第26話:ありがとう
「まあ、お背が高いから、どんなお召し物も似合いますこと」
店員さんにお愛想を言われ、あいまいに鏡越しに微笑み返す。
胴回りは細くなく、尻回りも細くなく、ただ背が高いだけなのだが……。
「ね、淡い緑のさっきの服が良いよ、アレをもう一度出して」
タイゾー君が嬉しそうに言った。
さっきから、彼の着せ替え人形……いや、着せ替えカカシにされているのだが。
「タイゾー君、なんで私に着替えをさせるの」
「買ってあげるよ、可愛い服」
「いいよ……着る場所ないし……」
食堂の下働きの仕事をしているので、どこに可愛い服を着ていけばいいのか分からない……。
「着なよ!」
戸惑っている自分に、断固たる口調でタイゾー君が言った。
「せっかく女の子でせっかく可愛いんだから、着なよ!」
「可愛くないよ……」
「なんで?」
「いや、何ででもだよ。二十五年生きてればだいたい己の立ち位置が分かるよ」
「僕二十九年生きてるけど全然、ワカリマセン、そんなもん」
タイゾー君が、自信満々の笑顔で言った。
「ああ、やっぱり髪の毛下ろすと可愛いね。真っ黒。全然染めてないんだね」
タイゾー君が、団子にしやすいように伸ばした髪に触って言った。
――昔はギンギンに染めてたよ!金色だよ!一部は赤だったよ!思い出させないでよ!
勿論口には出さずにそう思い、目をそらす。
ああ、若気の至りでグレたりするものではない。
だいたい、二十五過ぎると、思い出すだけでのたうち回りたくなるのだから。
元不良仲間も『あの頃の話はしないでえええ!社会を憂うポエム書いてた話はしないでええええ!』と叫んで、クッションに頭を叩き付けていたし……。
「タイゾー君はナチュラルにイケメン顔でオシャレな髪色だから良いよね……」
「いや、侍コスプレのときにダメだよね、こんな顔もダメだよね、侍コスプレのときは」
真顔で返され、しばし言葉を失った。
「……侍……」
「コスプレ」
自分の言葉に律儀に付け加え、タイゾー君がニッコリ笑った。
「侍コスプレ」
「うん、コミケのときはいつも侍コスプレで参戦する」
「……」
「楽しいよ、そのあと限定フィギュアと商業同人買いあさってエンジョイしてるもん、俺」
「……」
「菜菜ちゃんも日本に帰ったら行こうね」
「はい……」
今、何で頷いたんだ、自分……。
「すいません、この服とさっきの薄い赤のと、生成りのと、いいや、ここにあるの全部下さい。肩掛けも、これとこれとこれ、下さい」
詰んである試着済みのワンピースを次々店員さんに渡し、タイゾー君が機嫌良く言った。
「さて、もう夕方だから送って行くよ。今度、髪下ろしてあの服着てね。オシャレして僕とまたデートしようね!」
***
「……」
あまりの恐怖でタイゾー君にしがみ付いているうちに、あっという間にダンテさんのお店の裏口に到着した。
新幹線並みの速度で飛ばれて怖い。
何故同じ異世界から来た『カイワタリ』なのに、自分は何も出来ないのか……。
「はい、着いたよ、泣かないで」
「泣いてない……風圧で涙と鼻水が……」
そう言って、ハンカチみたいな布で顔を拭った。
「菜菜ちゃん、あのさ」
タイゾー君が、少しトーンを落とした声で言った。
「どうしたの」
「菜菜ちゃん、あっちに帰るよね」
深刻そうな表情だった。
どうしたのだろう。
「え、うん。ディアン管理官に、帰れる時が来たらすぐに帰れって言われたよ」
ディアン管理官は『カイワタリはさっさと帰れ』位の勢いだったように思う。
タイゾー君は違うのだろうか。
「そっか、うん、分かった……あの、これ持ってて」
手に、不思議な半透明の鈴を押し付けられた。
なんだろう。持った重さは確かにあるのに、ホログラフのように実体がない鈴だ。
その鈴が、すっと手のひらにとけ込んで,消える。
「タイゾー君、何これ?」
「こうやって手のひらにしまうんだ。それで、帰れる時に僕を呼んで。この鈴の持ち主に呼ばれたら、僕はすぐに飛んで行くから」
「……なに? どういうこと? 普通に一緒に帰ればいいじゃない」
張りつめた空気に、だんだん不安になって来た。
自分がここから送り出してもらえる時に、タイゾー君も普通に帰れば良いのに。
「いや、呼んでよ、確実に……帰りたいから。頼んだよ」
「わ、わかった」
タイゾー君の纏う明るい華やかな空気が、日が落ちた空のようにがらりとその色を変えたのがわかった。
初めてあったときのような暗く重く、冷ややかで圧倒的な気配に染まってゆく……。
「どうしたの、タイゾー君」
必死に、普通の口調を作って尋ねた。
怖い。
タイゾー君がタイゾー君ではなく、何かもっと圧倒的な、怒った神様かなにかに化けてしまったように感じる。
「……いや、なんでもない。早く勇者なんか辞めたいなって思っただけ。あとさ、また会おうよ。それでさ、その時アレンの話を聞かせて」
「そんな、それは、自分から会いに行けば……」
そう言いかけて、口をつぐむ。
タイゾー君の目に涙が溜まっていたからだ。
「奥さん奪うなんて、絶対しちゃいけないことなの。最悪の裏切りなの。だから、どんな理由があれ、俺からアレンに会おうなんて言えない。でも俺はアレンが心配なんだ。だからさ、頼むよ」
「タイゾー君……」
「お願いします!菜菜様!」
「……」
タイゾー君に手を合わせられ、何も言えずに彼のきらきらした髪の毛を見つめた。
「わ、分かった……お店が忙しいから,あんまり頻繁には無理だけど……」
「そっか、ありがと」
タイゾー君がそう言って、泣きそうな顔で笑った。
それから、大きな大きなふろしき包みを手渡してくれる。
「うっ、重い!」
「この服着て、可愛くしてなよ。せっかく可愛いんだからさ」
「うーん、どこで着るのよ?」
困った。
ずいぶん高価そうなのに。
「じゃあね、菜菜ちゃんお休み!」
「お休みなさい。今日は色々ありがとう。あと鈴のことわかった。帰る時に、タイゾー君を呼ぶね」
ずっしりした柔らかい塊を胸に抱え、曖昧に手を振った。
ああ、あの二人、仲直りは出来ないのだろうか。
***
「ただ今帰りました」
「おお、お帰りナナさん」
ダンテさんが、お魚をひっくり返し終えて,笑顔で振り返った。
「すみませんでした、お休みを頂いて」
「業務命令、業務命令。いいよ。お疲れさま。ところで何、その荷物」
「あの、買ってもらいました。服が可愛くないからって言われて」
「ははっ」
ダンテさんが、おかしそうに笑った。
「たしかに、ナナさんの服は男物の古着だからなぁ。アレン君、そんなの着せっぱなしで気が利かないな」
「いいえ、そんな事無いです。屋根のある場所においてもらえるだけであり難いです」
どこから来たのかもわからない、怪しい自分に服を貸してくれて、家の部屋まで貸してくれたアレンと、アレンのお姉さん夫婦の事を思った。
何故かキノコ採りに連れて行ってくれたり、嵐の中助けに来てくれたりする、可愛いデイジーとモココの姿も、同時に脳裏をよぎった。
「……優しすぎるくらい優しいです、アレンさんも、ハーマンさんご夫婦も」
みな忙しかったり、悩みがあったり、自分の事で一杯一杯だったろうに。
それなのに、皆よそ者の自分に親切で、嫌な顔なんかしなかった。
「正体不明の流れ者なのに、拾ってもらって、助けてもらったんです。すごく感謝してます」
「そうか、それもそうだな」
ダンテさんがしみじみとそう呟き、すらりとお魚に切れ目を入れた。
鮮やかな手さばきだ。
「僕もいい子を雇ったもんだ。真面目に働いてくれる店員さんは本当にありがたいよ、いつもありがとね、ナナさん」
「……」
思わぬことを言われ、ブワッと涙が出てしまった。
「て、てんちょ……」
「うん『ありがとう』って良い言葉だ。どれ、ちょっと外で井戸を直しているアレン君にも言って来ようかな」
そう言ってお皿を手に、店長がフロアに出て行った。
「お待たせしました、ファルレの月夜焼きをお持ち致しました」
お客様の歓声と、見事な焼き色だ、いいファルレだ、という褒め言葉が聞こえる。
さすが、ダンテさんの自信作だけあって、評判はすごくいい。
今日見た屋台群を思い出し、頭の中でお店の様子と比べてみた。
使っている道具の種類が多く、繊細な料理を作れるように準備されているのがわかる。
おそらくは、このお店は、地球でいうところのビストロのような、そこそこ洒落たランクのお店なのだろう。
メニューは、こまかい一手間をかけた物が多いし、それからペレの村の郷土料理のような物も多いと思う。
ああ、今度機会があったら、同じくらいのクラスのお店に入って,色々偵察したい。偵察して、別のメニューも楽しみたい。
しみじみそう思いながら、取りあえずエプロンを身に着けた。
まだお客さんがいるので手伝いをしよう。
そう思って袖をまくり、置いてあったお皿を洗う。
今日は、緑色のソースのお料理がたくさん出たのだろう。
ダンテさんは本当に綺麗な、クリアな色合いのソースを作る達人だ。
素材の味も香りも生きているソース。
自分もこんなソースを作れる料理人になりたい。
「ナナさん,良いこと考えたよ、今日の賄いの主題は『感謝のこころ』にしよう。心に効くとっておき料理を堪能あれ、だ」
言いながら、空いたお皿を手にしたダンテさんが戻って来た。
「心に効く……」
お皿を受け取り、流しにつけてダンテさんを見上げる。
一体、何を作るのだろう。
「あ、そうだ、アレン君に『ありがとう』を言って来ようっと」
そう言ってダンテさんが通用口を覗き込み、『アレン君、井戸を見てくれてありがとね』と声を掛けた。