれ?
『あれれ?』
今、強烈な違和感を感じたのだが何だろう。
あの光景は、お父さんの背中を見ていた小さい自分と、出ていくお父さん……そして怒り狂うおばあちゃん。
実際にあった光景だけれど。
うーん、わからない。
わからないけどあのお父さんの姿が、なんだか何かに被るんだけど。
「菜菜ちゃん!」
「…………」
ぺちぺちと顔をたたかれ、薄目を開けた。
タイゾー君の端正な顔が、自分を覗き込んでいる。
やべ、またチューされたら困るな。
そう思って手を伸ばし、タイゾー君のイケメン顔を押しのけた。
「はは、信用されてないね、俺! ごめんね、怖い思いさせて」
……何で嬉しそうなんだよ。
そう思って顔を背け、抱き起してくれるタイゾー君の腕を離れる。
「今日の菜菜ちゃんは氷の姫君だなぁ、ワンピも白だしさ」
「…………」
「……怒らないでよ、可愛いって!アレンもときめいちゃうよ、いつもとイメージが違うから」
そういって、タイゾー君が自分の指に長い指を絡めて、歩き出した。
うきうきしているように見える。
何で彼はそんなにスカートが好きなんだろう……。
「さ、市場を見にいこ。今日はもしかしたらパピルの隊商隊がいるかもよ?」
タイゾー君の声は明るく、そしてどこか空虚に聞こえた。
どうもこの人の精神状態がよくない……ように見えるのは、気のせいだろうか?
タイゾー君がさっと髪をかき上げ、顔を撫でる。
彼の髪の色が明るい金髪に、目の色も濁りのない緑に変わる。
「さ、変装完了!菜菜ちゃんもやってあげるね」
なんという魔法だ。
自分は同じカイワタリにもかかわらず、何もできない上、声まで出なくなって最悪だが、タイゾー君は空を飛んだり体の色を変えたり、とんでもない魔法を軽々と使いこなしている。ちょっと不公平のような気がするが。
「菜菜ちゃんは銀髪にしようかな、雪の姫君ふうに」
タイゾー君がやさしく髪に触れた。
イケメンめ、いちいち触り方が色っぽいんだよ……と思ったが、もうあきらめてされるがままにした。
この和風地味顔を何色の頭に変えたって、ヅラにしか見えないと思う。
自分の髪の色を変えているらしいタイゾー君を放っておいて辺りを見回した。
「!」
いろんなところから煮炊きの煙が上がっていて、寒い中なのにすごくにぎわっている。
この前来た時とはまた、違った匂いがするようだ。
「!」
今屋台の軒先で何かがぽんぽんと飛び上がった。
なんだろう、あの辺は食材の市場なのに、屋根を飛び越えるほど跳ね飛ぶ食材があるのか。
食べられるなら食べてみたい。
「待って、菜菜ちゃん待って」
また、遠くの屋台で、キラキラしたものが跳ね飛んだ。
「!」
「菜菜ちゃん待ってよ、君の髪長いから時間がかかるんだってば!」
異世界の食材、アグレッシブすぎるだろう。
あれ食べてみたい、自分で調理してみたい!
◇◇◇◇
「やあダンテ、元気かな」
突然入ってきたディアン管理官の明るい声に、ダンテが張り付いたような営業用の笑顔で答えた。
「おかげさまで、ぼちぼちかな」
「いい店だ」
勝手に椅子を引いて腰を下ろし、ディアンが満足げに組んだ指の上に顎を乗せた。
「ディアン管理官、今は営業時間外だよ」
二人の様子を、途方に暮れてアレンは見つめていた。
店の奥に引っ込んだほうがいいのだろうか。そう思いながら。
「どう考えても手数が足りないんだよなぁ」
やさしげに聞こえるディアンの言葉を、相変わらず張り付いたような笑顔でダンテは受け流している。
あの男は、リュシエンヌを長く『愛人』として繋ぎ止めてきた貴族。
めったに家に帰れないアレンの隙を見て、彼女との逢瀬を重ねていたという人物だ。
確証などなく、本人たちも否定はしている事ではあるけれど、怪しいという話はエドワードから何度も聞いていた。
『え? 僕がリュシエンヌさんと知り合い? 僕は彼女とは何の関係もありませんよ、エドワードと彼女との結婚も祝福してます。アレン君、色々お辛いとは思いますが、元気を出してくださいね』
薄っぺらい笑顔でそう言い切ったディアンの表情を、アレンは思い出す。
エドワードと彼女の結婚式の日、勇気を振り絞ってかけたカマを、あっさりといなされた事を。
『何をしに来たんだろう、元騎士団長と元魔導士、ともにかつての竜殺しに赴いた同朋とはいえ、今更』
アレンは首を傾げたが、心当たりは何もなかった。
ディアンはいまだに、ナナに渡すと約束した『この国と二ホンとの翻訳辞書』すらよこさない、不実な人間だ。
関わり合いになりたくない。
得体がしれないエルドラ王国の『名士』から離れ、アレンは厨房へ引っ込んだ。