第43話:暗雲立ち込める中、冬の市へ
「は、腹パン……きまりました菜菜殿……」
タイゾー君がうずくまりながら降参の声を上げる。
いきなりキスされそうになったのだ。
貞操の危機を切り抜けるためなので許せ、と思うと同時に、元総長の菜菜さんを甘く見るな、とも思う。
「はーびっくりした」
何事もなかったかのように、お腹を押さえてタイゾー君が立ち上がった。
「きれいな花にはとげがあるんだよね、菜菜ちゃん」
そういって、懲りない笑顔を浮かべて長い指を顔に添えてきた。
まったく、何なんだよ。
そう思ってにらみつけると「降参」とつぶやいて両手を上げ、自分のコートを脱いで肩にかけてくれた。
「おれ、強い人に寄りかかりたいのかも」
そういって、自分の手を取って歩き出す。
強い人?
竜殺しの勇者であるタイゾー君こそが、強い人ではないか……。
「菜菜ちゃんは声が出なくてもメソメソしてないし、なんでもバクバク食べるし強いよね。アレンもきっと……」
「?」
なんでも食べて、何が悪いんだ。
『美味しいじゃん!こっちの食べ物美味しいじゃん!』
地面にそう書くと、タイゾー君が肩を揺らした。
「おれは初めの一か月、のどをまともに通らなかったけど。真紫の料理とか、虹色の料理とか無理じゃない?」
『ありだよ!全然あり!美味しーじゃん』
地面にガリガリと書きなぐると、タイゾー君がさりげなく肩を抱いてきた。
「はは、そっか。今日は妙に可愛い菜菜姫さま、都に付き合ってくれない?」
「……」
普段は可愛くないのか。まあ、特に可愛くはないが。
むしろ『今日は可愛い』ってどんな意味だ。この女装が関係しているのか!
まったくしょぼい野郎め、スカート着ただけで舞い上がりやがって。
そんなにめくりやすい布が好きなのか、てめえは。
「……」
……いけない。微妙に総長モードだった。
元の真面目な菜菜さんに戻ろう。
「デートしようよ。情けない話だけど、俺疲れちゃった。かわいい子に寄りかかりたい気分」
「……」
可愛くねーだろ、と思って再び睨み返したが、さすがに女子慣れしているタイゾー君は、肩をすくめただけだった。
「冬の市場に行こう?」
「!」
市場……だと……。
「冬ならではの食材が並んでる。都には海魚も異国の食材もあって楽しいよ」
『でも家事が。アレンさんの家の掃除が』
行きたくなるだろうが!誘惑すんなよ!
そう思って、棒が折れるくらいの力で字を書いた。
「毎日しないとだめなの?」
『そうじゃないけど、好きにしてていいって言ってくれるけど』
「じゃ、きまり」
タイゾー君の言葉と同時に、ふわりと体が舞い上がり、慌ててスカートを押さえつけた。
「今日は気晴らししようよ!ね?」
タイゾー君の硬い胸に抱かれ、思わず縋り付いた。
スカートを押さえながら捕まるのが難しい。
「大丈夫、俺がちゃんと抱いてるから」
「……」
無理、こわい。
落ちる、スピードがすごすぎる、やっぱりタイゾー君に抱かれて飛ぶのは怖すぎる。
◇◇◇◇
「ちょっと、あなた」
呼び止められ、リュシエンヌは振り返った。
「エドワード様の奥方とはいえ、平民でしょう、ご主人なしでお城に上がるのはどういうおつもり」
位の高い侍女のようだ。
悪意に分厚い化粧を施した、やさしい声音。そんなものは聞きなれている。
「王太子様にお会いしたいの、昨日の夜会でお約束いたしましたのよ」
この国の王太子は30歳、男盛りに手をかけた年齢で、父王によく似た女好きだ。
昨夜彼女が潜り込んだ夜会で出会った王太子は、一言、二言愛らしい口を聞いただけで鼻の下を伸ばした。
あの愚かな男と、もう少し『仲良し』になろう、彼女はそう思う。
「お通りはなりませんよ」
「私を通さなかったら、お叱りを受けるのはあなたよ」
「……」
女の表情が曇る。
自分の言っていることと、自分の職務規定を秤に載せて、どうすべきかを検討しているのだろう。
「では、失礼」
女の脇を通り抜け、可能な限り穏やかな声でリュシエンヌは告げた。
にらみつける女の視線を背中に感じ、リュシエンヌは微笑みを浮かべる。
「うふふ」
ここに来たのは己の野望に一手をかけるため、そしてディアンにお灸を据えてやる為だ。
なぜなら彼は、リュシエンヌの『元夫』の悪口を勝手に流したから。彼女の許可を得ずに。
『暴力男と何年も連れ添った惨めな妻』にされるなんて、ひどい話だと彼女は思った。
その程度の男の妻だったと思われるなんて、妖精の名がすたる。いくらエドワードの妻の座に据えるためとはいえ、許せることではない。
それにそもそも、アレンを巻き込んだこと自体が面白くなかった。
彼女には、別れた男を貶める趣味などない。別れが汚れるではないか。
だから、ディアンに仕返しするのだ。
あの野心家にも、ちょっとは痛い目にあって欲しい、そして、放心する顔を見てやりたい。リュシエンヌは抑えきれない笑みをかみ殺す。
これから自分は、女の戦場で戦って勝ち抜く。
自分の女としての価値を、自分の思い通りにならなかった皆に見せつけてやるのだ。
だから、王太子様は絶対に籠絡する。
手土産に、あの方に素敵な話をしてあげよう。
『もうすぐ竜が出ますわ、エドワードが竜退治でこれ以上のさばったら、王太子様がますます目立たなくなってしまう』
そして、さらにダメ押しをする。
『殿下は別のカイワタリがいることをご存知ですか? その子を王太子様の味方にしたらいかが? ディアンの管理下にあるカイワタリではなく、王太子様のカイワタリになってくれるかも』
そうしたら、どうなるか楽しみだった。
「王太子様は、お父上よりも偉くなりたいお方。竜を倒して国民を守った王子様なんて素敵。きっと、そうなりたがるんじゃないかしら」