第3話:思い出スープ。
「珍しいですね!黒い髪の方なんて。私田舎育ちだから初めて見ました」
デイジーちゃんそっくりの美人のママが、そう言って微笑みかけてくれた。
「旅の方は良く村を通るけどね。女の子だったら、家の中で作業してもらっても安心だし」
「そうね、お父さん」
ご夫婦が微笑み合う。
この農村は田舎で人が少なく、旅の人が小銭を得る代わりに、日雇い労働をする事も珍しくないのだという。
治安の良い、平和な国なのだろう。
「ねー、コレ食べて」
デイジーが、小さなぷくっとした手で『何か』を掴んでお皿に載せてくれた。
とても人懐っこい。
お客さんに慣れているのだろう。
だが。
『うっ』
なんだこの、赤と白がくっきり綺麗に半分に塗り分けられた、木の実のようなものは。
「美味しいわよ、綺麗に色が別れているでしょ、身がたっぷり詰まってる証拠よ」
「今年のは例年に比べて美味しいんだ、どうぞ、食べて」
「…………」
なんか怖い。
コレだけじゃなくって、壷に入れられた、湖面のようにゆらゆらと色を変える液体といい、自発的に動いている、一見ラーメンのような麺類といい、食べて平気なのか解らなくって、怖い。
ちなみに、揚げ物、らしい何かの衣は、光が当たると七色に輝いている。
「おいしーよ、食べようよぉ」
「う、うん」
俯いて、この前見たテレビ番組を思い出す。
原住民が薦めてくれる虫を『好意を無にしてはいけない』と言って、笑顔で食べていたレポーターの姿を。
だが、原住民に日本のシラウオの踊り食いを薦めたら、彼らは果たして笑顔で食べてくれるのだろうか。自分は正直、そう思った。
そのくらい自分の体に馴染んだ食文化というのは拭い難いものなのだ。
いけない、見た事も聞いた事も無い若干見た目も見慣れない食べ物に、本能的な拒絶反応を起こしているのかもしれない。
デイジーが、差し出していたガチャガチャのカプセルみたいな木の実を、引っ張ってパコッと割った。
色が変わっているところから、それが綺麗に二つに分かれる。
「ほんとだー、おかあさん、ギューって入ってるー」
何が入っているんだろう。
「でしょう。さあナナさんもどうぞ」
だから、何が入っているのか怖いんだってば。
そう思いながら、デイジーの小さな手の中にある木の実を覗き込む。
紫のアボカドみたいな中身だ。一応食べ物っぽくはある。
食べて平気なのだろうか。
怖い。
自分はそもそも、この世界の人と同じ体の造りなのだろうか。
だが、食わなければいずれ死んでしまう。
——こうなったら覚悟を決めよう。
デイジーを見習い、木の実を左右に引っ張って割る。
ぱこ、と軽快に二つに割れた。
「…………」
ごく、と息を飲み、デイジーと同じようにスプーンですくって口に運んだ。
…………。
…………。
「あ、美味しい」
「おいしいよー」
デイジーがニッコリ笑った。
アボカドみたいな味だが、もうちょっと塩気があって美味しい。
とりあえず、体がだんだん腫れぼったくなって痒くなったり、吐き気や腹痛などを感じる様子は今のところ無い……。
「はい、これも、おいしいよ!」
デイジーが引っ張って来たお皿を覗き込んだ。
「…………」
中身が見えない、表面が光を反射する謎のスープだった。
沼か、湖のように見えるが良い香りがする。
「ちゃんとしっかり覗き込んでから食べて頂戴ね」
「覗き込んでから……」
そんな概念、初耳なのだが。
「何ですか……これ……?」
何ですか、っていうか、何が入っているのか、というか、それ以前に食い物なのか? みたいな事を聞きたいが、さすがに何をどこまで聞けば失礼に当たらないだろうか。
「思い出スープっていうの。ペレの村の名産品なのよ」
思い出スープ。
確かに食べたら生涯忘れられない気がする。ビジュアル的に。
「さ、デイジー、ひいおばあちゃんの事が見えるかな?」
美人なママが優しい声でデイジーに話しかける。
デイジーが、丸い顔をきゅっと引き締めて、真剣にスープのお皿を覗き込んだ。
「…………」
「見える? デイジー」
「あ!見えた!ひいおばあちゃん、笑ってる!」
「まぁ」
デイジーのパパとママが笑顔を交わし合う。
良かったわね、ひいおばあちゃんに会えたわね、などと言っているのだが、全く意味が分からなかった。
何が見えるというのだろう。
何も見えない、怪しいゆらゆら揺れるスープの表面をじっと見つめた。
「…………」
よくわからないが、自分は地球ですら無い、けれど人間はいる異世界にやって来てしまったのだろう。
取りあえず食べ物は食べられそうだが。
いやぁ、それにしても参った。予想以上に食べ物が違う。
お皿に取り分けていただいた、虹色の揚げ物にかぶりついてみた。
かかっている粉は甘く、衣はほんのり塩味だ。
しかし噛んでいるうちに、また違ったカンジで甘くなって来た。
まさに色も七色、味も七色、だと思う。
この世界の栄養素はどうなっているのだろう。
食べ物が真っ赤と真っ白とか、虹色とか。
この食品群の色も、リコピンとかアントシアニンとか、あれらの有効な成分が持つ色なのだろうか。
考え込んでいたとき、食道の扉が開いて、背の高い男の人が入って来た。
髪は皆と同じ金色で、目の色は緑だ。
——おお、イケメンさんだっ!
弾かれたように顔を上げたら、無表情で男の人が頭を下げる。
自分も頭を下げた。
お辞儀の意味は一緒らしい。
「ああ、先生!お早いお戻りでしたね。おつかれさまでした、おかえりなさい!」
デイジーのパパがそう言って立ち上がり、イケメンさんの上着を受け取った。
「ええ……」
イケメンさんが、どこか疲れたような表情で頷いた。
「おかえりなさーい!結婚式!どうだった? ねえ、アレン兄ちゃん、結婚式は?」
デイジーが椅子から飛び降り、背の高い男の人に飛びつく。
ママが慌てたように立ち上がり、デイジーちゃんを引きはがした。
「こ!こら!止めなさい!デイジーっ!」
緊迫した声だった。
一体どうしたというのか。
イケメンさんは淡い微笑みを浮かべ、デイジーのパパとママは気まずげに床を見ている。
いきなりママに怒られたデイジーは、ぷんぷくりんに膨れていた。
「なによぅー。竜を倒した勇者様の、結婚式のお話ぃぃぃ」
大きな目に涙を溜め、デイジーがますますプックプクに膨れる。
「ううう……花嫁さんのお話ぃぃ……」
そのとき、イケメンさんが屈み込み、デイジーの丸い頬に手を添えてニッコリ笑った。
「そうだね、聞きたいよね。あのね、勇者様は背中に、竜殺しの剣を背負っていらしたよ。茶色の髪に緑の目で、それは逞しく、頼れるお姿だった」
何故かデイジーの両親が顔を背け、デイジーはイケメンさんのお話に目を輝かせる。
「ほんと?」
「ああ、本当だとも。我がエルドラはもう安心だよ、素晴らしい勇者様がおいでなんだから」
「すごーい」
ニッコリ笑って首に抱きついたデイジーの頭を撫で、イケメンさんが優しく続けた。
「花嫁さんはベールを被っていたから、顔は見えなかった。だがきっと世界一の美人だろう。どこまでも引きずる長い真っ白なベールと、同じく真っ白なドレスが夢物語のようだった。皆が桃色の花を投げて、勇者様の結婚をお祝いしたんだ。勿論僕も、お花を投げたよ。善き夫婦に幸あれ、ってね」
「わぁ……」
デイジーが目をキラキラさせ、うっとりと首を傾げて、イケメンさんの顔を覗き込んだ。
「すごいぃ……花嫁さんいいなぁ……ねえアレンにいちゃん、大きくなったらお嫁さんにしてね」
「はは」
「だってアレンにいちゃんが一番カッコいいもん。ね、おかあさん!」
デイジーの言葉を聞いて、ママが気まずげな表情を消し去り、微笑みを浮かべ直した。
「あらデイジー、ご飯食べないと大きくなれないわ。まず大きくならなきゃダメでしょう」
「そうだよ、デイジー、ご飯の途中だ」
デイジーのパパもそう言って、娘を抱え上げて椅子に座らせる。
「さ、先生、失礼しました。いつもの有り合わせばかりですけど、先生もどうぞ」
わざとらしいくらい明るい声で、デイジーのパパがそう言った。
そして、奥さんに目配せをする。
デイジーのママが心得たように頷いて『思い出スープ』の入った壷を持ち、台所へ下がっていった。
「……?」
いったい、何だろう。
この、子どもがしでかしてしまった失態を取り繕う夫婦……みたいな空気感は。
そして、イケメンさんの、僕はまるで気にしていないです、と言わんばかりの不自然な表情は。