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第32話:兄さんは悪くない

「に、兄さんは嘘つきじゃないし、人を殴ったりしないもん」


 泣きだしたミーナの肩を、つり目の気の強そうな少女がどんと押した。

「そんなに言うなら、あんたの自慢の兄さんを見せてもらおうじゃないのよ!」

「そうよ、そうよ」

「きっと悪人面よー。うちのお父さん『蜂蜜色の髪の妖精』知っているって言ってたもん。優しくってすごく心が綺麗な人だって言ってたもん」


 他の少女たちに囲まれ、痩せたミーナがうずくまってしくしく泣きだした。

「私の兄さんだって、本当に優しいのよ……悪く言わないで……」


 そこに、スカートをからげた茶色の髪の少女が駆け込んでくる。

「やめなさいよ!何してんのよあんたたち!」

 これまた正義感の強そうな、むっちりした女の子が、へたり込んだミーナを抱きしめて他の少女を睨みつける。

「アリス……何よ、別に話してただけじゃないの……」

 つり目の女の子が怯んだように言い訳したが、むっちりした茶色の髪の女の子は奮然と言い返した。

「どうせレイラが泣かせたんでしょう、知ってるわよ、いつもミーナをいじめてる事!」

 そう言って、優しくミーナを抱き起こし、アリスが彼女の手を引いて歩き出した。

「さ、ミーナ。私とリリーと三人で、アレンお兄さんに会いに行こう。いい人だったって証言してあげるから、ね?」

「待ちなさいよ!」

 つり目のレイラが、腰に手を当てて逞しめのアリスに指を突きつけた。

「私も行くわ!アレン・ウォルズがどんな極悪人だか見届けてやる!」

 取り巻きの少女たちも一斉に声を上げる。

「そうよそうよ!」

「第一、ミーナってちょっと可愛いからって、調子に乗りすぎなのよ!」

 ミーナの肩を抱いたまま、アリスがやいやい言う女の子たちを睨みつけ、吐き捨てるように言った。


「ふん、勝手についてくれば。ミーナ、教室に戻りましょ!」


◇◇◇◇


「ナナさん」

「はい!」

「機嫌悪いなぁ、どうしたの」


 窯の前に鬼の形相で屈みこんでいたところ、ダンテさんにそう指摘されてしまった。

 はっとして慌てて顔をペチンと叩いた。

 いけない、アレンの受けた仕打ちを思って、イライラしていたようだ。


「すみません、すぐにお店の方掃除してきます。これからこれ、焼いちゃいますね!」


 ランチが終わったばかりで、だいぶお店の中が散らかってしまった。

 カフェタイムのお客様がいらっしゃる前に早く掃除をしてしまわないと。

 そう思って、食品にも使える洗剤を溶いた水で机をふき、クロスの汚れを確認し、床に落ちたゴミを綺麗に掃き清める。


「いやいや、ナナさんごめん、『掃除しろ』っていうあてつけの意味で言ったんじゃないんだ。アレンくんが市場に行ってる間に聞くけど、どうしたのさ」

 ダンテさんが、カウンターの向こうからそう声をかけてきた。

 この人、ほんとに鋭いな、嫌になるくらい。

 そう思って『へへへ』みたいな中途半端な笑顔を浮かべてみた。


「やっぱ何かあるんだね。旦那と喧嘩したの」

「旦那?」

「アレン君だよ、他に誰かいるの?」

「な!ちが!」

 ななな、何言ってるのだダンテさんは!

 だだだ旦那じゃないし手すら繋いだことないし、やめて!

 動転してブンブン首を振り、大慌てで言い訳を開始した。

「だ、だんな、とか、ハハ……大家さんですよ、大家さんっ……大家さんが悪口言われてるって聞いて、あの、なんかやだなーと思って、あの」

「大家? 何してんのさ、もう一月も同居してるのに奥手すぎないか……」


 ダンテさんが情けなさそうにため息を付いた。

 この人の狙いはなんなんだ。

 

「な、なにも、ないですよ、あの、私は日本に帰るので」

「帰りたいの?」

 ダンテさんが、この間と同じ事を聞いてきた。

 そんな事を聞かれたって。『帰りたい』ということに便宜上なっているのだ。

 あまり深く突っ込まないでほしい。

「か、帰りたいです」

「ふーん」

 ダンテさんが何故か不満気に腕を組み、ボソリといった。

「ナナさんがここにずっと残ってくれたら良いのに。帰らないカイワタリを僕は見てみたいからね」

「え?」

 帰らないカイワタリ?

 ダンテさんは何を言っているの?

「カイワタリの方って、みなさん帰られてるんですか」

「大体そうだね、僕の知る限りは。でもナナさんはカイワタリとは言え、一般人だ。残ればいいのに」

「はぁ」

 

 帰らないカイワタリを見てみたい、って、どういう意味なのだろう。

 ダンテさんが何を望んでいるのかよくわからない。

 店の手伝いがいなくなるのが嫌だから、っていう理由ならまだわかるのだけど。


「帰らないカイワタリと、癒された男の物語を見てみたいんだけ、なんだけどね……っと、お客さんだ、いらっしゃい!」

「?」


 店の入口へ歩いて行く、真っ直ぐなダンテさんの背中を見守る。

 彼はいつも極めて端的に、明瞭にものをいう人だ。

 でも今の譬え話は全然わからないし、何を言おうとしているのかも伝わってこなかった。

 考えるけれど、やっぱりよくわからない。


 ふとその時、香ばしいいい匂いが台所から流れてきたのに気づいた。

 昼休みの空いた釜で、シューを焼かせてもらったのだ。

 しゃがみこんで覗き込む。ゆらゆらするガラスの向こうに、プクプクになったシューが見えた。

 今回も成功だ。

 いそいそと取り出し、台の上に天板を置く。

 こっちの卵は水分が多いので、フッカフカに仕上がった。

 卵白の水分だけがシューの生地の小さな気泡を作れるので、それは大事なポイントだ。

 逆に卵白を混ぜ込む前は、できるだけ水分が少なくなるように生地を作っておかねばならないし。

 

「できた!」

 すっかり嬉しくなり、いそいそと熱々の生地に切れ目を入れた。

 クリームを注入する道具がないので、さっき作った果実の餡をはさむ。

 踊り麦の粉は生でも使えるので、果実餡のつなぎにちょっと使ったのだ。そしたらなかなか滑らかで美味な餡ができた。加熱しないので食べ物が勝手に動いたりしないし、これはこれで上手くいったと思う。

「えっと、布巾、布巾……」

 そう思って振り返った瞬間、背後で何かが『ぴょん』とはねた。

 ……ような、気がした。


 振り返るが、何もいない。


 気のせいかな、と思い直し、シューの上に乾いた布巾をかぶせた。

 まかないの時に、ダンテさんにチェックを受けてもらおう。

 許可を貰えたら、常連さんにサービスで出してもいい。こっちの世界ではこのようなお菓子はないらしいので、楽しみだ。そのうちカスタードクリームのレシピも完成させたい。

 ……やっぱりバニラビーンズがないと味が締まらないのだ。

 美味しいことは美味しいのだが、昨日のカスタードクリームはいまいちだった。

 いい香りのお酒とか、バニラビーンズみたいな香りのつくもの、ないだろうか。

 色々とこの世界の食材を頭に浮かべていたら、ダンテさんが厨房に戻ってきた。


「ナナさん、アレンくんの妹さんとお友達が来ちゃった。なんか適当に出してあげてくれる?」


「え? 妹さんが?」

「そう、ミーナっていうんだよ。デイジーそっくりだから、すぐわかると思う」

 言われて、フロアを覗きこんだ。

 確かに、きれいな金の髪に真っ青な瞳の女の子がちんまりと座っている。

 本当にデイジーにそっくりだ。

 だが、もっとかそけき雰囲気の美少女だった。

 お友達がいるのにニコリともしていない。


「い、いらっしゃいませ」


 女の子たちが一斉に自分を見た。

 つり目の女の子が嫌そうに顔をしかめる。

 その取り巻きらしい二人が『外人じゃない?』とささやきあうのが聞こえた。

 黒目黒髪は珍しいのだろう、やっぱり。

 しかし、ジロジロ見てヒソヒソ言うなんて、挨拶がなっていない。

 小姑根性丸出しでむっとしかけたが、慌てて微笑んだ。

「こんにちは」

 ナナさんはもうヤンキーの鈴木菜菜ではない。

 大人の女で、25歳の調理師見習いだ。コムスメに喧嘩は売らないと決めている。


「こんにちは、あの、ミーナのお兄さんいますか」

 ほっぺの赤いむっちりした女の子が、ハキハキした口調で言った。

 この子はしっかり者のようだ。

「あら、あのね、アレンさんは市場に……」

「戻りました」

 言いかけた時、大きなかごを軽々と肩に担いだアレンさんが裏口から顔を出した。

「ダンテさん、買い出し分はこれでいいですか。今日はファルレの良いのが入ったそうで、おまけで頂いてしまいました」

 どうやら、妹達には気づいていないようだ。


 女の子が一斉にアレンの方を向き、同時に大きく目を見張った。

 まあ、無理もないだろう。

 自分ですら時折見とれるくらいだから。毎日見てるのに。

 かごから野菜を取り出していたアレンさんが、ふと気づいたようにお店のフロアに目を留めた。


「あれ? ミーナ? 遊びに来たのか?」

「に、にいさん……」

 アレンさんの声にミーナちゃんが立ち上がり、走り寄って彼にしがみついた。


「兄さん、兄さん!」

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