第4話:カイワタリの勇者?
「あー、やばい、バイト遅れちゃう」
必死に重い瞼を開けると、木組みの暗い天井が見えた。
外からは小鳥のさえずりが聞こえて来るが、部屋の中は壁の隙間から差し込む光だけで、ほとんど明かりがない。ガラス窓が無い小屋だからだ。
「うわ、暗い……朝……?」
体を起こし、目を擦って、思い出した。
ここは自分の住む安アパートではなく、見た事も聞いた事も無いような別の世界だ。
寝て、起きても日本に戻れていないということは、夢ではなく、自分は本当にこの世界に来てしまった、と言う事なのだろう。
この小さな小屋は、デイジーちゃんのパパとママ……ハーマンさん夫妻の好意で借りた小屋だ。
自分は迷子で家の場所が解らず、行くアテも無い事を素直に話したところ、若い奥さんが心配してくれた。
さすがにペレの村が平和だと言っても、女の子一人でフラフラしていたら危ない。と。
だから、しばらくここで作業を手伝って、小銭を持って王都にでも行って見れば良い、そんなに大金は渡せないけれど、新しい寝わらもあるからと言って、小屋まで貸してくれたのだ。
——初めて出会った異界人が、親切な人で良かった。
盗賊の親玉なんかに出会っていたら、今頃三枚におろされて鍋の具になっていたかもしれない。
そんな事をつらつらと考えていたら、キィ、と甲高い音がして、明るい外の光が差し込んできた。
青いワンピースに、頭に白のヘッドドレスをつけてもらったデイジーが、チョコチョコと駆け込んで来る。
「おはよー!カイワタリのナナちゃん、おはよー!」
「オハヨ」
子どもは朝から元気だ。
あと、昨日聞き忘れたが、カイワタリって何なんだろう。
「見て!」
デイジーが頭を下げ、ヘッドドレスを見せてくれた。
「かわいいね、どうしたの、それ」
「あのねー、おかーさんの花嫁さんのドレスで、作ってもらった、デイジーの」
「そうなんだ」
よく分からないが、あの綺麗なママさんに作ってもらったのだろう。
「デイジー、今日から花嫁さんだから」
得意げな顔でデイジーが言い、小さな手でぐいぐいと袖を引っ張る。
「いこう!朝ご飯食べたら、お手伝いしよう!」
「あ、そうだね、行く行く。ちょっと待って」
長い髪の毛は、音速でお団子にする。
肌は割と綺麗な方だが、さすがにすっぴんには若干自信がない。
薄く化粧を……と思ったが、手が止まる。
化粧品すら、今は無いのだ、普段持ち歩いていなかったから。
「どうしたのー、早く行こうよー、お腹空いた!早くー!」
「う、うん」
そうだ、置いてもらっているのだから、キビキビ働かなくては。
デイジーと手を繋ぎ、小屋の外に出た。
目がくらむような眩しい光が降り注ぎ、鮮やかな緑と空の青が目を焼く。
ほんとうに、夢のような大自然だ。
足の速いデイジーを、フラフラする寝起きの足で必死に追いかけた。
小さな家の前で、綺麗なデイジーのママが待っていてくれた。
「おはよう、ナナさん」
「おはようございます!」
「食事にしましょうよ。そのあとお願いする仕事の話をするから」
デイジーのママが、白いお花のような顔でニッコリ笑う。
「はい!わかりました!」
うなずいた拍子に、ふと井戸が目に止まった。
デイジーに引っ張り起こされて、顔すら洗っていない。
「すみません、顔洗ってから行きますね」
井戸の造りは、おばあちゃんの家の庭にあったものとほとんど変わらない。
ギコギコとバーを上下すると、吐水口から水が溢れ出た。
綺麗そうな水だ。
置いてあったたらいに水を溜め、冷たい水で顔を洗う。
「ふー」
生き返る。なんて冷たくて気持ちのいい水だろう。
「あの、洗顔中にすまないが」
「え?」
びしょびしょのまぬけな顔で振り返ると、昨日のイケメンさんが立っていた。
『やば!イケメンだ……わたし化粧してない!』
反射的にそう思ったが、どうしようもないのでとりあえずぺこりと頭を下げた。
相手も、頭を下げる。
「おはようございます」
「おはよう」
微妙な沈黙のあと、イケメンさんが形の良い唇を開く。
「突然妙な事を聞いて申し訳ないが、君はカイワタリの人間なのか、あの勇者エドワード・スミスと同じ」
「え?」
袖で顔を拭い、イケメンさんの緑の瞳を見つめた。
「勇者エドワード・スミス?」
アメリカ人とか、イギリス人みたいな名前だが。
「そうだ、この国に時たま流れ着くカイワタリは、ほとんどが君のように黒い目をしていたと聞く。だが彼は、ニホンのアキバにすんでいた、レキシオタでアニオタのエドワードだと名乗っていた。あの神のごとき力を持つ『竜殺しの勇者』と、君は何か関係があるのか?」
「アキバ在住、歴史オタで、アニオタ」
真っ先に思ったのは、濃い外人だな、と言う事だった。
だが、それをこのイケメンさんにどう説明すれば良いのか。
「やはり心当たりがあるんだな、勇者に」
「はぁ、アキバは職場の近くでした。でも私はずっと菜食レストランでバイトしてたから、アニオタさんとの接点は無いと思います」
「そうか、バイト……レストラン……か」
「ええまあ、でもフリーターでしたけど。マクロビとかベジスイーツに興味があって」
「フリーター、マクロビ、ベジスイーツか、どれも解らないな……僕たちの世界とまるで原理原則が違うようだ」
真剣な目でイケメンさんが言うのと同時に、明るいデイジーのママの声が背後で響いた。
「アレン、ナナさん、早くいらっしゃい」
「はい、姉さん、今行きます」
イケメンさんが振り返り、デイジーのママにそう答える。
「姉さん?」
「ああ、そう。彼女は僕の姉なんだ。昨日は僕の事を説明する機会も何も無かったな、失礼した」
デイジーのママは、イケメンさん、否、アレンさんのお姉さんなのか。
言われてみれば美男美女で似ている気もする。
「あの、デイジーちゃんのお父さんは、あなたを『先生』って呼んでましたけど」
「義兄さんは気を使って、そう呼んでくれている。僕が一応医者の端くれだからと言って」
そう言って、アレンが家の方に歩き出す。
「行こう、カイワタリのナナさん。機会があればもう少し話を聞かせてくれ、アキバのレキシオタでアニオタの勇者の事を」
「え……と……」
歴史はともかくとして、アニメの説明はどうすれば良いだろう。
そもそも、一体何がどうなっているのだろうか。
自分と同じ世界から来た人間が居そうだ、というのは解ったが、ずいぶんキャラの偏っていそうなプロフィールなのだが。
そんな勇者でいいのか。
『うーん。アニオタ現代人が、こっちでは勇者って呼ばれるほど強いって、どういう事?』
考え込みながら家に入ると、食卓には淡い赤のパンに、ピンクのスープ、他にもピンクの何かが並べられていた。
『うっ、やっぱり色彩がビミョーにどぎついんだよな』
そう思いつつ、席に着く。
デイジーがチョコチョコと駈けて来て、自分とアレンの席の間に立った。
「ねー、どれ食べますか、アレン兄ちゃん」
「お、デイジーがお給仕をしてくれるのか。ありがとう」
アレンが目を細めて言った。
「じゃあパンを取ってくれ」
「ハーイ」
デイジーが短い腕を伸ばし、淡い赤色のパンが乗った大皿を引き寄せる。
「ドーゾ!」
「ありがとう。このパンの色はなんだっけ、デイジー。前に教えたけど覚えてる?」
アレンがパンを割って、デイジーにそれを見せながら尋ねた。
「えーと、肌にいいです、ネッ!えーと、ピピの花の花粉ですネッ」
「そうだよ」
アレンの答えを聞いて、デイジーが得意げに自分を振り返った。
ちっちゃな鼻が膨らんでいる。褒められ、得意でたまらないのだろう。
かわいい。
どこでも子どもって変わらないな、と思う。
ニッコリ微笑みかけると、デイジーもニーッと笑った。
パンに花粉が練りこんであるという、若干不思議なレシピのパンを手に取った。
色はトマトのようなオレンジがかった赤色だ。
こういう色で良かった。水色とかだと、どうも食べるのを躊躇ってしまうが。
「珍しい色のパンですね」
そう言ってみたら、アレンが頷いた。
「ああ、ピピの花の花粉は加熱すると養分が強くなり、色も黄色から桃色に変わる。この地方で昔から食べられている珍しい食品なんだ」
「へぇ」
面白いからメモを取りたいが、メモ帳すら持っていない。
鞄の中に入っていたのは、この世界ではおそらく使えないお財布と、読んでいた栄養学の本くらいだ。
「このパン色の色、リコピンの色素に似てるかも。トマトの」
「リコピン?」
「はい、私たちの世界の栄養素の一つで、赤い色をしているんです」
そう言うと、アレンが再度頷いた。
「そうなんだ。リコピン。面白い名前だな、こう、勇敢な感じを受ける」
「勇敢?」
「ああ」
勇敢な感じとは意外だった。
自分はどちらかと言えば、カワイイな、と思うが。
「栄養満点なんですよ!肌にも良いし、抗酸化作用で体にもいいし」
「よく分からないが、ピピの花粉も赤くなれば肌にいい。体が老いて、錆びるのを止めると言われている」
「へぇ」
リコピンに、効用も似ている感じがする。
この世界にも、栄養学とか、そう言う概念があるのかもしれない。
しかも結構、系統立ったものが。
そう思ったら少しわくわくして来た。
「おはようございます、先生、ナナさん」
デイジーのお父さんが笑顔で入って来た。
がっしりした、いかにも農家の若旦那さん、というカンジの人だ。
「おはようございます!旦那さん!」
あわてて立ち上がって頭を下げる。
彼は、今、自分の雇い主さんだ。失礼のないように振る舞い、ヤル気をアピールしなければ。
「ああ、今日の朝食は母さんが焼いたピピのパンか。大好きなんだよ、いい日になりそうだ」
デイジーのお父さんが笑顔で言った。
バイトが従順に振舞っているか、なんて事は気にしていない様子の、おおらかな表情だ。
ホッとして、もう一度パンに目をやる。
どうやら、色素が栄養素っていう考え方はあるようだ。
面白いかもしれない。
この世界の、自分から見たらへんてこな食材にも、何がどう体にいいとか、ちゃんと原理原則みたいなものがあるのだから。
もうちょっとアレンに聞いてみたいな、と思う。
アニオタ勇者も気になるのだが、正直自分は食材の方に興味がわいてきた。
それどころではないのは重々承知しているのだが、どうせ今すぐには帰れない気がする。
今まで『カイワタリ』と呼ばれる人々が自分以外にも居るのであれば、自分がどうなるのかも、そのうち分かるような気がするから。